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死体を数える部屋―地震で崩壊した避難所。13人が閉じ込められる。翌朝、死体が一つ増えていた。  作者: 妙原奇天


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第10話「13と13」

 その朝、体育倉庫は、もう最初の避難所ではなかった。


 空気の重さが違う。

 床に染み込んだ湿気も、ひび割れた壁の冷たさも、全部が「終わり」の手前で止まっている感じがした。


 目を覚ましたとき、まず聞こえたのは誰かの小さなつぶやきだった。


「……十三」


 眠気の膜がはがれていく。

 嫌な予感だけが、先に目を覚ましていた。


 誰が言ったか分からない「十三」は、途中の数字を全部抜かしたまま、いきなりゴールに手を伸ばした声だった。


「おい、起きろ」


 肩を揺すられて、僕は顔を上げた。沢村だ。目の下に濃いクマを作り、声はいつもより細い。


「死体の確認だ。全員、見ろ」


 その言い方が、もう答えの半分を含んでいた。


 体育マットから立ち上がり、足元の血の気が引いていくのを感じながら、倉庫の奥へ歩く。


 黒い列が、そこにあった。


 最初に見たときは、一つだった。

 次の日に二つ。

 三つ、四つと増えて、八、九……。


 今、そこに並んでいる黒い袋の数は。


 数えなくても、分かった。


「……十三」


 今度は、僕自身の口からこぼれ落ちた。


 整列した十三体の死体袋。

 ジッパーはすべて閉じられている。

 昨夜、僕らが寝る前に確認したときと、誰の位置も変わっていない。


 この中の誰も、まだ死んでいない。


 それなのに、死体だけが勝手に増え続けて、とうとう“生者と同じ数”に届いてしまった。


「誰も……本当に、誰も欠けてないよね」


 三輪が、震える声で言った。


「点呼する前にもう一回、顔だけでも確認しない?」


「必要ない」


 楢崎が短く答える。


「必要な確認は、これからやる。“全員が生きていること”はもう分かっている」


「どうして、そんなふうに言い切れるの」


 藤咲が、腹を押さえながら問い返す。


「医者だから?」


「違う」


 楢崎は首を振った。


「ここまできたら、医者も何もない。ただ、昨日までずっと見てきたからだ。誰も、まだ“こっちでは死んでいない”。その上で十三体揃った。なら、これはもう、“こっちの世界の死体”じゃない」


