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死体を数える部屋―地震で崩壊した避難所。13人が閉じ込められる。翌朝、死体が一つ増えていた。  作者: 妙原奇天


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第9話「同数への行進」

 第九の朝、誰も「九」という数字を口にしなかった。


 ただ、全員が無言で倉庫の奥を見た。


 黒い袋が、またひとつ増えている。


 八つ並んでいた列の、端に。

 形こそ他と変わらないのに、そこだけがやけに目についた。


 生者十三。

 死体九。


 頭の中で、勝手に数字が並ぶ。


「……確認する」


 楢崎が前に出る。いつものように、袋の順番に触れていく。


「一、二、三、四、五、六、七、八……九」


 生暖かい沈黙の中で、ただ指折り数える音だけが響いた。


「ジッパーは全部閉じられている。昨日のまま、誰も触っていないな」


「それでも増えてる」


 三輪が、かすかに笑った。


「相変わらず真面目だな、“向こう側”」


「そう呼ぶな」


 結城が低く言う。


「相手の正体も分からないうちにラベルを固定するのは危険だ」


「じゃあ何て呼べばいいんだよ」


「今はまだ、“こちらではない何か”でいい」


 彼らしい慎重な言い方だったが、きっと誰の胸の中にも、同じ呼び名が浮かんでいた。


 向こう。

 あっち。

 鏡の向こうの十三人。


「……ユウ」


 沢村が、黒板のほうを顎で示した。


「頼む」


 いつもの役目だ。


 僕はチョークを握り、黒板の前に立つ。


 昨日の文字が残っている。


 生存者十三

 十三|八


 この縦線。

 左右を分ける一本の境界。


 それを見た瞬間、指が勝手に動いた。


 一本だった線の、すぐそばに。

 もう一本、細い縦線を引き足す。


 黒板には、「十三」の右に、「‖」が並んだ。


 十三‖八


「おい、それ何だ」


 背後から御子柴の声が飛ぶ。


「新しい記号?」


「……いや」


 自分でも理由をうまく言えないまま、僕は右側の「八」をこすり消し、「九」と書き直した。


 十三‖九


 昨日までは、一本線だった。

 十三|八。十三|七。

 “向かい合う二つの列”というイメージで、そう書いた。


 でも今朝、あいだに二本の線を引いたとき、妙に腑に落ちた感覚があった。


 一本目は、“こっちと向こう”を分ける境界線。

 二本目は、“数字そのもの”の数え方を縛る柵。


「……二重の縦線。等号の縦版みたいだな」


 田所が、面白そうに目を細める。


「同数を目指して歩いている二つの列。そんなイメージが浮かぶ」


「そういうつもりで書いたわけじゃない」


「でも、ぴったりだと思うよ」


 田所は笑う。


「“同数への行進”。今日のタイトルは、それで決まりだ」


 タイトルなんて、誰も頼んでいない。


 それでも、胸のどこかでその言葉が引っかかった。


 同数への行進。

 最初は、死体一。

 それが、二、三、四……と増え続けて、今は九。


 十三と九。差は四。

 残り、四。


 このまま行けば、あと四日で“十三‖十三”になる。


 その瞬間、何が起きるのか。


 黒板から目を離せなくなりそうになったので、慌てて視線を逸らした。


 代わりに、胸ポケットから小さなノートを取り出す。


 僕だけが使っている、個人的な記録帳。

 黒板の数字を書く前から、ずっと同じページに書き続けている。


 そこには、“別の書き方”で数字が並んでいた。


 ― 一日目 わたしたち一+わたしたち十二

 ― 二日目 わたしたち二+わたしたち十一

 ― 三日目 わたしたち三+わたしたち十

 ……


 そして、今日。


 ペン先を押しつけるみたいにして、書き足した。


 ― 九日目 わたしたち九+わたしたち四


 生存者十三/死体九、ではない。


 “わたしたち九+わたしたち四”。


 九は、“向こうで死んだ九人の写し”と、その相方であるこっち側の九人。

 四は、“まだ対になっていない四人”。


 そんなイメージだ。


 誰にも見せるつもりはない。

 勝手に頭の中でそう数え始めてから、もう引き返せなくなっていた。


「……同数になったらどうなると思う?」


 ふいに、結城が声を上げた。


 全員の視線が、自然と彼のほうに集まる。


「十三‖十三。こっちが十三で、向こうの死体も十三。対が全部そろった瞬間」


「バランスが取れる」


 誰かがぼそりと言った。三輪だった。


「五分五分。イーブン。公平。そういうの、好きなやついっぱいいるだろ」


「バランスが取れた世界が、いつも安定するとは限らない」


 結城は首を振る。


「むしろ、“均衡したあとに壊れる”現象は、自然界にも社会にもたくさんある。“ここ”がそういう節目なら、“同数の瞬間に何かが起きる”と考えたほうが自然だ」


「何が起きると思う」


 沢村が問う。


「俺の予想?」


 結城は少し考え、短く息を吐いた。


「可能性はいくつかある。“閉鎖”か、“再配置”か、“交換”か」


「閉鎖は分かるけどさ」


 御子柴が眉をひそめる。


「“再配置”って何だよ。ゲームのステージセレクトみたいに言うな」


「“ここ”という節目が役目を終えた瞬間に、別の節目が生まれる。僕らがそっちに移される。そういうイメージだ」


「引っ越しかよ」


「その引っ越し先が、今よりマシかどうかは分からないけどね」


 結城は肩をすくめる。


「で、“交換”。これは、僕よりも田所のほうが楽しそうに説明してくれそうだ」


「任された」


 田所は、黒板の「十三‖九」を指で叩いた。


「同数になった瞬間、“左右が入れ替わる”。あるいは、“ペア同士が交換される”。そんな感じじゃないかな」


「交換?」


「例えばさ」


 田所は、その場に座り込んだ。


「今、こっちにいる“ユウ”と、向こうの“ユウの死体”。こっちの“北條”と、向こうの“祈ったまま死んだ北條”。同数になった瞬間、どっちかがどっちかの位置に入れ替わる」


