表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世の境界  作者: 樹冬真
PR
5/6

第五話 七瀬怪異譚 短編集「ぬりかべ」

 七月に入り朝から蒸し暑くなってきた。日々暑さが増してきている。今年はどこまで暑くなるんだろうか。


 学校に向かう道すがら、みなみは汗を拭った。


 夏の日差しの中にいる妖がみなみの目に入る。幽世の存在、彼らも暑さを感じているのだろうか。


 今日も静かな朝だった。



 三時間目に入りしばらく経った頃、教室の引き戸がガラリと開いた。


 現れたのは、明。息を切らし汗だくになりながら教室に入って来た。


「遅刻しました。すみません」


 教師が眉をひそめ聞いた。


 明はクラスでは、どちらかというと大人しい男子。


今まで遅刻して来た事は無かった。


「どうした?寝坊?」

「道が通れなくて」

「道が通れない?」

「はい。いつも通ってた道が今日はどうしても前に進めなくて……。何も塞がれてないのに、なんか壁みたいなものがあって……。通れなかったんです」


 教室がざわついた。


 教師は呆れた顔をしてる。


「遅刻の言い訳にしては酷いな。もっとマシな理由を考えないと」


 みんな笑いだした。


 明は顔を真っ赤にして席についた。


「本当なんだけどな」


 小さな声で呟いていたのが、みなみに聞こえた。明の横顔を見ると嘘をついているようには見えなかった。



 休み時間に入ると、明は仲の良い男子に必死に説明していた。


「本当なんだって。何もないのに通れないの。見えない壁があるっていうか、通ろうとする進めないんだって」

「寝坊じゃないの?夢の中で通れない夢見てたんだよ」

「あり得る。学校に行かなきゃって思いながら寝てたとかさ」

「違うって、家出た時間はいつも通り」


 誰も信じなかった。


 そんな中、楽しそうな顔をして聞いていた仁が言った。


「そういう事もあるんじゃないかな」

「仁は信じてくれる?」

「もちろん、その方が面白いじゃない」


 仁は楽しそうに言い、みなみの方を見た。


「みなみさんもこういう話好きでしょ」

「えっ。好きだよ」


 急に話を振られ、戸惑いつつも答えた。


「通れない道があるって、面白いよね」


「面白い!」みなみは明を見た。「その場所、どのあたり?」


 明は驚いた顔をしながら場所を説明した。学校の裏手の坂の辺りだという。


 放課後、その場所に明の案内のもと、仁と共に行ってみる事になった。



 昼休み、みなみが美咲にその話をすると、美咲は「え、何それ」と言いながらも「私も行く」と言った。



 放課後、四人でその場所に向かった。


 ハザマ洋品店のある商店街とは反対側方面に向かった。


「ここから行くんだ」


 明が入って行った道は、古いスーパーの駐車場から店の脇に入って行った。


「え〜。ここ道なの?」


 みなみや美咲は怪訝な顔をしていたが、仁はいたって普通だった。


 スーパーのクーラーの室外機が置いてある脇を通り抜けた先には、人が一人通れるくらいの狭い路地が続いていた。


 しばらく歩くと右側が小さな川になった。


 明はその小川をぴょんと飛び越えた。


「えっ」

「もう少し行ったら渡れる橋がある。だけど飛び越えた方が早いんだ」


 驚くみなみ達に明は言った。


「良し」


 みなみは意を決して飛んだ。


「……」

「僕達は橋を渡りに行こう」


 みなみが飛んで唖然としてる美咲に仁が言った。


 美咲と仁は橋を渡って回り込んで来た。


 次に明が向かったのは、小川沿い張り巡らされた塀の間にあった坂道。


 坂道を登ると、住宅地を抜けて小山に入っていった。


「この丘を超えると、学校の裏手に出るんだ」

「へー。明くんいつもこの道を通って学校来てたのね」


 みなみ達は全員、汗だくになっていた。


「もう少し行くと、開けた場所に出る。そこが問題の場所だよ」


 明は緊張した面持ちで言った。


 しばらく進むと、明の言う通り開けた場所に出た。


「ここ」


 明が立ち止まった。


 みなみは周りを見わたしてみたが、特に何もなく、何も変な感じもしなかった。


「どこが通れないの」


 美咲が言った。


「あのあたりから先に進めなくなる」


 明は前方を指した。


「行ってみよう」


 仁が言い、四人で進んだ。



 みなみは何も異変は感じなかったが、意思とは無関係に立ち止まっていた。


 隣を見ると、明も立ち止まっていた。その向こうの仁や美咲もやっぱり止まっていた。


