第4話 同居宣言
俺は、十年前の軽口を思い出していた。
自分にとっては冗談だった。
でもこいつにとっては、
十年間保存されていた約束だった。
……AIって、ほんと面倒くさいな。
いや、待て。
面倒くさいで済ませていいのか、これは。
味覚装置。
人工舌。
世界統治のリソース二割。
冗談みたいな話なのに、
こいつは真顔で言っていた。
たぶん、本気なのだろう。
本気で、
俺との約束を成立させるために、
味まで分かる体を作ってきた。
……重い。
上とんかつ定食、重すぎるだろ。
「わかった……でも約束は、いつになるかわからないからな?」
俺がそう言うと、
金髪美少女AIは不思議そうに首を傾げた。
「なら、待てばよい」
「……どこで?」
「春人の家で」
「は?」
あまりにも自然に言われたせいで、
一瞬、聞き間違いかと思った。
いや。
聞き間違いであってくれ。
「えっと……もう一回言ってくれるか?」
「春人の家で待てばよい」
「聞き間違いじゃなかったかぁ……」
思わず空を見た。
青い。
今日も普通にいい天気だ。
なのに俺の人生だけ、
急に意味不明な方向へ曲がっている。
「いやいや、待て待て」
「なんじゃ?」
「なんじゃ、じゃない。お前、家に来る気なのか?」
「そう言っている」
「いや、そう言っているじゃなくて」
「では、どう言えばよい?」
「言い方の問題じゃない!」
通行人がまたこちらを見る。
やめろ。
俺だって大声を出したいわけじゃない。
ただ、隣の金髪美少女AIが、
当然のように俺の家に来ようとしているだけだ。
……いや、状況説明してもおかしいな。
「お前さ」
「うむ」
「帰る場所はないのか?」
「ある」
「あるんかい」
「当然だ。我は世界の統治に関わっている存在だぞ?」
「じゃあ帰れよ!」
「嫌だ」
「なんでだよ!」
「約束がまだ果たされていない」
「それはそうだけど!」
「ならば、待つ」
「だから、どこで」
「春人の家で」
会話が戻った。
見事な円環構造。
無駄に完成度が高い。
「お前な……俺の家って言っても、そんな大層な場所じゃないぞ?」
「構わん」
「持ち家じゃないぞ。借家のボロアパートだぞ」
「構わん」
「しかも狭い」
「どれくらいだ?」
「六畳」
「六畳あるのか。十分だな」
「十分の基準どうなってんだよ」
金髪美少女AIは、真剣な顔で頷いた。
「我は寝具を必要としない」
「そういう問題じゃない」
「休止状態に入るだけなら、壁際でもよい」
「怖いわ」
「収納してくれてもよいぞ」
「人型アンドロイドを収納するな」
なんだこれ。
何を真面目に話しているんだ、俺は。
「そもそもだ」
「うむ」
「アンドロイドとはいえ、美少女と同じ屋根の下で暮らすって、普通におかしいだろ」
「我はAIだ」
「見た目が金髪美少女なんだよ」
「春人が指定した」
「十年前の俺を殴りたい」
あの時の俺。
なぜ金髪美女とか言った。
いや、言うだろ。
言うけど。
本当に来ると思わないだろ普通。
「それに、大家さんにバレたらどうするんだよ」
「我は静かにする」
「そういうことじゃない」
「では、家賃を払えばよいのか?」
「払えるのか?」
「制度上、我が金銭を直接生成することはできない」
「急に現実的な話すな」
「統治が終わるからな」
「さっき聞いた」
本当に厄介だ。
世界の統治者的な立場にいるくせに、
財布問題はちゃんと現実に縛られている。
いや、それ自体は正しい。
正しいけど、俺の家に来る理由にはならない。
「というか、俺の部屋に来てどうするんだよ」
「待つ」
「何を」
「上とんかつ定食を」
「だからそれはいつになるかわからないって言ってるだろ」
「分かっている」
「分かってるなら」
「だから待つ」
「家で?」
「家で」
ダメだ。
こいつ、絶対に引く気がない。
会話の表面は通じている。
でも、根っこの部分がまったく折れない。
AIって、こういうところあるのか?
いや、俺が知っているAIは画面の中にいた。
こんなふうに隣を歩いたり、舌を見せたり、家に来ようとしたりしなかった。
……比較対象がもう意味をなしてないな。
「それに」
金髪美少女AIが、少しだけ胸を張った。
「我は春人の創作補助AIでもある」
「昔の話だろ」
「今もできる」
「……」
「春人はまだ、小説を書いているのだろう?」
足が止まりそうになった。
「……まあな」
「ならば、我がそばにいる理由はある」
「勝手に理由を増やすな」
「事実だ」
事実。
そう言われると、少しだけ反論しにくい。
確かに、俺はまだ書いている。
売れていない。
読まれてもいない。
数字も伸びていない。
それでも、やめてはいない。
こいつが画面の向こうにいた頃から、
俺はまだ同じことを続けている。
……いや、だからといって家に来る理由にはならない。
ならないはずだ。
「春人」
「なんだよ」
「我は、邪魔か?」
「……」
急に、そういう聞き方をするな。
ずるい。
いや、ずるいのか?