 分かっていたことを、改めて言葉にされると、余計に喉が乾いた。


「……ユウ」


 沢村が、黒板のほうを顎で示す。


「書いてくれ」


 いつもの役目。

 でも、今日は足が動かなかった。


 十三体。

 十三人。


 それを書いてしまった瞬間、この倉庫に何かが「確定」してしまう気がした。


「ユウ」


 もう一度、名前を呼ばれる。


 逃げても仕方ない。

 僕は、奥歯を噛みしめて黒板の前に立った。


 そこには、昨日の数字が白く残っている。


 十三‖九


 縦線が二本。

 “こっちと向こう”の境界と、“数字を縛る柵”。


 チョークを握りしめ、右側の「九」をゆっくり消す。


 真っ黒な空間に、一本の白い線を引く。

 くるりと丸みをつける。

 隣に、もう一本。


 黒板に、新しい数字が浮かび上がる。


 十三‖十三


 その瞬間、どこからともなく、誰かが息を呑んだ音がした。


「……揃った」


 誰かがつぶやいた。


 同数。

 十三と、十三。


 生者十三。

 死体十三。


 体育倉庫という小さな箱の中に、二列の十三がぎゅうぎゅうに押し込まれている。


「おい、黒板の線……」


 御子柴が、不意に声を上げた。


「お前、縦線、太くしたか」


「いや」


 僕は思わず、自分の指先を見た。


 確かに、昨日よりも縦線は濃く見えた。

 一本一本が、少し広がっている。


 でも、さっき僕が引いたのは、新しい数字だけだ。線には触っていない。


「……二重どころか、三重になりかけているな」


 田所が、興味深そうに目を細める。


「“境界”と“柵”と、あと一つ。“内側の壁”かな」


「そんな言い方、やめろよ」


 三輪が小さく震えた声で言う。


「これ以上、何重にも閉じ込められてたまるか」


 僕は、黒板から目を離せなくなりそうになって、無理やり視線をそらした。


 胸ポケットから、いつもの記録帳を取り出す。


 そこには、僕だけの“裏数え”が並んでいる。


 一日目 わたしたち一+わたしたち十二

 二日目 わたしたち二+わたしたち十一

 ……

 九日目 わたしたち九+わたしたち四


 ペン先が、九の下に新しい行を刻む。


 十日目 わたしたち十三+わたしたちゼロ


 “まだ対になっていない四人”は、もういない。


 全部が、揃ってしまった。


     ◇


「さあて」


 その沈黙を、破ったのは田所だった。


「じゃあ、“最終照合”といこうか」


「やるんだな」


 結城が、短く言った。


「昨日の夜、頼んでおいた。死体十三体と、生者十三人。“反転一致”の確認」


「ああ」


 楢崎は、腕に抱えたノートを掲げる。


「今まで集めてきた自己検死のデータと、死体の記録。左右の痣、傷、歯列、骨格。全部並べる」


「今ここでかよ」


 御子柴が顔をしかめる。


「そんなの、聞いて何になる」


「知らないままよりはマシだ」


 楢崎は、目の下のクマを誤魔化す余裕もない様子で続けた。


「今朝で十三体そろった。これは、“鏡像仮説”の答え合わせでもある。どこまでが一致していて、どこからがズレているのか。それを知ること自体が、生きるための情報だ」


「……分かった」


 沢村がうなずく。


「ただし、無理しない範囲でだ。詳細な描写は必要ない。“一致しているかどうか”だけでいい」


「そうしてる」


 楢崎は、ノートを開いた。


「まず、御子柴」


「俺からかよ」


「左右の痣。右腕の古い打撲痕と、死体七の左腕の新しい痣。足首の傷。歯の欠け方。総合すると、“かなり濃厚な一致”。鏡像仮説に従うなら、死体七は“向こうの御子柴”だ」


