act.14
「ふうん、あの小娘、城の外に出るの……」
ゆらり、燭台の火が揺れる。
「“陛下の客人”ですって?ふふっ、あの薄汚い小娘が?あはっ、なんてこと!」
嘲笑を含んだ甲高い女の声が、静かな部屋にこだました。
机の上に散らされた書類に手を伸ばし、その長い爪で文字の羅列を辿る。
「戸籍もない、身元も知れない小娘を何故城に置いているのかはわからないけれど……」
紅を引いた蠱惑的な唇が、弧を描いた。
「陛下も、宰相様も、みんなあの小娘に騙されているんだわ。でなければ、こんなことありえるはずがないもの。だとすれば、誰かが目を覚まさせて差し上げるべきなのよ」
うっそりと笑い、手近にあった書類を手に取って燭台の火にくべる。
ちりちりと端から焼けていくそれを眺めやりながら、女は譫言のように呟いた。
「陛下の寵を賜るのは、このわたくし。――――邪魔者は、消さなくては」
燭台の火が、消える。
瞬時に闇に包まれた部屋の中、後に残るは女の笑い声だけだった。
* * * * * *
城の正門をくぐり、石畳の道を進んでいくと、見るからに高級そうな家屋が立ち並ぶ場所に出た。
隣を歩くリードに聞いてみると、城にほど近いこの一帯は、貴族や爵位を賜った所謂身分が高い人達の居住区になっているのだという。そのため、周辺には高級品を取り扱う店が多く、買い物をするには不向きな場所なのだそうだ。
そんな説明を受けながらこの高級住宅街のような区画を抜けると、一般市民が多く暮らす城下町が見えてくる。遠くからでも、その喧騒は思いの外大きく聞こえてきた。
「わあ……っ!」
視線の先にある、活気に満ちあふれた町の様子に陽菜は思わず感嘆の声を上げた。
ひっきりなしに行き交う人々や、物売りが客を呼び込む威勢の良い声。中世ヨーロッパを思わせる美しい町並みも相まって、まるで絵本の中に飛び込んでしまったかのような、そんな不思議な気分になってしまいそう。
「すごいすごいっ!すっごく素敵!」
はしゃいだ様子で無意識のうちに歩調を早める陽菜の姿に、オーヴィスは苦笑を禁じ得ない。
「あまり先に行ってはいけないよ。一人では迷子になってしまうからね」
やんわりと釘を刺され、陽菜は後方を歩くオーヴィスとリードを振り返った。
「もうっ、わかってますよ!私そこまで子供じゃありませんし!」
言葉とは裏腹に、陽菜はどこかそわそわと落ち着かず、すぐにくるりと前を向いてしまう。
オーヴィスは「やはり心配だ」と頬を掻き、リードは微笑ましいものを見るような眼差しで陽菜の後ろ姿を見つめた。
「ふふ。余程楽しみだったのでしょうね」
「元は普通の少女であったと聞いています。年頃の娘らしい姿だと思われますが」
「城の中だけでは退屈でしょうし、気分転換にでもなればと思って提案したのですが……どうやら正解だったようですね。彼女が喜ぶのであれば、これからも外出の機会を設けるつもりですよ。僕がついていけなくてもね。オーヴィス、頼みましたよ」
「はい、お任せください」
密やかな会話が己の後ろで交わされているとも知らず、陽菜はだんだんと近付いてくる町並みに釘づけになっていた。
危惧していた陽菜の外見は、リードの魔法で茶色の髪に茶色の瞳、という一見どこにでもいそうな姿に変えてもらっている。外出前に告げられた魔法の発動方法については、昨日の出来事もあって赤面しながら文句を言ってしまったけれど、リードには感謝している。
これで陽菜は、何の憂いもなく大手を振って歩くことができるのだから。
雑踏に足を踏み入れ、道なりに真っ直ぐ進んでいくと、広場のような大きく開けた場所に出た。
城下町の中心部に当たる広場のようで、真ん中に噴水が置かれており、多くの店とたくさんの人々でごった返していた。広場からはいくつかの路地が伸びている。そちらには何があるのだろうか。時間があれば行ってみたい。
「さて、目的地に到着しましたけど、どこへ行きましょうか。何か見たいものなどありますか?」
物珍しげに広場をぐるりと見渡していた陽菜に、リードがのんびりと声をかける。
陽菜は少しだけ考えてから、リードに答えた。
「うーん、そうだなあ……せっかくだからいろいろ見て回ってもいいですか?目移りしちゃって決められなくて」
「ふむ、では手始めにこの広場内から散策してみましょうか。買い物するにもここが一番良さそうですし。オーヴィスもそれで良いですね?」
「はい」
同意を求められ、オーヴィスは異論はないとばかりに大きく頷いた。
それを確認してから、リードは懐から白い布袋を取り出して陽菜の前に差し出した。
陽菜は袋を両手で受け取り、促されるまま袋の口を縛っていた紐を解く。覗き込んでみると、三種類のコインのようなものが袋いっぱいに詰まっていた。
「これって、もしかしてお金ですか?」
「当たりです。金貨、銀貨、銅貨。この三種類の硬貨を用いて物資のやりとりが行われています。そうですね、銅貨三十枚で銀貨一枚ぶん、銀貨五十枚で金貨一枚ぶんの価値があると思ってくだされば」
袋の中から三種類の硬貨を一枚ずつ取り出し、リードは説明を付け加えていく。
主に使用されているのは銅貨と銀貨で、金貨は一般市民にはあまり馴染みのないものだそう。金貨を持つためには、相応の身分でないといけないのかもしれない。
陽菜は、手の平の上にある布袋に視線を落とした。銀貨と銅貨が袋の大半を占めているように見えるが、それらに交じってちらほらと金色の硬貨が見え隠れしている。何か見てはいけないものを見た気がした。
(うん、この中にいったいいくら入ってるかなんて考えないよ!考えないんだからね!)
