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シャラシャラ。
金貨が灰石小路を転がっていきました。
伯爵家の屋敷から出た日に、私は持参金代わりに投げ渡された金貨を、裏路地の石畳に落としてしまいました。
灰石小路と呼ばれるここは、庶民の集まる通りとしては比較的に落ち着いた場所で、おしゃべりしている女性たちや子供たちもまばらで人通りも少ない場所でした。
静かな通りに、カーンッとコインの一枚が地面についた乾いた音が響いた瞬間に、既に王国の崩壊が始まっていることに私は気づきました。
王国を覆っている私にしか見えない守護の結界が薄くなって、石畳に波のように揺れる不気味な影を落としています。
私は金貨のことを一瞬忘れて、呆然と空を見上げました。
そんなに心をこの国から離した覚えはないのだけれど……。
私の心が離れなくても、他の大勢の人の心はとっくの昔に私から離れていたのでしょう。
空になった金貨の入っていた袋が虚しく私の指に絡みついてきます。
お父様さえもこんな僅かな金貨で私を厄介払いしようとするのです。
お母様も賛成してのことでしょう。
姉二人は私が両親から差をつけられたら喜びます。
家族さえも私を愛してはくれないのです。
——ズレが大きくなりすぎてしまった——!
私の黒い長髪が風に靡いて、灰石小路に転がった金貨のことを思い出します。
灰色小道にはしゃがんで何かを探している青年がいました。
それがとても不釣り合いな事に見えました。
青年は立ち上がると私に手のひらを見せます。
そこには金貨がありました。
金貨は盗まれてもおかしくなかったのに、青年が拾ってくれていました。
「拾えたのは六枚だけだな。残りは数人が拾って持って行った。すまない」
拾ってくれた青年が謝ってくれます。
黒髪に冷たい灰色の瞳をしているのに、見かけによらずに親切な人でした。
「あなたのせいじゃないわ。十枚以下の持参金なら六枚も九枚も変わらないから、別に盗まれてもいいわよ」
青年の氷のように愛想のなかった瞳が獲物を見つけた時のように私を捕らえて鋭く光りました。
「持参金? それはちょうど良かった。俺がおまえを貰おう」
そういって私を抱きよせました。
私は呆気に取られて、返して貰ったばかりの金貨をまた落としそうになりました。
私が手元に集中した一瞬でより深く抱きしめられてしまいました。
「離してください」
言っても青年は離してくれません。
「会いたかった。やっと、おまえを奪える」
彼の灰色の瞳は冷たいのにどこか熱を帯びて見えました。
フードのついたマントを羽織り、腰のベルトに革の鞄と剣を携えて、丈夫そうなブーツを履いている……青年は旅をしている人の姿のように見えました。
彼は最初から、私を盗むつもりで私に声を掛けたのかもしれない。
私にはこの国に相手がいたわけではないので、いいのだけれど……少し胸が痛みます。
「あなたは旅をしているんでしょう? 私はどうすればいいの? 一緒に旅するのも面白そうだけど……何処かに住みたいわ」
「ああ、旅か。旅は終わった。おまえを得るための旅だったからな。帰ろう、隣の国の王宮がおまえを待っている」
「……王宮? あなたも王子様なの……」
隣国には冷徹な王子と呼ばれる人がいて、何か大事なものを探して旅をしている話は噂では聞いていました。
それが、私だったと言う事……。
「エミリア、俺の事を覚えていないのか? 俺はシグルド・ノルディアだ」
隣国の王子様——シグルド・ノルディア様が私に聞きました。
私はまだ名前を名乗っていないけれど、シグルド様には分かっていました。
覚えている……? 私と王子様は会った事があるの?
私は首を横に振りました。
シグルド様の灰色の瞳が悲しくなった気がします。
ふと、そんな瞳を昔も見たような気がしました。
ひいお婆様の離宮で、灰色の瞳で私を見つめる男の子がいた——。
◇
「エミリア……危ないよ」
リヒャルトが私を止めようとしていました。
でも、私は聞かずにその蝶々を追いかけます。
危ないのは分かっているけれど、リヒャルトのいてくれる時じゃなければ、あの蝶々に近づけないのです。
危なくなったら必ず私を助けてくれるのはリヒャルトだけでした。
ひいお婆様の住む街から離れた離宮には、引退した前国王が孫の第二王子を連れて遊びに来ていました。
ひいお婆様も転生者として、私と同じく、この世界を観察する目を持っていました。
だから、孤独だったはずだけど……前国王が彼女の良き理解者になってくれていたから、孤独ではありませんでした。
ひいお婆様と前国王が昔話に花を咲かせている間は、私とリヒャルトの時間でした。
三歳年上のリヒャルトは私の面倒をよく見てくれて、私付きの使用人たちは、不気味な私から解放されるこの時間を心待ちにしているようでした。
私はそんなことなどお構いなく、目の前の花に止まる蝶々に手を伸ばしました。
ガクッと地面が揺れると、土が崩れて崖が私の真下に現れました。
落ちると思ったけれど、私の身体はしっかりとリヒャルトの腕の中に収まっていました。
しっかりと木の枝を掴んだリヒャルトが私を引っ張り上げようとするけれど、完全に宙に投げ出された私の身体は幼児のものでも重く、やはり子供のリヒャルトの力ではどうにもなりませんでした。
リヒャルトの足元の土もパラパラと崩れそうになっていました。
そこに反対側から私を持ち上げる手がありました。
木の枝にしっかり捕まった見知らぬ男の子が、リヒャルトがしっかり腕に収めている私の身体を同じように腕に絡めて持ち上げると、ふわりと持ち上がりました。
二人がかりで地面に降ろされた私が前を見ると、蝶々の止まっていた花は遠くなって蝶々は飛び立っていました。
「あ……蝶々が……行ってしまった……」
「エミリア……」
リヒャルトが呆れて言いました。
「なんだ? おまえ、自分から崖に飛び込んだのか? 危ないだろう!」
見知らぬ男の子が私を怒りました。
黒い髪に灰色の瞳をしていました。
私はそんな事よりも蝶々を間近で見れたことに興奮していました。
この世界の蝶々が、以前いた世界のそれと違っているように見えたけれどやっぱりそうだったのです。
——それは妖精でした。
前世では絵本の中だけの存在が、この世界には実在するのです。
……うわぁ……——!!
この興奮を共有出来るのは、同じ世界を知っているひいお婆様だけ!
私はこのことを伝えたくて走り出します。
「あ! 待って!!」
パタッと私は転びます。
「エミリア……」
リヒャルトがすぐに助け起こしてくれました。
「これがひいお爺様のおっしゃる聖女様なのか……? 馬鹿な子供にしか見えない……」
「ひいお爺様って……君も……?」
リヒャルトが男の子に何かを聞いていた。
「俺は、シグルドだ」
男の子はそう名乗っていました——。




