第28話 結婚式当日と、ようやく打ち明けた前世の秘密
結婚式の朝。
白い絹のシーツの中で、私はゆっくり目を覚ました。
ルークの腕の中。
背中越しに伝わるルークの規則的な寝息。とくん、とくんと、私の呼吸よりほんの少しだけ遅いリズム。
今日。今日、私はルークの公式のお妻になる。十二年前、六歳の私がルークに初めて出会った、あの春から、十二年目の春。あの日、薔薇の茂みの裏で芽生えたルークの想いが、本日ついに公式に叶うのだ。
私の指が、左の薬指の銀の星の指輪を撫でた。
指輪は、朝の光の中で淡い銀色に、ひと瞬きを返してきた。
◇◇◇
「エリー、おはよう」
ルークの低い声が、私の首筋の後ろから落ちてきた。
「おはようございます、ルーク」
ルークの腕が、私のお腹の前で、もう一段ぎゅっと締まった。
「本日、ぼくは君を、公式にぼくのお妻に迎える」
「はい、ルーク」
「ぼくの十二年の、いちばん深いお祈りが本日叶う」
ルークの唇が、私の首筋に軽く押し当てられた。
その温度に、私の身体の芯が温まった。
◇◇◇
宮廷の侍女たちが、私の部屋に準備のために入ってきた。
純白の絹のウェディングドレス。
胸元から足元まで、純白の絹のひと続き。襟元の縁に、リディアお姉様とソフィアお姉様が、指でひと針ひと針入れてくれた、銀の細い糸の五弁の星形の刺繍が走っていた。
裾は、白い大理石の床まで届く長さ。
頭には、白い絹のヴェール。ヴェールの縁にも、銀の星の刺繍。
胸元に、いつもの銀の星の花、銀の羽根、お母様のヴァルトハイム家のペンダント。
そして、聖樹の枝の先から分けていただいた、ひとひらの星の形の花を、髪の上に。
鏡の中の私。
白い絹のウェディングドレス。頭の上の白い絹のヴェール。胸元に、四つの銀の星。髪の上に、聖樹のひとひらの星の花。
これが、私。夢の中の私ではなく、本日の私だ。
ルークが、私の部屋にしずしずと入ってきた。
ルークの結婚式の装束は、純白の絹の燕尾服。胸元に、王太子の徽章と、銀の双頭の鷲のブローチ。
「エリー」
ルークの空色の瞳が、私の姿を、息を止めて見つめた。
「君は、本日、王国でいちばん美しい」
「ルーク」
私の頬が、薔薇色に染まった。
◇◇◇
王都の中央の、いちばん大きな教会。
王国の貴族のすべての方々が、教会の長椅子の上に整然と並んでいた。
教会の奥の、白い大理石の祭壇。祭壇の上に、王家の双頭の鷲の銀の細工。祭壇の前に、白い長いローブの大司教様。
ルークと私は、教会の中央の通路を、ゆっくりしずしずと進んだ。
私のお父様が、お姉様お二人の代わりに、私の腕を取って、一緒に通路を進んでくれていた。
教会の奥の祭壇の手前で、お父様が、私の腕をルークの腕に、しずしずと預けた。
「殿下」
「ヴァルトハイム侯爵」
「私の末の娘、エリーゼを、お預け申し上げます」
お父様の声が、わずかに震えていた。
「お預かり申し上げます、お父様」
ルークが深く頭を下げた。
お父様が、私の頬に手を、ゆっくり置いた。
「エリーゼ、お幸せに」
「お父様、ありがとうございます」
私の喉の奥が、熱く詰まった。
お父様が、ゆっくりと長椅子へ下がった。
◇◇◇
祭壇の前で、ルークと私は向かい合った。
大司教様のお声が、教会のすべての空気の中に響いた。
「ルーカス・アシュフォード新王太子殿下」
「はい」
「エリーゼ・ヴァルトハイム侯爵令嬢を、貴方様の公式のお妻として、永遠に守るお誓いを、お立てになりますか」
「お誓い申し上げます」
ルークの声に、迷いはなかった。
「エリーゼ・ヴァルトハイム侯爵令嬢」
「は、はい」
「ルーカス殿下を、貴女様の公式のお夫として、永遠に守るお誓いを、お立てになりますか」
「お誓い申し上げます」
私の声も、震えながら、けれど最後まで出た。
大司教様が、白い絹の袱紗を取り出した。
袱紗の上に、ふたつの銀の結婚指輪。
ルークが、長い指で銀の結婚指輪を取った。そして、私の左の薬指の銀の星の指輪の脇に、しずしずと通した。
二つの指輪が、私の左の薬指の上で並んだ。
