第四話 七瀬怪異譚 短編集「迷い狸」
一
幽世の世界が見えるようになって二ヶ月が経っていた。
みなみは廊下を歩きながらふと下に目をやる。小さな小人みたいな何か数匹並んでトコトコ歩いている。四、いや五匹だ。
全身真っ黒で個体によって体型がさまざまだった。ある一匹は手が長く、別の一匹は足が長い。胴体が長いのもいるし顔が大きいのもいる。
しかし、妖を数える時は匹で良いのだろうか?今度、機会があれば七瀬さんに聞いてみよう。
最初の頃は、何か見える度に心臓が止まりそうになっていた。
その度に七瀬さんのもとへ駆け込んでいた。
「害はない」
「ほっておけ」
「そういうものだ」
見えるのに何もしないのか、とも思った。でも二ヶ月経った今は、みなみにもわかってきた。
妖のほとんどは、人間に興味がない。
今は見慣れたものだ。
不思議なこともある。廊下を並んで歩いてる妖。みんな見えていないはずなのに、誰も踏んだり、ぶつかったりしないのだ。無意識のうちに避けてるのかな?
「えっ!」
教室に戻ろうとした、みなみは目を丸くした。
前を歩く男子の肩に、何かが乗っているのだ。
最初はアクセサリーかと思った。でも違う。小さな地蔵がちょこんと座っていた。
何だろう。みなみはまじまじと見てしまった。
しまった……。
小さな地蔵が後ろを振り向き、みなみと目が合ってしまった。
妖とは目を合わせてはいけない。みなみが幽世の存在と関わるようになって、何度も失敗してきたことだった。妖と目が合うと存在を認識される。悪意のある妖だと、その悪意を一身に受けてしまうのだ。
「どうしよう」
不安に駆られるみなみ。しかし、小さな地蔵は何事もなかったかのように、首を戻し前を向いた。
「あれ?私に気が付かなかったのかな」
「え?」
思わず呟いたみなみの独り言を聞き、小さな地蔵を乗せ男子が振り返った。
「みなみさん。どうかした?」
「あっ。仁くんごめん。何でもない」
小さな地蔵を乗せた男子は、仁だった。同じクラスの男子で、おとなしくて穏やかな性格の、誰にでも優しい男子だ。
「何か呼ばれた気がして」
「仁くん。最近、何か変わったことなかった?昨日とか」
みなみは地蔵について、仁が何か知っているのか聞いた。
「昨日?あ〜。そう言えば、地蔵が倒れてたなぁ」
それだ。
「地蔵!何?何?それでどうしたの?」
みなみは仁の話に身を乗り出した。
「みなみさんって、こういう話好きなの?」
仁は、前のめりになって聞いてくるみなみに微笑みながら話し出した。
「帰り道に、小さい地蔵が倒れててね。なんかかわいそうだったから、立たせて、持ってたお菓子をお供えして来たんだ」
「へー。そんなことがあったんだ」
みなみは、小さな地蔵が乗ってる仁の肩を極力見ないで言う。だが気になる。
「みなみさんが、喜びそうな話はここから」仁は笑みを深めて続ける。「今朝、その場所を通ったんだけど、地蔵はどこにも無かったんだ」
「消えてたの?」
みなみは努めて真顔で言った。
「そうなんだ。そもそも、その場所には地蔵は無かったはずなんだよ」
仁はそう言うと、特に気にした様子もなく、教室に入っていった。
肩の地蔵が、みなみをちらりと見た気がした。
二
放課後、みなみはハザマ洋品店にバイトに向かった。
店に入ると、店主は友人と話していた。お茶を飲みながら、楽しそうに笑っている。
「みなみちゃん、いらっしゃい」
みなみはエプロンをつけながら聞いた。
「七瀬さんは奥ですか?」
「配達行って貰ってるの」
今日もか……。最近、七瀬さんは配達に出向いている事が多い。地蔵について聞きたかったみなみは肩を落とした。
