17.独りの夜(ルシア視点)(ティアリス視点)
暗がりの部屋にランプの明かりが灯る。その柔らかな光に照らされ、本にびっしりと書き込まれた術式を、私は指先でゆっくりとなぞった。
「えっと……この魔力変異の術式を、もっと現代魔法っぽく……分かりやすく説明すると……。うーん、どんな言葉なら伝わるかな……」
何度も読み解いてきた術式を、今度は説明するために一つひとつ分解していく。
ティアリスにも理解できるように、順序立てて。専門用語をできるだけ使わず、一つずつ噛み砕きながら。
「ここは『属性を定義する』じゃなくて、『魔力に性質を与える』の方が分かりやすいかな……。でも、それだと意味が少し変わっちゃうし……」
ペンを走らせては止め、また書き直す。自分にとって当たり前になっている知識を、知らない人にも伝わる言葉へ置き換える。
それは、新しい術式を考えるのとは違う難しさだった。
私はティアリスじゃない。だから、どこでつまずき、何が分からないのかを、本当の意味では理解できない。だからこそ、分かるまで考え続けるしかない。
「……これで分かるかな。……まだ、難しい?」
ぽつりと漏らした言葉には不安が固まっていた。もし、これで分からないと言われたらどうしよう。……諦められたらどうしよう。
もし、ティアリスにそう言われたら――そう思うと、心臓がギュッと鷲掴みされたように痛い。呼吸が苦しい。
脳裏に過るのは、辛く悲しい顔をしたティアリス。理解出来ない自分のせいだと責めて、期待を裏切るかもしれないという恐怖に心を痛めている。
そんな風に思って欲しくなかった。自分のせいだとか、期待を裏切るとか……そんなこと全然思ってないのに。
……でも、その気持ちは分かる。私もそうだったから。自分のせいにして、期待を裏切って――お母様とお兄様に見放された。
それでもお父様だけは、私の味方でいてくれた。だから、私は前に進めた。諦めずにいられた。
だけど、ティアリスにはそんな人がいなかった。私がそんな人になれたら。そう思っていたけれど、現実は厳しい。
ただ、傍にいるだけでは駄目で、厳しく教えようとしても駄目で、導こうとしても一緒に歩めなくて。
同じ方向を見ているのに、同じ方向には進まない。気持ちはちゃんと重なっていたのに、どうして――。
「もっと、ティアリスの力になりたいのに……」
そして、笑顔が見たい。屈託のない笑顔で「できました」と笑うティアリスを思い浮かべるだけで、自然と頬が緩む。胸が弾む。
それだけのために頑張ってもいいと思えるくらいには、見たいと思っている。
そう……苦しい顔を見たいんじゃない、笑った顔がみたいんだ。その為なら、どんなことでも出来る。どんなことでもしてみせる。
「……よし。もう一度、始めから考え直そう」
もう一度、本に目を向け、術式を読み解いていく。ティアリスが笑ってくれる瞬間を夢見て。
◇
明るいランプの下で紙に書かれた文字を指で追う。口で復唱して、文字を頭に叩き込む。その文字を頭の中で咀嚼して――。
「いや、違う。こうじゃない。魔力変異は大切だから、もっと複雑な考え方で……」
何度も何度も考えて、正解を導き出す。だけど、納得した正解が引き出せずに頭が痛くなる。
その度にルシアの正解の言葉を思い出して、自分の中で咀嚼する。だけど、その正解までの道筋が複雑すぎて理解出来ない。
「そこが大事なのに……。そこを理解しないと、古代魔法を使えないのに……」
考え続ける頭は疲弊して、上手く働かない。それでも、正解への道筋を理解したくて、痛む頭でさらに考える。
ルシアの期待に応えたい。今度こそ、見放されないように、しがみついてでもついて行きたい。それだけ、古代魔法は私にとって最後の希望。
……希望? その言葉には違和感があった。本当はそう思っていないような違和感。分かっている、これは建前なんだ、と。
本音は――。
「出来ない子って捨てられたくない。期待に応えられなくて、嫌われたくないっ……」
今までさんざん見捨てられてきた。期待に応えられずに嫌われてきた。それと同じことになるのが、嫌だった。ルシアにそう思われることだけは、絶対に嫌だった。
それに慣れっこだったのに、ルシアが現れてから世界が一変した。自分に向けられる感情がこんなに心地いいと思ったのは初めてだった。
傍にいてくれて、話しかけてくれて。笑いかけてくれて、一緒に悩んでくれて。一緒の夢を追って歩いてくれて。
それが、凄く嬉しかった。もう、手放したくなかった。ルシアの隣にずっといたいと思った。
そのためには、古代魔法を理解しなければいけない。そうじゃないと、ルシアの隣にはいられない。
そう思えば思うほど、気持ちが焦っていく。絶対に嫌なのに、現実は思い通りにはいかなかった。泣きそうになる気持ちをグッと押しとどめる。
「……大丈夫、まだ大丈夫。だから、泣かないで。前を向いて。私だって、私だって出来るんだってことを示すんだ」
諦めたくない。これだけは諦めたくなかった。私を見てくれた唯一の人を裏切るなんて、そんなことは絶対にさせない。
「……ちゃんと理解しなくっちゃ。何度も、何度も頭にいれなくちゃ」
こみ上げてくる気持ちを落ち着かせ、再び紙に目を落とす。ルシアの期待に応えられるように、自分の出来ることを精一杯にする。




