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第三話 七瀬怪異譚 短編集「白蛇の浄化」

 六月の初め、梅雨に入り雨が降り始めていた。


 みなみはハザマ洋品店のカウンターの椅子に座って、外を眺めていた。雨の商店街を歩く人はまばらで、時折、傘を差した子供たちの帰りゆく姿を見るばかり。


 暇だった。


 ハザマ洋品店にバイトに入り二週間が過ぎた。バイトを始めた当初は、こんなに暇になるとは思っていなかった。

 


 幽世の世界を知りたくて、七瀬さんの側にいたかった。そのために店主が、ハザマ洋品店でのバイトを勧めてくれたと思っていた。


 バイト初日。ハザマ洋品店にやって来たみなみを迎えたのは、山積みになったダンボールだった。


「みなみちゃん。来てくれたわね。助かるわあ」


 店主は、にこにこしながら言った。


「これなんですか?」


「体操着に名前を入れる作業。毎年この時期に夏用の追加注文が入るのだけど。今年はちょっと多めね」


 ダンボールの中には、新品の体操着がぎっしり詰まっていた。タグに名前と学年が書いたメモが添えてある。


「これ全部ですか?」

「全部だ」


 店内をよく見ると、七瀬が奥の机で体操服片手に格闘していた。



 みなみは絶句した。



「みなみちゃん、筋がいいわよ」


「そうですか」


 毎日、学校が終わると、ハザマ洋品店にやって来てミシンで作業した。店主に使い方を教わりながら黙々と名前を縫い付けた。ミシンを扱うのは初めてだった。最初はガタガタだったが次第に慣れ、三日目には様になってきた。


「もうみなみちゃんは、七瀬より上手になった」と店主からも太鼓判を押された。



 町の情報は店主のもとに集まる。そう噂されるほど、店主は話好きだ。偶に来る客は勿論、商店街の他の店舗の奥さん、たくさんの人とにこにこと話をする。その中でも驚いたのは、話のネタを仕入れると、わざわざ店主の元に話しに来る友達が何人もいたことだ。町の情報はこうやって仕入れていたのか。


 その日も、体操服の名前付け作業をしていると、店主の話友達がネタを仕入れてやってきた。


「坂ノ下の中学校が学級閉鎖になったみたいよ」


 みなみの耳にも気になる話題が入って来た。


「学級閉鎖?こんな時期に……。風邪ですか?」

「そうなのよ。なんだか原因がはっきりしないみたい。熱と倦怠感が続くって。でも検査しても特に何も出ないって話なのよ」

「ネズミが出たのかしら」


 店主は器用に作業しながら言った。


「ネズミ?」


 みなみは首をかしげ、ネズミ?と思ったが、特に気にとめなかった。


「体調不良も季節の変わり目だから多いのかも、明日は雨が降ると気温が八度も下がるのだって、私達も気をつけないと」


 話は別の話題に移っていった。店主のように話しながらの作業はまだできない。みなみは目の前の作業に集中した。



 名前入れ作業が終わったのは昨日だった。



 店主は、電話で友達と長話をしている。雨が降ってるから電話なんだろうか?七瀬さんは奥で文庫本を読んでいるんだろう。



 みなみはカウンターに座りながら伸びをした。

 店の扉が開いたのはそんな時だった。



 入って来たのは、三十代くらいの女性。手に紙袋を持っていた。


 疲れた顔をしている。目の下に隈があって髪もボサボサだった。


 あれ?


