21.二人の暮らし
「だからね、ここは――」
術式の解読を説明していた、その時だった。隣で話を聞いていたティアリスが、小さく口元を隠してあくびを漏らす。
「あっ……すみません」
眠たそうに目をこする仕草が、なんだか子どものように可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
「ふふっ、いいよ。もうすぐ十二時だしね。今日はこのくらいにして寝ようか」
「もう、そんな時間だったんですね」
「うん。でも、初日にしてはかなり進んだと思うよ」
「はい。ルシアが考えてくださった新しい解釈、とても分かりやすくて……今日はたくさん理解できました」
あれほど苦戦していた術式が、少しずつティアリスの中で形になっていく。その言葉が嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「よかった」
それだけ呟いて、机の上のランプをそっと吹き消す。部屋を包むのは、窓から差し込む淡い月明かりだけ。
私はゆっくりとベッドへ近づき、少し照れながら口を開いた。
「じゃ、じゃあ……入ろっか」
「は、はい……」
二人ともどこかぎこちない動きで布団の中へ潜り込む。ベッドは二人で眠るには少しだけ狭く、横になると自然と肩の距離が近くなった。
ふと視線を向けると、すぐ目の前にティアリスの顔がある。月明かりに照らされた横顔が驚くほど綺麗で、思わず息を呑んでしまう。
「……狭くない?」
「だ、大丈夫です。でも、その……」
ティアリスは少しだけ身を縮めながら、おずおずと尋ねる。
「もう少しだけ……寄っても、いいですか?」
「あっ、う、うん。端だと落ちちゃいそうだし……こっち、おいで」
「……はい」
ティアリスがそっと身体を寄せてくる。その瞬間、ふわりと石鹸の優しい香りが漂った。
私と同じ石鹸を使っているはずなのに、不思議とティアリスから香るそれは少しだけ特別に感じる。
近い。ただそれだけなのに、鼓動が落ち着いてくれない。
「……苦しくない?」
「はい」
小さく頷いたティアリスは、少しだけ安心したように表情を和らげた。
「ルシアの隣……すごく落ち着きます」
その一言に、私の胸はまた大きく高鳴る。
「そう、なんだ」
「はい。今日はいろいろありましたけど……こうしてルシアの隣にいられると、不思議と安心できるんです」
柔らかな笑顔を向けられて、照れ隠しに視線を逸らす。
こんなにも近くにいるのに、触れ合っているわけじゃない。それなのに、どうしてこんなにも胸がいっぱいになるんだろう。
「……おやすみ、ティアリス」
「おやすみなさい、ルシア」
二人で同じ布団にくるまりながら交わした、たった一言の「おやすみ」。その何気ない挨拶が、今日という一日を優しく締めくくってくれる気がした。
◇
それから、私の生活にはティアリスがいた。そして、知らないティアリスの一面が見えてきた。
「ティアリス、起きて! 私は朝の訓練を終わらせたよ!」
「う、うーん……ルシア……朝から元気……」
「ほら、寝ぼけてないで起きて!」
例えば、朝が弱いとか。私が起こそうとすると、布団に潜って丸まってしまう。布団を剥がそうとすると、凄い力で抵抗してくる。子供か!
それでも、何とか起こしてみると――髪の毛がボサボサになっていたり。
「ぷっ……ティアリスの頭、めちゃくちゃ変だよ」
「わぁっ!? こ、こんなところルシアに見られたくありません!」
普段清楚な姿からは想像出来ない、やんちゃな髪型がそこにはあった。仕方なく髪の毛を整えてあげる。
その指通りの良い髪の毛を梳かすと、それだけで気持ちが高揚した。……朝から変な気分になってしまった。
そして、朝食を食べている時は――。
「あっ、美味しいです」
「口に合ってよかったよ。じゃあ、もっと食べさせてあげる。あーん」
「ちょっ……ルシア!」
隣にいるのが楽しくて、ついからかってしまう。ティアリスは恥ずかしそうに頬を赤く染めたけれど、遠慮がちに食べてくれた。
その様子がリスのように可愛くて、知らず知らずに胸が高鳴った。そしたら、手が止まらなくなって――。
「もう! ルシアは私を何だと思っているんですか!」
朝からティアリスに説教を食らってしまった。何事もやりすぎは良くないね。
それから、学園に通う馬車の中で術式の勉強をする。学園についてからも、休み時間があればずっと術式の勉強をしていた。
そうして、学園の授業から解放されると、真っ先に私の屋敷へと帰ってくる。そして、それから夕食までみっちりと術式の勉強。
夕食の時も術式の話をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「ルシアお嬢様。お話は結構ですが、はやく入浴をお済ませください」
メイドに注意されるほど、私たちは話し込んでいた。でも、まだまだ話したりない。――そうだ!
「ねぇ! 一緒に入浴すれば、術式の勉強が出来るよ!」
「な、何を言っているんですか! こ、心の準備が出来ていませんしっ……ル、ルシアだって恥ずかしいですよね!?」
「えっ、あっ……」
何気なく言った言葉の現実を見せられて、なんだか急に恥ずかしくなった。今、私……なんて言った?
自分の言葉が頭の中で反響すると、急にカーッと顔が熱くなるくらいに恥ずかしくなった。いや、私…なんてことを言ったんだ!
◇
「――こういうことですよね?」
「そうそう! 完璧。ティアリス、ちゃんと理解できてるよ」
そう告げた瞬間だった。
「や、やりましたっ!」
ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべたティアリスが、嬉しさを抑えきれず私へ飛び込んでくる。
「わっ……!」
ふわりと身体が包み込まれた。柔らかな温もりと、ほのかに香る甘い匂い。胸元に伝わる鼓動に、頭の中が一瞬真っ白になる。
「ありがとうございます……っ。ルシアがずっと親身になって教えてくださったお陰です。本当に、本当にありがとうございます」
震える声には、何日も悩み、考え続けてきた時間が詰まっていた。だからこそ、その喜びは私にも伝わってくる。
「う、うん……でも、それはティアリスが頑張ったからだよ。私は少し手伝っただけで……」
そう答えるのが精一杯だった。近すぎる距離に心臓が忙しなく跳ねる。
抱きしめられている腕の温もりも、肩に触れる髪も、全部が妙に意識されてしまう。本当なら、術式を理解してくれたことを素直に喜ぶべきなのに。
それ以上に、初めて自分から抱きついてきてくれたティアリスの存在を、どうしても強く意識してしまっていた。
ティアリスを家に招いて進んだものは古代魔法と――。




