第7話:ケチな商人と、研ぎ澄まされる刃
地上げ屋の一件があって以来、ドンズ亭の隅にある私たちの寝床には、たまに物好きな客がやってくるようになった。
彼らは「ドン底亭の解決屋」などと、勝手な呼び名を使っている。
「……だから、そのサファイアの指輪をこの市場で落としたんです!」
汗をハンカチで拭いながら身振り手振りで訴えているのは、恰幅の良い商人だ。
彼はしきりに瞬きを繰り返し、指先を小刻みに震わせていた。
ドンズが貸してくれた丸椅子に深く腰掛け、ジルは腕を組む。
「市場の石畳に落ちたなら、すでに誰かの懐に入っている。諦めることだな」
「そ、そこをなんとか! 妻の大切な品で、見つからなければ家を追い出されてしまう!」
私は商人の胸の音に耳を澄ませた。
『妻』のくだりで、少しだけ音が跳ねた。姑息な嘘の音だ。それに、彼の上着からは甘ったるい安い香水の匂いが微かにする。たぶん、歓楽街の女への贈り物だろう。
でも、私にはどうでもいいことだ。
「……ねえジル。報酬、前金で銀貨二枚だって」
私がマントの端を引っ張って伝えても、ジルは鼻で笑っただけだった。
「ふん。誇り高き騎士である俺が、そのようなはした金で動くわけが……」
「今夜のまかない、特上肉の塩焼きにできるかも」
「……ふん。妻への贈り物と言い張る虚言癖め。騎士として、少しばかり痛い目を見せてやらねばなるまいな」
彼は銀貨ではなく肉の響きに釣られ、重い腰を上げた。
人ごみと魚の匂いが入り混じる、活気ある大市場だ。
私は目を閉じ、音だけを拾う。
……違う。違う。
商人が歩いたという順路を辿り、地面すれすれの音を探した。
やがて、果物屋の屋台の裏に来た。
排水溝の鉄格子の奥から、風が吹き込むたびに微かに硬い金属が転がる音がする。
「……そこ」
私が指差すと、ジルが大袈裟にマントを翻した。彼は薄暗い路地まみれの鉄格子に、ためらいもなく両手を突っ込む。
相変わらず変なところで潔癖症を忘れる。ひどく汚れたどん底から、青い石が微かに光っていた。
「おお! これです、これです!」
薄汚れの指輪を受け取った商人は、安堵の息を吐く。
だが、彼が懐から取り出したのは約束の銀貨ではなく、くすんだ銅貨が数枚だった。
「いやぁ、助かりました。これはほんの気持ちですが……」
商人の目が泳ぐ。値切る気だ。
私が口を開こうとした瞬間、ジルがスッと商人の前に歩み出た。
「ジル。あの人、歓楽街特有の安い香水の匂いがする」
私が背中から小声で耳打ちすると、ジルはピクリと眉を動かした。
ジルは銅貨を受け取らない。
彼の視線はただ、商人の立派な上着の胸元へ注がれていた。
「……見事なベルベットだ。西の海を渡ってきた高級品だな。だが、その安っぽい香水の匂い。……歓楽街に通っているようだが、奥方はご存知かな?」
商人の顔から、スッと血の気が引いた。
「もしこの指輪が、その歓楽街の女への贈り物だとしたら……いや、ただの独り言だ。俺は口が堅い方だが、報酬の銀貨を数えるのに夢中になれば、余計なことを話す暇もなくなるのだがな」
商人は震える手で慌てて銀貨を三枚取り出すと、それをジルの手に押し付けた。
そして、逃げるように市場を後にする。
深夜の厨房の片隅。シュッ、シュッという静かな音が響いている。
ジルは砥石を使い、あの料理用のペティナイフを無言で研いでいた。
ランプの光を反射する刃先は鋭く光り、彼の真剣な顔つきは、まるで名剣を手入れする騎士のようだ。
「……ジル。銀貨三枚。すごいね」
私が藁のベッドから身を乗り出して言うと、ジルは手を止めないまま鼻を鳴らす。
「ふん。当然だ。あの程度の小悪党、俺のハッタリにかかれば赤子同然だ」
「……私の耳打ちのおかげでしょ」
「馬鹿を言え。俺の類稀なる観察眼がなければ、あの香水の匂いに気づくこともなかっただろう」
相変わらずの強がりだ。
でも、私は彼の手元を見つめた。
刃が輝きを増していくのに合わせて、彼の横顔も少しずつ穏やかなものになっていく。
この街には嘘の音が溢れているけれど、彼がナイフを研ぐ音だけはとても真っ直ぐだった。
私はその音を子守唄代わりにして、もう一度目を閉じた。