 女性を見た瞬間、何か違和感を感じた。疲れた顔をしてる以外は何もおかしな感じは無い。でも、なんだかわからない違和感があった。


「あの、仕立て直しをお願いできますか」


 みなみは立ち上がって言った。


「はい。どうぞ」


 紙袋から出されたのは、青色のジャージだった。中学校の指定ジャージだ。脚のところに破れがあった。


「子供のジャージなんですけど。破れてしまって。」

「承りました。お預かりして、後日ご連絡でよろしいですか」

「はい、お願いします」


 みなみはジャージを受け取り、料金の説明をして、伝票を書いた。


 女の人は「よろしくお願いします」と言って店を出た。


 みなみはジャージを広げて、破れを確認しようとした。


 破れに手を触れた瞬間だった。


 頭がクラっとした。


 急に視界が歪み、足元がふらつく感覚になった。立っていられなくなり、カウンターに手をついた。


「大丈夫か」


 いつのまにか七瀬が後ろにいて、支えてくれていた。


「破れを確認しようとしたら急に」


 ジャージの破れをもう一度みた。


 小さな穴があいている。でも普通の破れじゃない。


繊維が引きちぎられたような、鋭い裂け方だ。


 それに、何か違和感を感じる。女性に感じた違和感と一緒だ。


「意識を集中して、破れを見てみろ」

「え?」

「ただの破れじゃない」


 破れをもう一度、よく見てみる。幽世の世界を見るときのように意識を集中する。


 破れの周囲が変色していた。黄ばんでいるというか、くすんでるというか。意識を集中して見ないと見えない変色だった。


「何これ」

「おそらくネズミに噛まれた後だ」

「ネズミ?」


「ただのネズミじゃない。幽世の存在、妖のネズミだ」七瀬は顔色を変えずに言う。「どこのジャージだ」


みなみはジャージを広げて学校名を確認した。


「坂ノ下中学校」


 数日前に聞いた噂話を思い出す。


「そう言えば、この中学校で風邪が流行ってて学級閉鎖になっているって」


 みなみは店主が言った言葉を思い出した。「ネズミが出たのかしら」


「先週、学級閉鎖があったって叔母さんの友達が言ってました。原因不明の体調不良。検査しても何も出ないって」

「見に行ってみるか」


 七瀬は考える素振りをみせた。


「私も一緒に行きます」


 みなみはついて行きたいと思った。自分に出来る事は何もないけど、放っておく事はできなかった。


「ダメだ。付いてくるな」

「行きます」

「何が起きるかわからないんだぞ」

「行きます。放っておけません」


 みなみは七瀬の目を見つめながら言った。


 ふう……。


 七瀬はため息をついた。



 次の日、梅雨の休憩日となり雨は上がっていた。ただし晴れ間はなく、いつまた雨が降り出すかわからない天気だった。


 みなみは七瀬が運転する軽バンに乗り坂ノ下中学校に来ていた。市内にある中学校の中でも最も古い学校。坂ノ下と言う名前なのに学校のある場所は坂道を上がった先にあった。


 放課後の中学校は、ひっそりとしていた。静かすぎる。


 校門の前に立ったみなみは眉をひそめた。この時間ならもっと喧騒が聞こえるのが普通だ。でも校舎からは、ほとんど何も聞こえてこない。


 代わりに僅かに重い空気が漂っている。梅雨の時期の蒸し暑さだけが原因ではないだろう。


 学校に到着すると、七瀬は職員室に向かった。そこにいた先生と何かを話し戻って来た。


「とりあえず、校内を見て回ろう」



 校内にも人影はほとんど無かった。平日の中学校の放課後。こんなにも人がいない訳はない。


 校舎を七瀬と歩いていく。


 みなみはグランドを見た。普通なら部活がやっていてもおかしくない時間だ。音楽室から演奏だって聞こえるはずだ。なのに、学校全体で休みの日のようにひっそりしていた。



 しばらく見て回った後、奥に建っていた古びた建物が目に入った。今では使われてない古い校舎だ。


 みなみの目に、靄がかかって見えた。淡い黄色いような、薄い青色のような。


 七瀬の後ろに付いて校舎に入った瞬間、空気が変わった。ずっしりと重く冷たい空気、まるで水中にいるような重さがあった。中は薄暗かった。そして汚かった。ほこりにまみれ蜘蛛の巣だらけになっていた。