「どっちかって……」


 思わず口を挟んだ。


「そんなの、こっちから選べるわけないだろ」


「選べないよ。だから“交換”なんだ」


 田所は笑う。


「向こうのルールで決められる。こっちの意思なんて関係ない。数字が揃った瞬間に、“ペアが揃っていない四人”もまとめて何かされる」


「四人……」


 胸の内側で、その数字だけがやけに響いた。


 わたしたち九+わたしたち四。

 まだ対になっていない四人。


 自分がどっちの側にいるのか、考えたくなかった。


「同数になったとき、交換されるのは“死と生”かな、それとも“ここ”と“向こう”かな」


 田所は、指を組んで顎に当てる。


「どっちにせよ、楽しい結果にはならなさそうだ」


「楽しそうに言うな」


 砂原が、苦く笑った。


「同数にならなきゃいい」


 その言葉は、誰の口からこぼれたのか分からなかった。

 言い終えた瞬間、自分を含めて、全員がそう思った気がする。


 でも、黒板の数字は嘘をつかない。


 差は、四。

 これまで毎日一体ずつ増え続けているのなら、あと四日で追いつく。


 黙っていても、足が勝手に前に進んでしまうような、そんな“行進”だった。


     ◇


「温度の話をしてもいいか」


 午前中、少し空気が落ち着いた頃。

 楢崎が、ノートを抱えて皆の前に立った。


「さっき確認したついでに、また測っておいた。死体の体温だ」


「体温?」


 藤咲が、不安そうに腹をさすりながら顔を上げる。


「そんなの、下がる一方じゃないの」


「それが――そうでもない」


 楢崎は、ページをめくった。


「最初に一体目が現れたとき。袋の隙間から測った表面温度は、十二度から十三度の間だった。倉庫内の気温より少し高い程度」


 そのときの寒さを思い出す。

 床からじわじわと冷えが這い上がってきて、毛布を巻いても膝が震えていた。


「二体目、三体目……と増えるにつれて、多少のばらつきはあるが、全体として少しずつ“上がっている”。ここ三日間の平均を取ると――」


 ペン先が紙をなぞる。


「六体目の朝が二十一度前後。七体目が二十三度。八体目が、二十五度。そして今日、九体目の測定値は二十七度だった」


 ざわめきが走る。


「……上がってるってこと?」


 三輪が、信じられないという顔で聞く。


「死んでるのに?」


「“死体としてここに来てからの時間”と“温度”だけ見れば、そういう傾向がある」


 楢崎は静かに頷いた。


「冷たいものが時間とともに周囲の温度に近づくのとは逆だ。こっちの気温は下がり続けているのに、向こうから来た死体は、日に日に“こっちに近づいている”」


「こっちって、何度くらい?」


 小机が問う。


「今の倉庫内の気温は、だいたい六度前後。生きている俺たちの体温は三十六度前後。死体の温度は、その中間をじわじわ上っている。今二十七度なら、単純に差分だけで考えても、あと何日かで三十度台に乗る可能性が高い」


