act.15
「え……?」
ぞくり、と背筋に悪寒を感じて振り返る。
何故か振り返らなければならない気がしたのだが、当然ながらそこには誰もいない。遠目に広場の雑踏が見えるだけだ。陽菜は首を捻ったが、いくら目を凝らしても変わらない景色に、気のせいだったのかもしれないと思い直す。
「……陽菜さん?どうかなさいましたか?」
突然立ち止まった陽菜を訝しく思ったのか、リードが声をかけてきた。
知らず歩みを止めてしまっていたらしく、少し先でリードとオーヴィスが足を止めてこちらを見ている。どうやら待たせてしまったようだ。陽菜は彼らに追いつくため、慌てて足を動かした。
「遅くなってごめんなさい!」
「いえいえ、お気になさらず。それより、何かあったのですか?」
言いながら、リードは視線を陽菜の後方に向けた。唐突な陽菜の行動が気になったのだろう。
しかし、陽菜は明確な理由があって振り返ったわけでもない。何と説明すれば良いのかわからず、陽菜はなんでもないと首を振るに留めた。
ただ――気のせいだったとはいえ、一瞬だけ背筋に感じた寒気の存在は、どうしても拭い去ることができなかったけれど。
休憩も兼ねて入った広場内にあるお洒落なレストランで昼食を済ませ、陽菜達は再度城下町の散策に繰り出していた。広場は一通り回ったので、比較的人通りが多そうな路地を選んで歩く。道沿いに構えられた店は決して多くないが、広場の喧騒とはまた一味違った静かな雰囲気で、人通りはそれなりにあるにしろ歩きやすかった。
陽菜は、自身の両隣を歩くリードとオーヴィスを交互に盗み見た。
彼らは宰相と騎士隊長という立場だというのに、堂々と町中を闊歩できているこの状況がひどく不思議なものに思える。
(目立っても不思議じゃない組み合わせだよねこれ。宰相と騎士隊長っていったらかなりの有名人だろうに。いや、目立たないに越したことはないんだけど)
陽菜の考えとは裏腹に、道行く人々はリードとオーヴィスに関心を示さない。
魔法がかかっているとはいえ悪目立ちしたくない陽菜にとってはありがたい状況だが、普通有名人が来ているともなれば、軽く騒ぎになっても良いはずなのに。
そんな素朴な疑問を二人にぶつけてみたが、返ってきた答えは意外と単純で、一般市民は彼らの顔をよく知らないのだそうだ。名前は知っていても、二人の姿を見る機会は限られている。それに加え、彼らが城下町まで足を延ばすこと自体稀であるため、名を名乗らない限りそう簡単にはわからないだろうとのことだった。もっとも、わかる人にはわかってしまうようだが。
ともあれ、これで騒がれることなく城下町を思う存分満喫できる理由がわかったので、良しとしておくことにした。
* * * * * *
「……リード様、陽菜。間もなくお時間となってしまいますがいかがいたしましょう」
時間はあっという間で、とうとう予定の時刻になろうとしていた。この広い城下町をすべて見て回るにはさすがに時間が足りず、少しだけ名残惜しくもある。けれど、久方ぶりに長く歩いた足はくたくたで、帰るには良い頃合いなのかもしれない。楽しみは次回にとっておくべきだろう。
「おやおや。それではもうそろそろ戻らなければいけませんねえ」
「あっ、本当だ。早いなあ」
陽菜は、リードが懐から取り出した懐中時計に視線を落とした。
時計の針は、もうすぐ十五時を指し示そうとしている。リードとオーヴィスは城に戻ってからも仕事があるそうなので、そろそろ引き返さなければならない。
陽菜は二人に向き直ると、ぺこりと頭を下げた。
「お二人とも、今日は本当にありがとうございました!おかげでとっても楽しかったです」
「そうか。いや、君が楽しんでくれたのなら何よりだ」
そう言って微笑むオーヴィスの両手には、いくつかの袋が抱えられている。どれも陽菜が購入したものだ。陽菜は自分で持つと言い張ったのだが、オーヴィスがあれこれ理由をつけて陽菜に荷物を持たせようとしなかったため、申し訳ないと思いつつも荷物持ちをお願いしてしまっていた。
「こんなに長々と連れ回してご迷惑じゃなかったですか?」
「迷惑だなんて思っていないよ。気にしないでくれ」
「そうですよ。城下町へ来るのは本当に久しぶりで、僕も楽しませてもらいました。ふふ、楽しかったのは陽菜さんがいたからかもしれませんね?」
「ちょ、リードさん!?からかわないでくださいよ!」
リードに悪戯っぽい笑みを向けられ、陽菜は少しだけ頬を赤らめた。
冗談だとわかりきっていても、やはり慣れない。
陽菜は頭を振って羞恥心を誤魔化すと、帰途につくために踵を返した。
「――おっと」
陽菜が歩き出そうとしたちょうどそのとき。
視界の端にオーヴィスが荷物を抱え直しているところが見えたかと思うと、次いで彼ののんびりとした声が聞こえてきた。そちらを見やれば、オーヴィスの抱える荷物のひとつが落下しており、キュリアがころころと地面に転がっている。
