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シグルドは、エミリアを手放せない。
こうなることはシグルドにも分かっていたはずだ。
それでも、シグルドは俺を騎士にしてエミリアの側に置くことにしたんだ。
エミリアが俺の唇にキスした。
唇をつける前も、後も、とろけている目をしている。
この瞳を作ったのは間違いなく君だ、シグルド。
君は、間違いなく彼女を守っている——。
彼女はここを離宮と同じような安全な場所だと思ったのだろう。
離宮はひいお婆様のものだったけど、ここは彼女のものだった。
彼女は、やっと自由になったんだ、離宮でのひいお婆様のように——。
◇
ひいお爺様と行く離宮には、セラフィーヌ様という不思議な人がいた。
セラフィーヌ様が俺の住む城や街、外壁の中の全てを魔物から守ってくれているのだと聞かされた。
彼女の世界を見る認識のズレが魔物と街の外壁を隔てる次元のズレを持つ結界になるのだと言う。
だから、彼女はズレていなければいけないのだと言う。
小さな俺にはどういう事か分からなかったけれど、とても大事な事なんだと思った。
そして、小さな女の子のエミリアが離宮に来るようになる。
なんだかおかしな子だったけど、彼女を取り巻くメイドや周りの大人たちの彼女への態度に胸がざわついた。
これが、ズレを持つということなんだ。
彼女——エミリアは、セラフィーヌ様の代わりに結界を守ることになる大切な子だと言う。
「……ふぁっ!」
エミリアがジャンプして何かを取ろうとしていた。
俺は多分エミリアが取ろうとしていた花を枝を持って、近づけてあげた。
「ふわぁぁ!!」
エミリアは驚いて逃げてしまう。
「あ」
俺は花を取ってエミリアの方に持って行く。
最初は怖がってたけど、花を見せると寄って来た。
じっと花を観察してるみたいだった。
「エミリアに、あげるよ」
俺が言うと恐る恐る花を手に取って観察していた。
「……がくがない」
なにかつぶやいて俺を見ると照れたように笑う。
「ありがとう……」
俺も赤くなっていた。
周りから距離を置かれている小さなエミリアを、俺だけはすぐ側で大切にしようと思った。
エミリアは俺のそんな気持ちを知ってか、俺のことを頼るようになった。
エミリアのメイドたちが、俺を可哀想だという目で見たけど、俺は誇らしかった。
エミリアには本当に世界のズレが見えている——。
俺だけが知っている大切な子——。
——だったのに……。
シグルドが現れた。
シグルドもひいお爺様に連れられていて、そのひいお爺様は隣国の前国王だと言う。
俺と同じ境遇の同い年の男の子だった。
エミリアはシグルドが見せる新しいことに目を輝かせた。
『リヒャルト、私の代わりにシグルドに勝ってね』
トランペティやボードゲーム、他のスポーツでも、エミリアは俺にそう言った。
シグルドより、俺を応援してくれるけど……それは、俺を自分の一部だと思っているからだった。
『ごめんなさい、リヒャルトに助けて貰って』
シグルドにはそう言うけど、
『リヒャルト、ありがとう』
俺にはこう言う。
エミリアに頼られて嬉しかったはずなのに——。
◇
俺のひいお爺様が、セラフィーヌ様を愛していたのは本当の事だ。
でも、愛してはいけなかったんだ。
結界の秘密を託された王家の第二王子として、ただ見守るのが良かったんだ。
第一王子の妻に決まっていたセラフィーヌ様は、第一王子が亡くなった為にひいお爺様と結婚することになった。
それで結局は二人は不幸になったのだ。
第一王子が狩猟に出かけた際の事故で亡くなっていなければ、二人は結ばれなかった。
国民から第一王子の暗殺の疑いを向けられて、元々そのズレから疎まれていたセラフィーヌ様はますます嫌われていくことになった。
セラフィーヌ様にはどうする事もできない農産物の不作の責任もなすりつけられる。