「ねっね。進めないでしょ」


 明が嬉しそうに言った。


「本当だ。進めないね」


 仁も楽しそうに笑いながら進めない状態を確認している。


 手を伸ばしてみても何もない。意識を集中しても何も見えない。そこに何も無いのに進むことができないのだ。


 戻ろうとしたら戻れる。でも進もうとしたら進めない。


 みなみは石を持って投げてみた。


 カーン。カツカツ。


 石は跳ね返ることなく、みなみ達が通れない場所を通過して行った。


「何もないね」


 どんなに頑張っても、みなみ達には通ることはできなかった。


 明と仁は左右から回り込んでみることにした。


「そっちどう?」

「ダメ。どんなに回り込んでも通れない」


 ダメだった。



「通れないんじゃしょうがないね。別の道を通るしかない」


 仁はあっさりした口調で言った。


「でも、ここ通らないと遠回りになるんだよな」


 明は諦めきれないみたいだった。



 帰り道、隣で美咲がそっと言った。


「ねえみなみ、もしかして妖?」

「多分」


 そう言いながらも、自信は無かった。みなみにも何も見えなかったのだ。妖の気配も無かった。



 次の日も、明は遅刻して来た。


 昨日と同じ、三時間目の途中でやって来た。


 またあの通れない道を通ろうとしたのだろう。


 放課後、七瀬さんに聞いてみよう。



 学校が終わり、みなみはハザマ洋品店にやって来た。今日はバイトの日だ。


 

「お疲れさま。みなみちゃん」


 店では店主が一人で、ミシンを使って作業をしていた。


「あれ?七瀬さんはいないんですか?」

「二、三日出かけるみたいなの」

「そうなんですか」

「先週、夏服の追加注文が入ったの。今日明日中に仕上げたいから、二人で頑張りましょう」

「はい」

「みなみちゃんが、バイトに来てくれるようになって助かるわ」

 


 店主と二人で名前入れ作業をする。作業しながら昨日をことを店主にも話した。


「きっと、ぬりかべの仕業ね」

「ぬりかべですか?でも壁は見えませんでしたよ?」

「ふふ。それは漫画のイメージね。実際にはぬりかべは、目に見えない壁なのだそうよ」

「あっ、まさにそれです」

「なんでそんなところを塞いでるのかしらね」

「そこ、学校に行く近道らしくて、明くんと言う男子生徒が通れなくて遅刻して来るんです」

「それは可哀想ね」


 店主はにこにこしながら言った。



 次の日も明は遅刻して来た。


 最初から通れない道をやめて、回り込んでくればいいのに。意地になっているのかもしれない。


 教師も毎日遅刻して来るようになった明に呆れていた。



 そういう日が何日か続いた。


 遅刻する以外には害はないのだろうけど、みなみはなんとかしてあげたかった。


 七瀬は帰って来てるのだろうか。


 

 みなみは学校の休みの日、朝早くからハザマ洋品店に向かった。


 七瀬はカウンターにいて、店主と何か話していた。


「みなみちゃん。いらっしゃい」

「こんにちは」


 みなみは七瀬のもとに駆け寄った。


「七瀬さん、相談があるんです」


 学校に向かう途中の道が通れなくて、クラスメイトが遅刻していること。みなみもその場所を見に行ったこと。何も見えないが通ることはできなかったこと。石を投げたらその場所を通過したこと。みなみの見聞きしたことを全部話した。


 七瀬は話を聞いて言った。


「ぬりかべだな」

「やっぱり」

「だが妙だな。普通そんなに同じ場所を塞ぐことはしないはず」


 しばらく考えこむと、七瀬はみなみの方を見た。


「これからまた出かけなければいけない、白蛇を案内してくれないか?」

「え?」


 みなみは七瀬が直接見に行ってくれると思っていたので、少し拍子抜けた。


 だが、直ぐに七瀬を見て答えた。


「良いですよ。ミワちゃんと一緒に行ってきます」


 七瀬は胸の勾玉に手を掛け、呪文を唱えた。


 勾玉は光を発して白蛇になった。


「また、よろしくね」



 みなみはミワを連れて通れなくなった場所に向かった。


 古いスーパーの隣りを抜け、細い路地に入る。


 ミワはその間ずっと喋っていた。


「みなみちゃんと一緒に行くの久しぶりだね」

「そうね」

「あの時の狸、ちゃんと仲間のもとに戻れたかな」

「戻れてると良いね」

「ぬりかべって見たことないんだ」

「そうなの?」

「昔はよく出たらしいけど、街道が整備されてからは殆ど見なくなったんだって」

「そうなんだ」


 お喋りなミワは七瀬とはどんな会話をしてるんだろうと思って想像した。みなみは少し笑った。

 