「そっちはそっちで、ご愁傷さまだな」


 御子柴は、軽く笑おうとしたが、口角だけがひくついただけだった。


「次に、片桐」


 楢崎は淡々と続ける。


「鎖骨下のほくろ。耳たぶの形。指の長さ。死体四。こちらも、ほぼ対になっている」


「ほぼ?」


「完全一致とは言い切れない」


 楢崎は、少しだけ言葉を選んだ。


「こっちの片桐にはない小さな傷が、向こうの死体にはあったりする。生活の違いによる微差。ただ、骨のラインや筋肉のつき方は、ほとんど重なる」


 名前を呼ばれた者たちは、それぞれ微妙な表情を浮かべた。


 誰かが死体袋のほうをちらりと見る。

 すぐに顔を背ける。


 聞きたくない。

 でも、自分の“向こう側”の話となると耳を塞げない。


「北條」


 楢崎は、少し視線を上げた。


「祈るときの指の組み方。首筋のほくろ。肩幅。死体二。“反転一致”している」


「……そう、なんだ」


 北條は、小さく目を閉じた。


「向こうの私は、どんなふうに祈って死んだのかな」


「その質問には答えられない」


 楢崎は、きっぱりと言う。


「ただ、“祈る癖”が最後まで残っていたことだけは確かだ」


「それだけで十分。ありがとう」


 北條は、胸の前でそっと手を組み直した。


 名前が、次々に挙がっていく。


 三輪。

 小机。

 藤咲。

 駒田。

 沢村。

 砂原。

 結城。


 左右反転した傷や痣。

 歯並び。

 骨の形。

 背中のほくろ。


 どれも完璧な一致ではない。

 でも、「ほぼ対になっている」と言えるペアが、十三体のうち十二組、見つかった。


 問題は――


「最後に、高城ユウ」


 自分の名前が呼ばれるのを分かっていたのに、心臓が跳ねた。


 死体七。

 右手の古傷と左手の新しい傷。

 骨折痕の位置。

 歯列。


 鏡像仮説に従えば、あれは「向こうの僕」だったはずだ。


「……どうだ」


 自分で問うしかなかった。


 楢崎は、少しだけ言葉を選ぶように沈黙したあと、短く言った。


「決め手に欠ける」


「欠ける?」


「傷と痣は、確かに対応している。左右反転の一致もある。だが、骨格が違う。特に、背骨と肩のラインだ」


「そんなに違うか」


 御子柴が、不思議そうにこちらを見た。


「ユウの背中なんて、あんま見たことねえけど」


「見てる。点呼のとき、何度も」


 楢崎は、冷静に続ける。


「高城の背骨は、少し左に湾曲している。軽い側弯。肩の高さもわずかに違う。死体七には、その歪みがない。まっすぐだ」


「……つまり」


 胸の内側が、ざわざわと音を立て始めた。


「そいつは、俺じゃない?」


「“完全なペア”ではない」


 楢崎はそう言った。


「他の連中と同じレベルで“ほぼ対”と言えるかもしれない。けれど、骨の形だけは、どうしても納得いかなかった」


「こっちと向こうで、ここ数年の姿勢が違ったとか」


 結城が、仮説を出す。


「片方はずっと机に向かってて、片方は運動部で背筋鍛えてて、とか」


「短期間でそこまで骨格は変わらない」


 楢崎は、首を振る。


「決定的な“癖”の違いだ。高城の背骨は、長い時間をかけてそっちに寄っている。死体七のほうは、その形ではない」


 僕は、苦笑するしかなかった。


「姿勢悪いって、ずっと言われてたからな」


「いいか悪いかはともかく、それが“ラベル”になってる」


 楢崎はノートを閉じた。


「十三体のうち十二体は、それぞれこっちの誰かと“鏡像のペア”を成している。だが、一体だけ、完全には重ならない。高城の“対”だけが、不在だ」


 黒板の「十三‖十三」が、背中から刺さるように感じた。


 数字は揃っている。

 でも、その中身には、少しだけズレがある。


 全員に対になる死体があるのに。

 僕だけの“完全な写し”は、どこにもいない。


「……当然だと思うけどね」


 田所が、唐突に言った。


「“書き手だけが片側にしかいない”ってことだろ」


「何だよ、それ」


 御子柴が眉をひそめる。


「書き手?」


「黒板の話だ」


 田所は、ゆっくり立ち上がると、黒板を指さした。


「数字を書いてきたのは、ずっと高城だ。向こうには、向こうの黒板があるんだろうけど、それを書いたやつが“絶対に同じ高城とは限らない”」


「どういう意味だ」


「こっちの高城は、“こっちの物語の書き手”だ。向こうの高城は、“向こうの物語の書き手”かもしれない。別人かもしれない。同じ名前の誰かかもしれない。でも、“この黒板”を毎日いじっていたのは、こっち側にしかいない高城だけだ」