私も、指でもう一輪の銀の結婚指輪を取った。そして、ルークの左の薬指に、しずしずと通した。
ルークの薬指の上で、銀の結婚指輪が淡く瞬いた。
◇◇◇
その瞬間。
私の胸元の、銀の星の花が、淡い銀色に光り始めた。
続いて、銀の羽根。
続いて、お母様のヴァルトハイム家のペンダント。
続いて、左の薬指の銀の星の指輪と、新しい結婚指輪。
そして、髪の上の、聖樹のひとひらの星の花。
すべての銀の星が、いっせいに淡い銀色に光った。
その光が、私の身体のすべての輪郭を、ふんわりと包んだ。
教会の天井の、ステンドグラスの色のついた光が、私の銀色の光と混ざり合った。
教会の中の、貴族のすべての方々が息を止めた。
「聖女様」「五百年ぶりの、ご祝福」「王太子妃殿下に、聖樹のご祝福が」
大司教様も、しばらくお声を止めた。
そして、深々と頭を下げた。
「ご祝福、王太子妃殿下に」
五百年前の聖女様が、本日、私たちの結婚式にご祝福を送ってくださったのだ。
ルークの空色の瞳が、私の銀色の光の中で、深く深く揺らいだ。
「エリー」
「ルーク」
ルークの長い指が、私の頬をゆっくり撫でた。
そして、唇を私の唇に、ゆっくり降ろした。
公式の、結婚の口づけ。
王国の貴族のすべての方々の目の前で。
◇◇◇
結婚式の後、宮廷大広間で、結婚の祝賀の宴が開かれた。
王国の貴族のすべての方々、お父様お母様、お姉様お二人、王太子兄上(エリオット様)、国王陛下、宮廷魔術師長のご老人。
すべての方々が、私たちにお祝いの言葉をかけてくださった。
「妃殿下、ご結婚、おめでとうございます」
「お幸せに、お過ごしください」
「五百年ぶりの、聖樹のご祝福を受けた、お妃様」
私の頬は、もうずっと薔薇色のままだった。
日が、ゆっくり傾き始めた頃。
国王陛下が、私たちにおっしゃった。
「ルーカス、エリーゼ嬢、いえ、エリーゼ、本日からは、ぼくのお呼びかけも変えよう」
「父上」
「お父様」
「本日のすべてのご祝賀は叶った。お休みのお時間に」
国王陛下の目尻に、薄く光るものが滲んでいた。
◇◇◇
宮廷の奥の、王太子夫婦の、新居の部屋。
即位の儀の後、ルークが、私たちの新居として準備してくれていた、白い大理石の、いちばん奥の部屋。
天蓋付きの大きな絹のベッド。白い大理石の暖炉。窓辺に、白い絹のソファ。ガラスの天井から、夕日の淡い橙色の光が、ふんわりと降りていた。
ヴェラとフィンが、扉の外側に控えていた。部屋の内側に、ルークと私のふたりだけ。
私の白い絹のウェディングドレスは、背中のリボンを、ハンナが出発の前に、ふんわりと緩めてくれていた。
ルークが、私のすぐ前まで進んできた。
「エリー」
「はい、ルーク」
「本日、ぼくらは公式に、夫婦になった」
「はい」
「ぼくの、ただひとりのお妻」
「貴方様の、ただひとりのお妻、です」
◇◇◇
私はルークの夜会服の襟元を、ぎゅっと握りしめた。
「ルーク」
「うん」
「私は、貴方様と公式の夫婦になった本日この夜、お打ち明け申し上げたいことが、あります」
ルークの空色の瞳が、深くなった。
「うん。聞こう」
「長いお話、です」
「ぼくも、聞きたい」
ルークが、私の手のひらを取った。そして、白い絹のソファに、私をエスコートしてくれた。
ソファの上で、向かい合って座った。
私は、深く深く息を吸った。
そして、十八年、自分の胸の中だけにしまっていた、いちばん深い秘密を、話し始めた。
◇◇◇
「ルーク、私は、本当の名前は、エリーゼ・ヴァルトハイムでは、ありません」
ルークは、静かに私を見つめた。
「私の、本当の名前は、藤宮 沙耶」
「フジミヤ、サヤ」
「日本という、地球の別の国の、社畜OL、二十八歳でした」
ルークの空色の瞳が、ふと深い色を帯びた。けれど、そこに驚きの色はなかった。
「私は、ある日、深夜まで残業して、ふらふらになりながら、ベッドで女性向け小説を、夢中で読んでいた」
「その小説のタイトルは、『銀の王子と聖女の終わりなき悲恋』」
ルークの肩が、震えた。
「私は、その小説を、最後の頁まで読んで、そのまま、ぱたりと寝落ちしました」