 小さな何が動く気配があった。


「妖のネズミだ」


 みなみが見たのも、ネズミ。でも普通のネズミじゃない、目が赤く光っていて、輪郭がぼんやりしていてどこか歪んでいる。


 一匹二匹じゃない。沢山いる気配があった。


「思っていたより多いな」


 七瀬が呪文を唱えると、身体の周りに波紋が生じ、渦巻き文様と、弥生調の尖った三角の連続したギザギザの幾何学模様が空間に鮮やかに浮かび上がった。


 光る紋章を身にまとった七瀬は、勾玉を手に取り再び呪文を唱えた。


 今までの光とは違った光を発した勾玉が、手の中で揺れ動きだした。


 その姿は、白い小さな蛇になった。


「白蛇」


 綺麗な白蛇だった。普通の蛇じゃない。小さいながらも、神聖さや気高さが感じられるどこか神々しさを感じられた。白蛇の周辺は清らかな空気で溢れていた。


 思わずみなみは見惚れていた。


 七瀬の手を離れた白蛇は、泳ぐように宙を進んでいった。


 ネズミが逃げようとしたが、白蛇の方が早かった。

 白蛇が近づくとネズミを白い光が体を包んだ。


 ネズミがびくりと震えた。


 光が上の方に伸びて、ネズミの体から何かが滲み出していく。黒い靄のようなものだった。


 靄が消えると、ネズミは光と共に消えていった。



 七瀬が一度、白蛇の後を追う素振りをみせたが、みなみの方を振り返った。


「白蛇と共に浄化しながら、原因の場所を探る。みなみは外で待っていてくれ」

「わかりました」


 外に出ようとした背に七瀬は告げた。


「ネズミを見ても近づくな。触れちゃダメだ。そして目を合わせるな」


 そう言うと七瀬は、白蛇を追って奥に向かっていった。



 外に出たみなみは、改めて七瀬が浄化している古い校舎を見た。


「ここが妖のネズミが発生してる原因の場所だったのかな」


 確かに中は薄暗く、汚かった。どうしてネズミが発生したんだろう。


 古い校舎を覆う黒い靄が、徐々に晴れていくような気がした。七瀬が白蛇と共に浄化してくれている。そんな油断があったのかもしれない。


「あれ。何だろ」


 古い校舎を覆っていた黒い霧が晴れていくと、更に後ろの方から黒い渦が巻いているように見えた。


 みなみはその渦の方に向かっていった。


 黒い渦の中心にあるのは、校舎よりも古い朽ち果てた社だった。


 扉が少し開いていた。


 みなみは覗き込んでしまった。


 真っ赤な目が二つ。目が合った。


 その瞬間、全身に悪寒が走った。頭が締めつけられ、胸の奥から何が込み上げて来た。


 少しずつ手足の感覚が無くなっていき、世界が暗転した。



 みなみは渦巻く暗闇の中を漂っているようだった。


頭痛、吐き気、手足の痛み。段々と身体の感覚が無くなってくる。


 みなみは薄れゆく意識で焦っていた。七瀬さんに伝えなければ。


「元凶の場所はこっち」

 