「わわ、大変!」
陽菜は慌ててキュリアを拾い集め、袋に入れていく。
「すまないな。少し手元が狂ってしまった」
「いえいえ!オーヴィスさんに買ったもの全部持たせてしまった私が悪いんですから!……あれ、おかしいな三個しかないぞ?どこいった?」
袋に詰め込んだキュリアは三個。あと一個が見当たらない。
きょろきょろと周囲を見回してみると、探し物はやや離れた場所にある小さな家屋の傍で見つかった。幸い人通りもまばらになってきており、このぶんだと蹴られる心配はなさそうだ。
陽菜は二人に断りを入れ、転がり落ちたキュリアを取りに行くことにした。
「あったあった!もう、こんなところまで転がってくなんて――」
屈み込んでキュリアを拾おうとした、その瞬間。
ひゅっ、と何かが空を切る音がした。
「――危ないっ!」
オーヴィスの鋭い声が響いたと同時に、陽菜の目の前にあるキュリアに短剣が深々と突き刺さった。
「え……?」
今にも手を伸ばそうとしていた陽菜は、あまりのことに硬直するしかない。
驚愕に目を見開いたまま呆然と見つめる先には、短剣の刺さったキュリアがある。
現実逃避したくても、できなかった。
「陽菜っ!大丈夫か!」
「怪我はありませんか!?」
後方から、焦ったような声とともに二人分の足音が聞こえてくる。
陽菜は駆け寄ってきたオーヴィスとリードに何と答えていいかわからず、身を硬くしたまま頷くだけ。
リードは気遣わしげに陽菜の肩に手を置き、オーヴィスは厳しい顔つきで周囲を確認している。
先程までの穏やかさから一変、緊張感をはらんだ空気が周囲を支配していた。歩行者がちょうどよく途切れていたことだけが救いかもしれない。
「いったい、どうしてこんな」
「わかりません。ですが、これは間違いなく故意に行われたものでしょう――殺意の有無はともかく」
「さ、殺意!?そんなもの知りませんよ!?」
「明確な殺意があるかどうかはさておき、リード様の言う通りこれは明らかに不自然だ。陽菜が手を伸ばしたと同時に投げ込まれた短剣……こちらか」
短剣の向きから判断したのだろう、オーヴィスがすぐ脇にある小さな路地を睨めつける。
建物と建物の間にある、狭くて薄暗い路地。
オーヴィスは荷物を道の脇に置くと、迷うことなくそこに足を踏み入れた。
「ま、待ってください!私も行きます!」
「行ってはなりません。危険です」
慌ててオーヴィスの後を追いかけようとした陽菜の肩を掴んだまま、リードが静かに言った。
「彼は“護衛”です。彼に任せて、僕達はここで待ちましょう」
「でもっ」
「彼ならば大丈夫です。それとも、僕では頼りになりませんか?」
リードの問いに、陽菜はぶんぶんと首を振った。
正直に言えば、怖くて仕方ない。初めて感じた恐怖に、どうしていいのかわからないというのが本音だ。リードが一緒にいてくれなければ、恐怖で泣き喚いていたかもしれない。
「お二人のことはもちろん信頼してますよ!……でも、心配で」
「オーヴィスを案じるあなたの気持ちは素晴らしいことですが、そのために自らを危険に晒しては元も子もないのですよ。オーヴィスもきっとそれを望まないでしょう。……大丈夫、彼が戻るまでは僕があなたを守ります」
落ち着かせるように優しく頭を撫でられ、陽菜は俯いた。
リードの言葉は、陽菜に危険な目に遭って欲しくなかったがためのもの。それはわかっている。
(――でも)
二人に守られるだけで、無力な自分が――ほんの少し、悔しかった。
数分程経って、オーヴィスが路地の奥から戻ってきた。
思わず駆け寄ったときに見せた彼の表情は真剣そのもので――陽菜は何があったのだろうかと心をざわつかせる。
「何か、あったんですか?」
陽菜の問いにオーヴィスは複雑そうな表情で答え、そのままリードに向き直った。
「それらしき者の姿は見当たりませんでした。ですが、奇妙なことが起こりまして……」
「奇妙なこと?詳しく話してください」
「それが――」
オーヴィス曰く、路地の奥には確かに誰もいなかったそうだ。
しかし、路地の突き当りまで辿り着いた彼が引き返そうとした瞬間、周囲の壁に突然文字が浮かび上がったのだという。それはすぐに掻き消え、今は影も形も残っていないが――内容が内容だけに、オーヴィスは一刻も早く報告しなければと思ったそうだ。
「“城に巣食う下賤なる娘に相応しい処分を。これは警告だ。次は命を狙う”――そう、書かれておりました」
息を呑む陽菜の隣で、リードが静かに眼鏡を押し上げた。
ほのぼのから一変、という感じでしょうか。
シリアスっぽくなりました。
恋愛と銘打っているのにまだまだ恋愛色が濃くないという……そ、そのうちなるよ!まだ序盤だからね!