「目が覚めたら、転生していた」
「六歳の、エリーゼ・ヴァルトハイム侯爵令嬢として」
「私が読んでいた、あの小説の悪役令嬢、エリーゼ・ヴァルトハイムとして」
私はそっとルークの反応をうかがった。信じられないという顔をするかもしれない。私の気がおかしくなったと思うかもしれない。
けれどルークの空色の瞳は、ただ深く深く私を見つめていた。
「続けて、エリー」
「はい」
「私は、その日から十二年、自由ライフ計画を、胸の中で組み立てていた」
「悪役令嬢として、原作通りに修道院送りになる、その日まで、地味に生きよう」
「修道院送りの馬車から逃亡して、平民として自由に生きよう」
「アカデミーで、ガリ勉と化して、薬草学を専攻し、エリクサーまで作れるようになった」
「二年前、ノヴァク村に、ハーブティーの店、『森の小さな薬草店』を開いた」
「平民の店主、サラ、として」
「それが、私の本当の人生の、いちばん深い場所だった」
◇◇◇
「そして、あの夜会で、私は見事に、王太子兄上に断罪された」
「修道院送り、完璧な幕開け、だった」
「廊下で、私は『やった』と、こっそりジャンプして、喜んでいた」
「そこに、貴方様が現れた」
ルークの口元が、わずかに緩んだ。
「うん。あの日のことを、ぼくは忘れない」
「『やった、と聞こえたが』、と貴方様がおっしゃった」
「私の、十二年の自由な暮らしの夢は、貴方様のおひと言で、ぱきりと半分に折れた」
「『け↑、結構ですーっ!』、と私は逃げた」
ルークが、笑い出した。
「うん。あの『け↑、結構ですーっ!』は、ぼくも忘れない。声、思いっきり、裏返ってた」
「ルーク、笑い事じゃ、ないですわ」
「うん。ごめんね」
◇◇◇
「ルーク、もうひとつ、お打ち明け申し上げたい」
「うん」
「私が、地球で読んでいた、あの小説の中で、貴方様は、十八歳のお年に亡くなって、いらした」
ルークの空色の瞳が、すっと翳った。
「うん、ぼくが、ぼくの胸の中で感じていた、それと、同じだ」
私は思わず息を呑んだ。
「エリー、本日、ぼくも、君に打ち明けたいことが、ある」
「はい、ルーク」
◇◇◇
ルークが、深く深く息を吸った。
そして、長い指を、自分の膝の上で組み合わせた。
「二年前、ぼくは、何者かに毒を盛られて、危篤になった」
「はい」
「王宮の御用達ポーションも、王国一の魔術師の治癒術も、効かなかった」
「葬儀の準備すら、密かに進められていた」
「はい」
「死のふちを、ぼくは彷徨っていた、その間」
「ぼくは、不思議な夢を見ていた」
「地球の、日本という国で、暮らす夢」
地球の、日本。私の前世の国だ。
「ぼくは、その夢の中で、小説家として暮らしていた」
「ぼくが書いた小説の、タイトルは、『銀の王子と聖女の終わりなき悲恋』」
その名を聞いた瞬間、私の頭の奥が、白く弾けた。
「ぼくは、その夢の中で、その小説を出版した」
「目覚める直前、地球の本屋に、ぼくの書いた、その小説が、ずらりと並んでいるのを、見た」
私の胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
つまり、私が地球でベッドの中で読んでいた、あの小説。あれは、ルークが夢の中で書いたものだったのだ。
◇◇◇
「ルーク、つまり」
「うん」
「私が、地球で最後に読んだ、あの小説の作者は、貴方様だった?」
「うん。たぶん」
「私たち」
「ぼくたちは、地球で作者と、読者だった」
「地球ですれ違って、こちらの世界で会った」
ルークの声が、震えていた。
「ぼくは、地球で、絶望の中で悲恋を書いた」
「私は、地球で過労死した、その意識のいちばん最後の頁で、貴方様の悲恋を、最後まで読みました」
「そして、私たちは、こちらの世界で会った」
「私のエリクサーで、貴方様の命を救った」
◇◇◇
私はルークの胸に、頭を預けた。
ルークの両腕が、私の身体をしずしずと抱き寄せた。
「エリー」
「ルーク」
「ぼくたちは、地球で繋がっていた」
「はい」
