32.離れていてもあなたを感じていた(ティアリス視点)
本棚から目的の本を抜き取ると、それを抱えて席に着く。深く息を吸い、ゆっくりと表紙を開いた。まずは内容の精査から。
目次に視線を走らせ、どんな順序で魔力譲渡について書かれているのかを確認する。基礎理論、魔力の流れ、術式の構築、実践時の注意点。全体の流れを頭に入れてから、最初のページへと戻った。
一行ずつ、丁寧に読み進める。焦ってはいけない。読み飛ばした一文が、後の大きな見落としに繋がるかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、文字を追っていく。けれど、古代魔法に関する記述はやはり難解だった。
専門用語が幾重にも重なり、術式の理論は複雑に絡み合っている。一つ理解したと思えば、次の段落ではその前提となる知識が当然のように書かれていて、何度もページを行き来することになった。
「うぅ……難しい」
思わず小さく漏らす。ルシアは、こんな本を何冊も読み込んでいたんだ。そう思った瞬間、不意にあの日のことが脳裏に浮かんだ。
『ティアリス、この文章はね――』
難しい昔の言葉を指先でなぞりながら、ルシアは嬉しそうに説明してくれた。複雑だった理論を、一つひとつ噛み砕いて。どうしてそうなるのかを順番に教えてくれて。
気づけば、「難しい」と思っていた内容が、驚くほどすんなり頭に入っていた。
「……凄いな、ルシア」
あの頃は、それが当たり前だと思っていた。でも違った。
あれはルシアが、私にも理解できるように言葉を選び、順番を考え、何度も立ち止まりながら教えてくれていたからなんだ。
私が置いていかれないように。私が一緒に歩いていけるように。そんな優しさが、あの何気ない勉強の時間には詰まっていた。
「ありがとう、ルシア」
ぽつりと呟く。隣にルシアはいない。それでも、本を開けば思い出が蘇る。
あの日交わした言葉も、笑顔も、優しく教えてくれた声も、私の中にはちゃんと残っていた。それだけで、不思議と勇気が湧いてくる。
「……よし」
ページをめくる。ルシアが積み重ねてきた研究を追いかけるように、私は再び古代魔法の世界へと没頭していった。
◇
夜になると、自室で杖を握ってベッドの脇に腰かける。
「えっと、魔力に親和性を持たせるために杖に魔力を収束。そこで魔力変異を起こして……」
頭の中で読んだ本の内容を復唱する。間違えないように、しっかりと術式も頭の中で思い描く。
そうして、本の通りに杖の魔力を収束させて、術式を込める。上手くいきそうだって思ったのに、魔力が弾かれてしまった。
「あー……上手くいかなかった。この感触は……多分、術式を間違えて思い浮かべていたからかな」
以前の私ならどうして術式の書き込みが上手くいかないのか分からなかった。だけど、何度も失敗したお陰でその原因が見えるようになった。
それもこれも、ルシアが付きっきりで教えてくれたから。
『こういう場合はね――』
『今のは惜しかったね。でも、次は上手くいくかもしれないよ』
『途中まで良かったよ! この調子で続けていこう』
脳裏をよぎるのは、一緒に魔法の練習をしてくれた時間。
失敗して落ち込めば、「大丈夫」と笑って励ましてくれた。ほんの少しでも前に進めば、自分のことのように嬉しそうに喜んでくれた。
私が魔法を使えるようになることを、誰よりも信じてくれていた。
「……ルシア」
名前を呼ぶだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。今すぐ会いたい。あの優しい声を聞きたい。
「よく頑張ったね」って笑いかけてほしい。頭を撫でてもらいたい。その温もりを、もう一度感じたい。
そう思えば思うほど、胸の奥が締めつけられる。手を伸ばしても、その先にルシアはいない。あの日から、どれだけ時間が経っても、その事実だけは変わらなかった。
「っ……」
杖を握る手に、自然と力が入る。
泣きたい。会いたい。抱きしめてほしい。そんな弱音ばかりが心に浮かぶ。
でも――私はゆっくりと目を閉じ、一度だけ深呼吸をした。
「……今は、駄目」
このまま立ち止まっていたら、本当にルシアと離れたままになってしまう。それだけは嫌だった。
もう一度、隣で笑いたい。もう一度、一緒に魔法を語り合いたい。そのために、私はここにいる。
杖を握り直し、もう一度術式を頭の中へ描いていく。さっき失敗した箇所を思い返しながら、一つひとつ修正する。
焦らなくていい。ルシアが教えてくれたように、失敗を一つずつ積み重ねていけばいい。
「絶対に習得する。そして、もう一度ルシアの隣に立つんだ」
その想いを胸に、私は再び魔力を杖へと収束させ始めた。




