第1話 Days1 後半パート 「父と娘と、母の行方」
『7日8日9日10日(なのか?用か、9日10日)』
Days1 後半パート
「父と娘と、母の行方」
【読者の皆様へ】
本作品はフィクションです。登場する人物・団体・場所などは、実在するものとは関係ありません。
また、本作品では、若年性アルツハイマーについて、できる限り正確な医学的情報に基づいた描写を心がけておりますが、表現や解釈に不正確な点が含まれる可能性がございます。あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。
一 俺の娘!?
「俺の……娘!?」
「今さら何言ってんのよ!」
誠は、なのかの顔をまじまじと見つめた。
「うわぁ……。俺にいつの間にそんな大きな娘が……」
「いつの間にって……。あんたがいなくなってから、こっちは普通に成長したの!」
「そ、そうかぁ……。高校生かぁ……」
誠は、しみじみとなのかを見つめた。
そして――。
「違う所も……大きくなって……」
バチーン!!
乾いた音が、古びたアパートの廊下に響いた。
「この……エロ親父!!」
「いってぇぇぇ!! 何すんだ、この野郎!」
「初対面みたいな顔して、何言ってんのよ!!」
「いや、だってよぉ……! 俺の知ってるなのかは、ちっちゃくて、『オトウ!』って俺の後ろをついてきてたんだぞ!?」
「だったら、もっとマシなこと言いなさいよ!!」
「マシなことって……」
誠は、赤くなった頬を押さえながら、ぼそりとつぶやいた。
「……べっぴんさんになったな、とか?」
「最初からそう言いなさいよ!!」
「す、すみません……」
誠は、しゅんとうなだれた。
廊下で二人を見守っていた大家のお婆さんが、困ったように笑う。
「あらら……。久しぶりに会えたのに、賑やかだねえ」
「お婆さん! この人、ほんっとに最低だから!」
「おい! 最低は言いすぎだろ!」
「うるさい!!」
バチーン!!
「二発目ぇぇぇ!!」
五十三歳の男の情けない悲鳴が、古びたアパートに響き渡った。
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二 感動の再会……のはずが
「まったく……。あんた、五十三にもなって、何にも変わってないじゃない!」
なのかは、腰に手を当てて誠をにらんだ。
「変わってるわ! いろいろと!」
「どこがよ!」
「歳とか……」
「ほかには?」
「……借金とか?」
「胸を張って言うことじゃないでしょ!」
「ですよねぇ……」
誠は、頭をかいた。
その様子を見て、大家のお婆さんがくすくすと笑った。
「誠さん、かわいい娘さんじゃないか」
「どこがだよ。いきなり蹴るわ、叩くわ……」
「誰のせいよ!」
「はい、俺です……」
誠は、またしてもしゅんとなった。
なのかは、そんな父親をじっと見た。
目の前にいる男が、本当に自分の父親なのだろうか。
母から聞かされてきた父親は、優しくて、不器用で、誰よりも母を愛していた人だった。
そして、自分のことも大切に思っていた人。
小さい頃の記憶は、もうぼんやりとしている。
「オトウ!」と呼びながら、父親の後ろをついて歩いたこと。
父親の大きな手に、自分の小さな手を握ってもらったこと。
そんな断片的な記憶が、心の奥に残っている。
けれど、目の前の男は――。
髪はぼさぼさ。
服はよれよれ。
部屋は散らかり放題。
そして、口を開けば余計なことばかり言う。
なのかは、小さくため息をついた。
「……お母さんが言ってたこと、本当なのかな」
「ん?」
誠が顔を上げた。
「何か言ったか?」
「……何でもない」
なのかは、顔をそらした。
今はまだ、聞きたいことが山ほどある。
けれど、それよりも先に――。
「ねえ」
なのかの声が、少しだけ変わった。
「……あんたに、お願いがあるの」
「お願い?」
誠は、不思議そうに娘を見た。
「何だよ。金ならねえぞ」
「誰がお金を借りに来たって言ったのよ!」
「いや、ほら……俺、こういう生活だから……」
「分かってるわよ!」
なのかは、思わず声を荒らげた。
そして、唇をぎゅっと結んだ。
「……お母さんが、いなくなったの」
誠の顔から、ふざけた表情が消えた。
「……え?」
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三 お母さんがいない