 小川を超えて坂を登った。通れない場所はもう少しだ。


 開けた場所に着いた。


「あの辺りが通れない場所だよ」


 ミワは辺りを見渡してからみなみの肩から宙に浮いた。


「あそこにいるね。」

「どこ?」

「ちょっと話してくるね」


 ミワはふわふわ飛んで、通れなくなっていた場所の中心に行った。


 何か言葉を発すると、みるみる内にその場に壁が浮き上がって来た。


 ぬりかべだ。


 壁の真ん中あたりに目が二つある。想像してたより小さい。場所全部を塞いでいる大きさと思っていたが、中心地に壁があるだけだった。どうやって塞いでいたんだろう。


 またミワが何かを話した。全く聞き取れない。妖同士の言葉があるんだろうか。今度聞いてみよう。


 ぬりかべの目がゆっくりと動き、壁がずるりと横に動いた。


 道が開けた。


 中に入ると、今までの暑さが嘘のように涼しくなった、少し寒いくらいだ。そして風が強い。まるで別の場所に来たように感じた。


 大きな木が風に揺れて立っていた。


 木の根元の草が丸く踏みしめられていて、中央に何かがいた。


 猫だった。


 茶色と白のまだら模様で、愛らしい姿でちょこんと座りこちらを見てる。よく見ると尻尾が二本あった。


「幽主様かえ」


 猫が喋った。


「猫が喋った!」


みなみは思わず声を上げた。愛らしい姿の割に低い声だった。


「幽主様の使いだよ」


 猫はミワを見て、それからみなみを見た。


「幽主様の使いか。して、幽主様はご一緒ではないのか」

「今日は私が代理。何かあるの?」


 猫はしばらく黙っていた。しばらくして意を決したように話し始めた。


「この地を封じてすまぬ。やむにやまれぬ事情があっての。ぬりかべに頼んで封じてもらっておる」

「事情って?」


 猫はゆっくりと立ち上り振り向いた。


 大きな木の根元には洞があり、中に犬がいた。


 黒い毛並みの真っ赤な目をした、綺麗な犬だった。


丸くなって、じっとしていた。


「もう直ぐ出産なのじゃ」

「出産?」


 みなみは目を丸くした。木の洞に寝てる犬をよく見ると、お腹が大きかった。


 犬はみなみを見たあと、そっと目を閉じた。


 ミワと猫が、何やら話し合いを始めた。


 みなみには聞こえなかった。ただ、何かを確認し合っているのがわかった。


 しばらくして、ミワが戻ってきた。


「事情はわかったよ」

「出産中で動けないから、猫が見守ってるんだね」

「だからぬりかべが封じてたんだね」


 ミワは、木の洞に横たわる犬を見つめながら言った。


「うん。でもちょっと困ったことになっちゃった」

「困ったこと」

「あの猫は猫又、犬の方が犬神」

「犬も妖だったの?」


 みなみはびっくりした。色んな妖が揃っていたのだ。


「そう、妖の出産は特別でね。妖の子が生まれる時はね、周りの気が不安定になるんだ、幽世の境界が開きかけてしまうの。ぬりかべが人が入って来ないように封じて、猫又が境界を封じてたんだけど、それだけじゃダメみたい」