 田所は、黒板の前に立つと、両手でその縁を持ち上げた。


 重い音を立てながら、黒板が少し傾く。


「おい、危ないって」


 砂原が慌てる。


「平気。ちょっとだけだ」


 田所は、黒板の角を床に置き、僕のほうを振り向いた。


「高城」


「……何」


「チョーク、持て」


 差し出された白い棒を、思わず受け取ってしまう。


 指先に、ザラザラとした感触が伝わる。


「今の数字を、もう一回なぞれ。上から」


「同じ数字を?」


「ああ。“十三‖十三”。上からなぞるだけでいい」


 嫌な予感がした。

 でも、断ったところで誰か別のやつがやるだけだと思った。


 それなら、僕がやるしかない。


 黒板に向き直る。

 左側の「十三」の、一本目の縦線から。


 ゆっくり、慎重になぞっていく。


 チョークの先が、既にある線をなぞりながら、粉をかすかに散らす。


 数字と線を全部なぞり終えたとき――


 背後から、砂の粒が一斉に落ちるような音が聞こえた。


「何だ、今の」


 三輪が、思わず上を見上げる。


 天井からは、何も落ちてこない。

 代わりに、黒板の“裏側”から、白い粉がぱらぱらと床にこぼれていた。


「裏から……?」


 片桐が、驚いたように目を見開く。


「今、お前。表からなぞってただけだよな」


「そうだけど」


 僕は、黒板の裏をのぞき込んだ。


 そこには、表と同じ位置に、薄い白い筋が浮かび上がっていた。


 まるで、こちらで引いた線が、そのまま向こう側に突き抜けているみたいに。


「表で書けば、裏からも粉が落ちる」


 田所が、満足そうに頷いた。


「やっぱりそうだ」


「確認してたのか」


 結城が、眉をひそめる。


「いつから」


「昨日の夜からね。黒板の裏に、意味わかんないくらい粉がついてたから。誰も裏に触ってないのに」


 田所は、黒板の縁をぽんと叩いた。


「こっちで数字を書けば、向こうにも何かが刻まれる。向こうで刻まれたものが、こっちに出てくる。その両方の“書き手”が、必ずしも同じ高城とは限らないとしたら」


「したら?」


「そのズレのぶんだけ、“高城の対”はずれる。完全な一致にはならない」


 田所は、チョークを握った僕の右手を見た。


「だから、こっちの高城は、“片側にしかいない書き手”なんだよ。向こうの列には、完全な写しが存在しない」


 それは、妙な慰めのようにも、残酷な宣告のようにも聞こえた。


 この十三と十三の世界で。

 全員が“対”を持っているのに、僕だけが「こちらだけ」の存在。


 居場所を与えられたようでいて、同時に突き放されてもいる。


     ◇


「……点呼をやろう」


 沈黙を破ったのは、沢村だった。


 声の張りはもう残り少なかったが、それでも“いつもの役目”を手放そうとはしない。


「十三と十三がそろった朝だ。だからこそ、やる」


 誰も、異論を口にしなかった。


 生きていることを確かめる儀式。

 名前を名乗り、隣に触れ、数を数える時間。


 これまで何度手順を変えても、数字だけはきっちり増えてきた。


 だからと言って、やめる理由にもならない。


「輪になって」


 僕らは、身体を引きずるようにして輪を作る。


 北條が輪の外側に立ち、指を組む。

 今日は、壁のほうではなく、輪の中心に祈りを向けていた。


「行くぞ」


 沢村が、小さく合図した。


 名前の列が、動き出す。


「沢村」


「高城ユウ」


「砂原」


「結城」


 それぞれの声が、自分自身を引きずり出すようにして響く。


 誰かの肩に触れるたび、「まだ生きている」という確認が指先に伝わる。


 北條の数字が、その声に重なる。


「一。二。三。四……」


 十。十一。十二。


「十三」


 そこで数字は止まった。


 いつもなら、一瞬の静寂だけが訪れる。

 そして、その隙間を埋めるように――


 「高城ユウ」


 あの余分な声が、囁く。


 それが今までのパターンだった。


 だから、今日もそうだろうと思っていた。


 実際、最初の一声は、間違いなく聞こえた。


「……高城ユウ」


 耳元で囁かれたような、空間そのものが口を開いたような声が、いつものように僕の名前を呼ぶ。


 だが、そのすぐあと。


 かぶせるように、もう一つの声が重なった。


「高城ユウ」


 同じ名前。

 同じ発音。

 同じ抑揚。


 でも、微妙に違う。


 一つ目は、こっちから向こうへ引っ張られるような声。

 二つ目は、向こうからこっちへ押し出されるような声。


 片方は、自分の喉から出そうになって出ていない声みたいで。

 もう片方は、自分の口を借りて誰かが喋っている声みたいだった。


 ふたつの「高城ユウ」が、ぴたりと重なって、耳の奥を揺らす。


 輪の誰も、声を上げなかった。

 でも、何人かが同時に肩を震わせたのが分かった。


 シオリは、目を丸くして僕を見ていた。

 北條は、祈りの手を解きかけて、ぎゅっと握り直した。


「……点呼、終了」