「……やめろ、その計算」


 沢村が、小さく吐き捨てた。


「冗談じゃない。死体が暖かくなっていくとか、聞きたくなかった」


「俺だって言いたくなかったよ」


 楢崎は、ほんの一瞬だけ苦い顔をした。


「でも、これは事実だ。“向こう側の死”は、こっちの“生”に近づいてきている。距離が――詰まってきている」


「死んでるのに、こっち側に寄ってくるってこと?」


 藤咲が、腹を押さえながらかすかに笑った。


「ずるいなあ。こっちは必死に生き延びようとしてるのに」


「藤咲さん」


「冗談だよ。なんか、笑っとかないとやってられないでしょ」


 笑ってはいたが、その顔は引きつっていた。


 数字が近づくだけじゃない。

 温度も近づいている。


 同数への行進は、数字だけじゃなく、身体のほう でも進行していた。


     ◇


「音のほうは、どうだ」


 午後。片桐が、金属棒を手に壁の前に立っていた。


 彼が持っているのは、体育倉庫の隅から見つけた古いハンマー。その頭の部分を取り外し、棒だけを残したものだ。


「さっきの“空洞”の話か」


 沢村が、近くに腰を下ろす。


「正直、あんまり聞きたくないんだが」


「俺もあんま聞きたくないんだけどさ」


 片桐は苦笑しながらも、壁に耳を当てた。


「でも、昨日の夜からずっと気になってたんだよ。あの金属音。風の音に混じってた“リン”ってやつ」


 最初にその音に気づいたのは三輪だった。

 ひび割れた壁の向こうから聞こえる、不規則な金属音。


「で、音の出どころ探ってたらさ。ここら辺だけ、響き方が違うんだよな」


 片桐は、壁の一部を指さした。


 ひびの走るコンクリートの、少し下。

 ぱっと見だと他と変わらないが、拳で軽く叩くと、確かに音が違うことが分かる。


「ここだけ、少し“空洞”っぽい響きがある。中が詰まってない感じ」


「穴が空いてるってことか」


 御子柴が、興味半分、不安半分という顔で近づく。


「さあな。配線スペースか何かかもしれないし、本当に向こうへの穴かもしれない」


 片桐は、金属棒を軽く握り直す。


「で、昨日から試してるんだ。一定のリズムで叩いたら、向こうから何か返ってこないかって」


「通信実験かよ」


「こう見えて理系なんで」


 片桐は笑い、金属棒の先で壁を三回叩いた。


 カン、カン、カン。


 乾いた音が、倉庫の中と壁の向こうに響く。


 しばしの沈黙。


 誰もが、息を止めて耳を澄ませた。


 そして――


 カン、カン、カン。


 同じリズムの音が、壁の向こうから返ってきた。


「……今の、反響じゃないよね」


 シオリが震えた声で言う。


「さすがに」


「反響なら、もっと音が丸くなるはずだ」


 結城が、真剣な顔つきで壁を見つめる。


「今のは、明らかに“別の硬いもの”で叩いてる音に聞こえた」


「もっと試してみる」


 片桐は、だんだん青ざめていく顔を無理に落ち着かせながら、今度は違うパターンで叩いた。


 カン、カン、カン、カン。


 四回。


 少し間を置いて――


 カン、カン、カン、カン。


 また同じように返ってくる。


「三回、四回。どっちも同じ回数が返ってきてる」


 砂原が唾を飲み込む。


「おいおい。マジかよ」


「まぐれかもしれない」


