第4話「犯人という職業」
第四の朝は、誰の喉にも「おはよう」という言葉を許さなかった。
体育倉庫の空気は、もう完全にこもりきっている。毛布の湿気と人の体温、汗とわずかな腐臭。冷たいはずのコンクリートさえぬるく感じる。
高城ユウは、黒板の前で立ち尽くしていた。
生存者十三
死体三
昨日までの数字が、白い傷のように残っている。その下には沢村が引いた縦線と、北條の「点呼の祈り」で刻まれた日々の痕跡。
やることは決まっている。
やらなければ、この空間から「ただの混乱」があふれ出してしまう。
「……点呼、始める」
ユウの声は、自分で聞いてもかすれていた。
順番に名を呼び、返事を聞く。輪になって肩に触れ合う“祈り”は、今日も繰り返された。北條の低い声が、数字を読経のようにつないでいく。
「一、二、三、四……十三」
そのリズムだけが、ここに時間が流れている証拠だった。
そして、全員が自分の席に戻った時、誰もが倉庫の奥を見ないようにしていた。
黒い列。
ジッパーを閉ざした死体袋が三つ、並んで横たわっている。
今日こそ、増えていないことを祈りたかった。
だが、祈りは現実を止めてはくれない。
「数えるぞ」
砂原が短く言い、死体袋のほうへ歩いていった。
昨日と同じ列。昨日と同じ位置。昨日と同じ――はずだった。
足が止まる。
砂原の背中が、わずかに硬直する。
「……四だ」
声が低く落ちた。
「死体、四」
誰かが息をのむ音がした。誰かの喉が、空気だけを飲み込んだ。
ユウは黒板に、震える手で数字を書き足す。
死体四。
チョークの先が黒板を擦るキィという音が、いつもより大きく響いた気がした。
増加は止まらない。
認めたくなかった真実が、こうして毎朝、視界に押しつけられる。
「……いい加減にしてくれよ」
思わず、誰かの声が漏れた。三輪だった。疲れ切った顔に、目だけがぎらついている。
「何なんだよこれ。どこから持ってきてるんだよ。誰がやってるんだよ」
「誰もやってない」
御子柴が苦笑ともため息ともつかない声で返す。
「だから怖いんだろ」
「“誰もやってない”なんて言葉が、一番信用できないの」
北條が小さく呟く。膝の上で組んだ手に力が入っているのが遠目にもわかった。
ざわつきが広がりかけた、そのときだった。
「……じゃあ、決めようか」
低く落ち着いた声が、そのざわめきを切り裂いた。
砂原だった。片手を上げ、皆の視線を集めるようにゆっくりと振り返る。
「犯人を一人」
体育倉庫の空気が、ぴたりと止まった。
「は?」
ユウが思わず聞き返す。
「犯人を決めるって、お前……」
「職業として、だ」
砂原は、わざと軽い調子で言う。
「今日から、この場には“犯人という職業”を一つ用意する。シフト制だ。誰か一人が、その役を担う。そいつは一日、その名において疑いを一身に引き受ける。質問も非難も、全部その窓口に集約する」
「……ふざけてるの?」
藤咲の声には、怒りと疲労が混ざっていた。
「ふざけてるように聞こえるかもしれない。でも、これは本気だ」
砂原は死体袋の列を背にして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いいか。今のままだと、疑いが空中に漂っている。誰かがトイレに行っただけで『今の時間に何してた』って睨まれる。誰かが寝返りを打つたびに『あいつ、袋のほう見てた』とか勘ぐられる」
いくつかの顔が、わずかに動いた。図星だった。
「そういう“拡散した疑心暗鬼”が、一番危ない。誰も責任を取らないし、誰も安心できないからな。だから、あえて“責任を引き受ける役”を作る」
沢村が目を細めた。