「ぼくの書いた悲恋を、本日、ぼくたちは公式の夫婦として、永遠の愛に書き換えた」
ルークの目尻に、ぽろりと涙がこぼれた。
私の胸の奥も、いっぱいに満ちた。
◇◇◇
私たちは、しばらく無言で、互いを抱き寄せ合った。
ルークの心臓の音が、私の頬の骨を通して、脳のいちばん奥に、とくん、とくんと届いていた。
そのリズムが、私が地球で最後に読んだ、あの小説の頁の音と、繋がっていた。
◇◇◇
「エリー」
「はい、ルーク」
「本日この夜、ぼくは君を、公式のお妻として迎える」
「はい」
「地球ですれ違ったぼくたちが、こちらの世界で、公式の夫婦として繋がる、本日この夜」
「はい」
「ぼくの、ただひとりのお妻」
「貴方様の、ただひとりのお妻、です」
ルークの唇が、私の唇に深く降りてきた。
長い、長い、いちばん深い口づけ。
地球での、作者と読者の、すれ違いのすべての重みが、今夜の口づけの中に、溶けて流れ込んでいた。
◇◇◇
ルークが、私の身体を、しずしずと抱き上げた。
そして、白い天蓋付きの絹のベッドに運んだ。
絹のシーツの上に、私をふんわりと下ろした。
ルークの長い指が、私の白い絹のウェディングドレスの背中の、絹のリボンを、ゆっくりほどいた。
リボンが、ひとひら、ふたひら、ほどけていく。
純白の絹のドレスが、私の肩から、絹の波のように滑り降りた。
ルークの唇が、私の鎖骨の窪みに押し当てられた。
「ーーっ」
私の喉の奥から、私も知らない声がこぼれた。
ルークの唇が、首筋から鎖骨、もう一段下へ、ゆっくり辿った。
「ルーク、私の身体、すべて灯ります」
「うん。ぼくも、エリー」
ルークの長い指が、自分の純白の燕尾服のボタンを、ひとつずつ外した。
ルークの素肌の胸の真ん中に、二年前の毒の痕が、薄い銀色の線で、ぽつりと走っていた。
この毒の痕こそ、私が地球でベッドの中で最後に読んだ、あの悲恋の根っこ。本日この夜、私が指で書き換える、その瞬間だった。
私の指が、その薄い銀色の線の上に、しずしずと置かれた。
ルークの心臓の音が、私の指の腹の下で、とくん、とくんと、本日この夜、いちばん速く走っていた。
◇◇◇
「ルーク」
「うん」
「貴方様が、地球で絶望の中で書いた、悲恋」
「うん」
「本日この夜、私たちが、公式の夫婦として、永遠の愛に書き換えます」
「エリー」
「私たちの、いちばん深い場所で」
ルークの唇が、私の唇に、もう一度、深く降りてきた。
絹のシーツの上で、絹と素肌が混ざり合っていった。
ガラスの天井越しの月光が、白い大理石の床の上を、淡い銀色のひと膜に染め変えていった。
その銀色の薄闇の中で、私の身体の芯のいちばん奥に、白い、白い、光がはぜた。
「ルーク、ーー!」
私の声が、ルークの胸の中で、薄く震えた。
そして、私たちの輪郭は、ふんわりとひとつに混ざり合っていった。
◇◇◇
月光が、ガラスの天井越しに、絹のシーツの上に、淡い銀色のひと膜をこぼしていた。
ルークの腕の中で、私の身体は、芯までやわらかくほどけきっていた。
ルークの長い指が、私の左の薬指の、銀の星の指輪と、銀の結婚指輪を、ゆっくり撫でた。
「エリー」
「はい、ルーク」
「ぼくの、ただひとりのお妻」
「貴方様の、ただひとりのお妻、です」
ルークの唇が、私の薬指の上の、ふたつの指輪に押し当てられた。
その温度が、地球での、すれ違いのすべての重みを、ふたつの指輪の上に刻みつけた。
月光の下で、私の胸元の、四つの銀の星と、左の薬指の、ふたつの銀の指輪が、いっせいに、ひと瞬きを返してきた。
五百年前の聖女様。本日この夜、私たちは、地球で繋げなかったご縁を、こちらの世界で公式の、永遠の愛として書いた。ルークが地球で絶望の中で綴った悲恋を、私たちはこちらで、永遠の愛へと書き換えたのだ。
本日この夜、私は、地球の藤宮沙耶として、こちらのエリーゼ・ヴァルトハイムとして、ルーカス・アシュフォードの公式のお妻になった。
私のいちばん奥の温度は、ルークの心臓の音のお布団の下で、地球の頁と、こちらの世界の頁が、ひとつに繋がっていた。