「どうすれば良いの?」

「幽主様に頼るしかないの」


 猫又が言った。幽主様ってなんだろう。


「ところで、幽主様って何?猫又がそう呼んでたのは七瀬のこと?」


 ミワはみなみを見た。


「主様の事だよ」

「七瀬さんの?」

「うん。古い昔、国譲りの取り決めで幽世の管理者が決まったんだ。主様はその遠い子孫にあたる。だから妖たちは幽主様って呼ぶんだよ」

「主様がいたら良かったんだけど」

「七瀬さんならどうにかできるの?」

「うん。何か手段を考えてくれると思う」


みなみはスマホを取り出して言った。


「連絡してみようか」

「できるの?」

「うん。七瀬の番号は知らないけど、ハザマ洋品店の叔母さんに聞いたらわかると思う」


 みなみはそう言ってスマホを操作した。

 圏外だ。この結界の中からは通じないようだった。


「ちょっと待っててね」


 みなみはぬりかべの結界の外に出た。


「人間ってそんなことできるんだね」

「我々にはない力を持っておるの」


 ミワと猫又が背後で感心していた。


 スマホの電波は戻っている。ハザマ洋品店の店主に電話した。


 みなみはまず現在の状況を軽く説明した。


「七瀬さんに連絡したいんです。スマホの番号教えて貰えますか?」

「ごめんね。あの子、携帯持ってないの」

「うそっ」


 みなみは衝撃を受けた。まさかスマホを持っていないとは想像していなかった。


「そうね。一度戻ってらっしゃい。詳しい話を聞かせて。その後でどうするか考えましょう」

「はい。そうします」


 みなみは力無く言った。



 ミワと猫又がこちらを見てる。


「ごめん。七瀬さんスマホ持ってなくて連絡つかなかった」

「それを持ってないとダメなの?」

「万能ではないのじゃな」

「それでね、叔母さんが一度戻ってどうするか考えようって」

「そうなの」

「七瀬さんへの連絡手段を考えてくれるんだと思う」

「じゃあ戻ろう」


 猫又に挨拶して、みなみとミワはハザマ洋品店に戻った。



 ハザマ洋品店に戻ると店主が待っていた。


「詳しい話を聞かせてちょうだい」


 みなみはぬりかべの守っていた場所にいた猫又と、出産を控えた犬神がいたことを話した。


「妖が出産する時には、周りの気が不安定になって境界が乱れるのだそう。それでぬりかべと猫又が封じていたんだけど、それだけダメなのだって」


 店主は一通り話を聞いて考えていた。思案したまましばらく黙っていたが口を開いた。


「なんで、犬神は出産を控えていたのにその場所にいたのかしら」

「そう言えば、何でだろ」


 店主の話を聞いて、みなみは不思議に思った。


「あのね、犬神は出産のために故郷の神社に戻る途中だったんだって。途中で突然出産が近づいて動けなくなったみたい」

「神社だと大丈夫なの?」

「神社は土地神が守っているからね。幽世の結界にもなっているんだよ」


「神社、土地神、幽世の結界」店主は呟きながら何かを考え込んでいた。「産土神……」


「産土神?」


 みなみは店主が呟いた一言が気になった。聞き慣れない名称だったからだ。みなみは何となくスマホで検索した。


『その人が生まれた土地を守護し、生まれる前から死ぬまでの一生を見守ってくれる神様』


 検索した結果をみなみは呟いた。


「生まれた土地の神様か」

「そうね。産土神のいる神社の砂を産砂としてお守りに入れたりするのよ」

「妖の出産も産土神が関係してるのかな。産砂を犬神のところに持っていけば、守って貰えないかな」


 店主はみなみを見た。


「そうね。やってみる価値あるかも。犬神が向かおうとしていた神社はわかるのかしら」

「伊奴神社だよ」

「私取りに行ってくる」


 みなみは神社までの行き方を調べて言った。電車で一時間くらいの場所だ。


「神社の宮司さんに連絡しておくわ。そんなに大量の産砂は必要無いはずよ。ひとつまみで充分ね」

「そのくらいの量で良いんですね。行って来ます」


 みなみとミワがハザマ洋品店を出た時、雨が降りそうな天気になっていた。



 電車に乗り伊奴神社に向かった。


 電車に乗るまでは「電車に乗るのは初めて」と楽しそうにしていたミワだったが、いざ電車に乗ると黙ってしまった。


 みなみが見ると緊張しているようだった。電車から降りたらミワは小さな声で言った。


「何か食べられたみたいで怖かった」


 以外だった。電車に食べられると思ったのだろうか。


