18.上手くいかない
いつも通り中庭に行き、椅子に腰かける。ちらりとティアリスを見ると、少し緊張しているようだ。
古代魔法の構築に入ってから、進みが停滞してしまった。難しい術式を覚えるのは大変で、並みの努力では到底身に付かない。
ティアリスは並みの努力以上をしているけれど、それでも理解するのに時間がかかっている。そこに焦りも感じているだろう。きっと、ティアリスの内心は複雑に絡み合っているかもしれない。
だから、少しでも緊張を解すために穏やかに接する。
「今日はティアリスのために、術式の新しい解釈を考えてきたんだよ。これを読めば、もっと簡単に覚えられると思う」
「えっ……そこまでしてくださるんですか?」
「そりゃあ、ね。昔の文献そのままを教えるのは、流石になかったかなって思って。それだと、ティアリスは理解出来ないし、構築を理解出来ないと思ったんだ」
私でも術式の文献を読み取るのに一か月はかかった。それをそのまま素人に教えるのが無理な話だったわけだ。
必要だったのは、そのまま教えるんじゃなくて、分かりやすい言葉選びだと思った。これで、ティアリスも喜ぶはず。
そう思って見た、ティアリスの顔は――曇っていた。
「……すいません。私の理解が足りなかったばかりに」
「えっ? いやいや、なんでティアリスが落ち込むの? 全然ティアリスのせいじゃないし、気にしなくてもいいんだよ」
「……でも、今の私だと理解するのは無理って思ったんですよね? だから、新しい解釈を考えたんですよね?」
「ど、どうしてそんなことをいうの!?」
自傷気味の言葉に堪らず椅子から立ち上がった。
「私はそんな風に思ってないよ! ただ、そのほうが理解も早くて、ティアリスが楽かなって思ってっ……!」
「そ、そんなことしなくても……今まで通りで大丈夫です。私……ルシアの期待に応えたいんですっ」
「期待に応えたいって……。今、重要なのはそういうことじゃなくて……」
「……ルシアには重要じゃないと思いますが、私には重要なんです。これ以上、ルシアに面倒はかけられません」
俯いたティアリスがギュッと手を握りしめる。頑なな姿勢を前にして、私は戸惑った。
術式を理解出来る方が重要なんじゃないの? 期待に応えるのは後からでもいいんじゃないの?
そう思えば思うほど、気持ちがすれ違っていく気がした。ズキリ、と胸が痛む。今まで上手くやっていたのに、どうしてこんなにかみ合わなくなっちゃったんだろう。
やっぱり、私の教え方のせい? 自分よがりに教えようとしていたから? 最初からもっと柔軟に教えられていたら、ティアリスも追い詰められなかった?
色んな想像が浮かんでは消えていく。焦燥感だけが溢れてきて、感情のままに叫びだしたい気分だ。だけど、それは出来ない。
グッと堪えると、私はゆっくりと椅子に座った。
「……分かった。じゃあ、今まで通りに教えるね」
「……お願いします」
ティアリスの気持ちを優先しよう。きっと、それが正解だ。
◇
それから、文献の術式を理解する勉強が進められた。私は出来るだけ噛み砕いて説明し、それをティアリスが呑み込んでいく。
だけど、進み方は昨日と平衡を辿る。一つの事につまずくと、ずっと進まない時間だけが過ぎていく。
新しい解釈の方が、ティアリスも分かりやすいと思う。だって、ティアリスのために考えたんだから、ティアリスのために使いたい。
でも、それだとティアリスは嫌な思いをする。期待に応えられないからという理由で……。
もやもやとした気持ちが胸に溜まる。だから、つい――言ってしまう。
「――って、ことですか?」
「違う、違う。そこは、そうだなぁ……昨夜に考えた新しい解釈で説明すると――」
「っ! 新しい解釈は必要ありませんっ!」
新しい解釈で説明しようとすると、ティアリスが声を張り上げた。それにビックリして顔を見てみると、とても気まずそうに視線を逸らす。
「……新しい解釈は、ルシアの力を借りているようで……嫌なんです。私の力で……読み解きたくて……」
「……その気持ち、分からないよ。理解しやすいほうがいいと思う。難しいことを難しいまま理解する必要はないよ。ティアリスに合ったやり方があるんだ。だから、そっちの方が――」
なんとか説得しようとした時――ティアリスの目からポロリと涙が零れた。
「えっ……ティアリス?」
どうして、泣いたの? その涙にはどんな理由があるの? ……私、酷い事言った?
色んな言葉が頭の中に浮かんできては消えていく。強烈な不安に襲われ、胸がキュッと締まった。
「私……私はルシアの期待に応えられませんか? 私は……ダメな子ですか? 私は……ルシアの隣にいられませんか?」
「な、何を言って……。ティアリスは期待に応えられるように努力しているじゃない。ダメな子じゃないし、隣にいて欲しいと思っているよ」
「でも、このままの私じゃ……ルシアの隣にいられませんっ。ルシアと同じように理解出来ないならっ……!」
「同じようになんて出来ないよ! ティアリスは私じゃないんだから!」
ティアリスの言葉にカーッとなって声を上げてしまった。自分……今、なんて言った? 結構、酷い事……言わなかった?
「ティアリスは私じゃないんだから」――その言葉が耳の奥で何度も反響する。
言った瞬間は、違う、そういう意味じゃない、と思った。ティアリスを否定したかったわけじゃない。比べなくていいと言いたかっただけだ。ティアリスにはティアリスのやり方があるって、伝えたかっただけなのに。
なのに、口から飛び出したのは、まるで線を引くような言葉だった。あなたは私とは違う。だから出来なくても仕方ない。そんな風に聞こえてしまう言葉。
ティアリスの肩がびくりと震えた。その小さな反応だけで、胸の奥が冷たくなる。
ああ、傷つけた。はっきり分かってしまった。それを考えるだけで、胸が張り裂けそうだ。
ティアリスは唇を震わせながら、小さく首を横に振った。
「……ごめんなさい。私、ルシアに迷惑ばかりかけて……」
「迷惑だなんて、そんな……。全然迷惑なんかじゃないのに……」
否定した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。……どうして伝わらないのだろう。
私は一度だって、ティアリスを迷惑だと思ったことなんてない。苦労だと思ったこともない。ただ、笑ってほしかった。苦しんでほしくなかった。それだけだったのに。
ティアリスは潤んだ瞳を伏せると、か細い声で言った。
「……すみません。少し、頭を冷やしてきます」
そう言って静かに立ち上がる。引き止めなきゃ。そう思ったのに、喉の奥で言葉が固まってしまう。
何を言えばいいのか分からない。下手な言葉を重ねれば、もっと傷つけてしまう気がして、足も声も動かなかった。
ティアリスはそのまま踵を返し、中庭を後にする。ゆっくりと遠ざかっていく背中は小さく、それでいて、どうしようもなく遠かった。
まるで、私から離れていってしまうみたいで。胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
やがて姿が見えなくなっても、私は立ち尽くしたまま、その方向から目を離せなかった。
「……はぁ」
長いため息が零れる。力が抜けるように椅子へ座り込むと、膝の上で両手を強く握りしめた。
「私……何を言ってるんだろう……」
震える声が、自分でも情けない。ティアリスのために何かしてあげたかった。
苦しんでいるなら支えたかった。少しでも楽にしてあげたかった。ただ、それだけだった。
なのに、その想いは一つも届かず、残ったのはティアリスの涙だけ。
優しくしたかったはずなのに。寄り添いたかったはずなのに。私は、大切な人を傷つけることしかできなかった。
その事実が、胸の奥に重く沈み続けていた。




