29.今、それに気づきたくなかった
一人で廊下を歩く。賑やかだった教室とは違い、とても静かで寂しい時間。一人になると、余計に考えてしまう。ティアリスに嫉妬している自分の事。
あんなに楽しく、充実した日々を過ごしたはずなのに……。ずっと傍に居たいと思ったはずなのに……。
羨ましい、という気持ちに気づいたら、その日々が別の感情で塗りたくられた。それは湿っていて、重くて、暗い感情。
頭の中では何度も否定する、ティアリスは悪くない。悪いのは、勝手に比べてしまう私だ。それなのに、心は少しも言うことを聞いてくれない。
ティアリスが褒められるたび、胸が締めつけられる。ティアリスが期待されるたび、「その場所は私だったかもしれない」と考えてしまう。
そんなこと、思いたくないのに。一緒に研究して、一緒に成功して、一緒に喜べた。それだけで十分幸せだったはずなのに。
ティアリスはそのままなのに変わってしまったのは、私だ。ティアリスを思うたびに、自分に足りないものばかり目についてしまう。
膨大な魔力を持っていること。古代魔法を使えること。
私は、そのどれも持っていない。何年も研究を続けてきたのは私なのに。誰よりも古代魔法を知っているはずなのに。誰よりも魔法を愛しているはずなのに。
それでも、私は使えない。どれだけ努力しても届かないものを、ティアリスは持っている。
胸の奥から湧き上がる黒い感情は何度押し込めても、何度でも溢れてくる。
どうして私にはないの。どうしてティアリスにはあるの。どうして私は使えないの。そんな醜い言葉が、心の中を埋め尽くしていく。
「……どうして」
自分で自分が嫌になる。今の私は、その輝きを眩しいと思うより先に、自分の影の濃さばかり見てしまう。
ティアリスが前へ進めば進むほど、自分だけが取り残されていく気がした。その焦りは、やがて劣等感へと変わり、劣等感は嫉妬へと姿を変えて、私の心をゆっくりと蝕んで――。
「――本当にダサいよな。ルシアって」
その時、そんな声が聞こえて、立ち止まった。廊下の丁度角、その曲がった先にいる人が吐いた言葉だ。
「ずっと研究していたのに、自分じゃあ使えないのってさ、本当に可哀そうだよな」
「魔法が使えないって同情していた王女に使われたんだぜ? 普通なら、気が狂っても可笑しくないわ」
「いやー、今どんな気持ちなんだろうな。自分が使いたかったはずなのによ」
……嫌だ、聞きたくない。それなのに、足が動かない。
「しかも、今。ティアリスに避けられているんだろ? 古代魔法を覚えたから用済みで捨てられたんじゃね?」
「うわー、非情な王女! 力を持つとここまで人が変わるのか、こえーっ!」
「だったら、今ルシアに近づくことが出来るんじゃね? 古代魔法を教えてもらってさ、第二の古代魔法使いになるっていうのは?」
「古代魔法なんてダセーよ。やっぱり、現代魔法だろう。現代魔法の論文で叙爵されたんだから、その知識は役に立つぞ」
「やっぱり、今ルシアに集まっている子たちってそれを狙っているよな? くそ、乗り遅れたか」
「古代魔法を復活させられる知識だもんな……。いっそ、魔法なんて諦めて知識だけ高めてくれたらいいのにな」
笑い声が遠ざかっていく。他人の声なんて気にしないようにしてきたのに、その言葉は今の私に深く刺さった。
その言葉は、胸の奥に隠していた感情を、そのまま誰かに読み上げられたようだった。私が必死に押し殺していた嫉妬も、劣等感も、周りから見ればこんな風に映っていたのだと突きつけられる。
そんな自分が情けなくて、惨めで、どうしようもなく恥ずかしかった。胸の奥をかきむしりたい衝動にかられるほど、苦しい。
そして、その苦しさがティアリスへの劣等感を刺激した。どうして、ティアリスだけが古代魔法を使えるようになった? どうして、私じゃなかった?
何度も繰り返されたその言葉がナイフのように胸に突き刺さる。そして、次々と沸き起こる黒い感情に心が飲み込まれていき、ティアリスに向いていく。
嫌だ。こんな感情、ティアリスに向けたくない。ティアリスは私を見下してなんていないし、純粋に古代魔法を学んでくれた。私を信じて、一緒にいてくれた。
ティアリスは悪くないのに、心のどこかで悪者にしようとしている。なんで、そんな気持ちになるの? 全然、そんなこと思ってないのに。
それでも執拗に心を抉るような言葉が浮かんでくる。
もし、ティアリスが古代魔法を使えなくなれば。もし、魔力を失えば。もし、あの日に戻れたなら。
そんな最低な考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
「っ……!」
私は思わず頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。
「違う……違うっ!」
そんなこと、望むはずがない。
ティアリスが努力してきたことを、私は誰より知っている。古代魔法を使えるようになるまで、何度も失敗して、それでも笑って立ち上がってきた姿を、ずっと隣で見てきた。
その努力を踏みにじるようなことを、私が願うはずがない。けれど、一度生まれた黒い感情は消えてくれない。
笑い合った日々が浮かぶ。一緒に本を読んだこと。古代魔法の考察で夜遅くまで語り合ったこと。初めて魔法が発動した時、二人で飛び跳ねて喜んだこと。
どれも私にとって、大切な思い出だった。その思い出をなぞるたび、胸の奥から黒い感情が溢れてくる。
――どうして、その場所にいるのは私じゃないの。
――どうして、私だけが置いていかれるの。
そんな醜い叫びが溢れる一方で、それとは違う想いも、確かに胸の奥から込み上げてきた。
ティアリスには笑っていてほしい。自信を持って欲しい。幸せでいてほしい。
その願いだけは黒い感情に飲まれても、決して消えなかった。
ティアリスだけを大切に思い、慈しみ、どこまでも見守りたい気持ち。そして、その隣で笑っている自分の姿を思い描く。
「……あ」
その瞬間、胸の奥で何かが繋がる。今までの感情の謎が解けるような感覚、これは――私はティアリスが好きなんだ。
だから、隣にいたかった。だから、誰よりも認めてほしかった。だから、置いていかれることが、こんなにも苦しかった。
そして何より――好きだからこそ、この醜い感情をティアリスへ向けたくなかった。
傷つけたくない。曇らせたくない。こんな自分を見せたくない。
だったら、離れるしかないじゃない。




