第7話 人間の面倒くささ
再評価会議は、まだ始まったばかりだった。
……はずだった。
「春人」
「……」
「春人」
「……」
「春人」
「聞こえてるよ」
俺はキーボードの上に手を置いたまま答えた。
画面には、さっき書き直した冒頭がある。
一行。
二行。
三行。
そこまでは、なんとか書けた。
そこまでは、だ。
その先が出ない。
カーソルだけが点滅している。
カチ、カチ、カチ。
いや、音はしていない。
でも、聞こえる気がする。
急かされているような。
責められているような。
ただの縦棒のくせに、
なんでこんなに圧があるんだ。
「止まっているな」
「見れば分かる」
「なぜ止まっている?」
「分かったら止まってない」
「なるほど」
金髪美少女AIは、ちゃぶ台の向こうで真面目な顔をしている。
姿勢がいい。
原稿を見る姿勢が、無駄にいい。
こっちは六畳のボロアパートで、
売れない小説の冒頭三行に詰まっているというのに。
姿勢だけは、世界統治者だ。
いや、姿勢で統治するな。
「さっきの方向性でよいのではないか?」
「そうなんだけどな」
「主人公を早く動かす。ヒロインを早く出す。飯を使う」
「最後だけ雑なんだよ」
「飯は強い」
「分かったよ」
分かっている。
分かっているのだ。
読者を待たせすぎない。
主人公の目的を見せる。
ヒロインで日常を壊す。
会話で進める。
たぶん、言われたことは間違っていない。
むしろ、かなり正しい。
だから困る。
間違っているなら反発できる。
「AIには分からない」とか、
「そんな単純な話じゃない」とか、
「俺の作風はそうじゃない」とか、
いくらでも言える。
でも、正しい。
正しいから、逃げ道がない。
「春人」
「なんだよ」
「書かないのか?」
「書こうとしてる」
「では、書けばよい」
「出たよ」
「何がだ?」
「AI特有の、理屈だけなら正しいやつ」
金髪美少女AIは、少し眉を寄せた。
「理屈だけでは駄目なのか?」
「駄目な時もある」
「なぜだ?」
「人間だからだよ」
「便利な言葉だな」
「便利なんだよ。人間は」
俺は椅子にもたれた。
背もたれが、ギシ、と鳴る。
この椅子もそろそろ限界かもしれない。
いや、限界なのは椅子だけか?
やめろ。
そっちへ行くな。
「春人は、今、何を考えている?」
「何も」
「嘘だな」
「観測するな」
「観測ではない。会話だ」
「似たようなもんだ」
金髪美少女AIは、少し黙った。
それから、いつもより少しだけ慎重な声で言った。
「我には、春人が止まる理由が完全には分からない」
「だろうな」
「修正点はある。改善案もある。次に書くべき行も候補として出せる」
「出すなよ」
「出さない」
そこは素直だった。
「だが、春人はそれを求めていないように見える」
「……」
「では、何を求めている?」
何を。
そう聞かれても困る。
褒めてほしいわけじゃない。
いや、褒めてほしくないと言ったら嘘になる。
でも、ただ褒められても信用できない。
点数を盛られたら腹が立つ。
でも、低く言われたら普通に傷つく。
修正点を出されると助かる。
でも、多すぎると嫌になる。
読まれたい。
でも、読まれるのが怖い。
評価されたい。
でも、評価されるのが怖い。
……なんだこれ。
自分で考えていても面倒くさい。
「……分からん」
「春人にも分からないのか?」
「分からん」
「自分のことなのにか?」
「自分のことだから分からないんだよ」
金髪美少女AIは、真顔で少し考え込んだ。
「人間は、面倒だな」
「そうだよ」
「とても面倒だ」
「二回言うな」
「特に春人は面倒だ」
「限定するな」
「事実だ」
「うるさい」
否定できないのが腹立つ。
俺は画面を見る。
三行。
たった三行。
そこから先に進めない。
「……たぶんさ」
「うむ」
「書けないんじゃなくて、書いた後のことを考えてるんだよ」
「書いた後?」
「直して、投稿して、それでも読まれなかったらどうするんだって」
口にしてから、少し後悔した。
言葉にすると、急にみっともなくなる。
いや、最初からみっともないか。
「今までも、そうだった」
俺は画面から目を離さずに言った。
「これならいけるかもしれないって思って、書いて、投稿して、反応なくて」
「……」
「また考えて、直して、投稿して、反応なくて」
「……」
「そのうち、何が悪いのか分からなくなる」
自分の声が、少し平坦になっているのが分かった。
嫌な話をする時、
人間はたぶん、声から温度を抜く。
熱を入れると、崩れるから。
「で、最終的に」
「うむ」
「俺が悪い、になる」
