act.18
「何故そなたがここにいる?」
「へ、へいか……?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはゼイルが立っていた。
夜着なのだろう、薄手のゆったりとした服を着用している。
見知った存在の登場に、陽菜はようやく身体の力を抜いた。
「ああびっくりした……どうしてここに?」
「我のことはどうでもよい。質問に答えろ。何故このような夜更けに出歩く必要がある?」
一人で出歩くなと散々言い含めておいたはずだが、とゼイルに厳しく問われ、陽菜はうっと言葉を詰まらせた。
「ええと、あの、ごめんなさい……ちょっと魔が差しました……」
「ほう?」
「言い訳になってしまいますけど、なんだか寝付けなくて。少し散歩しようと思ったんですが、こんな時間に他の人に声をかけるのも気が引けて」
「それが理由か」
ゼイルの目がすっと細められる。
「そなたに不便を強いているのは他ならぬ我だ。しかし現状を踏まえればその必要性が理解できたはず。……今声をかけたのが我でなければ、そなたはどうなっていた?もしも刺客の類であったなら、無事では済まされぬのだぞ」
「それは……」
ぐうの音も出ない。
ゼイルの言葉は正論だ。少しならば大丈夫だろうと勝手な判断を下し、ここまでやってきたは良いものの、それがどんなに危険な行為だったかを今更ながらに自覚する。
予想していなかったわけではない。日中ならまだしも、誰も傍にいない真夜中に事が起きたらどうなるか。考えなかったわけではないけれど、その可能性にすら蓋をして、気分転換したいからと自分の都合を優先させてしまったのだ。
「……すみません、軽率でした。このままおとなしく部屋に帰ります……」
「…………」
うなだれる陽菜から視線を逸らし、ゼイルは思案するように顎に手を当てた。
しかしそれもほんの数秒のことで、すぐにゼイルは陽菜に視線を戻す。
「――来い」
「え?」
それだけ言うと、ゼイルは陽菜の横を静かに擦り抜けていく。
意図がつかめず困惑する陽菜だったが、来いと言われた以上ついていかないわけにもいかず。
陽菜は自分を置いてどんどん先に進むゼイルの後ろ姿を慌てて追いかけた。
月明かりが降り注ぐ夜の庭園は、昼間とはまた違った美しさを醸し出していた。
噴水が水を噴き上げる音と、かすかに聞こえる虫達の囁き。穏やかな夜の静寂の中、二人分の足音だけが響いている。二人の間に会話は無かったが、陽菜はゼイルの後を追いつつ周囲の景色を楽しんでいたので、気にならなかった。
(陛下はどうして庭園に来たんだろ。私みたいに散歩とか?でもそれならなんで私についてこさせたのかな……?)
気にはなるけれど、前を行く背中は何も語らない。時折吹き込んでくるやわらかな風に長い銀髪が揺れるだけだ。
ゼイルはいったい何を考えているのだろう――そう思いながら、噴水の傍を通り抜け、庭園を奥へ奥へと進む。このまま進めば、依然足を運んだ訓練場が見えてくるはずだ。もしかすると、訓練場に何か用でもあるのかもしれない。
しかし、陽菜の予想は大きく外れ、もうすぐ庭園を抜けるというところで突然ゼイルが進む方向を変えた。陽菜が一度も足を踏み入れたことのない、小高い木々が立ち並ぶ一角。
こんな場所あっただろうかと、陽菜は首を捻る。灯りとなるものは月光と申し訳程度に光を放つテーブルランプのみであるため、奥に何があるのかまではわからない。
「陛下っ、この先には何があるのですか?」
等間隔に並ぶ木々と、どこかに続いているらしき石畳の道。
たまらず陽菜がゼイルに声をかけるも、彼は一度だけ振り返り「すぐにわかる」と言い放つだけだった。
(すぐにわかる、ってなんだろう……でもまあいっか。城の敷地内だし、何より陛下が一緒だし、大丈夫でしょ)
