表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第二幕 真実は、ときどきクッキーより厄介だ


 王宮の薔薇園は、相変わらず無駄に豪奢だった。


 真っ白なテーブルクロス、銀の燭台、磨き上げられた水晶のグラス。

 庭師たちが何時間かけて整えたのか想像もつかない薔薇のアーチ。

 それを背景に、令嬢たちが見せかけの笑顔で扇を揺らしている。


 もっとも、その「見せかけの笑顔」は、以前よりずいぶん引きつっている。

 当然だ。

 いつ自分の手の甲が光って、自分の素の表情が広場に投影されるかわからないのだから。


 笑顔のまま固まっている令嬢、おしゃべりの途中でちらちらと手の甲を確認する令息、開いた扇の陰で目だけ泳がせている婦人。


 ――滑稽だ。


 私はそう思いながら、薔薇のアーチの下のベンチに腰かけ、給仕から取ったクッキーを齧った。


 さくっと音がした。

 バターの香りがする。悪くない。



「……モンフォール公爵令嬢」



 声がして、顔を上げた。


 そこに立っていたのは、噂のソフィア・ベルティエ侯爵令嬢、その人だった。


 金色の縦ロール、深紅のドレス、扇の縁取りには小粒のダイヤ。

 三か月前までは「淑女の鑑」と謳われ、社交界の中心にいた令嬢だ。


 ただし、現在のソフィアの評判は、もう一文字も残っていない。


 二か月前、彼女の左手甲が光った瞬間、神鏡には、メイドの頬を扇でしたたかに打ち据えている彼女の姿が映った。

 その三日後、今度は第二王子と、宮殿の奥まった廊下で密会している姿が映った。

 第二王子は別の令嬢と婚約中だった。


 二連続の暴露を喰らって、ソフィアは社交界の表舞台から消えた――はずだった。



「あら、ソフィア様。お久しぶりですわね」



 私は口の中のクッキーを飲み下してから、最低限の敬語で挨拶した。

 それ以上の感情を込めるのはコスパが悪い。


 ソフィアの目が、ぴくりと細められた。



「……ご機嫌うるわしゅう。モンフォール公爵令嬢におかれましては、《ヴェリタス》の御世にあっても、変わらぬご様子で何より」


「ええ、変わらず面倒くさく過ごしておりますわ」


「……」


「あら、何か」


「いえ。ただ、あなたが園遊会にいらっしゃるなんて、珍しいと思いまして」



 ソフィアの扇が、ゆっくりと開かれた。


 扇の陰から覗く目に、明確な敵意がある。


 ああ、面倒くさい。


 私は内心でため息をついた。

 彼女が何を考えているかは、だいたい察しがつく。

 彼女は失った。私は失っていない。

 それだけで、彼女には十分な動機になる。


 だが、それを口に出して指摘するのも、また、コスパが悪い。



「お父様の厳命ですの。出ろと言われたから出ただけですわ」


「……お父上の」


「ええ。私自身は、家のソファで本を読んでいたかったのですけれど」


「……」



 ソフィアの扇が、ぱちん、と閉じられた。



「リゼット様」


「はい」


「あなた、《ヴェリタス》が降ってからも、なぜそんなに平然としていられるのですか」



 直球で来た。


 私はクッキーをもう一枚、皿から取った。



「平然というか」



 さくっ。



「私、晒されて困ることが、特にないんですの」


「……は?」


「化粧してませんし、猫被りもしてませんし、誰かを陰で虐めたこともありませんし、密会する相手もおりませんし」



 さくっ、さくっ。



「強いて言えば、今クッキーを食べている姿が映ったら、お行儀が悪いと父に叱られるかもしれません。それくらいですわ」



 ソフィアの顔から、表情が抜け落ちた。


 扇を握る手が、震えている。


 ――ああ、しまった。これは怒らせた。


 私は別に、彼女を煽るつもりはなかった。

 事実を述べただけだ。

 だが、失ったばかりの人間に「私は失うものがない」と告げるのは、たとえ事実でも、刃物より鋭い。


 これがコスパが悪いというやつだ。

 社交辞令を覚えていないと、こういう事故が起きる。


 私はクッキーを飲み下し、ベンチから立ち上がろうとした。


 ――その瞬間。


 視界の端で、金色の光が瞬いた。


 ソフィアの左手の甲が、光っている。


 そして、私の左手の甲も。