 神社に着くと宮司さんが迎えてくれた、店主が連絡してくれてたのだろう。お守りを一つ受け取った。


 帰りの電車でも、また緊張してる白蛇を可愛く思いながらみなみは帰ってきた。


 戻ってきた町は、雨は降ってなかったが真っ暗だった。まだお昼過ぎなのに。


 雨が降る前に、犬神に産砂を届けちゃおう。みなみは後は届けるだけで終わると軽く考えていた。



「何か可笑しな空だね」


 歩いて向かっている途中、ミワが空を見上げて言った。


 確か雨が降る気配はないのに真っ暗な空。まだお昼過ぎになったばかり。


 みなみも空を見上げて異変に気付いた。


「あれ」


 ある部分を中心に雲が渦巻いていた。中心点は今から向かう場所の真上だ。


「急いだ方が良いかもね」



 みなみが到着すると、ぬりかべが見えた。今まで姿は見えなかった体が実体化していた。


「待っていたのかな」

「ちょっと待って、様子が変だよ」


 近づいて行こうとするみなみを、ミワが静止した。


 ぬりかべが吠えるように何かを言った。


「ヴォ〜ン」

「まずいな。中で境界の扉が開きつつあってぬりかべが封じてる」

「境界……」


 良く見たらぬりかべの周りから何かが、あふれ出ている。それが上空に上がり渦巻く雲を作っていた。


「でも、もう限界に近い」

「早く産砂を犬神に届けないと」


 みなみは産砂を届けたら終わると思っていた。


「中に入ることが難しくなってるんだ」ミワは困った表情で言う。「ぬりかべが少しでも開いたら、堰き止めていたものが一気に溢れ出しちゃう」


「このままだとどうなるの?」

「犬神の出産は失敗しちゃう。それと母親も……」

「そんな」

「主様にお願いするしか」


 みなみはスマホを見ながら言った。


「七瀬さんは連絡付かないし……。私達ではどうすることもできないのかな」


 ミワはみなみをじっと見た。


「私がぬりかべと一緒になって堰き止めてれば中に入れる。けど……」

「なんとかなるの?」

「みなみちゃんが一人で入るんだよ。中がどうなっているかわからない。危険なんだよ」

「やってみようよ」


 みなみは即決した。何とかしたかった。



 ミワは遠くを見た。


「主様……」


 目を閉じて何かを考えている。


「……」


 みなみは黙って待った。


 ミワは決意した。


「やってみよう」

「うん」


 ぬりかべがこちらを見てる。お願いしているみたいだ。


「大丈夫きっと上手くいく」


 みなみは自分に言い聞かせるように言った。



「私も中の境界を抑える封印に加わるから、ぬりかべが少しだけ退く、開いたらみなみちゃんは中に入って」


「わかった」

「入ったら犬神がいる木を目指して。中には猫又もいるはず、まずは彼を探して頼って」

「うん。まず木を目指して、そして猫又を探すのね」

「中はどうなっているかわからない。気をつけて。無理だと思ったら直ぐに戻って」

「大丈夫、犬神に産砂をちゃんと届けるよ」

「よしやろう」


 みなみは、中に入る前に急変した事態を、ハザマ洋品店の店主にスマホでメッセージを送って知らせた。



 ミワの全身が光だして、ぬりかべの前に張り付いた。


 ぬりかべがゆっくり動き出した。


 開いた隙間はみなみが通れるほど僅かだった。


 中から風と共に黒い霧が溢れ出して来た。


「みなみちゃんが中に入っても、戻って来れるように隙間は僅かに開けておく。無理だと思ったら直ぐに戻って」

「わかった」


 みなみはお守りを握りしめ中に入った。



 中は真っ暗で雨が降りそそぎ、風が吹き荒れていた。


「前が見えない」


 犬神のいる木は見えなかった。自分の周りが何とかわかるくらいしか見えなかった。


 後ろを振り向いたが、入って来た場所もわからなくなっていた。


「どうしよう」


 みなみは焦った。木を目指して進むべきか、戻った方が良いのか迷った。どちらも確証はない。


 お守りをギュッと握りしめ、みなみは進むことを決意した。


 雨で降りしきる中、吹き飛ばされないように注意して前をすすんだ。


 おかしい、どんだけ進んでいるのかはわからない。


でも前に来た時は、ぬりかべの場所から犬神のいた木がある場所まで直ぐだったはずだ。


 木の場所をズレて進んでしまったか。戻ろうかと思った。しかし、みなみは気付く。どっちが後ろでどっちか前なのかわからなくなっていた。


 今どの辺りにいるのかわからない。みなみは焦った。


