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11 道行

 谷を下りきった路は、石の少ない砂の帯に変わっていた。一行は歩みを揃え、砦の方角へと列を延ばす。


 兵の肩に身を預け、アデルグドゥンバデスは片足を引きずるように進んでいた。折れた脚には板が添えられ、布が固く巻かれている。


 「歩度を落とさぬよう。陽が傾く前に砦に着きたい」


 先頭から声がかかった。王都から加えられた騎兵の一人である。鎖帷子の下で肩がこわばっているのを、アデルグドゥンバデスは横目に見やった。


 「すまぬな。わしの介助など望む仕事ではあるまいに」


 そう言って、支え役の兵の腕に片手を添える。声には詫びとともに、長く共に戦場を歩んできた者への配慮があった。


 「いえ、お供が出来て光栄です」


 答えたのは辺境で鍛えられた古参の兵である。その後ろに、王命により加わった騎兵たちが続く。砦へ着くまでに果たさねばならぬ務めを胸に置く者と、ただ老将を守ろうとする者。そのあいだにははっきりとした境界が引かれていた。


 路の脇に灌木が続き、その向こうに砦の城壁がかすかに浮かぶ。


 「ここでひと息入れよ」


 開けた場所に出ると、アデルグドゥンバデスは足を止めた。支えていた兵が外套を敷き、彼を坐らせる。王都からの騎兵たちは少し離れたところに輪を作り、言葉を交わしていた。


 「脚の具合は」


 古参の兵が膝をつき、布の端に手を添える。


 「砦までは持つ」


 アデルグドゥンバデスは答えた。周りでは水袋が回され、兵たちが順に喉を潤していく。


 「お前たちも飲め。馬の様子も見ておくとよい」


 労うような口調であった。兵たちはうなずき、水袋を受け取る。


 輪の外れに立つ若い騎兵が一人、そっとアデルグドゥンバデスの方を盗み見た。噂に聞く敵なしの将軍は今、片脚を抱えて地の上に腰を下ろしている。だが、姿勢は崩れていない。その姿を前にすると、腰の剣に手をかける機は遠のく。


 「顔色が優れぬな。王都の風は、こちらとは違うのであろう」


 アデルグドゥンバデスは、その若者に声をかけた。自分を見ている視線を、辺境に不慣れな兵のものと受け取ったのである。


 「砦に着いたら、大麦の汁物スーペ・ジョーでもつくってやろう。これでも若いころ、炊事の番は得意であったのだ」


 思いがけぬ言葉に、若い騎兵は一瞬うつむいた。王命と老将の何気ない優しさとが胸でぶつかり合う。答えに詰まり、かろうじて、ありがとうございます、とだけ口にした。


 休みを終えると列が組み直される。支え役の兵がアデルグドゥンバデスの腕を取り、ゆっくりと立ち上がった。


 「では行くとしよう。陛下の仰せに従い、砦で脚を治してから、また戦の列に戻らねばならぬ」


 老将の言葉に古参の兵たちがうなずく。王都からの騎兵たちは、返事の声を喉の奥で区切った。


 列は再び大地を踏み締め、アデルグドゥンバデスを中心に一本の筋となって前へ進んでいく。


 路の脇には雑多な草むらが広がり、その先では岩を散らした斜面が山の尾へと続いていた。遠くの稜はかすみ、空の明るさに溶け込んでいる。


 アデルグドゥンバデスは、肩を貸す兵の腕に手を置いたまま、肺いっぱいに息を入れた。膝に添えた板の下で折れた骨が鈍くうずく。それでも歩みは保てていると、自らに言い聞かせる。


 辺境の地を預かったばかりのころも、同じように斜面を見上げたことがあった。まだ鬚に白が混じる前、王兄ザメスと並んで馬を駆り、峠の向こうに敵影がないかと目を凝らした。背後に守る家もなく、国境と王命だけが務めであった時分である。


 今は砦に妻を置き、若い兵たちを養っている。その中には、いつの間にか自分と同じ背丈になった息子もいた。血の気が先走り、町へ下りて酒に呑まれることもあるが、槍を握る腕は確かである。いざというとき前に出ようとする心ばえも、兵をまとめる柱になり得るものだと感じていた。


 もうひとりの子の面影が、記憶の底から浮かび上がる。


 遠くへやったあの子である。別の名を与え、やがて見知らぬ土地へと送り出した。もはや名を口にすることも、誰かに親を明かすことも許されなかったが、幼い身体を抱き上げたときの感触は今も掌に残っている。