うんうん、と自分を納得させるように頷くと、陽菜は再び歩き出した。
* * * * * *
「うわあ……っ」
石畳の道の奥にあったのは、美しく幻想的な風景だった。
広範囲に渡って咲き誇る、見事なまでの薔薇の群生。一面に広がる何種類もの薔薇の花が、夜闇の中、月明かりに照らされている。
それだけでも格別に美しいのだが、陽菜は中心部に咲く薔薇の花にくぎづけだった。
「きれい……なにあれ、光ってる?」
他の薔薇とは明らかに異なり、それらは青白い光を放っていた。
燐光をその身に纏わせた不思議な薔薇は、周囲の光景とも相まって、非常に幻想的だった。
「すごい……なんだか夢の中にいるみたい」
光る薔薇の傍まで走り寄り、陽菜は思わず感嘆の声を上げた。
「イーファという花だ」
陽菜の後を追うように、ゆっくりとゼイルがやってくる。
「いーふぁ?」
「“幻想花”とも呼ばれているようだが、我も詳しくは知らぬ。ただ、それはこの薔薇園にのみ咲く特殊な薔薇なのだと、伝え聞いた」
「この場所にしか咲かないんですか!?じゃあ、さっき通ってきた庭園にも無いってこと!?」
「ああ」
「そっかー、じゃあここまで来ないと見れないんですね。知らなかったー。こんなに綺麗な場所なのに、私ったら全然気付かなかったです」
「……ああ」
短く答え、ゼイルは薔薇園の中心部にいる陽菜の隣に並び立った。
「――この場所には、誰も足を踏み入れぬ」
ぽつりと、ゼイルが呟いた。
「いや、立ち入ることすらできぬ、と言ったほうが正しいか。ここに立ち入ることができるのは、国王である我のみ。王族だけが立ち入りを許される、稀有な場所だ」
「え……?」
ゼイルの言葉に、陽菜は弾かれたように顔を上げた。
仰ぎ見たゼイルの表情にそれほど大きな変化はみられない。
だが、どうしてか彼の纏う厳しい雰囲気がほんの少しだけ和らいでいるような気がしてならず、陽菜は数回目を瞬かせた。
「そんな大事な場所なのに、王族でも無い私が入っちゃってよかったんですか?」
陽菜の問いに、ゼイルは目を伏せた。
そして、たっぷりの沈黙の後、おもむろに口を開いた。
「……そなたは薔薇園を“訪れることができた”――その意味を、我も計りかねている」
「えっ?」
「我も一種の賭けのようなものだったが――不思議なものだな。そなたが光の姫巫女だからであろうか?」
じっと視線を向けられ、陽菜は戸惑いを隠せない。
(ううっ、よくわかんないけど落ち着かない!……なんか、陛下いつもと違う感じするんだけど気のせいかな?)
饒舌、とはまた違う。思うままに感情を吐露しているわけでもない。
気のせい、といってしまえばそれまでかもしれないけれど――。
「うーん、よくはわかりませんけど、私はここにいても良いってことなんですよね?いや、立ち入り禁止とかだったらどうしようかと思って」
「そなたを連れてきたのは我だ。いったい誰に咎められよう」
「……え!?えーと、そうですね……うーん、ご家族の方、とか?」
何の他意も無く、ただ咄嗟に思いついた台詞だった。
「――家族、か」
ぽつりと呟き、ゼイルは周囲を取り囲む薔薇達へと視線を向けた。
彼の表情はどこまでも静謐で、そこから感情らしきものは読み取れない。
陽菜は、黙り込んだゼイルの横顔を見つめた。
ゼイルは今何を考え、何を思っているのだろう――ここに来るまでの間ぼんやり考えたことを思い出す。
そして、しばしの静寂の後。
「――家族の姿など、とうに忘れた」
「え」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
そんな陽菜に、ゼイルはもう一度告げる。今度は、はっきりと。
「家族など、いない」
「……え?」
「家族は皆――――死んだ」
ざあっ、と一陣の風が通り抜けて行った。
ゼイルと薔薇園へ。




