第3話 拉致された先は殿下の城
馬車が、ゆっくりと、速度を、落とした。
「エリーゼ嬢、着いたよ」
殿下の優しい声が、私の耳元で、囁いた。
──、着いた、って、どこに?
私は、ゆっくりと、目を開けて、馬車の小窓から、外を、覗いた。
見たことのない、深い森。
その奥に、白い石造りの、小さな、けれども、品のいい、お城。
王宮ほどは、大きくない。けれど、貴族のお屋敷よりは、ずっと、立派。
夕暮れの光が、白い壁を、淡い金色に、染めていた。
──、ここ、いったい、どこの世界。
──、王都の、外?
──、私、馬車の中で、どれくらい、眠って、いたんでしょう。
殿下が、優しく、笑った。
「ここは、ぼくの離宮。王宮の、裏の森の中に、あるんだ」
「は、はあ」
──、王宮の、裏の森。
──、あ。
──、そういえば、王宮の、裏の森に、何代も前から、使われていない、忘れられた離宮が、ある、という、設定だったわ。
──、前世で、地球で、夢中で読んだ、女性向け小説『銀の王子と聖女の終わりなき悲恋』の、序章の、最後のページに、確か、書いてあった。
──、「王宮の北の森に、ひっそりと、誰も使わなくなった、古の離宮が、佇んでいた」。
──、あ、そうだわ。あの、忘れられた離宮は、ーー、ルーカス殿下の、お住まい、だったのね。
──、小説では、ルーカス殿下が、お亡くなりに、なって、いらしたから、誰も、住まなくなって、忘れられて、いた、ということだったのか。
──、けれど、こちらの世界では、殿下は、生きて、いらっしゃる。
──、だから、引き続き、殿下が、お住まいに、なって、いらっしゃる、のね?
──、つまり、私、ヴァルトハイム侯爵令嬢エリーゼ、世間の目には、行方不明、ということになるのね。
──、お父様、お母様、ご安心くださいませ。私、無事に、生きております。
◇◇◇
馬車が、停まった。
殿下が、先に、馬車を、降りた。
馬車の前、離宮の玄関ホールの、扉の手前に、白髪の執事長と、年配のメイド・ハンナ、そして、若いメイドが、十人以上、ずらり、と、整列して、私たちを、出迎えていた。
殿下の帰還と、私の来訪は、先回りの早馬で、しっかりと、伝達済み、らしい。
全員、白いエプロンに、銀のトレイを、片手に、ぴしっ、と、姿勢を、正していた。
「殿下、お帰りなさいませ」
「エリーゼ嬢、ようこそ、お越しくださいませ」
全員の声が、ぴったりと、揃って、夕暮れの森に、響いた。
──、メイド総出。
──、王宮レベルの、歓迎。
──、私の、来訪、これも、伝達、済み?
執事長と、ハンナは、馬車から降りた殿下に、深々と、頭を、下げた。
殿下が、優しく、執事長に、軽く、頷いた。
「ああ、エリーゼ嬢は、ぼくの婚約者だから」
「ーー」
「ハンナ、お部屋は、いつもの、東棟の角部屋で」
「かしこまりました」
執事長と、ハンナが、ふっ、と、お互いに、目を、見合わせて、意味ありげに、頷き合った。
若いメイドたちは、ぱぁっ、と、頬を、染めた。
──、こ、こ、婚約者ーー!?
──、私、まだ、何も、了承して、いないまま、外堀が、しっかりと、埋められているわ。
──、ま、まずいわ。
──、それに、「いつもの」、東棟の角部屋、ーー、って?
──、いつも、って、ーー、つまり、いつも、若い女性が、ここに、滞在している、ということ?
──、王族の、第二王子殿下、二十歳、絶世の美貌。
──、これまでに、何人の、ご令嬢が、ここに、お招きされて、きたのかしら。
──、執事長と、ハンナの、あの、意味ありげな、頷き、見逃しません。
──、そっかー、殿下、女性に慣れて、いらっしゃるのね。
ハンナが、しずしずと、奥に、下がっていく。
殿下が、馬車の中の私に、振り返って、両手を、差し伸べた。
私は、おずおずと、殿下の手を、取った。
「は、はい」
その瞬間、殿下の両手が、私の腰に、しっかりと、回された。
そして、ふわり、と、私を、馬車から、抱き上げた。
──、!