内心冷や汗ものである。
恐ろしい考えに行き着く前に、陽菜はリードに袋を返すことにした。
しかし、リードの反応は陽菜の予想に反したものだった。
「ああ、その袋はあなたが持っていてください。あそこの果物屋で買い物の練習をしてみましょうか」
(やめてえええええっ!)
叫びたい気持ちを何とか堪えつつ、陽菜はリードとオーヴィスに向けて精一杯の笑みを作る。
手の中にある袋が、ずっしりと重く感じた。
「さあ、見てっておくれ!うちの果物はどれも新鮮でおいしいよ!」
果物屋の前にやってくると、店主らしき年配の女性が声をかけてきた。
店に並んでいる果物はどこかで見たような形状のものから見慣れないものまでさまざまだったが、色とりどりでとても綺麗だった。陽菜は丸くて赤い、リンゴのようなものをひとつ手に取ってみる。見た目も香りもリンゴそっくりだ。
「あの、これってなんていう果物なんですか?」
「ああ、それかい?キュリアっていうんだよ。程よい甘みと酸味でね、生で食べても蜜漬けにして食べてもおいしいんだ」
なるほど、名前が違うだけでますますリンゴのようだ。
「キュリアか。それはさっぱりとしていてうまいんだ」
陽菜の手元を覗き込みながら、オーヴィスが言った。
「へえー。どうしよう、食べてみたいかも」
「では、それを買ってみてはいかがでしょう」
食べたいものを食べるのが一番ですしね、というリードの言葉に後押しされ、陽菜はキュリアを購入することに決めた。
「すみません、これ三個いただきたいのですが」
「あいよ!銅貨三枚ね!」
陽菜はリードに渡された袋の中から銅貨を三枚選び取り、店主に手渡した。
店主は受け取った銅貨を確認すると、紙袋にキュリアを入れて陽菜に差し出してくる。
「はいどうぞ。特別に一個おまけしといたよ」
「わ、いいんですか!?どうもありがとうございます!」
「気に入ったら、また来ておくれよ!」
受け取った紙袋を両手に抱え、陽菜は店主に礼を言って店の前を立ち去ろうと足を踏み出した。
すると、オーヴィスが自然な動作で陽菜が抱える紙袋をひょいと持ち上げる。
「オーヴィスさん?」
「私が持とう。重いだろうから」
オーヴィスはキュリアの入った袋を片手で軽々と抱え上げている。
彼に悪い気もしたが、あのままだと両手が塞がっていて買い物どころではなかったので、陽菜はオーヴィスの気遣いに素直に甘えることにした。
「オーヴィスさん、ありがとうございます」
礼を言うと、オーヴィスは目を細め、陽菜の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
それを見ていたリードは優しく笑い、陽菜に声をかける。
「キュリアは帰ったら食べましょうね。さて、次はあちらの店を見てみましょうか」
「はいっ!」
そうして、陽菜達は広場にある店を順番に回って行った。
* * * * * *
一つの、影があった。
雑踏の喧騒も、おびただしい人の波も、すべてがそれにとっては無いに等しかった。
ただ、ひっそりと立ち尽くすのみ。
「……見つけた」
黒いフードをすっぽりと被り、ロングコートで身体全体を覆い隠したそれは、どう見ても異様な風体だった。唯一、口元だけが肌を覗かせている。
「宰相と騎士団長とは……随分と丁重に扱われているようだな。“陛下の客人”とやらは」
呟かれる声はどこまでも平淡だったが、口の形は笑みそのもの。
「恨みなんてこれっぽっちもないが、これも“仕事”なんでね。悪く思うなよ?」
笑みの形だった口が、酷薄に歪められる。
黒衣の男は、喉の奥で低く笑うと、一瞬で姿を消した。
――誰にも、その存在を知られることなく。
リードやオーヴィスと一緒に城下町へ!
何やら不穏な動きもありますが……まあそれは次回ですね。