「つまり、一日交代で“犯人役”を立て、その人に向けて、本音や疑いをぶつける。そういうことか」
「そう。犯人役は、否定してもいいが、怒っちゃいけない。質問は何でも受ける。『お前がやったんだろ』と言われたら、『そうかもしれないな』と笑うくらいの度量を見せる。それで、他のやつの顔から“疑いの矢印”を少しでも減らせるなら、安いコストだ」
「そんなので……本当に落ち着く?」
小机が不安げに問う。
「やってみなければわからないが、今より悪くなることはそうそうないさ」
砂原は、自分の胸に手を当てた。
「初日の犯人役は、俺がやる」
静かな宣言だった。冗談っぽさは一切ない。
「お前が?」
「こういうのは、言い出したやつが最初にやるのが筋だろ。安心しろ。俺にはちゃんと動機もある」
とん、と死体袋の一つを軽くつま先で叩く。
「俺がやったことにしておけば、こいつらの“訳の分からない存在”に少しだけ形が与えられる。『砂原がやったんだろ』って言える相手がいれば、人はとりあえず落ち着く」
北條が、複雑な顔をして砂原を見た。
「……そんな役、引き受けて。自分が疑われるの、嫌じゃないの?」
「嫌だよ」
あっさりと答えが返ってくる。
「でも、それをやれるのは、多分俺くらいだ。責任者やらされて、もともと疑われるポジションだしな。それなら、いっそ“職業として犯人”を名乗ったほうが、少しはマシだろ」
御子柴が小さく吹き出した。
「何だよそれ。新しい職業だな。“一日犯人”」
「求人募集かけたら、まず誰も応募しないやつだよ」
結城がぼそりと添える。
「だから自薦してやってるんだ。感謝しろ」
思わず、何人かが笑った。
笑いはすぐに消えたが、それでもほんの一瞬、倉庫の空気が軽くなったのは確かだった。
「質問、あるか」
砂原が両手を広げる。
「今日一日、俺は“犯人”だ。何でも聞け。“どうやって死体を運んだ?”でも、“今まで何人殺した?”でもいい。答えられる範囲で答える」
最初に手を上げたのは三輪だった。
「……昨日の夜、見張りの時、何してた?」
「うとうとしていた。だから、お前の言いたいことも分かる。俺が寝てるあいだに、誰かがこっそり死体を増やしたかもしれない」
「じゃあ、お前がやったんだな」
「俺かもしれない。どうだ、満足したか?」
三輪は、その返事に毒気を抜かれたように肩を落とした。
次に口を開いたのは御子柴だ。
「動機は?」
「そうだな。みんなを閉じ込めて、ストレスが溜まった顔を見るのが趣味、とかでいいか?」
「性格悪いな」
「職業柄だ」
くだらないやり取りのはずなのに、笑いが起きる。
その笑いには、明らかに安堵が混ざっていた。
「本当に聞きたいことがあるやつは、後で個別に来い。愚痴でも疑いでも、全部聞いてやる。それが今日の俺の“仕事”だ」
砂原はそう締めくくると、黒板の端に自分で新しい欄を設けた。
犯人役:砂原
白い文字が、奇妙な安心感をもたらす。
犯人という概念が、空中から黒板の上に降りてきたような気がした。
その日一日、砂原の周りには人が集まった。
配給の列でも、見張りの交代でも、誰かが必ずと言っていいほど彼に話しかける。
「本当は怖いんだろ、お前がやってることが」
御子柴が笑いながら言うと、砂原は肩をすくめた。
「怖いさ。だから、笑ってごまかしてるんだ」
「お前が犯人じゃなかったら、どうする?」
「その時は、“犯人の座”を次のやつに譲る」
砂原は、どこか自嘲気味に笑った。
「犯人ってのはな。誰か一人がやる仕事じゃない。見るやつが変われば、いくらでも入れ替わる。だったら、交代制にしてしまったほうが、まだ健全だろう」
田所は、そのやり取りを少し離れたところから興味深そうに眺めていた。