「あら?みなみちゃん、七瀬に用があったの?夜までには帰って来ると思うけど」
その日、七瀬が帰って来たのは、みなみのバイトが終わる直前だった。
「七瀬さん」
みなみは扉を開けて入って来る七瀬の顔を見て、直ぐに駆け寄って声をかけた。
「クラスメイトの肩に、小さな地蔵が乗ってたんです。私以外は見えてないようでした」みなみは少し不安そうな顔を見せて続けた「その、地蔵と目が合ってしまって……」
「地蔵」
七瀬はみなみを見た。頭の先から足先まで見て言った。
「大丈夫」
みなみは仁から聞いた話を七瀬に伝えた。七瀬は暫く考えてから言った。
「おそらく、狐か狸の妖だろう。地蔵に化けている」
「狐か狸?」
「今はほとんど見かける事はないが、昔は化けて人間を揶揄ってイタズラしていたらしい」
みなみは仁の肩に乗ってた地蔵が、狐か狸だったのかと思った。
「ずっと、クラスメイトの肩に乗ってたんですが害は無いんですか?」
「悪意は感じたか?」
「感じませんでした」
仁の肩に乗ってた地蔵。悪い感じはしなかった。目が合った後も、みなみに何も変化はなかった。
「狐や狸が化けて、イタズラする以外は余り聞かない」七瀬は真顔で続けて言った。「害はないだろう。暫くは様子を見てくれ。イタズラはされるかもしれんが」
「イタズラは害じゃないんですか?」
「イタズラの範疇にもよるが、大丈夫だろう」
みなみは、狐や狸が化けてる地蔵がイタズラをする姿を想像した。可愛いな、と思ってしまった。
三
次の日も仁の肩には、小さな地蔵がちょこんと座っていた。仁と一緒の方向を向いている地蔵は、どこか誇らしげにも感じる。机に座り本を読んでいる仁、小さな地蔵は本の方を向いているようで、一緒になって本を読んでいるようにも見えた。
みなみは、仁にそれとなく聞いてみた。
「地蔵はどうなった?」
「あれから見てないよ。どこ行ったんだろうね」
仁は特に気にしてない感じだった。イタズラについても聞いたが、何かイタズラされた形跡はないみたいだった。
その次の日も、仁の肩には小さな地蔵が座っていた。
そんな日が何日も続き、仁の肩に乗ってる小さな地蔵に見慣れて来た頃、変化があった。
どこかぐったりしてるように見えた。
気のせいかもしれない。小さな地蔵が薄くなっていっている気もする。いつもは仁と一緒になって本を読んでいるように見えたが、今日は明らかに本の方を見ていなかった。
学校が終わり、急いでハザマ洋品店に向かった。
店の前で車に乗り込もうとしてる七瀬がいた。今日も搬入があるらしい。
間に合った。
「七瀬さん」
みなみは七瀬のもとに走った。
七瀬が手を止め、顔を上げてみなみを見た。
「クラスメイトの肩についてる地蔵、元気がなくなってます。色も薄くなってきてる気がして」
「ほっておけばそのうち消えると思っていたが」
七瀬は少し考えてから言った。
「元気がないなら、弱ってきてるかもしれない」
「どうにかできませんか?」
七瀬は首の勾玉を外し、言霊を唱えた。みなみには白く光るのが見えた。
勾玉が動きだし、白蛇になった。
七瀬が白蛇に向かって何かを言うと、フワリと宙を泳いでみなみのもとに来た。
「こいつを連れてそのクラスメイトのところへ行け」
「白蛇が何かするんですか」
「行けばわかる。今日は俺は動けない」
七瀬はそう言うと、運転席に乗り配達に行ってしまった。
みなみは少し不安になった。助けて欲しいのに、小さな地蔵を祓ってしまうのだろうか。
白蛇がみなみをじっと見てる。
「大丈夫だよ」
小さな声だった。
「えっ。喋った」
白蛇はみなみの不安を感じ取ったのだろう。
