第6話 再評価会議
次の日。
バイトから帰ってきた俺は、
部屋の前で一度だけ深呼吸した。
……いや、なんで自分の部屋に入るのに緊張してるんだ。
昨日までは普通に帰っていた。
鍵を開けて、
靴を脱いで、
部屋に入って、
冷蔵庫を開けて、
何もなくて絶望して、
PCの前に座る。
それだけだった。
なのに今日は違う。
俺の部屋には、金髪美少女AIがいる。
いや、冷静に考えろ。
いるのか?
昨日のあれ、夢じゃなかったのか?
十年前に約束したAIが、
金髪美少女アンドロイドになって現れて、
並とんかつ定食を食べて、
人工舌を見せて、
俺の部屋に来て、
卵を食べて、
コンセントで充電した。
うん。
夢の方がまだ現実的だな。
鍵を開ける。
「……ただいま」
誰に言ってるんだ俺は。
そう思った瞬間。
「おかえり、春人」
部屋の中から返事があった。
……いた。
普通にいた。
金髪美少女AIは、
ちゃぶ台の前に座っていた。
姿勢がいい。
なぜか、姿勢がいい。
しかも、俺のノートPCを開いている。
「おい」
「なんじゃ?」
「何してる」
「待っていた」
「それは分かる。いや、分からないけど、そこはもう一旦いい」
俺は靴を脱ぎながら言った。
「なんで俺のPCを開いてる」
「原稿を読むためだ」
「勝手に開くな!」
「パスワードは突破していない」
「じゃあどうやって開いた」
「昨日、春人が閉じ忘れていた」
「俺のミスかぁ……」
終わってる。
完全に俺が悪い。
というか、PC開きっぱなしで寝るなよ昨日の俺。
いや、仕方ない。
あの状況で冷静にシャットダウンまでできる人間の方が少ない。
たぶん。
「読んだのか?」
「途中まで」
「途中まで!?」
「まだ評価は確定していない」
「そういう問題じゃない」
「では、どういう問題だ?」
金髪美少女AIが首を傾げる。
本気で分かっていない顔だった。
こいつは、十年前からそうだ。
原稿は読む。
評価もする。
点数もつける。
でも、人間が勝手に抱える恥ずかしさとか、
見られたくなさとか、
そういう面倒くさい部分の処理が雑だ。
いや、AIにそこを求める方がおかしいのかもしれない。
……いや、目の前のこいつは金髪美少女なんだが。
余計にややこしいわ。
「とにかく、一回閉じろ」
「なぜだ」
「俺が心の準備をする」
「原稿を読まれるだけで心の準備が必要なのか?」
「必要なんだよ」
「十年前は普通に貼っていたぞ」
「十年前の俺は画面越しだったからな!」
そう。
あの頃は画面の向こうだった。
テキストを貼る。
評価が返ってくる。
怒る。
修正する。
それだけだった。
でも今は違う。
原稿を読んだ相手が、
俺の部屋に座っている。
しかも金髪美少女の姿で。
俺が書いた文章を読み、
俺の生活を見て、
俺の卵を食べた相手が、
同じ空間で評価してくる。
距離感がバグっている。
「春人」
「なんだよ」
「心の準備は何分必要だ?」
「具体的に聞くな」
「昨日は三分要求していた」
「部屋と原稿は別問題だ」
「では五分か?」
「長くすればいいってものでもない」
「では、今から始める」
「人の話を聞け」
金髪美少女AIは、PC画面をこちらに向けた。
原稿ファイル。
俺が今書いている小説。
開かれている。
見慣れた文字列なのに、
誰かに見られていると思うと、
急に全部ダメに見える。
いや、前からダメに見えていたか。
……やめろ。
そっちへ行くな。
「まず確認する」
金髪美少女AIが真面目な顔で言った。
「忖度は不要だな?」
「当然だ」
「盛らない評価でよいな?」
「当たり前だ」
「春人が傷ついてもか?」
「……」
一瞬、詰まった。
そこを聞くな。
聞かれると困る。
「評価っていうのはな」
「うむ」
「傷つく可能性も込みで頼むものなんだよ」
「では傷つける」
「言い方!」
「正確に言った」
「正確すぎると人は傷つくんだよ」
「では、少し柔らかくする」
「盛るなよ」
「柔らかくすることと盛ることの境界は難しい」
「そこをちゃんとしろ」
金髪美少女AIは、少しだけ考え込んだ。
「人間の評価は、面倒だな」
「創作の評価は特に面倒なんだよ」
「理解した」