「“犯人という職業”か。いいコンセプトだね。ラベリングとしても、かなり機能しそうだ」
その評価が褒め言葉なのかどうか、ユウにはわからなかった。
疑心暗鬼は、たしかに少し沈静化した。
「誰か」が漠然と怪しい状態から、「今日の犯人」はあいつだ、と指させる状態になったことで、人の視線の矢印が整理されたのだ。
だが、夜が来る。
そして、また朝が来る。
四日目の朝。
点呼の祈りは、いつものように行われた。十三人が名を名乗り、隣の肩に触れる。北條が数字を唱える。藤咲の腹の中で、まだ名もなき命が静かに眠っている。
ユウは黒板に「生存者十三」と書き足した。
縦線の本数は、自分でも数えるのをやめた。数が現実を追い越してしまうのが怖かった。
そして。
「……五?」
死体袋の列を見た砂原が、今度は本当に声をひっくり返した。
そこに横たわっていたのは、五つの黒い膨らみ。
昨日までは四つ。
今日は五つ。
「どんどん増やしやがって」
三輪が呻く。
「おい、犯人」
誰かが意図的に言ったわけではない。
自然と、視線が砂原に集まった。
昨日、自ら“犯人役”を名乗った男。
疑いを集める窓口。責任を背負う位置。
それはいつの間にか、役割を超えて現実と結びついていた。
「お前、どう説明するんだよ」
小机の声には、明確な敵意が混じっていた。
「昨日、お前は一日中“犯人”だったんだろ。だったら、当然知ってるよな。どうやってここに一つ増やしたのか」
「……ああ。俺がやった」
砂原は、少しだけ間を置いてから言った。
笑っているはずなのに、その顔には笑っているようには見えない影が落ちている。
「夜中にこっそり起き出して、ベルトコンベアで死体工場から運んできたんだ」
「ふざけるな!」
三輪が怒鳴った。拳が震えている。
「冗談にできる話じゃない!」
「じゃあ、どう言えば納得する?」
砂原も声を荒げた。すぐに自分でそのことに気づいたのか、顔をしかめて口を押さえる。
「悪い。職務放棄だな。昨日決めたルールを、俺が一番守れてない」
沢村が、間に入るように立ち上がる。
「落ち着け。砂原さん。昨日の“犯人役”制度は、疑いを一カ所に集めるためのものだ。現実まで書き換えられるわけじゃない」
「でも現実は、増えてる」
小机が吐き捨てる。
「制度を作っても意味がなかったどころか、“犯人”が指定されたことで、そいつが余計に疑わしく見える。最悪だ」
その評価は、容赦がなかった。
ユウは黒板に「死体五」と書き足しながら、砂原の横顔を盗み見る。
たしかに、彼の言った“犯人という職業”は、この場の一部の人間を少し救った。疑いの矢印を統一し、その分日常の会話に余白を残した。
だが、数字はそんな努力を嘲笑うように増え続ける。
結局、誰かがどれだけ頭を使おうと、「死体が増える」という事実だけが冷徹にそこにあるのだ。
「……ちょっと見せてもらっていい?」
その張りつめた空気を割ったのは、結城の声だった。
彼は死体袋の一つのそばにしゃがみ込み、手袋越しにその手をそっと持ち上げる。
「何をする気だ」
楢崎が眉をひそめる。
「少し、気になってたことがあって」
結城は、指先をじっと観察していた。爪の間、関節のしわ、皮膚の細かな傷。
「……あった」
誰にともなくつぶやき、ポケットから小さな透明のビニール袋を取り出す。その中に、ピンセットで何かを摘まんで入れる。
「何それ」
御子柴が近づいて覗き込む。
「紙粉。紙の粉だと思う」
結城は淡々と説明する。
「数は多くないけど、死体の指の節のところに、白い粉が入り込んでる。チョークの粉とは別の種類の“白”が混ざってる」