 駒田が言う。


「もっと複雑なパターンで試せ」


 片桐は頷き、今度はリズムを変えた。


 カン、カン……カン。

 間を空けてから、カン。


 “二回・一回・一回”。


 しばらくの静寂。


 そして、向こうから――


 カン、カン……カン。

 カン。


「……コピーだ」


 三輪が、床に座り込んだ。


「完全に、コピーしてきてる」


「誰かが、向こうで数えてるんだよ」


 片桐の声が震えている。


「こっちが叩いた回数を、向こう側で数えて、その通りに叩き返してくる」


「点呼と同じだ」


 田所が、小声で言った。


「こっちの声を、向こうが数えて、“余剰分”を返してくる。今度は叩く音でそれをやってる」


「やめろ」


 沢村が、思わず壁から一歩下がる。


「これ以上、向こうと遊ぶな。これ以上“つながり”を強くしたら、何が起きるか分からない」


「分からないから、試したくなるんだろ」


 田所は笑ったが、その目は笑っていなかった。


「分からないままでも、向こうはこっちに干渉してきている。だったら、最低限“ルール”だけでも把握しておくべきだ」


「そのルールってのが、“同数になったら交換します”だったらどうするつもりだ」


 砂原の声には、怒りよりも焦りが滲んでいた。


「まずは生き延びることを優先しろ。好奇心で壁叩いてる場合じゃない」


 片桐は、しばらく沈黙したあと、金属棒を下ろした。


「……了解。今日はここまでにしとく」


 ただ、その目はまだ壁から離れていなかった。


 壁一枚の向こう側で、誰かが同じように棒を握っている。

 同じ回数だけ叩き、同じように息を潜め、同じようにこちらの音を待っている。


 そんな姿が、嫌でも思い浮かんだ。


     ◇


 夕方。


 いつものように、北條が祈りの時間を提案した。


「点呼の前に、少しだけいい?」


 両手を胸の前で組み、輪を作るようにみんなを促す。


 拒否班と継続班の線引きは、いつのまにか曖昧になっていた。

 朝の“拒否”はあっさりと効力を失い、誰も強く主張しなくなっていた。


 数えてもしんどい。

 数えなくても増える。


 その現実が、誰からも言葉を奪っていた。


「神様に、というより」


 北條は、静かに目を閉じる。


「今日は、“向こうの私”に祈ってみたい」


 その一言に、輪の中の空気がぴりっと張り詰めた。


「向こうの?」


 藤咲が、困惑したように首をかしげる。


「“鏡像仮説”って言葉、あったでしょ」


 北條は、ゆっくりと息を吐く。


「正直、最初は気持ち悪くて受け入れられなかった。自分と同じ顔の自分がどこかで死んで、その死体がここに届いているなんて」


「今も、受け入れなくていい」


 沢村が言う。


「仮説は仮説だ」


「ううん」


 北條は、首を振った。


「さっき、祈っていたときに、ふと思ったの。“向こうの私は、私に祈ってるのかな”って」


「私に?」


「こっちの私に」


 北條は、自分の胸にそっと手を当てる。


「ここで、こうやって祈ってる私を、向こうの私が“境界越し”に見ていたら。声も届かないのに、ただただ真似して祈っていたら。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった」


