12.(ティアリス視点)
「じゃあ、ティアリス。また明日」
王城の門の前で、ルシアはいつものように明るく笑った。その一言だけで、胸がきゅっと締めつけられる。
明日も会える。その約束が嬉しいはずなのに、同時に、ここで別れなければならないという寂しさが胸いっぱいに広がっていく。
今日という一日が、本当に楽しかったから。町を歩いて、他愛もない話をして、一緒に笑って、美味しいものを食べて、お揃いのリボンを選んで――。
全てが特別だった。ルシアと過ごした時間は、一つひとつが宝物のように心へ刻まれていた。
こんなにも満たされた気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
ずっと隣で笑っていたい。もう少しだけ、一緒に歩いていたい。このまま時間が止まってくれたらいいのに。
そんな我儘が、胸の奥から次々と溢れてくる。だけど、困らせたくはない。ルシアは明日も笑顔で会いに来てくれる。
だから私は、この気持ちを胸の奥へそっとしまい込む。小さく息を吸って、精一杯の笑顔を浮かべた。
「はい。また明日、お会いしましょう」
そう返すと、ルシアは嬉しそうに手を振り、軽い足取りで家へ帰っていく。その後ろ姿が人混みの中へ消えていくまで、私はその場から動くことができなかった。
姿が見えなくなっても、しばらく視線はその先へ向けられたまま。胸の中には、ぽっかりと穴が空いたような寂しさと、それでも確かに残っている温かな幸福感が入り混じっていた。
◇
王城は、私にとって冷たい場所だ。町の賑わいとはまるで違う。
高い天井に足音だけが静かに響き渡り、豪華な絨毯や装飾が並ぶ廊下には、人の温もりが感じられない。廊下ですれ違う使用人たちは、私の姿を見つけると丁寧に一礼をする。
けれど、それだけだった。「お帰りなさいませ」と声を掛けられることもなければ、「今日はどうでしたか」と尋ねられることもない。
まるで、決められた作法をこなしているだけ。役人たちは書類を抱えたまま私の横を通り過ぎ、視線すら向けない。その様子に、もう何も感じなくなったのは、いつからだっただろう。
家族と顔を合わせることもない。広い王城に住んでいるはずなのに、まるで私だけが取り残されているような錯覚を覚える。
この城には、たくさんの人がいる。それなのに、誰も私の帰りを待ってはいない。
誰も、私が無事に帰ってきたことを喜んではくれない。そんな日々が、いつの間にか当たり前になっていた。
部屋へ戻ると、侍女たちが静かに頭を下げる。着替えやお茶の準備はしてくれるけれど、それ以上は踏み込んでこない。
今日どこへ行ってきたのか。何を見て、何を感じたのか。そんなことを聞かれることは、一度もなかった。
私が勝手に町へ出掛けても、誰かに咎められることもない。自由と言えば聞こえはいい。けれど、それは誰も私に興味がないということでもあった。
部屋へ戻れば、待っているのは静寂だけ。広すぎる部屋は、いつも私の孤独を映し出しているようだった。
――それなのに。今日は、不思議と寂しくなかった。ベッドへ腰を下ろすと、自然と今日の出来事が頭に浮かぶ。
服を褒めてもらえたこと。一緒に町を歩いたこと。クレープを食べたこと。お揃いのリボンを選んだこと。思い返すたび、胸の奥に小さな灯火がともる。
ルシアが、今日一日ずっと私の隣にいてくれた。笑いかけてくれて、手を引いてくれて、何度も名前を呼んでくれた。その温もりが、まだ胸の中に残っている。
だからだろうか。いつもなら、この静かな部屋に帰ってくるたび押し寄せていた孤独が、今日は少しも苦しくなかった。
ルシアがくれた楽しい時間が、ぽっかりと空いていた私の心を、優しく満たしてくれていた。こんなに心を満たしてくれるのはルシアだけだ。
「……誰かに受け入れてもらえるって、こんなにも心が満たされるものだったんですね」
自然と、そんな言葉が唇から零れ落ちた。ルシアは、何度も私のことを褒めてくれた。綺麗だと、可愛いと笑ってくれた。一緒にいてお似合いだと言ってくれた。
手を引いて町を歩き、お揃いのリボンを選び、隣で何度も笑いかけてくれた。その一つひとつが、私の心へ優しく染み込んでいる。
私は今まで、自分には価値がないのだと思っていた。王族として期待された責務を果たせず、役立たずと見なされ、この城では誰からも必要とされていない。
ここにいても、いなくても、誰も困らない。そんな存在なのだと、ずっと思い込んでいた。
けれど、ルシアは違った。私が隣にいるだけで笑ってくれて、一緒に過ごしたいと言ってくれた。それだけで、不思議なくらい胸が温かくなる。
私という存在を、ちゃんと見てくれている。王女だからでも、肩書きがあるからでもない。一人のティアリスとして接してくれる。そのことが、何よりも嬉しかった。
――私は、ここにいてもいいのかもしれない。
そんなふうに思えたのは、生まれて初めてだった。ルシアと出会ってから、少しずつ変わっていく。灰色だった毎日に色が差し、凍りついていた心が少しずつ溶けていく。
ルシアがいてくれるだけで、私は自分の存在を肯定できる。それほどまでに、ルシアは私の世界を変えてくれた。
「……ルシアに、もっと思ってほしいな」
気づけば、そんな願いが胸の奥から零れていた。
もっと私のことを気にかけてほしい。
もっと名前を呼んでほしい。
もっと話しかけてほしい。
もっと近くで笑ってほしい。
もっと隣にいてほしい。
そんな欲張りな気持ちが、一つ浮かぶたびに、また一つと膨らんでいく。今日一日だけでも、こんなにも幸せだった。だからこそ、もっとルシアの特別になりたいと思ってしまう。
ふと、お揃いの青いリボンへ視線を向ける。同じものを身につけているだけで、あんなにも嬉しかった。でも、それだけでは足りない。
もっと私を見てほしい。もっと必要としてほしい。
そんな願いが、静かに胸の中で育ち始めていた。自分がこんなに欲張りになるなんて、驚きだ。今まではそんな欲求はなかったのに……。
でも、あの真っ直ぐな笑顔を思い出すだけで、自然と胸が熱くなった。見れば見るほど、思い出せば思い出すほど、気持ちが強くなっていく。
……もし私が古代魔法を使えるようになったら。ルシアは今よりもっと喜んでくれるだろうか。
もっと頼ってくれるだろうか。もっと大切な存在だと思ってくれるだろうか。そんなことを考えてしまう。
もちろん、古代魔法を習得したいのは自分自身のためでもある。役立たずでは終わりたくない、自分の力で未来を切り開きたい。
だけど今は、それだけじゃない。
ルシアの隣に立ちたい。隣で笑い合える存在になりたい。ルシアが中心になっていて、ルシアの気持ちを考えるようになった。
そのためにも、古代魔法を覚えたい。そうすれば、きっと今よりもっと一緒にいられる。今よりもっと、この関係は前へ進んでいく。
そんな小さな期待が、胸の奥で静かに灯っていた。私はそっとお揃いのリボンに触れ、小さく微笑んだ。
――明日も、ルシアに会える。
その約束だけで、明日が待ち遠しくてたまらなかった。