「紙粉って……どこから」
「ここだろ」
結城の視線が、自然と黒板に向かう。
「黒板消し。あれを叩くと、チョークの粉だけじゃなくて、黒板に貼りついてた紙のかけらや、削れた紙粉も飛ぶ。死体の指に付いていたのは、その類だと思う」
ざわり、と空気が揺れた。
「何が言いたい」
砂原の声が低くなる。
「この死体は、一度は黒板か黒板消しに触れている。つまり、“ここの記録”に関わった可能性が高い」
「そんなはずないだろ」
ユウが思わず言葉を挟んだ。
「だって、黒板に触ってるのは、俺と沢村さんぐらいで……」
「本当に?」
結城が静かに問う。
「君が見ていない時、誰かが黒板の前に立っていたことはないと言い切れる?」
言い切れなかった。
眠っている時間は、ある。記憶が抜けている時間だって、ある。
「それに、こういう考え方もできる」
結城は、ビニール袋を軽く振った。
「“死体が黒板に触れた”んじゃない。“黒板に触れていたものが、死体になってここにある”」
「意味が分からない」
「俺も分からない。ただ、手が紙粉で汚れている以上、“何かを書いた”か“何かを書いたものに触れた”可能性は高い。ここには黒板が一つしかない。なら、その周辺で起きたことと、この死体には接点があるんだろう」
ユウは、無意識に自分の指先を見た。
白い粉が、爪の間に詰まっている。
毎朝、毎晩、黒板に触っているせいで、指のしわにもチョークの白が入り込んで抜けない。
死体の指先と、自分の指先。
同じ「白さ」が、ふと重なって見えた。
胃がつき上げられるような感覚がする。
「そんなの、偶然だろ」
自分でも説得力がないと思う反論を、ユウは口にした。
「黒板がここにあって、俺たちがそれを使ってるんだから、手が粉だらけになるのは当たり前で……」
「そうだね」
結城はあっさり頷く。
「当たり前だ。だからこそ、“死体の手にもついている”という事実が、余計に気になる」
ユウは、その視線から逃げるように黒板を見つめた。
もう、黒板に触るのが怖かった。
数字を書くたび、自分があの袋の列に近づいていくような気がする。
楢崎は、その間も黙々と死体の検査を続けていた。
頭部、胸部、腹部。外傷の有無。骨折の痕跡。皮膚の色。
「……やっぱり、おかしい」
やがて彼は、疲れた声で結論を口にした。
「この人たち、頭を打って死んだんじゃない」
「どういうことだ」
沢村が問いただす。
「脳圧痕。打撲の痕。そういうものが見当たらない。地震で押し潰されたり、落下したりした死に方じゃない。内出血もない」
「じゃあ、何で死んでるんだよ」
「分からない」
即答だった。
「ただ一つ言えるのは、“ここで作られた死”じゃないってことだ。この体育倉庫で圧死したり、窒息したりした死に方じゃない。もっと別の場所で、別の要因で死んだ身体が、ここに“運ばれてきている”」
「誰が」
三輪の声は、もう半分涙声だった。
「誰がそんなことするんだよ。外の誰かが、こんなところに死体を放り込んで、何が楽しいんだよ……!」
「外の誰かかどうかも分からない。俺が言えるのは、医学的な“痕跡”だけだ」
楢崎は、額の汗を拭う。
「明らかに、“ここでは死んでない”。それだけだ」
その言葉は、この閉じ込められた空間の理屈を、根本から揺さぶった。
ここに閉じ込められている十三人。
そして、ここで死んだはずのない五つの死体。
この体育倉庫は、ただの避難所ではないのかもしれない。
どこか別の場所で起きた死が、知らないうちに流れ着く“終点”のような――そんな、嫌な比喩が頭をよぎる。
日が沈んだのかどうかもわからない時間帯。
片桐のライトの光が弱まり、再び手回し発電の音が増えるころ、田所が立ち上がった。
