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没落したポンコツ騎士様を拾いました 〜美味しい料理と、優しい嘘。路地裏から始まる二人のあいまい解決屋生活〜  作者: まったくもー


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第3話:いかさまカードと、不器用な指先

昼下がりのドンズ亭。

 食堂の片隅で、常連の老水夫が怒声を上げていた。若い男が薄ら笑いでそれに応じている。


「ふざけるな! 俺の懐中時計を返しやがれ! お前、絶対にいかさまをしただろう!」

「人聞きの悪いことを言わないでくれよ、爺さん。カードはアンタ自身が切ったんだぜ? 負け犬の遠吠えは見苦しいな」


 卓の上には、擦り切れたトランプと古びた銀の懐中時計がある。

 薄ら笑いを浮かべている若い男の顔は、ひどく場違いだった。


 怒号が不快で、私は厨房の入り口で耳を塞いでいた。すると横からスッと、木皿が差し出される。

 薄く切ったパンの端切れだ。ニンニクの香りを移したオリーブオイルが塗られている。


「……まかないの残りだ。食え」

 ジルは前掛けで手を拭きながら、顎で食堂の騒ぎをしゃくった。

「まったく、下界のならず者共は騒がしい。騎士である俺の心が休まらん」


「ねえジルジル。あいつ、カードを配る時、右の親指から『カリッ』て音がする。爪でカードに傷をつけてる音」

 私が木皿を受け取りながら小声で言うと、ジルはピクリと眉を動かした。


「……ほう? やはりそうか」

「気づいてなかったくせに」

「馬鹿を言え。貴族の夜会を熟知した俺の眼力からすれば、あんなものは子供の遊びだ。札の裏に数字が書いてあるも同然だぞ」


 ジルはパンの端切れを齧り、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 でも、老水夫の悲鳴みたいな音がずっと私の耳を引っ掻いていた。


「ねえ。あの時計、お爺さんが海に出るたびに磨いてたやつだよ。あれがないと、お爺さんの音がずっと沈んだままになる」


 ジルは深々とため息をついた。

「なあオルフェ……俺を何でも屋と勘違いしていないか? こんな事は騎士の仕事ではないぞ」

「そうだよね。ごめん」


 私がため息をついた時だ。耳を塞ぎ直そうとすると、老水夫が「うぅっ」と顔を覆って泣き崩れた。

 彼はいつも、ジルのスープを一滴残らず飲み干してくれる常連客だった。


 その瞬間、横でギュッと布が擦れる音がした。

 見上げると、ジルが前掛けの紐をきつく締め直している。清潔な布巾を片手に取ると、真っ直ぐに騒ぎの卓へと歩いて行った。


「おい、そこをどけ。テーブルを拭く」


 ジルは若い男と老水夫の間に割って入った。男の目の前のカードを、布巾で乱暴に払い除ける。


「な、何すんだよアンタ!」

「清掃だ。俺はドンズ亭を清潔に保つ義務がある。むっ……?」

 ジルはわざとらしく眉をひそめ、布巾の下から一枚のカードを拾い上げた。それを男の顔の前に突きつける。


「見ろ。俺の研ぎ澄まされた清掃術によって、このカードの裏についた汚れ……いや、不自然な傷が浮き彫りになったぞ! 随分と爪の手入れを怠っているようだな!」


 男の顔から一気に血の気が引いた。

「なっ……! でたらめを……!」


「でたらめかどうか、衛兵の詰所でこのカードを調べてもらえば分かることだ。それとも……」

 ジルは腰から愛用のペティナイフを抜き、その丸みを帯びた木の柄でトン、とテーブルを叩いた。

「この時計を置いて今すぐこの宿から消えるか。選べ」


 騎士の剣とは程遠い、ただの果物ナイフ。だが、ジルの無駄に威圧的なオーラに気圧されたのか、男の喉がグッと鳴った。

 革袋から時計を出し、テーブルに放り投げると、自身は転がるように宿から逃げ出していった。


「おお、調理場の兄ちゃん! あんたぁ俺の恩人だ!」

 老水夫が泣きながらジルの手を取る。


 ガシャァン!

 その時だった。男の仲間らしき別の客が、苛立ち紛れに持っていたジョッキを壁に叩きつけて店を出て行った。

 鋭い音と共に砕け散った硬い陶器の破片が、厨房の入り口に立っていた私の腕を掠めた。


「あ、痛っ……」

 腕に触れると、少しだけ血が滲んでいた。


「……オルフェ!」

 老水夫の感謝の言葉を遮りつつ、ジルが血相を変えて私の元へ大股で歩いてくる。

「チッ、ならず者どもめ! ……腕を見せろ!」


「……平気。ちょっと切れただけ」

「馬鹿者! 傷口から土埃が入ったらどうする!」


 ジルは私の怪我をしていない方の肩を引き寄せ、強引に厨房の奥へと連れて行く。


 裏口にある、薄暗い階段の下だ。

 ジルは手洗い用の綺麗な水で真新しい布巾を濡らすと、私の前にしゃがみ込んだ。


「……痛い」

「動くな。傷口を消毒せずに放っておくのは、まな板を洗わずに肉を切るようなものだぞ」


 料理の衛生管理と混ざっているけれど、彼の大きな手が、私の腕を優しく固定する。

 いつも大きな鍋を振るっている荒い手なのに、傷口に触れる指先はひどく臆病で、羽のように軽かった。


 冷たい布が、傷口の血をそっと拭い取る。

 ジルの顔が近く、彼の睫毛の影がランプの光に揺れていた。


「……こんなかすり傷、すぐ治るよ」

「……騎士の務めだ。それがたとえ、小娘の擦り傷であっても」


 ジルの顔はしかめっ面のままだ。だが、傷口に触れる彼の指先からは、じんわりと温かい鼓動が伝わってくる。


「……ジル。肉、多めになるといいね」

「……ふん。今日の俺の働きを考えれば、鶏丸ごと一羽でも足りんくらいだ」


 強がる彼の耳の先が、微かに赤く染まっている。

 傷口はまだヒリヒリするけれど、耳障りな音はすっかり遠ざかっていた。

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