193.神子
鐘楼から降りて大聖堂の中へ戻ると、そこにはすでに大勢の人が集まっていた。
つい先ほどまで怪我をしていたはずの人たち、瓦礫の下敷きになりかけていた人たち、家を壊されて途方に暮れていた人たち。その誰もが、信じられないものを見るような目でこちらを見ている。
ざわざわと、空気が震えた。
「……あの子だ」
「さっきの光の……」
「町を直した奇跡の……」
やがて、そのざわめきの中から誰かが叫んだ。
「神子様だ……!」
その言葉をきっかけに、空気が一気に熱を帯びる。
「奇跡を起こしてくださった!」
「ありがとうございます!」
「町を救ってくださった!」
人々は次々と膝をつき、頭を下げた。中には涙を流している人までいる。そのあまりの光景に、私は目を丸くした。
「え、えっと……?」
助けを求めるように周りを見るけれど、クロネもランカも同じように呆然としている。
「ユナ、すごいことになってるぞ……」
「凄い熱狂ぶり……」
クロネとランカが小声で呟く。
「いや、でも……神子って……」
そんな大げさな、と言いかけたその時だった。
「静まりなさい!」
凛とした声が大聖堂に響き渡った。前に進み出てきたのはキリアだ。彼女は兵士たちを従え、真っ直ぐに人々の前へと立った。
その姿はいつもの落ち着いたものとは違い、どこか威厳に満ちている。
「皆さん、気持ちは分かります」
キリアはゆっくりと言葉を続けた。
「ですが、今はまだ混乱の最中です。町は元通りになりましたが、全てが終わったわけではありません」
人々は次第に静かになっていく。
「まだ確認しなければならないこともあります。祭りは一旦中止とします」
一瞬、ざわめきが起こる。だけどキリアはすぐに続けた。
「ですが、町を救ってくれた奇跡に感謝し、後日、改めて祭りを再開します!」
その言葉に、再びどよめきが起こる。
「本当か!」
「祭りをまたやるのか!」
「よかった……!」
人々の顔に安堵が広がった。
「今日は一度、皆さん自宅へ戻ってください。怪我の確認や家の様子を見てください。町の安全確認も行います」
キリアは静かに頭を下げる。
「そして後日、改めて祝祭を行いましょう」
その言葉に、人々は大きく頷いた。
「分かった!」
「また祭りだ!」
「神子様に感謝だ!」
そんな声を上げながら、人々は少しずつ大聖堂を後にしていった。さっきまでの熱狂が、ようやく落ち着いていく。私はほっと息を吐いた。
「……びっくりした」
「流石、私のユナですね。このまま本当に私の神子になりませんか?」
隣でオルディア様がどや顔する。流石にそれは面倒事が多いような気がして遠慮したい。
「でも、ユナがやったことは本当に奇跡ですからね」
そんなことを話していると、キリアがこちらへ歩いてきた。
「ユナ。町を救ってくれて、本当にありがとう」
キリアは私の前に立つと、真剣な表情で頭を下げた。
「え、あ、いえ……そんな」
突然のお礼に慌ててしまう。
「……正直、あの状況ではどうにも出来ませんでした。あなたがいなければ、この町は大きな傷を負っていたでしょう」
「そんな……」
「ですから、心から感謝しています」
そう言って、もう一度深く頭を下げた。それから顔を上げると、少し申し訳なさそうな表情になる。
「ですが……もう少しだけ、力を貸していただけないでしょうか」
「え?」
「町は元通りになりましたが、まだ確認作業や後処理が残っています。それに、祭りも途中です」
確かに、魔法で直したとはいえ、本当に直っているか確認も必要だ。それに、祭りの再開も言っていた。
「もちろん、無理にとは言いません。ですが、あなたの力があれば、きっと多くの人が助かります」
その言葉を聞いて、私はすぐに頷いた。
「分かりました」
「本当ですか?」
「はい。私に出来ることなら、なんでも手伝います」
そう言うと、キリアの表情がほっと緩んだ。
「ありがとうございます」
「それじゃあ、何からやればいいですか?」
「まずは町の状況をもう一度確認しましょう」
キリアは兵士たちに指示を出し始めた。
「安全確認を急いでください。本当に壊れているところがないか、けが人はいないか、確認するのです」