 暗闇の中、小さな光が見えたような気がした。


 ……光。


 気のせいじゃない。光は徐々に近づいてきた。みなみの身体に光が触れた瞬間。暖かなものを感じ、全身から苦痛が抜けていった。


「みなみちゃん。大丈夫」


 薄れゆく意識の中で、七瀬のものじゃない声を聞いた気がした。



「う。ううん……」


 みなみが目を覚ました時、七瀬に抱えられていた。


「みなみ。大丈夫か?」


 七瀬はまだ、光る紋章を纏っていた。


「七瀬さん……」


 みなみは起き上がろうとしたが、まだ力が入らなかった。


「浄化はしたが、まだ動かない方がいい」七瀬は優しい声で言った「どうやら、元凶のネズミに接触してしまったようだ」


「元凶のネズミ?」


 七瀬はみなみを下ろして立ち上がった。


「元凶を祓う。少し待っていてくれ」


 みなみは、力を振り絞って上半身を起き上がらせ、顔を上げて小さな社を見た。今度は直接目を合わせないように注意した。


 今度は見える。学校を取り巻くように広がっている渦の中心。朽ち果てた小さな社から邪気が発生していた。



 七瀬は小さな社の前に立ち、青銅でできた小さな鈴を取り出し鳴らした。


 リーン。リーン。リーン。


 そして、胸の勾玉を握り不思議な言葉を吐いた。


 七瀬の周りに浮かび上がっていた紋章が光を増す。


「あっ。白蛇……!」


 いないと思っていた白蛇が七瀬の肩にちょこんと乗っていた。


 白蛇は、七瀬の力強いリズミカルな呪文で踊るように、宙を舞った。小さな社の周りをクルクルと一回りしてネズミに向かった。白蛇が接触した瞬間、黒い渦の中心から邪気が消え、全てが蒸発していった。


 学校内に渦巻いていた重苦しい空気が消えた。


 呼応するように曇っていた空の合間から太陽の光が差し込んで来た。


 小さな社から、普通のネズミが一匹出てきて太陽の光を浴びながら去っていった。


 全てを浄化し終えた、白蛇は七瀬の元に戻っていった。


 くるくると回り、もう一度、くるりと回り七瀬の手の中で勾玉に戻った。


 三回回る白蛇の軌跡が、みなみには三つの輪に見えた。


「ここの生徒達も直ぐに良くなるだろう」


 みなみは七瀬に手を貸して貰って立ち上がった。まだ少しふらつきはあるが、もう大丈夫だろう。


「どうして、ネズミが妖になったんですか?」

「忘れられた祠に穢れが貯まり、朽ちて扉が開いてしまって、ネズミが入り穢れを食べてしまったんだろう」

「そんな」

「始まりなんて、大層なもんじゃない」


 みなみは支えてくれている七瀬の横顔を見た。


「妖となったのはたった一匹のネズミ。たがネズミの特性から増殖して被害が拡大したんだろう」

「ネズミも被害者だったんですね」


 七瀬は何も言わなかった。


「七瀬さん。ごめんなさい。せっかく忠告してくれたのに目を合わせてしまって」


 七瀬さんは「目を合わせるな」と言ってくれていたのに……。自分の好奇心のせいで、危うく取り返しのつかないことになるところだった。七瀬さんにも、もの凄い迷惑をかけてしまった。


「気にするな」


 その日、みなみは七瀬に家まで送って貰った。


 

エピローグ

 次の日、みなみの体調は完全に回復していた。


 学校が終わると、美咲に別れを言い、すぐにハザマ洋品店に走った。昨日行った中学校の結果が気になっているのだ。


 

「こんにちは」

「あら、今日はどうしたの。バイトはお休みだったでしょ?」

「七瀬さんは奥ですか?」

「ごめんなさいね。今は配達に行ってるの」


 店主はお茶を淹れながら、にこにこと話かける。


「お茶飲んでいくでしょ」

「はい。頂きます」


 みなみはカウンターの前の席に座る。


「そう言えば、坂ノ下の中学校。学級閉鎖解除されたんだって」


 店主の言葉に心底安堵したみなみ。


 七瀬さんへのお礼は、明日のバイトの時にしよう。


 店主から出されたお茶を飲みながらみなみは昨日の事を思い出していた。


 ネズミと目を合わせたあと、体調崩して暗闇の中にいたみなみに光と共に声をかけてくれた声。


「みなみちゃん。大丈夫」


 あの声は七瀬さんじゃ無かった。気のせいだったのかな。


 梅雨の中休みはそろそろ終わりそう。また暫くは雨の日が続くだろう。でも、みなみの心は晴れ渡っていた。



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