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婚約破棄でやっと自由になれたはずなのに、 死んでるはずの殿下の妃にされそうです  作者: 葉月晴子


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第12話 黒幕発覚

翌朝。


朝食の皿が下げられるのを待っていたように、ルークがフィンを客間へ呼んだ。


フィンはいつもの黒い覆面のまま、絨毯の上に片膝をつく。


「殿下。お嬢様」


「昨夜、王宮から持ち帰ったもの。聞かせてくれ」


「はい」


顔を上げたフィンの深緑の目。そこに沈んでいる影が、いつもよりひと回り重かった。



「ミラ嬢の後ろに立っていた人物。ようやく突き止めました」


「誰だ」


ほんの一拍、フィンは言葉を呑んだ。


「宰相ゴットフリート閣下にございます」


指からティースプーンが滑り落ちた。


カチャ、という頼りない音が、絨毯に吸い込まれていく。


宰相ゴットフリート。王国の政務を一手に握る最高位の臣。国王陛下が二十年ものあいだ、傍らに置き続けてきた右腕。


──まさかあの方が。



◇◇◇



ルークは驚かなかった。


長い息をひとつ吐いただけ。


「やはり宰相か」


「やはり、とおっしゃいますと」


冷めた紅茶のカップのふちを、ルークの指がそっとなぞる。


「兄上の周りで妙な動き方をする者を、片端から手繰っていった。たどった糸の先がどれもこれも、宰相の執務室で結ばれていた。偶然にしてはできすぎている」


フィンが声をひそめた。


「その宰相ゴットフリート、実のところ隣国が送り込んだ間者でございます」


うなじの産毛が、ふっと逆立つのを感じた。


隣国の間者。よりにもよってこの国のいちばん深い場所に。二十年。


「二十年。それは私が生まれるよりも前」


「左様にございます」


フィンの口調は淡々としていたけれど、語尾にどこか苦いものがにじんでいた。


「若い時分に隣国から差し向けられ、表向きは誰よりも忠実に仕え、陛下の信を勝ち取り、宰相の座まで上りつめた。その一歩一歩が、王家を内側から食い破るための布石だったのです」



◇◇◇



ルークが立ち上がり、窓辺へ歩いた。


硝子の向こう、初夏の薔薇が朝日を浴びて揺れている。穏やかな光景。それに背を向けるようにして、ルークは静かに語り出した。


「まず邪魔なぼくを二年前に、毒で片付ける。あれは数日のうちに命を絶つ、急性の毒だった。本来ならぼくは一週間も保たずに息絶えていたはずだ」


「ーー」


「王家はぼくを失って、一年間喪に服す」


「ーー」


「喪が明けた頃、ミラ嬢が聖女として兄上の側に侍り始める。そうしておいて頃合いを見計らって、ミラ嬢を王太子妃に据え、いずれ二人のあいだに生まれた子を次の王太子に立てる。それで完成だ」


「はい」


胸がきつく締めつけられた。


二十年がかりの絵図。王家の血に隣国の血をそっと忍ばせて、この国を内側から丸ごと傀儡にしてしまう。


「ルーク。けれどどうして貴方を消す必要があったの」


声がわれながら情けないほど震えた。


ルークは自分の手のひらを、しばらく見下ろしていた。


「ぼくが薬草に詳しいからだ」


え、と声が漏れる。


「兄上に盛られていたあの薬。ぼくなら遅かれ早かれ正体に気づく。宰相はそれを何より恐れたに違いない」


横顔を、暖炉の名残の橙がかすかに撫でていく。


「それにぼくは物心ついた頃から、ずっと兄上のそばにいた。兄上のほんのわずかな変わりように、誰よりも早く気づける場所にいたんだ。宰相にしてみればぼくは企みを真っ先に暴きかねない、目障りな駒だった。だからいちばん早い手で、盤上から払おうとした」


──ルーク。


──貴方の賢さも優しさも、そっくりそのまま命を狙われる理由にされてしまったのね。


──もしあの夜、私のエリクサーが間に合っていなかったら。この国は今ごろ。



◇◇◇



「今こうして息をしていられるのは、エリー、君のおかげなんだ」


窓辺でルークがこちらを振り返る。


その空色の瞳にもう影はなかった。代わりにまっすぐな光。


「ぼくが死ななかった。たったそれだけで宰相の計画には、最初のほころびが入った。王位継承の第二位がこうして生きている限り、ミラ嬢の子に王冠を渡す理屈は、ぐっと立てづらくなる」