──、お姫様、抱っこ。
──、第二王子殿下に、お姫様抱っこされる、貴族令嬢、エリーゼ・ヴァルトハイム、ただいま、爆誕。
──、しかも、執事長と、メイドたちの、目の前で。
「で、殿下、自分で、歩けます」
「君は、命を、狙われたばかり、だから」
「ーー」
「心身ともに、疲労している、はずだから、無理を、しなくていい」
「ーー」
「いいから、ぼくに、任せて」
「ーー」
殿下の腕の中、私の身体は、ぴったりと、殿下の胸板に、押し付けられていた。
仄かな白檀の香り、男の人の体温、しっかりとした、剣士の腕の、力強さ。
──、心臓、もたない。
殿下が、ふっ、と、私の耳元に、唇を、寄せた。
「これは、新婚の、夫婦が、やること、らしいよ」
「ーー、!」
「花嫁が、自分の足で、敷居を、跨いだら、不吉、と、いう、古い言い伝えだ」
「で、殿下、まだ、婚約者でも、ありませんのに」
「対外的には、婚約者、と、たった今、宣言した」
「ーー」
殿下が、ふっ、と、優しく、笑った。
そして、私を、お姫様抱っこの体勢のまま、離宮の、正面玄関へ、ゆっくりと、歩いていく。
足元の、白い玉砂利が、夕日に、淡く、光っていた。
──、見られてる。
──、執事長にも、ハンナにも、若いメイドたちにも、ぜんぶ、見られてる。
──、私、たった今、貴族令嬢としての、品位、ぜんぶ、失いました。
──、こ、これは、恥ずかしいわ。
──、確かに、婚約者ということに、しておいた方が、安全だわ。
──、私の、家名を、守るためにも。
私は、お姫様抱っこの体勢のまま、殿下の胸の中で、おずおずと、見上げた。
殿下が、ふっ、と、優しく、私に、微笑んだ。
「すべては、お部屋で、ゆっくり、お話、しよう」
「は、はい」
殿下は、私を、お姫様抱っこのまま、優雅に、エントランスホールへと、運んでいった。
◇◇◇
離宮の中は、静かで、清潔で、温かかった。
廊下には、白い大理石の床と、深紅の絨毯。壁には、銀の燭台と、繊細な薔薇の彫刻。
東棟の、いちばん奥。
殿下が、白い扉を、ゆっくりと、開けた。
「ここが、君の部屋だ」
私は、まだ、お姫様抱っこの体勢のまま、扉の向こうの、お部屋を、覗き込んだ。
そして、思わず、息を、呑んだ。
広い、明るい、女性向けのお部屋。
天井からは、繊細なクリスタルのシャンデリア。窓辺には、淡い水色のレースのカーテン。
中央には、天蓋付きの、白いベッド。シーツは、絹の、薔薇の刺繍。
壁には、薄紅色の、上品な壁紙。
化粧台には、銀の鏡と、王国でも一流の、香水瓶の、コレクション。
──、けれど、私の目は、お部屋の真ん中で、深々と、頭を下げる、ハンナに、釘付けに、なった。
──、ーー、ハンナ、いつの間に、こちらに?
「殿下、お部屋のご準備、整って、ございます」
殿下が、お姫様抱っこのまま、ゆっくりと、お部屋に、入り、白いベッドの、傍まで、私を、運んだ。
そして、絹のシーツの上に、そっ、と、私を、降ろしてくれた。
「殿下、ーー、自分で、座れます」
殿下は、ふっ、と、優しく、笑って、私の隣に、ベッドの縁に、腰を、下ろした。
近い、近い、近い。
殿下の長い指が、私の手を、ふっ、と、優しく、取った。
「エリーゼ嬢、落ち着いて、聞いて」
「は、はい」
「君は、まだ、命を、狙われているかも、しれない」
「えっ」
「ぼくの密偵から、報告が、上がっている。だから、君を、ヴァルトハイム侯爵邸に、帰すわけには、いかない」
「お、お父様と、お母様は」
「お父様には、すでに、密書で、状況を、お伝えした」
「ーー、なるほど」
「ぼくの離宮であれば、外部に、君の滞在が、知られることは、ない」
「は、はい」
「けれど、若い貴族令嬢が、王族の離宮に、長期滞在する。それを、ただの『お客様』では、君の名誉が、守れないだろう」
「ーー」
「だから、対外的には、婚約者、として、扱う」
「ーー」