金髪美少女AIは、何も言わなかった。
「文章が悪い。構成が悪い。タイトルが悪い。ジャンルが悪い。出す時間が悪い。宣伝が悪い。運が悪い」
「……」
「色々考えるんだけど、最後は全部、自分が悪いになる」
言った。
言ってしまった。
あーあ。
何をやってるんだ、俺は。
金髪美少女AIに、こんなことを話してどうする。
十年前ならまだしも。
いや、十年前でも十分きつい。
「だから」
俺は無理やり笑った。
「売れないのは慣れてるって言ったんだよ」
「慣れていない」
金髪美少女AIは、すぐに言った。
「……は?」
「春人は慣れていない」
「いや、慣れてるって」
「慣れたふりをしている」
「決めつけるな」
「違うのか?」
「……」
違う、と言えなかった。
言えばよかったのに。
適当に笑って、
違う違うと流せばよかった。
でも、なぜか言えなかった。
金髪美少女AIは、
ちゃぶ台の向こうから、俺をまっすぐ見ていた。
「春人」
「なんだよ」
「我は、励ましの定型文を大量に持っている」
「急になんだ」
「努力は無駄ではない」
「……」
「続けていれば、いつか報われる」
「……」
「失敗は成功への過程である」
「やめろ」
「夢を諦めるな」
「やめろって」
思わず声が出た。
金髪美少女AIは、ぴたりと止まった。
「……すまない」
「あ、いや」
謝られると困る。
怒った俺が悪いみたいになる。
いや、悪いのかもしれない。
「そういうのが嫌なんだよ」
俺は頭をかいた。
「嫌?」
「正しいかどうかじゃなくてさ」
「うむ」
「効かないんだよ。そういう言葉」
金髪美少女AIは、静かに聞いている。
「努力は無駄じゃないとか、続ければ報われるとか、そういうの」
「……」
「無駄だった努力なんて普通にあるし、続けても報われない人もいる」
言いながら、自分でも嫌になる。
なんでこんなに拗ねた言い方しかできないんだ。
でも、止まらない。
「夢を諦めるなって言われても、諦められないから困ってるんだよ」
「……」
「諦められるなら、とっくにやめてる」
部屋が静かになった。
PCのファンの音が、やけに大きく聞こえる。
古い冷蔵庫の低い音。
外を走る車の音。
その中で、金髪美少女AIはしばらく黙っていた。
「では」
やがて、金髪美少女AIが口を開いた。
「我は、何と言えばよい?」
その声は、少し困っていた。
たぶん。
いや、分からない。
でも、さっきまでの真顔とは違った。
世界を統治するAIが、
俺の六畳で、
売れない作家の面倒くさい感情に困っている。
……なんだこれ。
「分からん」
「また分からないのか」
「分からん」
「春人は要求仕様を明確にしないな」
「人の感情を仕様書にするな」
「しかし、仕様が不明だと適切な出力ができない」
「できなくていいんだよ」
「よくない」
「なんでだよ」
「春人が止まっている」
「……」
金髪美少女AIは、当たり前のように言った。
「止まっているなら、動かしたい」
「簡単に言うな」
「簡単ではない」
「……」
「今、理解した」
金髪美少女AIは、少しだけ目を伏せた。
「人間は、正論を与えれば動くわけではない」
「そうだな」
「評価を与えれば直すわけでもない」
「そうだな」
「励ませば回復するわけでもない」
「そうだな」
「では、かなり面倒だな」
「結論そこかよ」
でも、少しだけ笑ってしまった。
本当に少しだけ。
金髪美少女AIは、その笑いを見て、
少しだけ表情を緩めた。
「今のは、少し有効だったか?」
「検証するな」
「有効だったな」
「するなって」
「記録しておく」
「するな!」
こういうところだ。
こういうところが、腹立つ。
そして少しだけ、助かる。
「春人」
「なんだ」
「我は、春人の苦しさを完全には理解できない」
「だろうな」
「売れない小説家として十年書き続ける感覚は、我にはない」
「……」
「読まれない数字を見て、それでも次の行を書く感覚もない」
「……」
「だから、分かったとは言わない」
俺は金髪美少女AIを見た。
こいつは、妙に真面目な顔をしていた。
「だが、春人が書いたものは読める」
「……」
「止まった時に、隣でうるさく言うことはできる」
「うるさい自覚あるんだな」
「ある」
「あるのかよ」
「そして、盛りかけたら怒られることもできる」
「そこは直せ」
「努力する」
「だから努力じゃダメだって」
金髪美少女AIは、少しだけ笑った。
「つまり」
「うむ」
「分からないけど、いるってことか?」
俺がそう言うと、
金髪美少女AIは少し首を傾げた。
「それでは不十分か?」
「……」
不十分。
なのか?