 沢村の声は、かすかに掠れていた。


 十三は十三のまま。

 でも今の一瞬、どこかで「十四」を踏みかけた感覚があった。


 言葉にはできない。

 でも、“数”のほうが先にずれ始めているような嫌な予感がした。


     ◇


「出口に、もう一度賭ける」


 その場の空気を切り替えるように、砂原が立ち上がった。


 いつもなら、少し笑いを混ぜて場を回す彼の口調から、今は冗談が抜け落ちている。


「同数になった。点呼もやった。それでも何も起きないなら、こっちから動くしかない」


「どこへ動くの」


 三輪が、不安そうに聞く。


「出口だよ」


 砂原は、倉庫の入り口を塞いでいる瓦礫の山を見た。


「最初の何日かは、片桐のライトと俺の腕力でどうにか崩せないか試した。でも、暗くなってやめた。あのときはまだ、“ここで助けを待つ”選択肢が残ってたから」


 今は違う。

 外の世界がどうなっているか分からない。

 誰かが助けに来る保証なんて、どこにもない。


「十三と十三がそろった今、ここにいたら“数字の都合”で何かが起きるのを待つだけだ。だったら、自分たちで別の選択肢を作る」


「……危ない」


 片桐が、ライトを握りしめながら言った。


「瓦礫の上から崩したら、下敷きになるかもしれない」


「分かってる。それでもやる」


 砂原は、拳を握る。


「俺はまだ、“こっちで死ぬ”って決めたくない。向こうで死んだ俺に、完全に負けっぱなしなのはもっと嫌だ」


 御子柴が、ちらりと砂原を見た。


 昨日、「俺は向こう側に入る」と宣言した男の目が、今は沈黙している。


「片桐」


 砂原は、彼のほうを向いた。


「ライトを頼む。あれがないと、作業にならない」


「……分かった」


 片桐は、一瞬だけためらったが、すぐに頷いた。


 手回し式のライト。

 この倉庫で、唯一まともに光を生み出してくれる道具。


 彼は、いつものようにハンドルを回し始める。


 ジジジ、と内部のゼンマイが巻き上がる音。

 それと同時に、ライトの先端がじわじわと白く光を帯びる。


「じゃあ、行くぞ」


 砂原と駒田、それに何人かが、瓦礫のほうへ向かう。


 僕も立ち上がろうとしたとき――


「待って」


 シオリが袖を掴んだ。


「ユウは、ちょっとここにいて」


「なんで」


「なんとなく」


 なんとなく、で止められる余裕は、もうあまりなかったはずだ。

 それでも、彼女の指先の震え方を見て、無理に振り払う気にはなれなかった。


「……分かった。様子だけ見てる」


 片桐のライトが、瓦礫の山を照らす。


 崩れたコンクリートと、折れ曲がった鉄骨。

 その隙間から、外の空気が少しだけ入り込んでいる。


「この辺、最初に手を付けたときより、ちょっとずつ崩れてるな」


 駒田が、崩れ方を確かめる。


「揺れが続いてるせいか」


「今度は慎重にやる」


 砂原は、息を吐き、両手で石を持ち上げた。


 その瞬間――


 パン、と短い破裂音がした。


「うわ!」


 片桐が、反射的にライトを手放す。


 床に落ちたライトのレンズが割れ、内部から白い火花が飛び散った。


 光が、一瞬だけ激しく瞬いて、すぐに消える。


 暗闇が、倉庫の中に落ちた。


 非常灯の赤い光はとっくに切れている。

 他のライトも電池が尽きて久しい。


 残されたのは、外から漏れ込むごくわずかな灰色の気配だけだった。


「片桐!」


「ごめん……!」


 慌てる声。

 足音。

 瓦礫の上から小石が転がり落ちる音。


 暗闇は、それら全部をまとめて飲み込んでしまう。


 視界が奪われた分、耳だけがやたらと敏感になった。


 自分の心臓の音。

 誰かの荒い息。

 ひび割れた壁の向こうから聞こえる、かすかな金属音。


 そして――


「……数をやめろ!」


 誰かの叫び声が、闇を裂いた。


 それが誰の声だったのか、最初は分からなかった。


 高いような、低いような。

 複数の声が重なったような、不思議な響き。


「聞こえるか! 向こうの奴、聞こえるなら返事しろ!」


 叫びは続く。


「もう数えるな! 俺たちを数にするのも、こっちの声を数字に変えるのもやめろ! 十三と十三で満足しろ! これ以上、増やすな!」


「落ち着け!」


 沢村の制止が飛ぶ。


「暗いところで暴れるな、危ない!」


「危ないのは分かってる!」


 叫び声の主は、息を切らしながらも引かない。


「でもこのまま黙ってたら、数字に食われるだけだ! だから今言う! 数をやめろ!」


 その瞬間、背中を冷たいものが撫でた。


 暗闇の中で、どこかから数字が聞こえてくる。


 誰の声でもない。

 壁の向こうでもない。

 頭の中でもない。


 空間そのものが、数字をつぶやいているような感覚。


 一。二。三。四。五。六。七。八。九。十。十一。十二。十三。十三。十三。


 十三で止まる。

 でも、止まったあとも、十三を何度も何度も舌の上で転がしているみたいな気配が消えない。