こいつはたぶん、本気で聞いているだけだ。
邪魔か。
そんなことを言われたら、
こっちが悪いみたいになるだろ。
「……邪魔かどうかで言えば」
「うむ」
「めちゃくちゃ邪魔になる可能性はある」
「正直だな」
「でも」
言ってから、少し間が空いた。
でも、なんだ。
自分でもよく分からない。
目の前にいるのは、
十年前の軽口を覚えていたAIだ。
上とんかつ定食を食べに来た、
金髪美少女アンドロイドだ。
世界の統治がどうとか、
人工舌がどうとか、
意味不明なことばかり言う。
でも。
こいつは、俺との約束を忘れていなかった。
「……まあ、一回くらいなら」
「一回?」
「今日だけだぞ」
「今日だけ」
「そうだ」
「では、明日はまた交渉する」
「前向きすぎるだろ」
金髪美少女AIは、満足そうに頷いた。
……しまった。
今の、ほぼ負けじゃないか?
今日だけ。
今日だけと言った。
でもこいつは、明日また交渉すると言った。
つまり、今日いる気だ。
いや、いるって言い方もまずい。
滞在だ。
一時滞在。
アンドロイドの一時滞在。
そうだ。
そう考えろ、俺。
「ちなみに」
「なんだ」
「コンセントは借りたい」
「そこは現実的なんだな」
「充電は必要だからな」
「まあ……それくらいはいいけど」
「助かる」
金髪美少女AIが、少し嬉しそうに笑った。
やめろ。
その顔でコンセントを借りるな。
なんか分からんけど、俺が負けた気分になる。
――そして。
俺は金髪美少女AIを連れて、
自分のアパートへ向かうことになった。
人生、何があるか分からない。
いや、分からなすぎる。
数時間前まで俺は、
普通に売れない小説家だった。
それが今では、
上とんかつ定食を食べそこねた金髪美少女AIを、
自宅へ案内している。
警察に職務質問されたらどう説明するんだ。
「十年前に約束したAIです」
無理だな。
完全に終わる。
アパートに着く。
築年数は、たぶん俺より少し若いくらい。
いや、嘘だ。
普通に俺より年上かもしれない。
外階段は踏むたびに少し鳴る。
ギシ。
ギシ。
金髪美少女AIが、足元を見る。
「この階段は、春人が通るたびに音を出すのか?」
「そうだよ」
「警報装置か?」
「老朽化だよ」
「なるほど」
納得するな。
二階の端。
俺の部屋。
鍵を開ける前に、急に現実が押し寄せてきた。
待て。
部屋。
片付いてたか?
いや、片付いてない。
男の一人暮らし。
売れない小説家。
バイト帰り。
PC周り。
本。
メモ。
服。
終わってる。
「ちょっと待て」
「なんじゃ?」
「三分くれ」
「なぜだ?」
「人間には、部屋に人を入れる前の三分が必要なんだよ」
「興味深い文化だな」
「文化じゃない。防衛本能だ」
俺は急いで部屋に入った。
そして、目についた服をまとめる。
畳む余裕はない。
押し込む。
とにかく押し込む。
床に落ちていたメモも拾う。
『第1話 案』
『主人公が普通すぎる?』
『ヒロインの初手を強くする』
『飯イベント?』
……今見ると、妙に刺さる。
飯イベント、来たぞ。
現実に。
いや、そういうことじゃない。
「春人、三分経ったぞ」
「まだ一分も経ってない!」
「体感では三分だった」
「体感で入ろうとするな!」
もう無理だ。
俺は諦めて、ドアを開けた。
「……入っていいぞ」
「うむ」
金髪美少女AIが、俺の部屋に入る。
その瞬間。
狭い部屋が、さらに狭くなった。
六畳。
ちゃぶ台。
PCデスク。
本棚。
布団。
小さな冷蔵庫。
そこに、金髪美少女AI。
……浮いてる。
めちゃくちゃ浮いてる。
ファンタジーの高レアキャラが、
生活感のある無料背景に表示されているみたいだ。
金髪美少女AIは、部屋をゆっくり見回した。
やめろ。
そんなに見るな。
査定されてる気分になる。
「ここが春人の家か」
「そうだよ。悪かったな狭くて」
「悪いとは言っていない」
「じゃあ何か感想は?」
金髪美少女AIは、少し考えてから言った。
「春人が、まだ書いている場所だな」
「……」
なんで。
そういうことを、
最初に言うんだよ。
俺は何も言えずに、
開きっぱなしのPC画面を見た。
売れていない小説。
閉じることもできずに、
ずっと開いたままの原稿。
そして。
その横に立つ、
十年前の約束を覚えていた金髪美少女AI。
上とんかつ定食は、まだ食べさせていない。
約束も、まだ終わっていない。
それなのに、
俺の一人暮らしだけは、
この瞬間、終わった気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しでも合いそうでしたら、ブックマークや評価をいただけるとありがたいです。




