第6話:うるさい迷子と、見守る騎士
大市場は、今日も耳がちぎれそうなほどの騒音に包まれていた。
客を呼ぶダミ声、荷車の車輪が石畳を軋ませる音、そして……鼓膜をぶち破るような、子供の泣き声。
「うええええん! ママぁああ!」
迷子の子供だ。周りの大人たちがオロオロしているが、誰も手を焼いて近づけない。
「ふむ、迷子か」
ジルがバサッとマントを翻し、私の前に立った。
「任せておけオルフェ。かつて騎士団で索敵を極めたこの俺が、風向きと太陽の位置、そして路地の土の乾き具合から子供の迷走ルートを完璧に割り出し……!」
ジルの長い前口上を遮るように、私は子供の元へまっすぐ歩いていった。
「ちょっと、オルフェ! 俺の作戦を聞け!」
後ろでジルが騒いでいるが、私は気にしない。
子供の泣き声の奥にある、微かな「しゃっくり」の音。
私はしゃがみ込み、子供の目の高さに合わせた。
「……ねえ。君のお母さん、甘い匂いのするエプロン着てた?」
子供が、しゃっくりをしながらコクンと頷く。
焦がした砂糖の匂いと、慌てふためくような心臓の鼓動が、私にはすでに聞こえていた。
「こっち」
私は子供の手を引き、迷わず東側の路地へ向かった。
道中、子供がまた泣き出しそうになったので、私は仕方なく、ドンズ亭でジルがいつもパン生地を捏ねる時のリズムを口で刻んでやった。
トントン、パタン。トントン、パタン。
なんだかそれが面白かったのか、子供の泣き声はピタリと止んだ。
「ああっ! トミー!」
路地の角を曲がった瞬間、甘い匂いを纏った母親が飛び出してきた。
「ママ!」
「トミー! よかった、どこに行ってたの……!」
感動の再会。
私はそれを少し離れて見つめていた。
「……」
ふと横を見ると、ジルが呆気にとられたように口を半開きにして立ち尽くしていた。
「……俺は、何もしていない」
大男が、魂の抜けたような顔で呆然と呟いた。
「風向きを読むこともなく、足跡を調べることもなく……全てお前が、たった数分で……」
私は背伸びをして、立ち尽くすジルの肘をポンと叩いた。
「じゃあ、報酬の交渉よろしく」
「……」
ジルは項垂れながら、母親の元へ力なく歩いていった。
* * *
夜のドンズ亭の厨房。
ジルは、この世の終わりのような形相でパン生地をこねていた。
ぺちっ……ぺちっ……と、まな板に生地を叩きつける音がやけに弱々しくて情けない。
「俺は……無力だ。ただ突っ立って、お前が全てを解決するのを見ているだけだった」
ジルが、恨めしそうに生地を睨みつける。
「俺など、もう必要ないのではないか。お前一人で解決屋をやったほうが……」
その背中から鳴る音は、ひどく湿っていて、水に落ちてぐしゃぐしゃに潰れたパンみたいだった。
私はかまどの前に座り、膝を抱えた。
「……あのさ」
「なんだ」
「あんたが『騎士への感謝の意として、貴女の店の砂糖漬け林檎を頂きたい!』なんて堂々と要求してくれなかったら、私、タダで子供を返しちゃってたよ」
ジルの動きが止まった。
「私は音を聞くだけ。人間の『建前』とか『交渉』とか、そういうの全然わかんない」
私は手の中にある、紙に包まれた甘い砂糖漬け林檎をテーブルの上にコトンと置いた。
「あんたがいてくれないと、私、今日のご飯も食べられなかったんだよ」
ジルは無言で林檎の包みを見つめた。
やがて、彼は深く咳払いをして、背筋をピンと伸ばした。
「……ふん。ならば仕方あるまい! 世間知らずのお前を導くには、やはりこの俺の世慣れた交渉術が不可欠ということだな!」
ジルの音が、いつもの偉そうな調子を取り戻した。
「そうそう。だから早く、そのパン焼いてよ。お腹すいた」
「焦るな! 今、俺の完璧な温度管理で極上の焼き目をつけてやるところだ!」
かまどに放り込まれたパン生地から、香ばしい匂いが膨らんでくる。
彼のうるさい自信と、温かいご飯。
どっちも、私には欠かせないものになっていた。