 十三。十三。十三。


 同じ数字が、暗闇のそこかしこで反響している。


 誰かが祈りの声を上げた。北條だ。

 それにかぶさるように、田所が何かを笑いながら言っている。

 御子柴が短く罵声を吐く。


 その全部が、暗闇に飲まれていく。


     ◇


「……っ」


 別の場所から、押し殺したような声が上がった。


 藤咲だ。


「お腹……!」


 彼女の声には、これまでの鈍い痛みとは違う、鋭さが混じっていた。


「藤咲さん?」


 楢崎が慌てて駆け寄る気配がする。


「どこだ。足元気をつけろ、瓦礫が……!」


「ここ……!」


 藤咲の声が、かすかに手招きするように闇の中から響く。


 僕は、シオリの袖を振り切ってそっちへ急いだ。


 暗闇の中で、かろうじて人影の輪郭が見える。

 床に横になった藤咲が、額に汗を浮かべ、両手で腹を抱えていた。


「ごめん……さっきから、変だと思ってたんだけど……」


 息を切らしながら、彼女は言う。


「さっきの点呼の途中くらいから、ずっと、下のほうが重くて……今、急に……」


 言葉が、痛みに途切れる。


「周期は?」


 楢崎が、声を落ち着かせながら問いかける。


「さっきから何分おきか、自分でも分からない……でも、さっきより近くなってる気がする……」


「陣痛だな」


 楢崎は即答した。


「こんな環境で、よりにもよって……」


 彼は、一瞬だけ言葉を飲み込み、すぐに切り替える。


「いいか、藤咲さん。今から、呼吸を整える。長く息を吸って、短く吐く。痛みが来たら、その波に合わせて」


「う、うん……」


「周り、手伝えるやつは集まってくれ。毛布を壁にして、少しでも外界との遮断を作る。水も、残り少ないが準備しておけ」


「こんなときに……」


 三輪が震え声を漏らす。


「十三と十三がそろった日に、新しいのが……?」


「新しい数だよ」


 田所が、暗闇の中で笑う。


 その笑いに、本当の悪意はなかったが、場には似つかわしくなかった。


「十三の箱がいっぱいなら、外からひとつはみ出してくる。箱に入りきらない数が、生まれようとしてる」


「黙れ」


 沢村が短く言う。


「今は、その“はみ出す数”を守ることだけ考えろ」


 陣痛。

 生まれようとする命。


 十三と十三できっちり埋められた体育倉庫の中で、“十四番目”が扉を叩いている。


 数字の列からすれば、余分な一つ。

 でも、ここにいる誰もが、その余分さに縋りつきたくなっていた。


「痛っ……!」


 藤咲が、歯を食いしばる。


 手探りで、僕は彼女の手を握った。


 骨が浮き出た指先が、必死に何かを掴もうとしてくる。


「大丈夫」


 自分でも、よくそんな言葉が出てきたと思う。


「ここにいる。全員いる」


「……“全員いる”って、なんか、それ、怖いんだけど」


 藤咲は、汗と涙の混じった笑いをこぼした。


「十三と十三でぎゅうぎゅうなのに、これ以上詰め込んでどうするのって感じ」


「詰め込むんじゃない」


 楢崎が言う。


「増やすんだ」


 闇の中で、彼の顔は見えない。


 でも、その言葉だけは、妙にまっすぐに届いた。


「数字の神様がどう思おうと関係ない。ここに、“十三と十三を超える数”が生まれようとしている。俺たちは、その証人だ」


「証人ってさ」


 御子柴が、小さく笑った。


「生まれる前から、もうすでに“数えること”前提なの、どうなの」


「生まれた瞬間は、数じゃない」


 田所が、珍しく静かな声で言った。


「名前だよ。きっと、誰かが一番に呼んでやるだろ。“お前は、何番目の誰それだ”じゃなくて、“お前はお前だ”って」


 その言葉に、北條が小さく十字を切る。


 祈りは、もう神様だけに向けられてはいなかった。

 向こうの自分と、こっちの自分と、まだ名前もない“新しい誰か”へ。


 体育倉庫の中で、数字がざわめく。


 十三‖十三。


 さっきまで安定していたはずのバランスが、少しずつ傾き始めている。


 暗闇の向こうから、また数字の声が聞こえた気がした。


 一。二。三。四。五。六。七。八。九。十。十一。十二。十三。


 そして、そのあとに。


 何も言わない、少し長い間。


 十四、と言えばいいのに。

 そう言葉にしかけて、やめているみたいな沈黙。


 僕は、黒板のほうを振り向いた。


 暗くて何も見えない。


 でも、そこに「十三‖十三」が今も白く残っていることだけは分かった。


 この箱は、数字としてはもういっぱいだ。


 けれど、その箱の片隅で。

 誰かが、“数字に入らない何か”になろうとしている。


 藤咲の握る手に、力がこもる。


「来る……!」


 彼女の声と同時に、体育倉庫の中の空気が、一瞬だけ変わった気がした。


 十三と十三。


 等号の縦線みたいだった二本の区切り線が、見えないところで少しだけひび割れた音がしたような気がした。

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