国王だった俺のひいお爺様は、セラフィーヌ様を離宮へ追放して彼女が安心して暮らせる日々を守った。
その為に、シグルドのひいお爺様とセラフィーヌ様が仲良くしているのを黙って見ているしかでなかった。
彼女は女神だから、そうする事でしか国を守ってもらえなかった。
「リヒャルト、私が一番大好きだったのは、第一王子だったの。彼からは嫌われていたけれどね」
俺とシグルドのひいお爺様のどっちが好きなのか聞いた俺に、セラフィーヌ様が言う。
ズレを持ったセラフィーヌ様は婚約者だった結界の秘密を知るこの国の第一王子からも疎まれた。
エミリアみたいに……。
「でも……今が一番しあわせな形なの……。あなたのひいお爺様のおかげね」
セラフィーヌ様がいつものように幸せそうに笑う。
傍に俺のひいお爺様が来て寄り添っていた。
二人はとても幸せそうに見えた。
◇
俺は、小さなエミリアに惹かれていく。
ひいお婆様に結界の秘密を少しづつ教えて貰うエミリア。
彼女は優しい子で誰に嫌われていても、結界を維持したいという。
「妖精や、がくのない花は、綺麗だもの……」
そう言ってエミリアはまた何かをじっと見ていた。
それも綺麗なものなんだろうか?
俺にはエミリアを嫌っているメイドが仕事をしているだけに見えた。
服を整えて、シュッと聖水を振り掛ける。
何処のメイドもやる珍しくない行動だった。
「私の服からも魔を払ってくれる……」
彼女を無視し続けるメイドを見て、エミリアは少しだ微笑んだ。
ズレた彼女には、こんな当たり前の事が嬉しいことに映っている。
王都でもエミリアを見かけた。
両親や姉たちから少し離れて歩くエミリアは、服も古い感じに見えた。
離宮では彼女の為に用意されていた服を着ていたのか。
俯いて歩くエミリアを姉たちが振り返ってクスクスと笑いはじめた。
エミリアは姉たちに声を掛けられてにっこりと微笑んだ。
ズキッと俺の胸が痛んだ。
エミリアはこの国を嫌っていない——!
世界が好きなことは分かるけど……君は、この国まで好きなのか——。
俺に気付いてエミリアが駆け寄って来る。
「リヒャルト! 王都でも会えるのね!」
屈託のない笑顔だった。
「……エミリア」
俺がいつでも君の味方だと、全く疑っていない。
「……第二王子様……!」
姉たちが驚いて、エミリアに鋭い視線を送っていた。
王子の俺と嫌っている妹が親しい事が気に入らないんだろう。
エミリアは気にしないけど、俺は気にする。
姉たちのエミリアに向けられる憎しみを——。
こんなに健気な子を、この場所に置いては置けない……!
俺の側にずっといて欲しいなんて思ってはいけない。
——きっと、シグルドがずっとそばにいてくれる。
ひいお爺様が、離宮のひいお婆様を見守っていたように、俺もひたすら見守るだけだ。
彼女は女神なのだから——。
いつか、シグルドは彼女を迎えにくるだろう。
俺は、妖精の踊りを見る二人を遠くから見守った。
ひいお爺様たちの命の時間が終われば、エミリアとシグルドは会えなくなる。
その前に、必ず再会できる絆を作ってくれたら——。
溢れそうになった涙を振り払おうとして、俺が見上げた空に、青い月が浮いていた。
『ありがとう、大好きよ、シグルド』
エミリアの声が聞こえた。
彼女を助けてくれ、シグルド。
この国を守りたくないと思っているのは王子の俺だった。
◇
彼女の心をこの国から離すには、誰も味方がいない方がいい。
でも、エミリアを好きな気持ちが溢れてくる。
彼女は、触れてはいけない女神だから、俺が、触れたらこの国で彼女はもっと傷つく。
彼女を人間だとはもう思わない。
人間であればいいのにと思うだけの、女神に恋する男になろう。
いつか、シグルドがエミリアを連れ去って、この檻から助け出してくれる。
守ろうとして、彼女を守れなかったのが俺だった——。