 彼女は、輪の外――壁のほうを見据えた。


 そして、くるりと向きを変える。


 これまで神棚のない空間に向けて祈っていた両手を、ひび割れた壁の方向へ。


「……向こうの私」


 小さな声で、北條は言った。


「聞こえてる?」


 静寂。


「こっちはまだ、ギリギリだけど生きてる。そっちは、もう死んじゃってるのかもしれないけど」


 言葉の選び方に、彼女なりのためらいがにじんでいた。


「もし本当に“鏡”みたいに重なっているなら、どこかで繋がっているなら。せめてお互い、お互いのことを“数”じゃなくて、“名前”で呼び合いたい」


 壁の向こうから、何も返ってこない。


 片桐が無意識に金属棒に手を伸ばしかけて、沢村に目で止められる。


「……同じ北條を名乗っていて、ごめんね」


 北條は、ふっと笑った。


「どっちかが“本物”で、どっちかが“偽物”だなんて、きっと神様も決められないから。だから、せめて同じように祈る。あなたの分も、こっちで祈るよ」


 その声は、誰に向けているのか分からないまま、倉庫の中にふわりと溶けた。


 祈りが終わったあと、田所がぽつりと言った。


「“向こうの私”に手を合わせる祈りか。そういうのも、ラベリングとしては面白いね」


「黙れ」


 御子柴が、珍しく真剣な顔で制した。


「今のは、茶化すなよ」


 田所は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。


     ◇


 夜になった。


 食料はとうに尽き、今はわずかな水を分け合うだけの日々だ。


 体力は底を打ち、会話も少なくなっていた。


 それでも、点呼だけは続けている。


 輪になり、自分の名を言い、隣の肩に触れる。

 北條が数字を数え、誰かが余計な“最後の声”に耳を澄ませる。


 今日は、その“余剰の声”は聞こえなかった。

 代わりに、壁の向こうからかすかな金属音がした。


 ひゅう。

 リン。

 カン。


 誰かが、向こうで何かを叩いている。


「……なあ」


 点呼が終わり、輪がほどけたあと。


 御子柴が、不意に立ち上がった。


 いつものような軽口の気配はない。

 笑いの前ぶれになるはずの肩の揺れもない。


 目だけが、やけに静かだった。


「明日さ」


 御子柴は、黒板の「十三‖九」を見上げた。


「俺、多分“向こう側”に入るわ」


 誰も、すぐには意味を理解できなかった。


「……は?」


 三輪が、ぽかんと口を開ける。


「どういう意味だよ、“入る”って」


「そのまんま」


 御子柴は、少しだけ唇を歪めた。


「明日の朝には、あっち側の列に俺がいるってこと。こっちじゃなくて、そっちのほう」


「勝手に決めるな」


 砂原が、思わず声を荒げる。


「そんなの、“死ぬ”って言ってるのと同じだぞ」


「まあ、そうだな」


 御子柴は、あっさり認めた。


「でもさ」


 彼は、死体袋の列をちらりと見た。


「ここ数日見てて思ったんだ。どうせ、数字は止まらない。どうせ、同数になるまで増え続ける。だったら、ただ怯えて待ってるより、“自分で決めたタイミングで”そっちに行ったほうが、まだマシなんじゃないかって」


「バカ言うな」


 結城がきっぱりと言う。


「“向こう側に入る”ってのは、こっちのルールで決められる話じゃない。向こうのルールに取り込まれるだけだ」


「分かってるよ」


 御子柴は、背伸びをして首を鳴らした。


「でも、俺、疲れたんだよ。笑って数えるのも、笑わないふりするのも。数字で怯えるのも、数字を笑い飛ばそうとするのも」


 その声には、冗談めかした響きが一つもなかった。


「明日、もし十一体目まで増えて、“十三‖十一”になったらさ」


 御子柴は、ぼんやりと黒板を見つめた。


「残り二。どうせ誰かがそこに“選ばれる”。だったら、俺は“自分で手を挙げる側”にいたい」


「そんなこと、許さない」


 藤咲が、腹を押さえながら立ち上がる。


「誰かが勝手に“先に行く”なんて、絶対に許さない。私は、全員で外に出るまで信じるって決めてるんだから」


「外ね」


 御子柴は、どこか遠くを見るような目をした。


「外があるといいな」


「ある」


 藤咲は、即答した。


「あるに決まってる」


「……そっか」


 御子柴は、それ以上何も言わず、その場に座り込んだ。


 それが“撤回”の意味なのかどうか、誰にも分からなかった。


 ただ一つだけ、はっきりしていたこと。


 あれほどしつこく何かと笑い続けていた御子柴が、

 それからしばらく、一度も笑わなかったという事実だけだった。


 黒板には、「十三‖九」が静かに残っている。


 わたしたち九+わたしたち四。


 同数への行進は、止まらないまま。


 その列の、どの位置に自分が立っているのか。

 誰も、もう口にできなくなっていた。

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