act.16
城下町での一件は、リードやオーヴィスの報告によりたちまち国王に知られることとなってしまった。
報告を受けたゼイルはすぐさま調査を開始したそうだが、それから三日経った今でも犯人の正体は謎に包まれたまま。犯人の割り出しは簡単なことではないとわかっていても、陽菜としては事件の早期解決を願うばかりである。
命を狙われる覚えなど一切無い。護衛を伴って城下町に出かける前までも、目立った行動はしていないはずだ。陽菜が光の姫巫女であることを知る者の犯行かとも思われたが、オーヴィスが見たという不思議な文章から察するに、その可能性は極めて低い。でなければ、陽菜を“城に巣食う下賤なる娘”などと揶揄する文面にはならないはずである。
何にせよ、陽菜が何者かに命を狙われているという事実は変わらない。そのため、ゼイルからは周囲に充分気を付けるよう言われているが、陽菜にできることといえば、なるべく一人で出歩かないようにする程度のささやかな努力だけだった。
「……でもさー、やっぱ息が詰まるんだよねえ……」
陽菜は、窓の外を眺めながら嘆息した。
空には雲一つなく、吹き込んでくるあたたかな風がカーテンを揺らしていく。
晴れ渡った空の下、庭園に足を運んでのびのびと過ごすことができればいいのに――そう考えはすれど、身の安全を考えれば単独行動は避けるべきである。かといって、日に何度もオーヴィスを呼びつけるのも憚られるため、自然と自室で過ごすことが多くなる。
とはいえ、日がな一日自室にこもりきりなのもどうかと思うので、一日一回は顔を出しに来るオーヴィスや、主な話し相手となっているレティシアを誘って時々城の敷地内を散策することにしていた。
「胸中お察ししますわ、陽菜様」
部屋の拭き掃除に勤しむレティシアが陽菜に声をかけた。
「城下町での一件から、陽菜様はとても窮屈な思いをされておりますもの。息が詰まって当然ですわ」
「あはは、ありがと。でもまあ、命を狙われている以上自重するしかないもんなあ。下手したら死んじゃうし。あんまり実感わかないけどさ」
陽菜は、テーブルの一角を陣取る果物かごに視線を移した。みずみずしく美味しそうな果物がかごいっぱいに詰まっている。その中にはあのリンゴそっくりな果物、キュリアもあった。
目の前にあるキュリアは、城下町で自分が買い求めたものではない。
しかし、その赤い実を見るたびに思い出すのだ。短剣が投げ込まれた、城下町での一件を。
(命を狙われるなんて初めてだから、かな。実感がないのって。だけど、あのときは本当に怖かった)
もちろん今でも恐ろしいと思うし、不安は拭えないけれど――そう、陽菜が心の中で呟いたときだった。
「まあっ陽菜様!こちらの品はいったいどうされたのです!?」
レティシアの素っ頓狂な声が響き、陽菜は何事かとそちらを見やる。
彼女の視線は、机の上に無造作に置かれていた十字架のペンダントに注がれていた。
「ああ、いっけない!着替えの時に外したままつけるの忘れてた!」
陽菜は椅子から立ち上がり、レティシアの傍に駆け寄っていく。
「それね、陛下からもらったものなの。お守りみたいなものだから、肌身離さず持ってなさいって言われてるんだ」
分不相応な気もするんだけどね、と肩をすくめる陽菜の横で、レティシアは俯いたまま動かない。
もしかして気に障るようなことでも言ってしまったのだろうか――陽菜は心配になり、レティシアの顔を覗き込もうとした。次の瞬間、レティシアは勢い良く顔を上げたかと思うと、どこか陶然とした表情のまま胸の前で両手を組み合わせた。
「……ああもう本当に素敵すぎますわ……!こんなに素晴らしい展開を見られるなんて、わたくしはなんて幸せ者なんでしょう……うふ、うふふふっ」
「レ、レティシア?」
ぶつぶつと呟きながら何やら怪しい笑みを零すレティシアに、陽菜は恐る恐る話しかける。
すると、彼女ははっとした様子で慌てて首を横に振った。
「い、いいえ!何でもありませんわ!」
「……本当に?」
「ええ!ただ、そうですわね、陛下が女性に贈り物をされるなんて……と、少々驚いてしまっただけですのよ」
「え、それってそんなに驚くことなの?」
「はい、それはもう!前代未聞と言ってしまっても過言ではありませんわ!陛下が心を許した女性など、わたくしの知る限りおられませんでしたもの!」
ゼイルに贈り物をされたという事実がどれほど大変なことなのか、レティシアがやや興奮気味に説明してくれるも、その重要さがいまいち理解できずにいる陽菜は曖昧に笑って流すしかない。
(要は、“氷の王”って呼ばれるくらい他人を寄せ付けないような人が、他人に贈り物をするのが珍しいってことかな?でも陛下ってそこまで怖い人じゃないと思うんだけどなあ)
そういえば、ゼイルは自分と目を合わせようとする者は少ないと言っていたような気がする。
“血の瞳”と恐怖する者もいる、と。
もしも陽菜が同じように恐れられ、氷の王と呼ばれ、近寄りがたいと忌避されてしまったら――そんな風に考えて、切なくなる。
(……陛下は、つらくないのかな?)