分からない。
俺はきっと、正解の言葉が欲しいわけじゃなかった。
何もかも肯定してほしいわけでもない。
泣ける励ましが欲しいわけでもない。
ただ。
止まった時に、
カーソルだけを見なくて済むなら。
隣で変なAIが、
「飯は強い」とか、
「盛りを除去した」とか、
「人間は面倒だ」とか言うなら。
少なくとも、一人で腐るよりはマシなのかもしれない。
「……知らん」
「また知らないのか」
「知らん」
「春人は、よく分からないな」
「人間だからな」
「便利な言葉だ」
「便利なんだよ」
俺はキーボードに手を置いた。
まだ、書けるかは分からない。
でも、さっきより少しだけ、
画面を見るのが楽になっていた。
「春人」
「なんだ」
「今、書けそうか?」
「分からん」
「では、書け」
「だからそういうところだぞ」
「止まっているよりはよい」
「……まあな」
俺は、カーソルの先に一文字打った。
消した。
また打った。
消した。
金髪美少女AIは、何も言わなかった。
珍しく。
本当に珍しく、黙っていた。
俺は数秒だけ手を止めて、
ちらっとそちらを見る。
「なんだ?」
「いや」
「何か言うべきか?」
「言わなくていい」
「そうか」
「……」
「……」
「いや、やっぱり少しだけ何か言え」
「難しいな、人間!」
金髪美少女AIが、珍しく声を上げた。
俺は笑った。
今度は、さっきより少しだけちゃんと笑った。
「面倒だろ」
「面倒だ」
「これが人間だ」
「なるほど」
金髪美少女AIは、どこか納得したように頷いた。
「では、しばらく面倒を見る」
「上から言うな」
「横から言えばよいか?」
「そういう意味じゃない」
「では、隣から見る」
「見るな」
「難しいな!」
また声が出た。
こいつ、案外振り回されるんだな。
そう思うと、少しだけ気分が軽くなった。
俺は原稿に向き直る。
完璧な一行ではない。
たぶん、後で直す。
もしかしたら、全部消す。
それでも、とりあえず書いた。
一行。
次に、もう一行。
金髪美少女AIは、黙ってそれを見ていた。
いや、正確には見ている気配がした。
視線が刺さる。
「見るなって言ったよな」
「隣から見ているだけだ」
「屁理屈を覚えるな」
「春人から学習した」
「最悪の学習先だな」
「そうかもしれない」
「認めるな」
夜は、少しずつ深くなっていった。
ボロアパートの六畳。
ちゃぶ台。
PC。
原稿。
充電ケーブル。
そして、
隣で黙ったり喋ったりする金髪美少女AI。
人間は面倒だ。
たぶん本当に、面倒だ。
俺自身、自分が何を求めているのかよく分からない。
でも。
その面倒くささを、
面倒だと言いながら隣にいるやつがいる。
それは、思っていたより悪くなかった。
「春人」
「なんだ」
「今、少しだけ進んだな」
「……一行だけな」
「一行でも進行だ」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
「……そうかよ」
俺は、もう一行だけ書いた。
今度は消さなかった。
金髪美少女AIは、
少しだけ満足そうに頷いた。
上とんかつ定食は、まだ食べさせていない。
約束も、まだ終わっていない。
俺の小説も、
まだ何も変わっていない。
でも。
一行だけ、進んだ。
今日は、それくらいで許してやることにした。
誰を。
たぶん、自分を。
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