「提案がある」
彼は、いつものように妙に落ち着いた声で言った。
「“朗読会”をしよう」
「朗読会?」
御子柴が眉を上げる。
「こんな時にか」
「こんな時だからだよ」
田所は、ポケットから折りたたまれた紙束を取り出した。何枚ものコピー用紙を、几帳面に四つ折りにしたものだ。
「一人一枚、この紙を渡す。そこに、“自分の死に方”を書いてもらう」
倉庫中の視線が、一斉に集まる。
「ふざけてる?」
北條の声には、はっきりとした拒絶があった。
「いや、真面目な話だ。自分がどう死ぬか。どこで、どんなふうに、誰に見られて。そういうことを、一度言葉にしてみてほしい」
「縁起でもないわ」
藤咲が顔をしかめる。
「せっかく生き延びようとしてるのに、自分の死に方なんて考えたくない」
「だからこそ考えるんだ」
田所は紙を配りながら続ける。
「“考えたくないこと”は、いつか必ず現実のほうから近づいてくる。なら、こちらから一度ラベルを貼っておいたほうがいい。“こういう死に方を想像した。でも、これは選ばない”って、明確に拒否しておくんだ」
「拒否?」
「そう。これから一枚ずつ、自分の書いた“死に方”を朗読してもらう。それを読んだあとで、全員で『そんな死に方はしない』と声を揃えて否定する」
田所の目が、暗闇の中で奇妙に光った。
「それを儀式にしてしまう。死と向き合い、その上で否定する。そうやって、自分の死の形を“自分のものにしない”と決める」
沢村が、腕を組んで考え込む。
「……心理療法の一種みたいなものかもしれないな」
「そういう大層なものじゃない。ただの、言葉遊びだよ」
田所は、全員に紙を配り終えると、自分も一枚を受け取った。
「書く内容は自由だ。ふざけたものでも、真面目なものでも。ただし、“具体的に一つ”に絞ること。ぼやかさないように」
ペンは何本かしかないので、順番に回して使うことになった。
紙の上にインクが走る音が、小さく響く。
ユウは、配られた紙を膝の上に置いたまま、しばらく動けなかった。
自分の死に方。
こんな場所で、そんなものをイメージしたくない。だが、何も書かないという選択もまた怖かった。
ペンが回ってくる。
藤咲の震える文字。御子柴の乱暴な筆跡。北條の、整った字。
隣から渡されたペンを握り、ユウは紙に向き合う。
真っ白なコピー用紙。
たった一枚のはずなのに、無限に広がる空白のように見える。
どう死ぬのか。
この狭い倉庫で、どんな終わりを迎えるのか。
頭の中に浮かんだイメージを、すぐに打ち消した。
死体袋の列。
黒板の数字。
白い粉で汚れた指先。
どれも、今の自分には生々しすぎて、言葉にしたくなかった。
「……書かないの?」
いつの間にか、田所がそばに座っていた。
「うるさいな。今、考えてるところだよ」
「時間は有限だ。ペンの数も限られてるしね」
皮肉めいた言い方だったが、その目は真剣だった。
「どうせなら、面白い死に方を書いておいたら? 漫画みたいにさ」
「そんな気分じゃない」
「そうだろうね」
田所は、あっさりと引き下がった。
「じゃあ、君は君のペースで。ペンは後でまた回すよ」
結局、ユウの紙には何も書かれないまま、ペンは次の人の手に渡っていった。
やがて、全員が書き終えた。
輪になって座り、一人ずつ、自分の紙を読み上げていく。
「……私は、ここじゃなくて、病院のベッドで死にたい」
藤咲の声は震えていた。
「あったかい布団で、夫と子どもに手を握られながら。それ以外の死に方はしない。絶対に」
「よし」
田所が合図を出す。
「じゃあ、みんなで」
全員が声を合わせる。
「そんな死に方は、しない」