 私たちだけではない。

 周囲の令嬢、令息、給仕、楽団――園遊会に集まったすべての人間の左手が、同時に金色の紋章を浮かばせていた。


 これは、ヴェリタス様、たまにやる「広域同期発動」だ。


 通常は一日一回ランダムだが、月に一度、全国民の手が同時に光る。

 神様の気まぐれだろう。


 だが、今この瞬間に発動するのは、最悪のタイミングだった。


 なぜなら、ソフィアは今、まさに私を睨みつけていたから。


 三秒。


 ソフィアの表情が、私の脳に焼き付くようにそこにあった。


 ――憎悪、嫉妬、屈辱。

 それらが綯い交ぜになった、社交界では絶対に晒してはならない顔。


 三秒が過ぎた。


 紋章の光が消えた。


 ソフィアが、はっと我に返って、扇で顔を覆った。

 だが、もう遅い。


 神鏡には、もう投影されている。

 広場の野次馬が、今この瞬間、彼女のあの顔を見ている。



「……っ」



 ソフィアは、青ざめた顔のまま、無言で踵を返した。


 ドレスの裾を翻し、薔薇のアーチを抜けて、人混みの向こうへ消えていく。


 残された私は、まだ手に持っていたクッキーを口に運んだ。


 さくっ。


 ――ところで、私は今、何が映ったのだろう。


 私はぼんやりと考えた。

 たぶん、いつも通り、クッキーを齧っている姿が映ったのだろう。

 広場の野次馬は今日も笑っているだろうな。

「平常運転だ」と。


 私はベンチに座り直して、二枚目のクッキーを取った。



「――そなたが、モンフォール公爵令嬢か」



 声がした。


 低い。男の声だ。


 顔を上げた。


 そこに立っていたのは、銀の髪を肩で揃えた、長身の男だった。


 氷青の目。整った顔立ち。

 だが、その表情には、温度というものが一切なかった。


 軍服に近い意匠の黒い上衣に、銀の肩章。腰には剣。

 社交場には不釣り合いな佇まいだが、誰もそれを咎めようとしない。

 咎められるような者ではない、ということを、その立ち姿が物語っていた。


 ――辺境伯ノルディア卿。


 私は名前を思い出した。

 北の辺境を守る武人。

 五年前に婚約破棄騒動を起こして以来、王都を避けていると噂の、冷徹有能枠。


 なぜ、この人が、私を見下ろしているのだろう。



「……はい、リゼット・ヴァン・モンフォールでございます」



 私は座ったまま、最低限の挨拶をした。

 立ち上がるのは面倒だったし、彼の目は、立ち上がらせて品定めしたいという種類の視線ではなかった。


 むしろ、彼の目は、私が立ち上がらないことそのものを、観察していた。



「今、神鏡を見てきた」


「はあ」


「広場の」


「はあ」


「そなたの姿が映っていた」


「いつものことですわね」


「クッキーを齧っていた」


「いつものことですわね」


「隣にベルティエ侯爵令嬢がいた。彼女の顔は、憎悪に歪んでいた。そなたを睨みつけていた」


「……はあ」


「だが、そなたの顔は、何の感情も浮かべていなかった」



 アルセン辺境伯――ノルディア卿は、そこで一度言葉を切った。


 そして、ほんの少しだけ、首を傾けた。



「クッキーが、美味いか?」


「……はい?」


「クッキーが美味いという顔をしていた」



 私はクッキーを見た。

 それから、ノルディア卿の顔を見た。



「……バターの香りが、悪くなかったので」


「そうか」



 彼は、それ以上は言わなかった。


 だが、私を見下ろす氷青の目が、ほんのわずかに、ほんのわずかに、和らいだ気がした。


 ――あら。


 なんだろう。


 この人の視線、悪くない。


 化粧をしているか、表情を作っているか、品定めしようとしているか――社交場でいつも投げかけられる、あの値踏みする視線ではない。


 ただ、私が「クッキーを美味そうに食べていた」という事実を、面白がっている目だ。


 私は、二枚目のクッキーを差し出した。



「召し上がりますか? ノルディア卿」



 彼は、一瞬、面食らったような顔をした。


 それから、



「……いただこう」



 そう言って、彼は薔薇のアーチの下で、私の隣に腰を下ろしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