第9話:破れた帳簿と、冷たい怒り
数日後。激しく雨が降る夜だった。
ずぶ濡れの少年が、ドンズ亭の扉を叩く。
「お願いです! 解決屋さんに、主人の無実を証明してほしいんです!」
涙と雨水でぐしゃぐしゃになった顔で、少年は分厚い革張りの帳簿をテーブルに叩きつけた。
彼の主人——港で交易品を扱う商人は、港の利権を狙うボンド卿という貴族から横領の濡れ衣を着せられ、倉庫を差し押さえられてしまったのだという。
少年はテーブルに身を乗り出し、私とジルに向かって必死に縋り付いてきた。
「……ふん。証拠はこの帳簿だけか? こんなもの、いくらでも書き換えられるだろう」
ジルは面倒くさそうに溜め息をつき、帳簿のページをパラパラと捲る。
その顔には、いつもの傲慢な冷ややかさが張り付いていた。
だが。
あるページで、彼の手がピタリと止まる。
ページの下部に押された赤い蝋の印。その横にある流麗なサインに、ジルの視線が釘付けになっていた。
ジルの顔から、スッと血の気が引く。
彼は帳簿を握りしめた。
指の関節が白くなるほど強い力だ。
分厚い羊皮紙がメシリと音を立てて歪み、端が小さく破れた。
「……ジル?」
私が覗き込もうとすると、ジルは弾かれたように帳簿を閉じ、バタンと大きな音を立ててテーブルに置いた。
「……引き受けよう」
ひどく低く、冷たい声だった。
いつもの大仰な身振りは一切なく、ただ彼の瞳に氷のような怒りが宿っている。
「本当ですか!?」
「ああ。……この無駄に仰々しい筆跡。見間違えるはずがない」
ジルは自分のマントの裾をきつく握りしめた。
汚れた布の下で彼が何を思っているのか、私には分からない。
でも、小刻みに震える背中が、昼間に馬車を見た時と同じようにひどく強張っていることだけは分かった。
「……案内しろ。横領をでっち上げたという、その商会の主の屋敷へな」
ジルは腰の袋から小さなペティナイフを取り出し、まるで伝説の聖剣でも携えるかのような厳粛な手つきで、マントの内ポケットに深くしまい込む。
ただの果物ナイフなのに、今の彼の背中からは、今まで聞いたことのないような鋭く冷たい金属音が鳴っていた。
そして、雨の降る外へ無言で歩き出した。