否定の言葉が、狭い倉庫に響いた。
次は御子柴だ。
「俺は……自分で選んだ場所で、選んだ相手と殴り合いながら死ぬ。イラついたまま終わるのはゴメンだ。ここみたいな、よく分からない箱の中で、じわじわ削られて死ぬのは絶対嫌だ」
「そんな死に方は、しない」
三輪は、自分が書いた「誰にも見られずに、静かに眠るように死ぬ」という内容を読み上げたあと、涙声で否定した。
「そんな死に方は……しない」
北條の紙には、静かな言葉が並んでいた。
「誰かのために祈りながら死ぬ。自分のためじゃなくて。……でも、それもきっと、選べない」
「そんな死に方は、しない」
繰り返される否定の言葉が、儀式として形を持ち始める。
田所の番が来る。
「僕はね」
彼は、わざとらしく咳払いをしてから読み始めた。
「“自分の死に方を、他人に決められる”のが一番嫌だ。だから紙には、こう書いた。“誰かの物語の都合で殺されるくらいなら、勝手に消えてやる”って」
一瞬、倉庫の空気が凍った。
田所は、にやりと笑う。
「でも、それも嫌だ。だから否定する。“そんな死に方は、しない”」
全員も、遅れて同じ言葉を繰り返した。
ユウの紙は、最後に回された。
「じゃあ、高城くん」
田所が紙を掲げる。
「読んでくれる?」
ユウは、しばらく黙っていた。
やがて、観念したように口を開く。
「……何も、書いてない」
白紙の紙。
折り目だけがついていて、インクの跡は一つもない。
ざわ、と小さなざわめきが起きた。
「考えられなかったの?」
藤咲が心配そうに尋ねる。
「うん。想像したくなくて」
嘘ではなかった。ただ、それがすべてでもなかった。
頭のどこかでは、いくつもの“死に方”がちらついていた。
死体袋の中で目を閉じている自分。
黒板の前で数字を書き続けるうちに、いつの間にか数字の中から消えている自分。
それらを、言葉として紙に封じ込めることが、どうしてもできなかった。
「書かないのではなく?」
田所が、紙をひらひらと振る。
「書けなかった?」
「……そうだよ」
ユウは、うつむいたまま答えた。
田所はしばらくその顔を見ていた。
それから、静かに言った。
「違うよ」
声には、いつもの軽さがなかった。
「君は、“書かない”んじゃない。“もう書いた”んだ」
ユウは顔を上げる。
「何を、どこに」
「そこにある」
田所の指が、黒板を指した。
生存者十三
死体五
いくつもの縦線。
日付のわからない区切り。
そして、隅に小さく書かれた言葉。
生者
死者
どちらにいるかは、自分では決められない
「君の字かどうか、もう誰にも分からない。でも、この黒板に刻まれている“死の形”は、確実に君の手を通っている」
田所の目が、暗闇で細く光る。
「だから、高城くん。君だけが“空白”なんじゃない。君だけが、ここで一番“死に近い文章”を書いてる」
「やめろよ」
ユウの声が震えた。
「俺は、そんなつもりで……」
「そういうつもりじゃなかった? 分かってる。だから余計に面白い」
田所は紙を丁寧に折りたたみ、ユウの膝の上に戻した。
「朗読はしなくていい。でも一つだけ、みんなと同じことを言ってほしい」
「……何を」
田所は、静かに微笑んだ。
「“そんな死に方は、しない”」
ユウは喉が詰まりそうになりながら、それでもかろうじて声を絞り出した。
「……そんな死に方は、しない」
全員の声が重なる。
「そんな死に方は、しない」
その言葉が、どこまで届いただろうか。
死体袋の列。
黒板の数字。
壁のひびから入る風の音。
ひゅう。
リン。
風鈴のような金属音が、また微かに鳴った気がした。
誰も、その音の数を数えようとはしなかった。