古びた部屋に、静けさが戻った。
さっきまでの騒がしさが、嘘のようだった。
「……いなくなったって、どういうことだ?」
誠は、なのかの顔を見た。
「そのままの意味よ。お母さんが、家からいなくなったの」
「出かけたんじゃねえのか?」
「最初は、そう思ったわよ。でも、いつまでたっても帰ってこないの」
なのかは、両手をぎゅっと握った。
「最近、お母さん……物忘れがひどくなってきてたの」
「物忘れ?」
「うん……」
なのかは、少し迷ってから口を開いた。
「お母さん、若年性アルツハイマーっていう病気なの」
誠は、黙った。
聞いたことのある言葉だった。
だが、それが美雪に起きていることだと、すぐには受け止められなかった。
「……アルツハイマー?」
「若い人でもなることがあるんだって。お母さんも、病院で診断されたの」
なのかは、うつむいた。
「最初は、ちょっと物を忘れるくらいだった。でも最近は……いつもの道が分からなくなったり、さっき話したことを忘れたりすることもあって」
「……」
「今日も、私が少し目を離した間に、家からいなくなっちゃったの」
声が震えた。
「警察にも連絡した。私も、近所を探した。でも……見つからないの」
なのかは、唇をかんだ。
「お母さん、どこに行っちゃったんだろう……」
誠は、何も言えなかった。
美雪。
その名前が、頭の中に浮かんだ。
だが、今の誠には、美雪がどこにいるのかも、何をしているのかも分からない。
十年以上、まともに顔を合わせていない。
今、どんな暮らしをしているのかさえ知らなかった。
なのかは、バッグの中から一枚の紙を取り出した。
何度も開いたのだろう。
紙の端は、少しよれていた。
「……私、ここに来たのには理由があるの」
「理由?」
なのかは、紙を見つめた。
「お母さんが、前に言ってたの」
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「もし、自分に何かあったら……この住所の人を頼りなさいって」
誠は、なのかの手元を見た。
そこには、古びたアパートの住所が書かれていた。
「……そこに書いてある人は、あなたのオトウだから、って」
なのかは、言葉を続けた。
「お母さん、病気のことが分かってから、私にこの住所を教えてくれたの。自分が困ったときや、何かあったときのためにって……」
「……」
「だから、ここに来たの」
なのかの目に、涙が浮かんだ。
「……お母さんを、一緒に捜してほしいの」
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四 父親なんだから
誠は、黙ったまま紙を見ていた。
自分の住所。
美雪が、今でも持っていた住所。
あの女は、どうしてこんな場所を娘に教えたのだろう。
こんな、何もない男のところを。
借金から逃げるように暮らし、部屋を片づけることさえできず、明日のこともまともに考えずに生きている男を。
「……何でだよ」
誠の口から、ぽつりと言葉がこぼれた。
「え?」
「何で、俺なんかを頼れって言ったんだよ……」
なのかは、答えなかった。
美雪が誠を悪く言ったことは、一度もなかった。
それどころか、何度も聞かされた。
「オトウは優しい人なのよ」
「オトウはね、本当に素敵な人なの」
「オトウは、オカアのことを誰よりも大切にしてくれた人なのよ」
耳にタコができるくらい聞かされた。
子供の頃は、それが当たり前だと思っていた。
けれど、大きくなるにつれて、疑問が生まれた。
そんなに優しくて、素敵な人なら――。
どうして、自分たちのそばにいなかったのだろう。
どうして、母を一人にしたのだろう。
どうして、自分の成長を見てくれなかったのだろう。
なのかは、誠を見た。
「……お母さんね、一度もあんたの悪口を言わなかった」
誠は、顔を上げた。
「……」
「私がどんなに聞いても、あんたのことを悪く言わなかった。だから、私は……」
なのかは、そこで言葉を止めた。
本当は、ずっと聞きたかった。
どうしていなくなったのか。
どうして会いに来なかったのか。
どうして母だけが、自分のそばにいてくれたのか。
でも、今は違う。
そんなことを聞くために、ここへ来たわけじゃない。
「……今は、そんなことどうでもいいの」
なのかは、涙をこらえながら言った。
「お母さんを見つけたいの。それだけなの」