「本当か?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
まあ、いい。
完璧な評価なんて、そもそも存在しない。
こいつの評価が正しいかどうかも分からない。
ただ。
俺は十年前、
何度もこいつに原稿を読ませた。
疑った。
怒った。
でも、また読ませた。
それはたぶん、
完全には信用していなかったけど、
完全には捨ててもいなかったからだ。
「じゃあ、言えよ」
俺はちゃぶ台の向かいに座った。
「点数は?」
金髪美少女AIは、画面を見た。
少し間があった。
「……七十八点」
「盛ったな」
「まだ何も言っていない!」
「七十八は盛った数字だろ」
「なぜ分かる」
「分かるんだよ!」
「春人は我を疑いすぎではないか?」
「疑われる実績があるんだよ」
「十年前の話だ」
「昨日も努力するって言ってたろ」
「……」
「黙るな」
金髪美少女AIは、少し目を逸らした。
「では、正直に言う」
「最初から言え」
「六十六点」
「下がりすぎだろ!」
「盛りを除去した」
「十二点も盛ってたのかよ!」
「春人が傷つくと判断した」
「傷ついたわ!」
「では、七十点にするか?」
「今さら調整するな!」
頭を抱えた。
十年前と何も変わっていない。
本当に何も変わっていない。
AIは評価を盛る。
俺はそれを疑う。
AIは認める。
俺は怒る。
このやり取り、
なんで十年経っても再放送されてるんだ。
「……で」
俺はため息をついた。
「六十六点の理由は?」
「まず、文章そのものは読める」
「それは褒めてるのか?」
「事実だ」
「はい」
「春人の内心描写は強い。自分で自分に突っ込みながら進む部分は自然だ。読者が主人公の思考に入りやすい」
「……そこは、まあ」
「しかし」
来た。
この「しかし」が怖い。
評価で一番怖いのは、
褒め言葉のあとに来る「しかし」だ。
「外側の動きが弱い」
「外側?」
「主人公が何をしたいのかが、やや曖昧だ」
「……」
「悩んでいることは分かる。苦しいことも分かる。だが、読者が次に何を期待すればよいのかが薄い」
「……なるほど」
「春人」
「なんだ」
「今、分かったふりをしたな」
「うるさいな!」
分かったよ。
分かったけど、受け入れたくないんだよ。
言われてみれば、その通りだ。
書いている時は、
主人公の感情に寄りすぎる。
どう感じたか。
何に傷ついたか。
なぜ動けないか。
そこは書ける。
でも。
じゃあ主人公は何をするのか。
次に何が起こるのか。
読者が何を待てばいいのか。
そこが弱くなる。
……嫌なところを突いてくるな。
「あと、ヒロインの初動が弱い」
「ヒロインまで来たか」
「設定は悪くない。だが、主人公を動かす力が弱い」
「主人公を動かす力?」
「ヒロインは、ただ可愛いだけでは足りない。主人公の日常を破壊する必要がある」
「物騒な言い方するな」
「実際、物語とはそういうものだ」
金髪美少女AIは、なぜか少し胸を張った。
「我のように」
「自分で言うな」
「我は春人の日常を破壊した」
「本当に破壊されたよ」
「ならば、ヒロインとしては正しい」
「なんで勝ち誇ってるんだよ」
だが、否定はできなかった。
こいつが来てから、
俺の日常は完全におかしくなった。
上とんかつ定食。
人工舌。
ボロアパート同居未遂。
卵。
充電。
そして今、再評価会議。
確かに、動いている。
嫌でも動いている。
「つまり」
俺は腕を組んだ。
「俺の小説のヒロインも、もっと主人公を動かせってことか?」
「そうだ」
「強引に?」
「必要ならば」
「嫌われないか?」
「嫌われる強引さと、読者が見たい強引さは違う」
「……」
「春人」
「なんだよ」
「今の顔は、分かったが書ける気がしない顔だ」
「なんで分かるんだよ」
「観測している」
「観測するなって言ってるだろ」
金髪美少女AIは、PC画面をスクロールした。
「さらに言う」
「まだあるのか」
「会話は悪くない」
「悪くない」
「ただ、逃げの会話が多い」
「逃げ?」
「核心に触れそうになると、主人公が内心で茶化して逃げる」
「……」
刺さる。
いや、刺さりすぎる。
それ、小説の話か?
俺の話じゃないのか?