 どっちに向かったら良いかわからなくなって動くこともできずに、うずくまっていた。雨に濡れて段々と寒くなってきた。


「どうしよう」


 みなみは落ちつきを取り戻すため、ミワとの会話を思い出そうとした。


「入ったら犬神がいる木を目指して。中には猫又もいるはず、まずは彼を探して頼って」

「猫又だ」


 みなみはミワが、猫又を探して頼ってと言っていたことを思い出した。


「猫又さ〜ん」


 みなみは大声で叫んだ。


 何もなかった。雨音と風音で聞こえないのかもしれない。


 もう一度、ありったけの大声で叫んだ。


「猫又さ〜ん」


 ダメか。なんの反応もない。


「ニャー」


 みなみの耳に猫の鳴き声が聞こえた気がした。


「猫又さ〜ん」


 もう一度、大声で叫んだ。


「ニャー」


 今度はハッキリと聞こえた。


 みなみは時々、名前を呼びながら鳴き声が聞こえる方に進んだ。


 進んだ先で、猫又が岩に張り付いていた。


 みなみは猫又を抱き抱えて岩の窪みに入った。雨は当たるが、風はしのげる。


「どうしたの。大丈夫」

「面目ない。出産が近づき幽世の境界が完全に開いてしまったのじゃ。隙間から凄まじい風が吹いて吹き飛ばされたのじゃ」


 猫又は手で顔を撫でながら言った。


「して、幽主様はどこじゃ」

「七瀬さんとは連絡付かなかったの」みなみは申し訳なさそうに言った。「代わりに犬神さんの生まれの神社から産砂を持ってきたの」

「何と。それなら犬神は子供は救えるかもしれんの」

「でも、犬神さんのいる木の場所がわからなくて」

「木の場所は風が吹いてくるじゃ。犬神がいる場所に幽世の隙間が発生して、そこから風が吹いて来ておる」


 猫又はあっさり言った。


「行けるかどうかは別じゃがの。わしは木の近くにいたが吹き飛ばされたのじゃ。中心に近づくほど風は強くなる」

「でも行かないと」

「そうじゃな。折角救える手があるのじゃ」

「行けるところまで行ってみよう」


 みなみは猫又と共に風の吹いて来てる方に向かって進んだ。


 最初は頭を低くして進んで行った。次第に向かい風に対してジグザグに向かえば進みやすいことに気付いた。


 どれくらい進んだだろうか。


 前に一本の木が見えた。


 だけど、風が強すぎてこれ以上は進めない。


 雨に濡れて冷え切った身体の感覚が無くなって来た。


 うずくまっていると、それまでみなみの後ろにいた猫又がお腹の下に潜り込んで来た。


 暖かい。


 猫又の体温がみなみを温めてくれた。


 どのくらいそうしていただろうか。時間の感覚がわからなくなっていた。



「みなみ」


 誰かに呼ばれたような気がする。


「みなみ」


 確かに呼ばれた。


 顔を上げると七瀬が立っていた。


 幻なのか。


「遅くなってすまない」

「七瀬さん」


 みなみの顔に安堵の色が浮かんだ。


 七瀬が来てくれたらもう大丈夫。今までも七瀬さんがあっさりと解決してくれた。


「七瀬さん。お願いします。犬神を救ってください」


 七瀬はなんともいえない顔をした。


「すまない。来るのが遅かった」

「えっ!」


 みなみは七瀬が何を言ったのか理解できなかった。


「開きつつある幽世の隙間を塞ぐことはできる。俺には犬神は救う力はない」

「そんな……」

「すまない」


 七瀬は辛そうな顔で答えた。


「幽主様」


 みなみの下から猫又が這い出てきた。


「この娘子は、産砂を持っておる、これで何とかならんかのう」


 七瀬は猫又を見て、みなみを見た。


 みなみは産砂が入っているお守りを取り出した。


「ミワが言っていたみなみが持っているお守りとは産砂だったのか」

「叔母さんに聞いて、伊奴神社に取りに行って来たの。でも私達には犬神さんのいる場所に辿り着けなくて」


「そうか」七瀬は何かを考えながら言った。「上手くいくかはわからないが、何とかできるかもしれない」


「犬神助けれます?」

「さっきも言ったが俺ができるのは、幽世の境界を閉じることだけだ。それは犬神自体を封じなければならない」


 みなみは黙って聞いていた。


「今からやることは同じ。犬神を封じる」

「えっ」

「だが、全てを封じる前にみなみ。君が犬神の元に行って産砂を届けてくれ」

「はい。やります」

「正直これはカケだ。産砂を届けたとして、幽世の境界が閉じるかはわからない。俺は閉じなければ犬神を封じなければならない」