誠は、しばらく娘を見つめていた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「……分かった」
「え?」
「捜すんだろ」
誠は、部屋の隅に置かれた上着を手に取った。
「行くぞ」
なのかは、目を丸くした。
「……いいの?」
「何がだよ」
「だって……」
「俺は、あいつの夫だったんだ」
誠は、そこで言葉を切った。
もう夫ではない。
何年も前に、夫ではなくなった。
それでも。
美雪は、なのかの母親だ。
そして、自分が愛した女だった。
「……いや」
誠は、小さく首を振った。
「お前の母親だろ」
なのかは、誠を見つめた。
「……うん」
「だったら、捜すぞ」
誠は、ぶっきらぼうに言った。
「いつまでも、こんなところで突っ立ってられるか」
その言葉を聞いて、なのかは少しだけ目を伏せた。
母が話してくれた父親と、目の前の男。
本当に同じ人なのだろうか。
まだ、分からない。
けれど――。
今は、この男と一緒に母を捜すしかなかった。
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五 出発の準備
「……で?」
誠は、玄関に立ったまま、なのかを見た。
「どこに捜しに行けばいいんだ?」
「それを今から考えるのよ!」
「お前、考えてなかったのか!?」
「考えたわよ! 近所も捜したし、警察にも連絡したって言ったでしょ!」
「そ、そうか……」
誠は、気まずそうに頭をかいた。
「……じゃあ、まずは靴を履くか」
「当たり前でしょ!」
誠は、玄関に置かれた靴を探した。
右足の靴は、すぐに見つかった。
左足の靴がない。
「あれ……?」
誠は、玄関の隅をのぞき込んだ。
「おい、俺の靴、知らねえか?」
「自分の靴くらい、自分で探しなさいよ!」
「いや、右はあるんだよ。左がねえんだ」
「どういう生活してたら、靴が片方なくなるのよ!」
「知らねえよ! 俺だって困ってんだ!」
なのかは、深いため息をついた。
そして、玄関の端に転がっていた左足の靴を拾い上げた。
「……これ?」
「おお! それだ、それ!」
誠は、靴を受け取ろうとした。
なのかは、渡す直前に手を止めた。
「……ねえ」
「ん?」
「本当に、お母さんを捜す気ある?」
「あるに決まってんだろ!」
「じゃあ、さっさと履いて!」
「はいっ!」
誠は、慌てて靴を履いた。
廊下では、大家のお婆さんが心配そうに二人を見ていた。
「誠さん、なのかちゃん。気をつけて行くんだよ」
「はい。ありがとうございます」
なのかは、きちんと頭を下げた。
誠も、軽く手を上げた。
「おう。行ってくる」
「誠さん」
大家のお婆さんが、優しく呼び止めた。
「誠さん、あんたお金持ってないんだろう。」
「これ、少ないけど持っていきな。」
「婆さん、こんなのもらえねーよ。」
お婆さんは誠の手を開き、強引に押し付けた。
「いいから持っていきなさい。」
「……美雪さん、見つかるといいねえ」
その名前を聞いて、誠の足が一瞬だけ止まった。
「……ああ」
短く答えると、誠は歩き出した。
なのかも、その後を追った。
古びたアパートの階段を下りていく。
父と娘。
長い間、離れて暮らしていた二人が、初めて並んで歩いていた。
けれど、二人の間には、まだ大きな距離があった。
なのかは、誠の背中を見つめた。
この人は、本当に母を見つけてくれるのだろうか。
母が話していたような、優しい人なのだろうか。
それとも――。
ただ、何もできずに逃げてしまう人なのだろうか。
なのかは、小さく首を振った。
今は、信じるしかない。
母を見つけるために。
そして、いつか、自分がずっと聞きたかったことを聞くために。
「……ねえ、オ、オトウ」
なのかが呼んだ。
誠は、振り返った。
「……何だ?」
なのかは、少しだけためらってから答えた。
「……お母さん、どこにいると思う?」
誠は、すぐには答えなかった。
空を見上げる。
冬の空は、どこまでも冷たく見えた。
「……分からねえよ」
誠は、正直に言った。
「でも、捜すしかねえだろ」
そして、再び歩き出した。
なのかも、その隣に並んだ。
母捜しの二人の10日間の旅が、今始まった。
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12月1日…pm21:30
Days1・後半パート




