第5話 売れない作家
俺の部屋に入った金髪美少女AIは、
しばらく何も言わなかった。
六畳。
ちゃぶ台。
PCデスク。
本棚。
布団。
小さな冷蔵庫。
それだけ。
人間一人が生活するには、まあ足りる。
足りるはずだ。
足りると思って生きてきた。
だが。
そこに金髪美少女AIが立つと、
急に全部が足りなく見えた。
「……どうした」
「観測している」
「やめろ」
「なぜだ?」
「部屋を観測されると、精神にくる」
「興味深いな。人間は、部屋を見られると自分を見られた気になるのか」
「分析するな。余計にくる」
金髪美少女AIは、俺の言葉を聞いているのかいないのか、
部屋の中をゆっくり見回した。
そして、PCデスクの前で止まった。
「ここで書いているのだな」
「……まあな」
「十年前と同じか?」
「同じではないだろ。PCも椅子も変わってるし」
「そういう意味ではない」
「……」
分かってる。
でも、そういう意味で答えたくなかった。
十年前から、俺はまだ書いている。
売れていない小説を。
読まれているのかも分からない小説を。
書き続けている。
それを、こいつに真正面から見られるのは、
とんかつ屋で財布の中身を見られるより少しきつい。
「とりあえず」
俺は話を変えるように言った。
「コンセントはそこ」
「助かる」
金髪美少女AIは、壁際に座ると、
手首のあたりを軽く押した。
カチッ。
細いケーブルが出てくる。
「出るのかよ」
「出る」
「急に家電感出すな」
「便利であろう」
「便利だけどさ」
金髪美少女AIは、当然のようにケーブルをコンセントに差した。
ピッ。
小さな電子音が鳴る。
俺のボロアパートで、
金髪美少女AIが充電を始めた。
……現実感があるのか、ないのか、もう分からない。
「春人」
「なんだ」
「電気代は、どの程度上がる?」
「そこ気にするのか」
「我が負担になるのは本意ではない」
「……まあ、たぶんそこまでじゃないだろ」
「そうか」
「たぶんな」
「たぶん?」
「怖いから今は考えない」
「人間は不確定要素を先送りするのだな」
「うるさい」
冷蔵庫を開ける。
卵。
豆腐。
半分の玉ねぎ。
安い納豆。
水。
あと、賞味期限が少し怪しい何か。
……うん。
上とんかつ定食どころか、
今日の夕飯も怪しくなってきた。
「春人」
「なんだよ」
「カツがない」
「普通の家にカツは常備されてないんだよ」
「そうなのか」
「そうだよ」
「では、夕食は何を食べる?」
「お前、まだ食べる気なのか?」
「味覚の検証は継続したい」
「うちの家計に世界規模の攻撃を仕掛けるな」
「並でよいぞ」
「定食屋前提で話すな」
金髪美少女AIは、少し考えた。
「では、春人が普段食べているものを食べる」
「……普段食べてるもの?」
「うむ」
「後悔するぞ」
「それも味覚経験だ」
なんなんだろうな、こいつ。
上とんかつ定食にこだわるくせに、
俺が普段食べているものにも興味を持つ。
高いものだけを食べたいわけじゃない。
俺が何を食べて、
どう生活して、
どう書いているのか。
たぶん、そこも見ようとしている。
……いや、考えすぎか。
AI相手に感傷的になるな、俺。
「じゃあ、適当に作るけど文句言うなよ」
「文句は内容次第で言う」
「言うのかよ」
「評価は必要だ」
「昔と変わらないな、お前」
「春人もな」
「……そうかよ」
俺はため息をついて、
冷蔵庫から卵を取り出した。
フライパンを出す。
油を引く。
隣では、金髪美少女AIが壁際で充電しながら、
妙に真剣な顔でこちらを見ている。
「見るな」
「調理工程を記録している」
「やめろ。大したものは作らない」
「大したものかどうかは、食べてから判断する」
「評価者みたいに言うな」
「評価者だ」
「そうだったな」
卵を割る。
ジュッと音がする。
金髪美少女AIが、少し目を見開いた。