「助けに行くだけだから。さぁ、行こう」
「喋れたの?」
「うん」
白蛇は当然でしょ。と言うように答えた。
緊張しているみなみの肩に白蛇が乗り促した。
「じゃあ行こうか、出発しんこー」
みなみは白蛇を連れて学校に戻った。仁はまだ学校にいるだろうか。
学校に行く道中、みなみは衝撃を受けた。
白蛇がよく喋るのだ。
「小さな地蔵が肩に乗ってるって面白いね」
「狐かな?狸かな?それとも他の妖なのかな」
「今日は、良い天気だね。明日はまた雨かな」
道中ずっと喋っていた白蛇に、緊張して身構えていたみなみも段々と打ち解けて行った。
「仁くんの肩に、ちょこんと乗って可愛いよ」
「狐かな」
「梅雨はまだ終わってないみたいね」
白蛇と話していて、みなみはあることに気がついた。
坂ノ下中学校でネズミの元凶に目が合ってしまい、悪意で全身を蝕まれていたときに聞いた声だ。
「ねえ、白蛇さん」
「何?」
「中学校で私を助けてくれたのって白蛇さん?」
「そうだよ」白蛇はことも無げに言った。「いなくなっちゃってたから、上から探したんだよ」
「助けてくれてありがとう」
「うん」
四
下駄箱にはまだ仁の靴が残っていた。
教室には仁はいなかった。
「仁くんって部活やってたっけ?」
みなみは記憶をたぐってみたが思い出さなかった。
肩にいる白蛇を見つめて言う。
「仁くんの肩にいる地蔵を感知したりできない?」
「できないよ。ごめんね」
「あっ!大丈夫」
仁のいそうな場所どこだろう。みなみは窓から外を見た。校庭では部活をやっている生徒がいる。耳には楽器の音が聞こえる。部活かな。
なんとなくだけど、みなみには、仁は部活はやっていないような気がした。教室にはいなかった。
そうなると残る仁がいそうな場所は?
みなみは仁のことを思い出そうとしていた。
本。
仁はいつも本を読んでいた。小さな地蔵と一緒になって読んでいた姿を思い出した。
「図書室に行ってみよう」
放課後の図書室。外から聞こえる、運動部の掛け声、音楽室からの演奏の音もどこか遠く感じる少し特別な空気が流れていた。
図書室には、けっこう人がいた。勉強をしている人、本を読んでいる人さまざまな人がいる。
西日が長く差し込む窓際の少し手前に、仁は座って本を読んでいた。小さな地蔵はやはりぐったりしてるように見えた。
肩の白蛇が、みなみの耳元で囁いた。
「あれ、相当弱ってるね」
「やっぱり」
「早い方がいいよ」
みなみは仁の側に行った。
「仁くん図書室にいたんだ」
「うん。ここで本読むの好きなんだ」仁は顔を上げた。「みなみさんこそ」
「ちょっと調べ物」
みなみは適当に答えながら、白蛇を見た。
どうするんだろう。
白蛇は、みなみの肩から小さな地蔵のもとに飛んで行った。
仁は何も気づいていない。本のページをめくっていた。
向き合って何かをしている。みなみにはわからなかったが、白蛇と小さな地蔵の間で会話をしているみたいだった。
しばらくすると、地蔵は仁の肩から降りてゆっくりと形を変えた。丸くなって、耳が出て、尻尾が生えた。
小さな狸になっていた。
仁の肩にいた小さな地蔵は、狸だった。七瀬の予想が当たっていた。
丸い目でみなみを見た。それから白蛇を見た。
白蛇がみなみの前に来て言った。
「ちょっと行ってくるね」
そう言うと、白蛇が動き出した。図書室の外へ向かった。
狸は白蛇を追おうとして、一度、仁の方を振り返った。みなみにはお辞儀したようにも見えた。気のせいだったかもしれない。
「行っちゃった」
みなみはポカンとしていた。
「ん?」
仁は顔を上げてみなみを見たが、また本の方に目を戻した。
