34.衝突
日がゆっくりと沈み、茜色に染まっていた空はいつしか深い藍色へと姿を変えていた。ぽつり、ぽつりと星が瞬き始め、やがて夜空には淡い月が静かに浮かぶ。
月明かりが人気のない訓練場を白く照らしていた。昼間は歓声で賑わう場所も、今は物音一つなく、張り詰めた静寂だけが辺りを支配している。
その静けさが、かえって胸騒ぎを大きくする。私は大杖を握り締め、一人、訓練場へと足を進めた。
――ティアリスが、ローゼリアに呼び出されている場所。夜風が頬を撫でるたび、不安が胸の奥で膨らんでいく。
どうか、まだ間に合って。祈るような思いで、私は辺りを見回した。
そこに、見慣れた姿が立っていた。月明かりを受けて銀色に輝く髪、緩やかな波打つ髪質が輝いて見えた。
真っ直ぐに前を見据えて立つその姿は、月明かりさえ味方につけたように凛として美しい。不安でいっぱいだったはずなのに、その姿を見つけた瞬間、胸は痛いほど強く高鳴った。
気持ちをしっかりと持って、ティアリスに近づく。だけど、一声が出ない。名を呼べばいいのに、勇気が出ない。
その時、ティアリスはこちらを向いた。
「ルシア!」
パァッと明るく笑うと、無遠慮にこちらに向かって駆け出してきた。久しぶりに目の前にはティアリスがいる。その距離感に自然と鼓動が高まった。
「来てくださったんですね、嬉しいです。しばらく話しも出来なかったので、寂しかったです」
「そ、そう……。いや、今はそれどころじゃない。ローゼリアに呼び出されたって本当? なんで、一人で来たの。そんな話し、受けなければ良かったのに」
目の前で無邪気に笑うティアリスを見るだけで、会えた喜びと少しの黒い感情が渦巻く。
やっぱり、私はティアリスの傍にいないほうがいい。そうじゃないと、傷つけてしまう。やることをやったら、すぐに離れよう。
そう思っていたのに――。
「ローゼリアたちは来ないです」
「――えっ?」
「あの手紙、書いたのは私です。ルシアと会いたくて、嘘を書きました」
穏やかな笑顔でそう言った。衝撃が強くてしばらく何も考えられなかった。それでも、言葉は呑み込めた。
ローゼリアたちは来ない。その事実に安堵感がまず出てきた。ティアリスは標的にされていないということを知っただけで、心が凄く落ち着いた。
だけど、それだけじゃない。ティアリスが嘘を言ったことに、ふつふつとした怒りがこみ上げてきた。
「どうして……そんな嘘を?」
「ルシアに大切な話しがあるんです。だから、聞いてくれますか?」
「聞く義務はないよ。実験は終わったし、もう関係ないよ」
わざと冷たい言葉を吐く。すると、その言葉でチクリと胸が痛んだ。傷つけたくなかったのに、口からは真逆な言葉が出る。
ティアリスの傍にいるのは辛い。言葉を吐き捨てて、その場を去ろうとすると――手を掴まれる。
「……離して」
「離しません。私はルシアに話を聞いてもらいたいんです」
「嫌だよ、聞きたくない。何よ今さら……散々私の事を避けておいて……」
言いたくないのに、口から言葉が零れていく。
「あんなに付きっきりで教えたのに、魔法を覚えたら忙しいからって離れて……。結局、ティアリスは私を道具としか見てなかったんでしょ」
「そ、そんなことありません! それには訳があって!」
「訳があっても、普通は相談するものでしょ。相談したくないほど、私たちの関係はどうでも良いって思ってたんでしょ」
「どうでもよくなんてありません! そんなルシアだって、私のことを突き放しましたよね!?」
「それはっ……ティアリスに近づいて欲しくないからだよ!」
なんで、なんでティアリスは分かってくれないの。こんなに酷い言葉を言っているのに、気づいてくれないの。傍にいて欲しくないのに!
すると、掴まれた手に力を込められた。
「……どうして、近づいて欲しくなかったんですか」
「そ、それは……」
「はっきり言ってください!」
強い瞳が私を射貫く。絶対に逃さないと手に力が籠められる。黙って見つめてくるティアリスの瞳に心が揺れる。
言わない方がいいという私と、言って楽になりなよという私がいる。すぐになんて決められなくて、唇を嚙み締めた。
それを、黙ってティアリスが待つ。待っていてくれる。そのひたむきな思いを前に、とうとう私は口を開いた。
「わ、私が……ティアリスに嫉妬しているからだよ! 魔法を使えて、嬉しそうで、それを見ていると……辛いの! 辛くて、傷つけてしまいそうで……それが嫌なの!」
「傷つけるくらいっ……なんですか! そのくらいなら受け止めます! ルシアの苦しみも辛さも悔しさも、全部ぶつけてください!」
……なんで、そんな簡単にいうの? この醜い感情を受け止めようとするの? 私は、傷つけたくないのにっ!
「ずっと魔法が使いたかったのはルシアの方だって分かってます! だから、その感情になるのも分かります! 嫉妬したっていいんです! 傷つけたっていいんです!」
「いや……嫌だよっ。だって――ティアリスのことが好きだから、傷つけたくない!」
耐えきれずに言ってしまった。こんな時に言うなんて、私は馬鹿だ。こんなこと言われて困るのはティアリスなのに……。
気まずくなって顔を逸らす。ティアリスの反応を見たくない。この場から立ち去りたい。だけど、手を掴まれていて逃げ出せない。
鼓動が速く鳴って緊張してくる。こんなことなら、言わなければ良かった。気持ちを閉じ込めておけばよかった。
そう思っていたのに――。
「――それ、本当ですか?」
突然、ティアリスの声色が変わった。グッと手を握られ、引き寄せられる。顔を上げると、焦がれるような目と合った。
「……嘘じゃない。だから、もう良いでしょ。私の事なんてほっとい――」
突き放そうとすると、手を引かれて抱きしめられた。久しぶりに感じるティアリスの感触に体が震える。
「それを聞いて、ほっとけなくなりました。私を傷つけたって構いません。傍にいてください」
その言葉に心が揺れる。私も傍に居たいって思っていたから。傷つけてもいいなんて言葉を言われると、甘えたくなる。そんなの、健全じゃないのに。
「どうして、そんな事をいうの? 傷つけると、ティアリスも私も辛くなるだけだよ」
「私は辛くありません。だって、私もルシアの事が好きだからです」
「えっ?」
今……ティアリスも私のことが好きって言った? いや、でも……そんなこと……。
「好きだから、全部受け止めたいです。ルシアの辛い気持ちを受け止めて、一緒に傍にいたいです。今度は私がルシアを支えます」
その言葉が冷えた心に温かな気持ちを運んでくれた。




