act.17
ふわふわ、ふわふわ。身体が揺れる。
まるで水の中を揺蕩う泡のような、午後の微睡みの中にいるような、そんな不思議な感覚。そこに不快感や恐怖心といった負の感情は存在せず、あるのは何かに守られているような心地良い安心感だけ。
(――ああ、これは夢だ)
何の根拠も無いがそう思った。この感覚を直感と呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。
(あったかい……)
包み込むようなぬくもりにどこまでも身を委ねてしまいたくなる。
しかし、所詮これは夢なのだ。いつかは醒める、つかの間の夢。
(なんだろう、頭がぼーっとする……何も考えられない)
うまく思考が働かないばかりか、徐々に意識が闇に沈んでいくのがわかる。
夢の終わりが近いのかもしれない――そう感じた陽菜は、せめて自分がどんな状況下に置かれているのかだけでも確認しようとゆっくりと目を開けた。
(……ひかり?)
闇をそのまま溶かし込んだかのような真っ暗な空間にぽっかりと浮かぶ、大きな光の球体。
それは頭上をゆったりと漂いながら、自身の存在を主張するように明滅を繰り返している。
(そうだ、私は――あの光を手に入れなければならないんだ)
何故かはわからない。どうしても光を掴み取らなければならないと、心が叫んでいる。
幸い手を伸ばせば届きそうな距離だ。これならば光に触れることができるかもしれない。
陽菜は、衝動に駆られるまま気怠い腕を持ち上げた。真っ直ぐに腕を伸ばし、ゆっくりと光に近付けていく。
(あともう少し――)
もう少しで、指先が触れる――その瞬間。
突如として輝きを増した光の奔流に、あっという間に呑み込まれる。
そうして、何が起こったのかわからないまま世界は唐突に暗転した。
* * * * * *
「――っ!?」
目覚めると同時に、がばりと勢い良く飛び起きた。
起きたばかりだというのに、やけに心臓の音がうるさく感じる。早鐘を打つ胸の鼓動をどうにか鎮めようと、陽菜は大きく息を吐いた。
周囲は真っ暗で、まだ夜は明けていないようだ。
暗闇に目が慣れてくると、周囲の様子もうっすらとわかるようになる。
ようやく慣れ始めた天蓋付きベッドと、その奥に見える部屋の風景。陽菜の自室に違いなかった。
「そっか、夢だったんだ……なあんだ」
言いながら、陽菜はほっと胸をなでおろす。
「なんか、変な夢だったなー。怖い夢じゃなかったけど、なんていうか、不思議な感じだった」
夢なんて不確かなものを気にする必要はないし、いずれ記憶は薄れゆく。
しかし、何故かはわからないけれど、先程見た夢だけは忘れてしまいたくないと思ってしまった。
絶対に忘れてはならない――そんな気がした。
「ふわあ……」
大きな欠伸をひとつこぼし、陽菜は布団を剥いでベッドから降りた。
そのまま二度寝しようかとも思ったが、再度目を瞑る前に、何か飲み物を口にしておこうと思ったからだ。
ゆっくりとテーブルに歩み寄り、ガラス細工の小さなテーブルランプに火を付ける。これはレティシアが陽菜のために用意してくれたもので、睡蓮の花を模した造形がなんともかわいらしい一品だ。火を付けなければただの花の形の置物であるが、よく見ると内部は空洞になっており、花弁部分に触れると中心部に火が灯るという仕組みになっている。魔法がかけられた、とても便利なランプなのだそうだ。
次いで、陽菜はテーブルランプの横に置いてあった水差しを手に取り、傍らにある透明なグラスに中身を注ぎ入れた。それを一気に飲み干してから、陽菜はふうと息を吐く。冷たい水が乾いた喉には心地良かった。
「んー……どうしよ、水飲んだらちょっと目が覚めちゃった」
眠気がやってくるまで、もう少しだけ起きていようか――そう考えてはみたものの、この真夜中に灯りを煌々とつけてまでやりたいことなど無い。
「読書って気分でもないしなー……うーん……あ、そうだ」
陽菜は静かに窓辺に近付くと、カーテンの隙間からそっと外の様子を窺った。
外は真っ暗だったが、夜空に浮かんだ満月が優しい光を放っているのがわかる。
先程の夢に似ているかもしれないと、ぼんやり思った。
「ちょっとだけ、ほんとちょっとだけ、散歩してきちゃダメかな?」
一人で出歩くことは避けていたけれど、今は護衛も侍女もいない。
レティシアからは用向きがあればいつでも呼んでくださいと言われているし、オーヴィスも何かあればすぐに駆けつけてくれるが、眠れないというだけで誰かを呼びつけるのも正直気が引ける。
ほんの少しならば、一人でも大丈夫だろうか――そんな考えが頭をもたげた。
「たまには気分転換も必要だと思うんだよね。……うん、そうしちゃおっかな」
自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、陽菜は薄手のカーディガンのようなものを夜着の上から羽織り、先程のテーブルランプを手に廊下へと進み出た。
廊下は薄暗く、壁に等間隔に並んだ燭台の火が、ぼんやりと周囲を照らし出している。
夜中に廊下を歩くのは初めてだ。
ほんの少しの罪悪感と好奇心が織り交ざったような不思議な心持ちになりながらも、陽菜はゆっくりと足を進めていく。
「目的地はそうだな、庭園でいいかな?月明かりが綺麗だったし、外の空気も吸いたいし。ていうか、今更だけどこのテーブルランプ持って来なくてよかったかも。そこまで真っ暗じゃなかった」
そんな風に呟きながら通い慣れた道を一人歩き続けていくと、やがて庭園の入口が見えてくる。
目的地まで何事も無く辿り着くことができそうだ。陽菜の足は自然と早まり、半ば駆け足で庭園へと向かっていく。
しかし、突然背後から響いてきたコツンという硬質な音が、陽菜の足の動きを鈍らせた。
気のせいだろうか――そう思っていると、今度はその硬質な音が断続的に響き始めた。距離はそう遠くなく、だんだんとこちらに近付いてきているようだ。
陽菜の両足はその場に縫い止められたかのように動かなくなった。
(えっ、なに?誰かが近付いてきてる?でもこんな夜更けにいったい誰が?やだやだ怖いっ!)
徐々に大きくなる足音。
陽菜は恐怖に身を竦ませながら、テーブルランプを胸に抱き締めて息を詰める。
やがて、音は陽菜に程近い場所でぴたりと止んだ。
「――そこで何をしている」
――聞き覚えのある声が、耳朶を打った。
更新が遅くなってしまい、申し訳ありません……!
なかなか文章が思い浮かばず……今回は主人公メインな感じになりました。
ラストに出てきた人物は、わかりやすいかもですね(笑)