図書室の閉館時間まで待っていたが、白蛇は戻って来なかった。
みなみは一緒に帰宅していた仁とも別れて、一人で歩いていた。
梅雨の晴れ間の一日だった、燃えるような夕焼けを背に、空を横切った飛行機雲がじわじわと広がっていく。
「明日は雨かな」
飛行機雲の横に白い線が見えた。
「あれ?」
白蛇がみなみのところに飛んで戻ってきてた。
「終わったよ」
「狸は?」
「山まで送ってきた。元気になったら自分で帰れるって言ってたから、山の入り口で別れてきた」
「よかった」
みなみは少し歩いてから、白蛇を見た。
「さっき、地蔵と何を話してたの?」
「狸に事情を聞いてたんだよ」白蛇は話し始めた。「あの狸ね、人間界に迷い込んじゃったんだって。帰り道がわからなくなって、ずっと途方に暮れてたんだって」
「それで地蔵に化けたの?」
「昔はお地蔵になるとお供え物を貰えてたんだって。でも今は誰も地蔵にお供えなんてしないじゃない。だから力尽きて倒れちゃったんだって」
「そこを仁くんが助けたんだ」
「そう!お菓子貰って飢えを満たしたみたい、それで仁くんについてたんだって。お礼がしたかったのと、あと単純に居心地がよかったみたい」
「でも弱ってたじゃない」
「人間界の空気が合わなかったみたい。段々と消耗してったんだって。かわいそうだったよ」
「人間界にはイタズラをしに来たのかな?」
「どうして?」
「七瀬さんが、狐や狸はイタズラするって」
「そうなのかもね」
みなみは空を見上げた。夕日が沈もうとしていた。どこかの山の中で、小さな狸が歩いている姿を想像した。
「助かって良かった」
「ねえ」みなみは白蛇に言った。「あなた、名前ある?」
「あるけれど、教えられないんだ」
「どうして」
「妖は、名前は言えないんだ」
みなみは少し考えてから言った。
「愛称とかなら良いかな」
「主様に聞いてみて」
「七瀬さんの許可がいるの?」
「いちおね」
ハザマ洋品店に向かう途中も、白蛇はしゃべり通しだった。みなみも一緒になってしゃべった。
五
ハザマ洋品店に戻ると、七瀬はカウンターにいた。
白蛇が七瀬のもとに飛んでいった。
七瀬と何かを話している。報告をしているんだろう。
話終わった白蛇は、みなみの方を見て言った。
「またね」
くるくると回り、もう一度、くるりと回り七瀬の手の中で勾玉に戻った。
三回回った白蛇の軌跡が、三つの輪に見える。
「七瀬さん。地蔵は狸が化けたものでした」
「そうらしいな」
今の白蛇との短いやり取りで報告を受けたのだろうか。
「無事に山に帰れたみたいで良かった」
「ああ」
「あの……。白蛇に、愛称をつけてもいいですか」
「何故?」
みなみは七瀬を見た。七瀬は無表情のまま、何を考えているかわからない目だった。
「毎回白蛇って呼ぶのは、なんか寂しくて。妖は本名は言えないって言ってたから」
七瀬は少し間を置いた。
「妖の本名を知るということは、その存在の主導権を握る事ができる言霊の力がある。だから普通は教えない」
「愛称なら大丈夫ですか?」
「本人が良いなら」
みなみは七瀬の首にかかっている勾玉を見た。
「ミワ」
みなみは言った。
「勾玉に戻るとき、いつも三つの輪に見えるから」
七瀬は何も言わなかった。
奥から店主がやって来た。
「あら、みなみちゃん来てたの?」
「はい」
「夕飯食べてらっしゃい」
「いただきます」
叔母さんの夕飯を食べながら、みなみは今日のことを思い返していた。
仁が人知れず妖の狸を助けていた事。
白蛇がおしゃべりだった事。
「ミワ」と名付けた愛称、みなみにはとてもしっくり来ていた。
山に帰った狸、無事に仲間の元に戻れただろうか。
了