「大丈夫。うちのメイドは、口が、堅い。離宮の外に、君のことが、漏れる、心配は、ない」
殿下が、私の頬を、ふっ、と、優しく、撫でた。
「エリーゼ嬢、ごめんね」
「えっ」
「こんな、強引な、方法を、取って」
「殿下」
「けれど、これが、ぼくにできる、君を守るための、最善の、方法、なんだ」
殿下の、空色の瞳が、夕日の光に、淡く、揺れていた。
その目には、何の、迷いも、ない。
──、お父様も、お母様も、ご了承済み。
──、私の身の安全のため。
──、私の名誉のため。
──、私の混乱した頭でも、確かに、これが、最善、と、納得、する、しか、ない。
「殿下、ーー、はい、ーー、納得、いたしました」
殿下が、ふっ、と、優しく、微笑んだ。
「ありがとう」
「で、殿下、いつから、こんな、ご準備を」
「いずれ、ゆっくり、お話しする」
「殿下、もしかして、私が、襲われる、可能性を、ご存知だった、のですか」
殿下が、にこり、と、優しく、笑った。
「今は、ゆっくり、休んで」
「ーー」
──、答えに、なって、ない、ーー、けれど、その笑顔、反則。
殿下が、私の額に、軽く、唇を、押し当てた。
そして、ベッドの脇に、しずしずと、控えていた、ハンナに、声を、かけた。
「ハンナ、エリーゼ嬢の、お身回りのこと、頼んだよ。お風呂に入れてあげて」
「かしこまりました、殿下」
「夕食は、客間で、ぼくと、ご一緒、しよう」
殿下は、そのまま、お部屋を、出ていった。
◇◇◇
ハンナが、ベッドの脇まで、しずしずと、寄ってきた。
「お嬢様、改めまして、ご無事のご到着、心より、お慶び、申し上げます」
「は、はい」
「お嬢様のご家族には、すでに、殿下より、密書で、ご状況を、ご連絡済みでございます。ご安心くださいませ」
「ーー、なるほど」
──、お父様もお母様も、お見送りで、やけににこにこなさっていた理由はこれだったのかしら。
──、すべて、ご了承の上、私を、殿下に、預けてくださった、と。
「お嬢様の、お身の回り品は、すべて、こちらの離宮で、ご準備、いたしました」
「ーー」
「湯浴みの、ご準備も、整って、おります。本日は、お疲れでございましょう。まずは、ゆっくり、お流しくださいませ」
「ありがとう、ハンナ」
「では、お湯加減を、整えて、参ります」
「あの、ーー、ハンナ」
「はい、お嬢様」
「ハンナの、お部屋は、ーー」
「はい、私のお部屋は、お嬢様の、お部屋の、すぐ、隣、でございます」
「えっ、隣?」
「はい、何か、ございましたら、お声がけくださいませ。すぐに、お参り、いたします」
──、ハンナの、お部屋、私の隣。
──、なんという、徹底ぶり。
──、いえ、徹底ぶり、と、いう、よりは。
──、もしかして、私が、夜中に、こっそり、逃亡しないように、見張り、ですか?
ハンナは、深々と、頭を、下げて、湯殿の方へ、しずしずと、下がっていった。
◇◇◇
扉が、ぱたん、と、閉まった。
私は、ふらふらと、ソファに、座り込んだ。
ハンナが、湯殿の方から、戻ってきた。
「お嬢様、湯浴みの、ご準備が、整いました。こちらへ、どうぞ」
ハンナが、テキパキと、私を、湯殿へ、導いた。
湯殿には、薔薇の入浴剤、ラベンダーの石鹸、柔らかい、白い湯上りタオル。
──、ぜんぶ、王都一流の、極上品。
──、はぁ。お風呂、最高。
湯浴みを、済ませると、ハンナが、クローゼットを、ふわり、と、開いた。
中には、十着もの、新品の、上質なドレスが、ずらり、と、並んでいた。
──、!
──、これ、ぜんぶ、新品?
「お嬢様、こちらの、クローゼットの、ドレスは、すべて、王都一流の仕立て屋から、新品で、お取り寄せしてございます」
「えっ、ーー、新品、で?」
「はい、お嬢様のお好みに合わせて、淡い水色、薄紅、白を中心に、十着、ご用意してございます」
──、十着もの、上質な、新品のドレス。
──、それ、ぜんぶ、私のために?