声がわずかに沈む。


「だからこそあの男は、いずれもう一度ぼくを狙ってくるだろうね」


「ルーク」


膝の上で指が勝手に固く結ばれた。


「でも。それなら私は。私は宰相には何ひとつ関わっていないのに、どうして命まで狙われたの」


ふっとルークが息をゆるめた。


隣に戻ってきて、長い指で私の頬を包む。


「そこなんだよ、エリー。宰相は君を知らない」


「え」


「君のエリクサーでぼくが息を吹き返したこと。あの男はまだこれっぽっちも掴んでいない。宰相が知っているのは、第二王子が奇跡的に生き延びた、その一点だけ。奇跡の種が君だなんて、夢にも思っていないのさ」


頬を辿る指がもう一度、やさしく動いた。


「だから君を狙ったのは宰相じゃない」


「では、いったい誰が」


「ミラ嬢だ」


耳の奥で見えない秒針が、一拍だけ止まった気がした。


「ミラ嬢がご自分の一存で私を」


「宰相の大それた謀ごととはまるきり別のところで。ミラ嬢はミラ嬢の思惑で、君を消そうとしていた」


「どうしてそこまで」



◇◇◇



ルークの瞳がふっと深く沈んだ。


「あの人は王太子妃の座を、何としても確かなものにしたかった。君が王太子の元婚約者として生きて社交界に残っている。それだけでミラ嬢の足元は、いつまでもぐらつくからね」


語尾に苦いものが混じる。


「修道院送りでは足りなかったんだ。君が息をしているというだけで、自分の地位が脅かされる。あの人は本気でそう思い込んでいた」


身体の奥がぞくりと冷えた。


──地位を守る。ただそれだけのために。人ひとりの命を。


指が私の手の甲に、そっと重なった。


「そして何より。ミラ嬢は恐れていたんだ。偽りの聖女覚醒を、よりにもよって君に見抜かれることを」


ああ、と心の奥で声にならない声が落ちた。


地位と嘘。たったその二つを守りたいばかりに、あの人は私を消すと決めた。


恐ろしさよりも先にこみ上げてきたのは、なぜかほんの少しの悲しさだった。一人の女性の底の見えない執着が、ただやるせなかった。



◇◇◇



片膝をついたまま、フィンが控えめに口を開く。


「殿下。宰相の捕縛、いつ決行いたしましょうか」


ルークはゆっくりと首を横に振った。


「まだだ」


「なぜにございますか」


「宰相と隣国を結ぶ糸を、一本残らず手繰り寄せてからでないと意味がない。頭だけ落としたところで、根が生きていればまた芽吹く。そういう毒なんだ、あれは」


声の質が、王族のそれに変わった。


「ぼくは宰相を、この国に巣食った最後の毒として根ごと引き抜く。フィン、宰相とミラ嬢、両方の動きを引き続き洗ってくれ。今は泳がせて、尻尾を全部出させる」


「承知いたしました」


「それとエリーゼの周りの守り。もう一段厚く」


「すでに手は打ってございます」


「助かる」


フィンは深く頭を下げ、足音ひとつ立てずに客間を出ていった。



◇◇◇



残されたのは二人きり。


ふいにルークが私の身体を引き寄せた。胸の中にしっかりと閉じ込めるように。


「エリー。何が来ようとぼくが君を守る」


「ルーク」


「もし王宮の誰かが君に指一本でも触れたら。ぼくはこの国のすべてを敵に回したって構わない」


腕の力がもう一段強くなる。布越しにその熱が、背中へじんわり伝わってきた。


頬を辿った指がそのまま、私の顎を上向かせる。唇が重なった。


いつもより深く。すがるような口づけだった。


──ルーク。本当は不安なのね。


──口ではこんなにも強いことをおっしゃるのに。誰よりも私を失うことを恐れていらっしゃる。


唇がほどけて、ルークの額がこつんと私の額に触れた。


「君はぼくの世界のぜんぶだ」


その低い声に、鼓動が痛いくらい速くなる。


こんなにまっすぐに想われて、知らないふりなんてもうできそうにない。



◇◇◇



窓の外。薔薇の庭の上を、白い雲がのんびりと流れていく。


ルークの腕の中で、私の心は不安と温もりのあいだを行ったり来たりしていた。


宰相ゴットフリート。二十年がかりの王家への毒。


嵐が来る。たぶんこれまでで、いちばん大きいやつが。


──それでも。この腕の中でなら、私はきっと立っていられる。

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