第11話 偽聖女説と毒の真相
王太子殿下の訪問から、三日が経った。
その間、ルークは何度も王宮へ出かけては、夜更けに戻ってきた。
戻るたびにお顔色は、いつもよりひと刷毛、深く沈んでいた。
私は客間の窓辺で本をぱらぱらとめくりながら、ルークの帰りを待っていた。
部屋の隅にフィンの気配。廊下にヴェラの気配。
二人の控えめな影だけが、この静かな離宮で私をそっと守っていた。
◇◇◇
その夜。
ルークが客間に入ってきた。
灰色のローブを羽織ったままの肩に、長旅の疲れが滲んでいた。
「エリー」
「ルーク、お疲れさま」
ルークが暖炉の前のソファに、腰を下ろした。
私はハンナに温かい紅茶をお願いした。
ルークが湯気の立つカップを、ひと口、口に運ぶ。
その横顔を暖炉の火がゆらゆらと、橙色に照らしていた。
「エリー、ぼくが調べたことを聞いてほしい」
私は自分の紅茶のカップを、両手でそっと包んだ。
「はい」
「ミラ嬢の聖女覚醒は、偽物だった」
カップの中の紅茶の水面が、ゆらりと揺れた。
私の息が一瞬、止まった。
ミラ嬢の聖女覚醒。
半年前、宮廷で盛大な儀式が執り行われ、王国中に布告された出来事。
「あの方こそ、二百年ぶりに現れた真の聖女」と、誰もが信じていた。
それが偽物。
「宮廷の魔術師団がひそかに調べていた。半年前から、ミラ嬢の力は不自然だ、と」
ルークの声は低く落ち着いていた。
「真の聖女の力は本人の内側から、自然と湧き出る。けれどミラ嬢の力は、外から人工的に引き出されているように見えた」
ルークの空色の瞳が、暖炉の火から私に向き直った。
「ぼくの密偵がミラ嬢の周辺を探った。そして見つけたんだ」
「何を、ですの」
「隣国から密かに運ばれた特別な薬。ミラ嬢はそれを服用していた」
「ーー」
「その薬には二つの効き目があった。ひとつは聖女の力をまやかしで引き出すこと。もうひとつは、すぐ側にいる者を洗脳すること」
私の身体がぞくりと強張った。
──それがミラ嬢が、ひそかにお盛りになっていた媚薬と洗脳薬。
「ルーク、では王太子殿下は」
「うん」
ルークが静かに頷いた。
「兄上は半年前から、ミラ嬢に操られていた」
◇◇◇
私の胸の中で、いくつもの感情がぶつかり合った。
──王太子殿下、お気の毒すぎる。
──ご自分の意思ではないところで、私を断罪なさった。
──けれどこれはもっと深いところに繋がっている気がする。
ルークが紅茶のカップを、ソーサーに戻した。
陶器の触れ合うかすかな音が、静かな客間に落ちた。
「それからエリー、もう一つ伝えたいことがある」
「はい」
「ぼくの二年前のあの毒も、ミラ嬢の仕業だった」
私の指が紅茶のカップから、ぴくりと離れた。
「ーー、!」
──ミラ嬢がルークに毒を。
──けれど二年前といえば。
「ルーク、二年前はミラ嬢がまだ、王太子殿下のお側に侍る前では」
「うん。けれどミラ嬢は二年前から、すでに宮廷の給仕として潜り込んでいた」
「ーー、!」
「ある日、配膳の隙をついて、ぼくのお茶に致死量の毒を一気に盛ったらしい」
ルークの長い指が、ご自分の手のひらを静かに見つめた。
「二年前のぼくの危篤の本当の犯人は、ミラ嬢だ」
◇◇◇
私の頭の中が真っ白になった。
──二年前、ルークがお亡くなりになるはずだったあの毒。
──私のエリクサーで辛うじて命を繋いだあの毒。
──そのおおもとがミラ嬢。
私の震える唇から、声が漏れた。
「ルーク、なぜミラ嬢がルークを殺そうとしたの」
ルークがゆっくりとお顔を上げた。
「兄上を思いどおりに操るには、邪魔な弟を先に消す必要があったんだ」
「ーー」
「ぼくは王家の第二王子。次期、王太子の後継候補。兄上に何かあれば、ぼくが王位を継ぐ」
「ーー」
「ミラ嬢、いやミラ嬢の後ろにいる何者かは、ぼくを先に消しておきたかったらしい」
◇◇◇
ルークがふっと淡く笑った。
その笑みに二年分の、孤独な戦いの影が滲んでいた。
「だからぼくはあの毒事件の後、表向きは姿を消した」
「ーー、!」
「世間では第二王子ルーカスは、もう人前には出られぬ身。離宮でひっそりと療養していることになっている」
「ーー」
「忘れられた亡霊のような王子。そう見せかけて、ぼくは裏でずっと黒幕を追っていた」
私の胸がきゅっと締めつけられた。
──ルーク、お一人で二年も。
──誰にも知られず、亡霊のふりをして。
ルークの口元に、悪戯っぽい笑みがふっと浮かんだ。
「もっとも療養がまったくの嘘、というわけでもないんだ」
「ーー」
「月に一度、君のエリクサーがないと、ぼくの身体はまだもたない」
──!
私の喉の奥がつまった。
──ルーク、まだお身体が完全ではないの。
──月に一度のエリクサーで、二年も命を繋いでいらしたの。
知らなかった。
私はただ森の片隅の店で、見知らぬ誰かのためにエリクサーを作っていただけ。
それが死んだはずのこの方の、命綱になっていたなんて。
◇◇◇
ルークが紅茶のカップを、テーブルに置いた。
そして私の隣にゆっくりと移ってきた。
ルークの腕が、私の身体をそっと包み込んだ。
「エリー、ぼくの命は半分、君でできている」
「ルーク」
「だからぼくは君を、何があっても手放さない」
ルークの腕にもう一段、力がこもった。
その温度が私の背中から、じんわりと染み込んでくる。
「ミラ嬢もその後ろにいる何者かも、ぼくが必ず引きずり出す」
「ーー」
「そして君に二度と影一つ落とさせない」
ルークの唇が、私の首筋にそっと降りてきた。
「ん、ーー」
「ぼくのそばにいて。ずっと」
その声は命令ではなく、祈りのように低く震えていた。
──肋骨の内側が痛いくらい鳴っている。
──けれどこの腕の中はこんなにも温かくて。
◇◇◇
暖炉の火がぱちりと爆ぜた。
ルークの腕の中で、私の身体はまだ小さく震えていた。
けれどその震えは、もう恐怖だけのものではなかった。
窓の外、夜の闇の奥で、何かが密かに蠢き始めている気がした。
ミラ嬢。その背後の誰か。
これからもっと大きな嵐が、この離宮にも押し寄せてくる。
──けれど私はもう一人じゃない。
ルークの鼓動を背中で聞きながら、私はそっと目を閉じた。