それはゼイル本人しかわからないこと。
けれど、自分だったら耐えられないだろうなと、陽菜はぼんやり思った。
「ああっ、それにしてもこんなに素晴らしいペンダントをいただくなんて!さすが陽菜様ですわね!わたくし感激してしまいましたわ!……って、あら?」
「……ん?どうしたの?」
陽菜が思考の淵から戻るとほぼ同時に、レティシアは十字架のペンダントをしげしげと眺め始めた。ペンダントに触れるでもなく、時折首を傾げるような仕草を交えながらそれを注視する姿に、陽菜は違和感を覚える。
「何か問題でもあった?あっ、もしかして傷付いちゃってるとか!?」
いかにも高級そうな代物に傷でもつけようものなら――と陽菜は内心慌てたが、レティシアは苦笑しつつ首を横に振るだけだった。
「いいえ、傷などございませんわ。ですが、その……なんというか」
「……レティシア?どうしたの?何か気になることでもあるの?」
歯切れの悪い返答が気になり、陽菜は尚もレティシアに問いかける。
レティシアは一瞬視線を彷徨わせたが、やがて勘違いかもしれませんがと前置きしてからためらいがちに口を開いた。
「この青色の宝石なのですけれど……どこかで見たような気がして。でもこのような美しい装飾品を拝見したのは初めてですし、きっとわたくしの気のせいだと思いますわ」
「そう?ちょっと気になるけど、レティシアがそう言うなら普通にお守りとして持ってても問題なさそうかな。このペンダント、デザインも綺麗で気に入ってるんだよね」
そう言って、陽菜はペンダントを首にかける。もちろんいつものように服の中へ仕舞い込むことも忘れない。
そうして他愛もない会話を続けていくうちに時間は過ぎ去り、陽菜はレティシアの言葉に感じた違和感もすぐに忘れてしまった。
――後から思えば、自分はもっと疑問を持つべきだったのかもしれない。
レティシアの言葉も、国王からペンダントを賜ったという事実も――このときの陽菜はまだ、事の重大さに気付けずにいた。
* * * * * *
クロスティア王国における王の権力は絶対的であり、政はすべて国王を中心として行われている。絶対王政に近いものを感じさせるが、王の位は世襲であり、私利私欲に走り権力を振りかざすだけの愚鈍な者が王位に就くことも考え得る。
民を苦しめる政治など、あってはならない。
そのため、先代達は有力貴族や国王に準ずる位を持つ者の中から特に優秀な人間を選び出し、議会を作った。それは“元老院”と呼ばれ、宰相以下の元老院が国王を補佐し、政治を円滑に進めるための役割を担っている。最終決定権は国王にあるにせよ、元老院の意見も無視できないため、両者間でたびたび衝突が起こるのももはや致し方ないことといえよう。
「……まあ、元老院自体が腐ってしまえば元も子もないのですが」
机の上を陣取る分厚い紙束を一枚ずつ確認しながら、リードは大きなため息をついた。
「少しつついただけでもこれですか。まったく、浅知恵の考えることはよくわかりませんね。理解したくもありませんが」
眼鏡を押し上げ、リードは手元の書類に視線を落とす。
数日前に放った密偵からの報告。そこに光の姫巫女の名前は無い。
前々から嫌疑の目を向けていた案件についての情報は手に入れたものの、彼が知りたいのはそこではない。そうやすやすと尻尾を掴ませるわけがないと踏んでいたが、光の姫巫女に危害が及ばぬうちに処理しなければならない。
リードは机に片肘をつき、もう片方の手で報告書を紙束の一番上に戻しながら口を開いた。
「彼女の件に関わっているかはともかく、叩けばいくらでも埃が出てきそうですね。良いでしょう。徹底的に洗い出しなさい。我が国に影を落とす結果に繋がるのであれば、たとえ重鎮だろうと不要です」
「――御意に」
どこからか響いた硬質な声が、この場にいないはずの他者の存在を認識させる。
気配は声と共に掻き消え、後には何も残らない。
「僕は――僕たちは“光の姫巫女”の守護者ですからね。何があろうと守り抜きますよ。――たとえ“聖騎士”でなくとも、僕はきっと陽菜さんを守るでしょうけれど」
そう思えるくらいには、彼女のことを気に入っているのだろうか。
そんなことを思いながら、リードはもう一度報告書の山を一瞥し、静かに席を立った。
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リードさん、回を追うごとに黒くなってきてるような……まあきっと気のせいでしょう。主人公のことは気に入ってるようですが。




