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01 辺境

 ペルシア東方の辺境に築かれた砦は、山と砂地のあいだに身を伏せていた。外には遊牧民の通る道が延び、内には兵舎と厩と訓練場が寄り添うように並んでいる。その一角、土を固めた広場に、弓の支度が成されていた。


 広場の前には、国境を預かるカナラン、アデルグドゥンバデスの館がある。彼はこの地を守る将であり、かつて王兄ザメスとともに戦場を駆けた男であった。今はその子クバードを預かり、自らの子と同じように育てている。


 的を並べた列の前に、二人の少年が立っていた。ひとりはクバード。まだ成長の途中にある細い肩に、これから身につけるべきものの多さがそのまま表れていた。もうひとりはヴァラメス。アデルグドゥンバデスと妻フラームの子で、クバードより幾つか年上であった。幼いころから共に暮らし、兄弟と呼んでも差し支えぬほど身近な間柄である。


 「弦の張りをよく見よ」


 背後からかけられた声に、二人は同時に振り向いた。鎧の上に外套をまとい、鬚に白を交えた男がゆるやかに歩み寄ってくる。アデルグドゥンバデスであった。


 彼はまずヴァラメスの手から弓を受け取り、弦の張り具合を指先で確かめる。


 「悪くはない。だが、まだ欲があるな」


 そう言って弓を返すと、的の方をあごで示した。


 「見せてみよ」


 ヴァラメスはうなずき、弓に矢を番えた。足を肩幅に開き、腰を据え、胸を張る。矢じりが的の中心をとらえたところで息を止め、腕を引ききった。


 弦が鳴り、矢が空を走る。丸い板のまんなか近くに突き立ち、乾いた音が広場の空気を震わせた。


 アデルグドゥンバデスは目元を和らげる。


 「よし」


 それ以上の言葉は与えず、今度はクバードの方へと顔を向けた。


 「次はお前だ」


 クバードは用意していた弓を両手に取り、矢を一本抜く。少年の指は、まだ弦の硬さに慣れきってはいない。だが本人はそれを悟られまいと唇を結び、手本通りの構えを心がけた。


 足を運び、肩の向きを揃える。弓を立て、弦を引いた。腕に力が入り過ぎ、矢じりが上下に揺れる。狙いを定めようとするほど、視界の端で的がぶれていった。


 離した瞬間、矢は斜めに飛び的の手前の土に突き刺さる。ヴァラメスは口元を歪めたが、声には出さなかった。


 クバードは額に浮かんだ汗を袖でぬぐい、矢の落ちた場所を見る。胸に悔しさが宿った。しかしそれを表に出すまいと、視線をまっすぐに保つ。


 「弓を持ったまま動くな」


 アデルグドゥンバデスが言った。クバードの背後に回り、肩と肘の位置を確かめるように手で押さえる。


 「引き方は悪くない。だが、腕だけでどうにかしようとするな。腰を据え、足で地を踏め。そこから先は背だ。背で弦を引き、胸で矢を押し出せ」


 言葉とともに、アデルグドゥンバデスの手が少年の肩甲骨のあたりを軽く叩いた。クバードはその感触を背の中に収めるようにしながら、もう一度弓を構える。


 「やってみよ」


 息を吸い、吐く。今度は足もとから力を積み上げるつもりで、膝と腰に神経を集めた。背を伸ばし、肩を開く。腕はその結果として弦を引くに任せる。


 弦の鳴る音が先ほどよりも響いた。矢はまっすぐに飛び、的の端にかろうじて食い込む。


 「飛んだな」


 アデルグドゥンバデスはぽつりと言い、矢を引き抜いてクバードに渡した。


 「さすがザメス殿下の御子。まだ粗いが、あの方の子ならば、引けば引いただけ伸びていく」


 父の名を受けてクバードの胸が熱を帯びる。都で務めについているはずの父の姿が、兵たちの語る戦場の話と重なって蘇った。手の中の矢が、遠い都とこの砦とをつなぐ印であるように思える。


 「ありがとうございます」


 声に出すと、いつもより少しだけ遠慮がちに聞こえた。アデルグドゥンバデスはうなずき、今度はヴァラメスの矢に手をかける。板の中心近くからするりと引き抜き、その先を見つめた。


 「お前にはもう教えることは少ない。馬に乗せてもそう外すまい」


 ヴァラメスの口もとに笑みが浮かぶ。だが次の言葉は、ふたたびクバードに向けられた。


 「クバードも今に追いつく」


 ヴァラメスの笑みが消える。矢筒を持つ指に力が入り、革の縁がきしんだ。


 「俺だって、もっと上手くなります」


 ぼそりとこぼした声は、地面のあたりへ落ちていく。


 「分かっておる」


 アデルグドゥンバデスは、その言葉には深く踏み込まなかった。息子の肩を一度叩き、すぐに二人のあいだへ視線を戻す。


 「二人で競え。ヴァラメスは先を走り、クバードは追う。それが一番よい」


 クバードはうなずきかけて、横目にヴァラメスを見た。兄とも呼べる相手の顔は、いつもより硬い。自分がここにいなければ、この言葉もこの場も父と子だけのものだったのではないかという思いが、胸の片すみに引っかかる。


 「的を替える」


 アデルグドゥンバデスが兵に合図を送った。板が少し後ろへ運ばれ、距離がひとつ伸びる。土の上に新しい足跡が刻まれ、藁束の位置がずらされた。


 「同じように撃て。離れた分をどう詰めるか、自分で見つけよ」


 ヴァラメスは返事をし、すぐに弓を構える。矢じりが新しい位置の板をとらえ、弦が引き絞られた。その横で、クバードも矢を取りながら、さきほど教えられた肩と足の感覚をもう一度たどる。父の名とともにかけられた言葉が、背の内側に残っていた。


 放たれた矢が次々と土と板に刻み目をつけていく。砦の広場には、弦のかすかな震えと、少年たちの息づかいが続いていた。


 矢羽の擦れる音の向こうで、アデルグドゥンバデスは腕を組み、子供たちの足もとと肩の線を目で追っている。


 そのとき、館の方から別の足音が近づいてきた。柔らかな革靴が早足で土を踏む音である。アデルグドゥンバデスが顔を向けると、戸口から一人の男が姿を現した。胸には封をした羊皮紙を抱えている。従者アーザードであった。


 彼は訓練場の端で立ち止まり、頭を下げる。


 「アデルグドゥンバデス殿」


 呼びかけに、アデルグドゥンバデスは無言で歩み寄った。クバードとヴァラメスは弦にかけた指をそのままに、横目で二人の方を見る。矢じりはなお的に向けられていた。


 アーザードは胸に抱いていた羊皮紙を両手で差し出す。赤い封泥には王宮の印が刻まれていた。


 「王都よりの文にございます」


 告げられた声に、アデルグドゥンバデスの表情が引き締まる。額の皺がわずかに寄り、長く戦と政の報せを受けてきた者の目が、文書を量るように細くなった。


 「ついに来たか」


 ひと言だけそう洩らすと、アデルグドゥンバデスは羊皮紙を受け取る。指先に伝わる厚みと縁の固さを確かめるように握り直し、そのまま館の方へと歩を向けた。アーザードもまた無言でそれに従う。


 ヴァラメスは息を吐き、何事かと眉をひそめながらも、狙いを外さぬように矢じりを板の中心に据え直した。クバードもまた弓を握り続け、前を向く。広場には、引き絞られた弦と的とのあいだに残された距離がそのまま置かれていた。


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