「本日は、こちらの、淡い水色の、絹のドレスは、いかがでしょうか。お嬢様の、お肌に、よく、お似合いになります」
「ありがとう、ハンナ」
ハンナが、テキパキと、私のドレスを、整え、髪を、優しく、結い上げてくれた。
化粧台の鏡の中で、淡い水色の絹のドレスに、夜会用の、上品な髪型の、私が、映っていた。
──、サイズも、ぴったり、だわ。
──、ハンナが、サイズを、殿下に、お伝えしたの、かしら。
──、誰、これ。
──、いえ、私、です。けれども。
「お嬢様、本当に、お美しいです」
「ありがとう、ハンナ」
「では、客間に、ご案内、いたします」
ハンナが、扉の前で、深々と、頭を、下げた。
◇◇◇
客間の、暖炉の前。
ソファに、殿下が、優雅に、座っていた。
私が、入ると、殿下は、ゆっくりと、立ち上がって、私を、出迎えた。
「エリーゼ嬢」
「殿下」
殿下の長い指が、私の手を、ふっ、と、取った。
そして、向かいの、ソファに、私を、エスコート、してくれた。
暖炉の火が、ぱちぱち、と、優しく、燃えていた。
ハンナと、若いメイドたちが、しずしずと、夕食を、運んできた。
白い陶器の皿に、湯気の立つ、温かいスープ、焼きたてのパン、彩り豊かなお肉料理。
──、王宮レベルの、夕食。
殿下が、ふっ、と、優しく、微笑んだ。
「エリーゼ嬢、お腹が、空いたね」
「は、はい」
「ゆっくり、いただこう」
殿下と、向かい合って、静かに、夕食を、いただく。
会話は、当たり障りのない、薬草のお話、最近の王宮の流行のお話。
──、ーー、けれど、殿下の、空色の瞳が、ずっと、私を、優しく、見つめて、いる。
──、その視線の温度に、私の、食欲、半減。
ようやく、夕食が、終わった頃には、もう、すっかり、夜更けだった。
「エリーゼ嬢、今日は、お疲れさま」
殿下が、ふっ、と、優しく、微笑んだ。
「ゆっくり、お休み」
「は、はい」
私は、ハンナに、優しく、お部屋まで、案内されて、戻った。
◇◇◇
お部屋に、戻って、ほどなく。
殿下が、東棟の角部屋に、また、いらした。
私の身体は、もう、ぐったりと、力が抜けていたまま、
「エリーゼ嬢、ゆっくり、お休み」
「は、はい」
殿下が、私の枕元に、片膝を、ついたまま、私の頬を、ふっ、と、優しく、撫でた。
「エリーゼ嬢、ひとつ、伝えておきたいことが、ある」
「は、はい」
殿下の指が、私のお部屋の、奥の壁の、一枚の、白い扉を、指し示した。
「あの、ドア」
「は、はい」
「あれを、開けると、ぼくの寝室に、繋がっている」
「ーー、!」
──、待って、ということは。
──、つまり、私のお部屋は、殿下のお寝室の、続き部屋?
──、執事長と、ハンナの、あの、意味ありげな、頷き、これだった、と?
──、いえ、「いつもの」、若い女性が、滞在する、お部屋、まさか、まさか。
殿下が、ふっ、と、優しく、微笑んだ。
「いつでも、ぼくの部屋に、来ていいからね」
「ーー、!」
「夜中、ーー、寂しくなったら、ーー、ぼくが、すぐ、君の隣に、行くから」
「ーー、いえ、大丈夫ですわ」
殿下が、ふっ、と、優しく、笑った。
そして、私の額に、もう一度、唇を、押し当てて、奥のドアから、ご自分のお部屋に、戻っていった。
扉が、ぱたん、と、閉まった。
私は、絹のシーツの上で、ぐったりと、天井を、見上げた。
──、つまり、こういうこと。
──、殿下は、いつも、この東棟の角部屋に、女性を、滞在させて、いらっしゃる。
──、続き部屋の、白いドアから、毎夜、ご自分の寝室と、行き来して、いらっしゃる。
──、だから、私にも、馬車の中で、二度も、客間で、もう一度、あんなに、慣れた手つきで、深いキスを、なさった。
──、執事長と、ハンナの、あの、意味ありげな、頷き、これだった、と、確定。
──、殿下、絶世の美貌の、二十歳。
──、二十歳まで、女性経験の、まったく、ない、王族なんて、いるはずも、ない。
──、そういうこと。
──、いえ、いえ、私は、別に、嫉妬、してません。
──、別に、ぜんぜん、ない。
──、ただ、ーー、ただ、殿下には、本当に、愛する方と、結ばれて、ほしいの。
──、私みたいな、悪役令嬢の、訳ありの令嬢、ではなく。
──、清らかな、ご令嬢、と。
──、私は、私で、いつか、平民として、自由に、生きていく。
──、それが、お互いの、幸せ。
──、うん。それで、いい。
──、決めた。
──、いつか、必ず、ここから、出ていく。
──、それが、殿下の幸せのため。
──、私の幸せのため。
こうして、私の、離宮での、軟禁生活が、始まったのだった。