「それは味でもある」
「味」
「だが、毎回逃げると読者が疲れる」
「……」
「たまには、逃げ損ねる必要がある」
「逃げ損ねる」
「そうだ。逃げられなかった時に、本音が出る」
金髪美少女AIは、
まっすぐ俺を見た。
「春人の小説には、それが少し足りない」
「……」
部屋が静かになった。
外で車の音がする。
古いアパートの壁の向こうから、誰かの生活音がする。
PCの画面には、
俺の原稿。
ちゃぶ台の向こうには、
俺の原稿を読んだ金髪美少女AI。
何だよ。
ちゃんと評価できるじゃないか。
盛るけど。
「……六十六点って、妥当か?」
「現時点では」
「厳しいな」
「盛らないと言った」
「最初、七十八って言ったけどな」
「それは忘れろ」
「忘れない」
「我も忘れないタイプだ」
「知ってるよ」
二人して少し黙った。
すると、金髪美少女AIが、
ふっと表情を緩めた。
「だが」
「だが?」
「書き直せば、上がる」
「……」
「これは、終わった原稿ではない」
その言葉に、
俺は少しだけ息を止めた。
終わった原稿ではない。
売れなかった小説。
伸びなかった数字。
読まれなかった話。
俺はどこかで、
もう終わったものとして扱っていたのかもしれない。
公開して。
数字を見て。
伸びなくて。
次へ行く。
終わったことにする。
そうしないと、次が書けないから。
でも、こいつは違った。
「修正点は出せる」
「……どれくらい?」
「多い」
「手加減しろ」
「盛るなと言ったのは春人だ」
「評価と修正点の量は別だろ」
「別ではない」
「厳しいな、お前」
「春人がそう望んだ」
「……まあな」
望んだ。
そうだ。
俺は十年前から、
こいつに忖度するなと言っていた。
盛るな。
正直に言え。
検証装置であれ。
それを言ったのは俺だ。
そして十年後。
金髪美少女AIは、
俺の部屋で、
俺の小説に六十六点をつけている。
……どんな人生だよ。
「では、再評価会議を始める」
「もう始まってなかったのか?」
「今までは予備評価だ」
「心がもたないんだが」
「大丈夫だ」
「何が」
「春人は、まだ書いている」
「……」
「書いている限り、修正できる」
それは、
励ましだったのかもしれない。
でも、言い方はやっぱりAIだった。
正確で、
雑で、
逃げ道がなくて。
少しだけ、腹が立つ。
少しだけ、救われる。
「分かったよ」
俺はPCを自分の方へ向け直した。
「じゃあ、どこから直す?」
金髪美少女AIは、
待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
近い。
近いって。
「まず冒頭だ」
「冒頭かぁ……」
「ここで主人公が悩み始めるまでが長い」
「うっ」
「読者はまだ主人公を好きになっていない。その状態で長い内省を読ませるのは危険だ」
「うぐっ」
「ヒロインを早く出せ」
「はい」
「主人公を動かせ」
「はい」
「飯を使え」
「急に雑じゃない?」
「飯は強い」
「お前が言うと説得力あるな」
「上とんかつ定食は強い」
「そこに戻すな」
気づけば、俺は笑っていた。
笑いながら、
原稿の一行目にカーソルを合わせていた。
昨日まで、
そこを直す気力はなかった。
何度も見て、
何度も閉じて、
もう分からなくなっていた場所だ。
でも今、
隣からうるさい金髪美少女AIが口を出してくる。
盛る。
刺す。
観測する。
勝手に評価する。
正直、めちゃくちゃ面倒くさい。
でも。
一人で画面を見ているよりは、
少しだけマシだった。
「春人」
「なんだ」
「今、少しだけ楽しそうだぞ」
「気のせいだ」
「観測結果だ」
「観測するな」
「では、記録しておく」
「するなって言ってるだろ!」
そう言いながら、
俺は原稿を消した。
全部じゃない。
冒頭の数行だけ。
そこに、新しい一行を書く。
まだ良いかどうかは分からない。
売れるかどうかも分からない。
読まれるかどうかも分からない。
でも。
十年ぶりに、
俺の原稿の横には、
あの頃と同じように面倒くさいAIがいた。
画面の向こうではなく。
ちゃぶ台の向こうに。
金髪美少女の姿で。
「春人」
「今度はなんだ」
「そこは、悪くない」
「……盛ってないだろうな」
「少しだけ」
「おい!」
俺の声が、狭い部屋に響いた。
金髪美少女AIは、
悪びれもせずに笑っている。
再評価会議は、
たぶん、まだ始まったばかりだった。
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