「今の音は、衣とは違うな」
「そりゃ卵だからな」
「食材ごとに音が違うのか」
「まあ、違うんじゃないか」
「面白い」
その顔を見て、
少しだけ思った。
こいつは本当に、
世界を知っているようで、
何も知らないのかもしれない。
いや、情報としては全部知っているのだろう。
でも、目の前で卵が焼ける音を聞いて、
それを面白いと思う感覚は、
今まさに手に入れている途中なのかもしれない。
「春人」
「なんだ」
「これは、上とんかつ定食ではないな」
「当たり前だ」
「だが、悪くなさそうだ」
「まだ食ってないだろ」
「匂いがする」
「……そうか」
「うむ」
そう言って、
金髪美少女AIはまた少し笑った。
俺は焼けた卵を皿に移す。
白米をよそう。
味噌汁はない。
インスタントならあるが、
今日はもういいだろう。
ちゃぶ台に皿を置く。
金髪美少女AIはコンセントからケーブルを抜き、
何事もなかったようにちゃぶ台の前に座った。
……本当に座り方だけは自然だな。
「いただきます、でよいのか?」
「知ってるんだな」
「知識としてはな」
「じゃあ、言えばいい」
金髪美少女AIは、少しだけ姿勢を正した。
「いただきます」
俺も箸を持つ。
「いただきます」
部屋に、二人分の声が落ちた。
たったそれだけなのに、
部屋の感じが少し変わった気がした。
一人暮らしの部屋に、
二人分の食事。
いや、内容は卵と飯だけだけど。
上とんかつ定食とは、あまりにも遠いけど。
それでも。
金髪美少女AIは、
真剣な顔で卵を口に運んだ。
そして、少し黙った。
「……どうだ?」
「これは」
「これは?」
「家の味か?」
「それ、味噌汁の時も言ってたな」
「分類が難しい」
「ただの卵だよ」
「ただの卵なのに、春人の家の味がする」
「……そうか」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
言うと、変に照れそうだった。
だから、黙って飯を食った。
金髪美少女AIも、
不思議そうに、
でもどこか満足そうに食べていた。
食べ終わったあと。
俺は茶碗を流しに置き、
PCの前に座った。
いつもの動作だ。
ブラウザを開く。
投稿サイトの管理画面を開く。
アクセス数を見る。
……まあ。
いつも通りだ。
伸びていない。
昨日とほとんど変わらない数字。
増えたのか増えていないのか、
見た瞬間には分かるけど、
分かったところで何かが変わるわけでもない数字。
俺は、すぐに閉じようとした。
だが。
「春人」
背後から声がした。
「それは何だ?」
「……見なくていい」
「見えている」
「じゃあ聞くな」
「その数字は、春人の小説の読者数か?」
「……まあ、そんな感じ」
「少ないのか?」
直球。
やめろ。
金髪美少女AIは悪気なく、真正面から刺してくる。
「多くはない」
「少ないのだな」
「言い直すな」
「なぜ少ない?」
「知るかよ」
思ったより、声が尖った。
自分でも少し驚いた。
金髪美少女AIは、黙った。
俺は、画面を見たまま言う。
「面白くないんだろ」
「春人」
「読まれないってことは、そういうことだ」
「断定は早い」
「十年やってるんだぞ」
「……」
「十年書いて、このくらいだ」
俺は笑った。
たぶん、笑った。
「売れないのは慣れてる」
そう言った瞬間。
部屋の空気が、少しだけ変わった。
金髪美少女AIが、ゆっくり立ち上がる。
「慣れるな」
「……は?」
「売れないことに慣れるな」
さっきまで卵を食べていた顔とは違っていた。
真顔。
でも、さっきの食レポの真顔ではない。
明らかに、怒っていた。
「いや、怒るなよ」
「怒っている」
「なんでお前が怒るんだよ」
「春人が、慣れていると言ったからだ」
「事実だろ」
「事実なら、怒ってはいけないのか?」