兵士たちはすぐに動き出す。その様子を見ながら、私は袖をまくった。
「よし。じゃあ、頑張りますか!」
まだ終わったわけじゃない。でも、町はもう絶望していない。みんなが前を向いて動き始めている。
私たちは、町の人たちと一緒に後処理を始めるのだった。
◇
町の後処理を手伝いながら、私はぼんやりと考えていた。……さっきのは、本当に上手くいったんだろうか。
あの時は勢いだった。オルディア様の力を借りて、空気中の魔力と同調して、町全体を修復するように魔力を変異させた。理屈としては出来ると思っていたけれど、実際に町全体なんて規模のものをやったのは初めてだ。
もし失敗していたらどうなっていたんだろう。怪我が治りきっていなかったり、建物が崩れやすくなっていたり、どこかに歪みが残っていたり……そんな可能性だってあったはずだ。
だから私は、キリアたちと一緒に町を回りながら、内心ではずっと落ち着かなかった。けれど――。
怪我をしている人が一人もいなかった。あちこちで、奇跡で治ったと喜んでいる人たちが大勢いた。
どうやら、私の魔力が役に立ったみたいだ。不安が少しずつ和らいでいくのが分かった。
次に確認したのは建物だ。崩れていた家屋。壊された屋台。砕けた石畳。それらもすべて、元の形に戻っていた。
瓦礫だったはずの場所には、ちゃんと壁が立っているし、屋台も元通りに並んでいる。石畳だってひび割れ一つない。
……自分でやったことなのに、ちょっと信じられない。ここまで完璧に直るとは思っていなかった。
魔力の変異をかなり細かく制御したつもりではあるけれど、町全体なんて規模だ。多少のズレは出ると思っていたのに。
なのに、結果はほぼ完璧。もしかすると、オルディア様の力が想像以上だったのかもしれない。
創造神の力。世界を作った神の力。それを少し借りただけで、ここまでの奇跡が起こるなんて。……やっぱり、すごい存在なんだな。
そんなことを思いながら町を歩いていると、キリアが静かに言った。
「被害は、ほぼありませんね」
「ですね。怪我人もいないし、建物も問題なし。奇跡って、本当にあるんですね……」
なんて他人事みたいに思ってしまう。とはいえ、物理的な問題はほとんど解決した。残っているのは――。
人の心だ。町は元に戻った。でも、あんな魔物が暴れ回った直後だ。怖い思いをした人だって沢山いる。そこで動いたのが、キリアだった。
「皆さん、落ち着いてください」
彼女は町の広場に立ち、人々に声をかけ始めた。
「町はもう安全です。脅威は取り除かれました」
落ち着いた声で、一人一人の話を聞いていく。怖かった人。家族を心配している人。まだ不安が残っている人。キリアはその全てに向き合っていた。
「大丈夫です。町は守られました。何かあれば、私たちが必ず対処します」
兵士たちも一緒になって声をかけていく。その姿を見ているうちに、少しずつ町の空気が変わっていった。最初は不安そうだった人たちも、やがて笑顔を取り戻していく。
「……よかったな」
「本当に助かった」
「もう、大丈夫なんだな」
そんな言葉が聞こえ始めた頃には、町の雰囲気はすっかり落ち着いていた。私はそれを少し離れた場所から眺めていた。
……やっぱり、すごいな。キリアは特別な魔法を使ったわけじゃない。ただ、人の前に立って、人の話を聞いて、人を安心させているだけだ。
でも、それが出来る人はそんなに多くない。町をまとめるって、きっとこういうことなんだろう。しばらくして、キリアがこちらへ戻ってきた。
「これで……大丈夫そうですね」
キリアはほっとしたように息を吐いた。私も町を見渡す。壊れていた屋台は元に戻り、人々は普通に歩いている。子どもたちの笑い声まで聞こえてくる。
数時間前の惨状が嘘みたいだ。……うん。本当に、元に戻った。
「これなら、祭りも再開できますね」
私がそう言うと、キリアも頷いた。
「ええ。きっと、皆も喜びます」
祭り。さっきはあんなことになってしまったけれど、本当なら今日は楽しい一日になるはずだった。
でも今なら、ちゃんと笑って楽しめるはずだ。