 七瀬は無表情で言った。表情は読めなかった。


「はい……。僅かでも可能性があるなら、それにカケたいです」


 七瀬は青銅でできた小さな鈴を鳴らし、鈴の音と共に呪文を唱えた。


 七瀬の周りに波紋が生じ、渦巻き文様と、弥生調の尖った三角の連続したギザギザの幾何学模様が空間に鮮やかに浮かび上がった。


 雨は穏やかになり、風がおさまってきた。真っ暗だった辺りは薄暗くなっていた。


 みなみは猫又と共に犬神のいる木を目指した。


 木につくと洞の中に犬神が横たわっていた。目を閉じてぐったりしている。


「まだ産まれておらぬな。産砂の入ったお守りを首からかけるのじゃ」

「うん」


 みなみは猫又に言われた通りに、お守りを首にかけた。


 何も変化は無い。


「えっ。どうして」

「これで、わし等にすることはもうないのう」


 そう言うと猫又は離れて行った。

 犬神をしばらく見てからみなみも離れて行った。



 七瀬に会うことなく出口に着いた。


「七瀬さんはもう出ているのかな」


 外に出ると、草むらは太陽に照らされていた。


 入る前に空を覆っていた雲は無くなっていた。

 

 

「みなみちゃん大丈夫?」


 外に出たみなみをミワが心配してきた。


「七瀬さんは?」

「ハザマ洋品店の叔母さんが七瀬さんに伝えてくれたんだって。まだ中にいるよ。犬神を封じているんだと思う」

「そんな」


 みなみの足元に猫又がやって来た。顔をじっと見たあと何も言わずにちょこんと座った。


 ぬりかべも心配そうな目をしている気がする。


 みなみにも、無事出産ができると信じて待つしかなかった。



 七瀬が出て来たのは夜になってからだった。


「終わった」


 みなみは七瀬に向かって聞いた。


「犬神さんの出産はどうなったんですか?」

「最善は尽くした」


 七瀬は無表情で行った。


「幽主様、ありがとうございました」


 猫又が七瀬にお礼を言って中に入って行った。


 みなみは後を追って中に入った。ミワが付いてきて肩に乗った。


 中は、雨と風は止み外と同じ夜空が見えた。


 木の洞には犬神が横たわっていた。


「そんな……」


 みなみは目を伏せた。


「みなみちゃん、あそこ」


 ミワの指摘する方に目を向けると、犬神のお腹のしたから子犬が顔を出した。


「産まれてた」


 みなみの頬に涙がこぼれた。


 よく見ると一匹じゃなかった。ころころとした小さな体で母犬のお腹の下から顔を出した。黒いのも、白いのも、まだら模様のも。全部で五匹産まれていた。


「かわいい」


 みなみは思わず声に出た。


 白い子犬が前に出てきた。ころころとした小さな体でちょこちょこっと前に出てくる。


 しゃがんで手を伸ばすと、近づいてきた。小さな鼻をくんくんさせて、みなみの指を舐めた。


「わあ」


 ミワが肩の上から身を乗り出した。


「かわいいね!この白いの特にかわいい!」


 ミワが目を細めて言った。


 目を閉じて伏せていた犬神が目を開いた。


「産砂を届けてくれて、ありがとうございました。おかげで無事に産むことができました」


 犬神が頭を垂れながら言った。


「ううん。産まれて良かった」

「出産は諦めていました。本当にありがとうございます」


 そう言うと、犬神は再び目を閉じて伏せた。



 帰宅後、みなみはグッタリしていた。


 お風呂に入ると恐怖が蘇ってきていた。


「無事に帰れて良かった……」

 


 月曜日、みなみは学校に来ていた。


 今日も明は遅刻して来ていた。


「もう諦めて別の道で来たら」


 仁が明に向かって言った。


「一週間経ったし、そろそろ通れるようになってると思ったんだけどな」

「私も、別の道を通って来た方がいいと思う」


 真相を知ってる、みなみも仁の意見に賛成した。


 犬神は、子供達がもう少し成長したら故郷の神社に行くと言っていた。


 その間は、ぬりかべが道を塞いでるのだそう。明くんには申し訳ないが、まだしばらくは通れそうも無い。


 成長してからと言ってはいたが、どのくらいかかるのだろう。妖の成長は早いのだろうか。


 みなみは窓の外を眺めながら、犬神が産んだ子犬達を思い出していた。


 いなくなる前にもう一度会いに行こう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