 あの子はどこで空を仰いでいるのか。帝国の屋根の下か、それともさらに遠い土地か。いずれにせよ生きて歩んでいるならばそれでよい、とアデルグドゥンバデスは思う。ザメスから託されたときの眼差しを思い返すたび、その願いは強まるばかりであった。


 辺境ならば宮廷の有象無象も届きにくいと踏んで、長く抱きとめてきた。砦の中庭で弓を引く姿を眺めながら、いつかは遠ざけねばならぬと知りつつ、わずかに先送りにもしてきた。それでも今は、二人の若者がそれぞれの場で歩み始めていると受け止められる。


 ひとりは槍と馬で道を拓き、もうひとりは別の務めで人々の支えとなるのやもしれぬ。行き先は異なっても、背負うものは同じだと信じられた。


 自分に課された役目は、王命に従ってこの地を保つことである。外つ国の騎が境を試みに来ては退け、ついに山の民の矢も城壁を越えきれなかった。脚を損ねたとて、これまでの年月が消えるわけではない。


 風が列のあいだを渡り、外套の裾を揺らしていく。アデルグドゥンバデスは、その感触を確かめるように指先をわずかに握った。


 前方には、砦の城壁が小さく姿を見せ始めている。陽に焼けた石の線が土の色の中に浮かび上がった。あの門をくぐれば医師が骨を繋ぎ、寝台に身を横たえることになるだろう。そのあとで再び戦の報を聞く場に戻れるかどうかは、天と王の秤に委ねるほかはない。


 二人の若者に託した未来とこの地で過ごした年月を胸に納めながら、アデルグドゥンバデスは支え役の歩調に合わせて一歩ずつ地を踏み、砦へ続く路をたどっていった。


 砦の門前まで来ると、路は石を敷いた坂に変わる。城壁の上からは兵の影がのぞき、門楼の下では門番が槍を立てて列を迎えた。


 「アデルグドゥンバデス殿をお連れした」


 先頭の兵が声を張ると、門が内側へ引かれる。中庭には、馬をつなぐ杭と水桶が並び、その先に兵舎と館の屋根が見えた。アデルグドゥンバデスは支え役の肩を頼りに、ゆるやかに門をくぐる。


 足もとが石に変わった。膝に添えた板に響きが伝わり、折れた骨がわずかに抗議する。支え役の兵が歩調を落とすと、アデルグドゥンバデスは首を振った。


 「そう気を使わずともよい」


 言葉に励ましを込める。その背後で、王都から来た騎兵たちが互いに目を交わした。砦の者に案内を任せるふりをしながら、一人が前へ出る。


 「医師のもとへお運びする前に、剣をお預かりしてもよろしいでしょうか」


 控えめな声であった。槍を背に回し、両手を空にした姿で、アデルグドゥンバデスの前に進み出る。


 「剣を帯びたままでは治療の際に差し支えがありますので」


 もっともらしい理屈であり、砦で長く務めてきたアデルグドゥンバデスにとっても、聞き慣れぬ話ではない。


 「そうだな」


 そう言って、帯に差した剣に手をかける。鞘ごと抜き、柄の方を前に向けた。


 「世話をかける」


 礼を告げ、剣を差し出す。


 受け取った兵は、両手で鞘を受け止めると深くうなずいた。その目が、一瞬だけ脇に立つ仲間を見やり、仲間はわずかに顎を引くと、目の奥で何かを決める。


 支え役の兵が、アデルグドゥンバデスの腕を取り直した。


 「部屋の一角に寝台を用意しております。こちらへ」


 敷石を隔てた奥へ向かおうとしたとき、背後から足音が近づく。先ほど剣を預かった兵であった。


 「段差にお気をつけ下さい」


 そう言いながらアデルグドゥンバデスの背後に回り、支え役と歩調を合わせ、片側から腕にそっと触れる。


 その瞬間、衣擦れの音とともに、アデルグドゥンバデスの背中に冷たいものが押し当てられた。敷石を踏む足音が耳から遠のく。押し当てられたと感じたものは、次の刹那には肉を割り、骨のあいだを割って前へ抜け出していた。外套の布を押し分けるようにして鉄が生え、衣の下で温かいものが広がっていく。


 胸に生えたそれを、アデルグドゥンバデスは奇妙にゆっくりとした動作で見やった。


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