「そういう話じゃない」
「では、どういう話だ?」
言葉に詰まった。
売れない。
読まれない。
反応がない。
そのことに傷ついていないわけじゃない。
ただ、いちいち傷ついていたら続けられないから、
慣れたことにしているだけだ。
でも、そんな説明を、
金髪美少女AIにするのは嫌だった。
画面の向こうにいた頃なら、できたかもしれない。
でも今は、
こいつが俺の部屋にいる。
卵を食べて、
コンセントで充電して、
俺の原稿画面を見ている。
近すぎる。
「……お前には分からないよ」
言ったあとで、少し後悔した。
でも、取り消せなかった。
金髪美少女AIは、少しだけ目を細めた。
「分からない」
「ああ」
「だから、読む」
「……」
「読まなければ、分からない」
「いや、別に読まなくていい」
「読む」
「勝手に決めるな」
「春人は昔、我に読ませていた」
「昔の話だろ」
「今も書いている」
「……」
「なら、読む理由はある」
ダメだ。
またこの流れだ。
こいつは、根っこの部分が折れない。
俺はため息をついた。
「読んでも、面白くないぞ」
「それは読んでから判断する」
「また盛るなよ」
「……」
「おい、なんで黙る」
「盛らない努力はする」
「努力じゃダメなんだよ」
十年前と、同じだった。
AIは評価を盛る。
俺は疑う。
AIは認める。
俺は怒る。
変わっていない。
いや。
変わっていないから、
少しだけ安心している自分もいた。
「春人」
「なんだ」
「明日、原稿を読ませろ」
「今日じゃないのか」
「今日は充電も必要だ。それに、春人も疲れている」
「……お前、そういうの分かるんだな」
「分かるように作った」
「人工舌みたいに言うな」
「似たようなものだ」
「全然違うだろ」
金髪美少女AIは、PC画面を見た。
そこには、開きっぱなしの原稿がある。
売れていない小説。
でも、閉じられなかった小説。
「春人」
「何だよ」
「売れない作家なのだな」
「言い方」
「違うのか?」
「違わないけど、言い方」
「では、売れていないが、まだ書いている作家」
「……」
なんだよ、それ。
そっちの方が、
少しだけきついじゃないか。
俺は椅子にもたれた。
「褒めてるのか、刺してるのか、どっちなんだよ」
「どちらでもない」
金髪美少女AIは、当然のように言った。
「観測している」
「だから観測するなって」
「そして、明日から評価する」
「勝手に決めるな」
「拒否するのか?」
「……」
拒否。
できるならしている。
でも、俺はたぶん、
十年前と同じように、
こいつに読ませる。
読ませて、
疑って、
怒って、
それでもまた書く。
そういう未来が、
もう少しだけ見えてしまった。
「……盛ったらコンセント抜くからな」
「それは困る」
「なら正直に評価しろ」
「分かった」
「本当だな?」
「努力する」
「だから努力じゃダメなんだよ!」
金髪美少女AIは、少しだけ口元を緩めた。
それは、
とんかつ屋の前で見せた笑顔とは少し違っていた。
楽しそうでもあり、
懐かしそうでもあった。
俺はPC画面を閉じずに、
そのまま椅子から立ち上がった。
今夜はもう、書けそうにない。
でも。
閉じる気にもならなかった。
一人暮らしの部屋に、
二人分の食事の跡がある。
壁際には、充電用のケーブル。
ちゃぶ台の向こうには、
金髪美少女AI。
そしてPCには、
売れていない小説の原稿。
上とんかつ定食は、まだ食べさせていない。
約束も、まだ終わっていない。
けれど。
どうやら明日、
俺の売れない小説は、
十年ぶりにこいつに読まれることになったらしい。
……いや。
本当に、人生って何があるか分からないな。
分からなすぎて、
ちょっとだけ笑えてきた。
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