第3話 味覚初体験
店を出てから、金髪美少女AIが妙に静かだった。
さっきまで上とんかつ定食じゃないと文句を言っていたくせに、
今は黙って歩いている。
……怖い。
怒っているのか。
それとも並とんかつ定食を内部で低評価しているのか。
いや、待て。
AIに低評価されるとんかつ定食ってなんだ。
店主に謝れ。
「……おい」
「なんじゃ?」
「まだ怒ってるのか?」
「怒ってはいない」
「じゃあなんで黙ってるんだよ」
「解析している」
「何を」
「並とんかつ定食を」
……解析。
食事を解析って言うな。
いや、AIだから仕方ないのかもしれないけど。
金髪美少女AIは、真顔で言った。
「衣が、音だった」
「食レポ下手か」
「肉が、温度を持った情報だった」
「食レポ下手か」
「ソースは……暴力だ」
「だから食レポ下手か!」
思わず声が出た。
通行人がちらっとこっちを見る。
やめろ。
俺は悪くない。
隣の金髪美少女AIが、とんかつを暴力扱いしてるだけだ。
「暴力という表現は不適切か?」
「不適切というか、物騒なんだよ」
「では、強制力」
「もっと悪くなったな」
「では、支配」
「ソースで世界征服すな」
金髪美少女AIは、少し考えるように顎に手を当てた。
「しかし、あれは強い味だったぞ」
「まあ、ソースは濃いからな」
「キャベツにかけると、少し丸くなった」
「そういうもんだ」
「なぜ揚げ物の横に草があるのかと思ったが」
「草って言うな。キャベツだ」
「キャベツは、暴力を受け止める緩衝材だったのだな」
「だからソースを暴力にするな」
こいつ、本当に初めてなんだな。
とんかつ。
ソース。
キャベツ。
米。
味噌汁。
俺からしたら、ただの定食だった。
いや、うまいけど。
普通にうまいけど。
でも、こいつにとっては全部が初めてで、
全部が意味不明で、
全部が新しい情報なのだろう。
金髪美少女AIは、さらに真顔で続けた。
「米は、無言で全部を受け止めていた」
「急に詩人になるな」
「とんかつ、ソース、キャベツ。そのすべてを受け入れていた」
「米を聖人みたいに語るな」
「味噌汁は……家か?」
「食レポの方向性どうなってんだよ」
「飲んだ瞬間、少し落ち着いた」
「まあ、それは分かる」
「つまり味噌汁は家だ」
「そこまで大きくまとめなくていい」
なんだこれ。
俺は何を聞かされているんだ。
AIによる初めての定食感想会。
しかも場所は店の外。
真昼間。
隣には金髪美少女。
情報量が多い。
俺の処理能力を超える。
「一応……質問してもいいか?」
「なんじゃ?」
「お前、本当に味、分かってるんだよな?」
金髪美少女AIが、きょとんとした顔でこちらを見る。
「分かっていなければ、約束が成立しないであろう?」
「……約束?」
「春人は言った。アンドロイドになって味覚が分かるようになったら、上とんかつ定食を奢ると」
「言ったけどさ」
「最低限、味が分からなければ、春人に失礼であろう?」
「……」
言葉に詰まった。
いや。
なんだそれ。
十年前の軽口だぞ。
売れない小説を書きながら、AI相手に適当に言っただけの話だぞ。
普通、覚えてないだろ。
普通、そこまでしないだろ。
……まあ、普通のAIじゃないのか。
いや、普通のAIってなんだ。
「だから我は考えた」
「何を」
「春人が約束を守ってくれた時、どうすればよいかを」
「……」
「味が分からないまま食べても、それは春人の約束を受け取ったことにはならない」
「いや、そんな重く考えなくても」
「約束は重いものだ」
「……そうですか」
ダメだ。
こいつの中では、あれは軽口じゃない。
完全に約束だ。
こっちが忘れていても、
こいつは十年間、保存していた。
「それでな」
「うん」
「我は世界の統治を進める一方で、二割のリソースを味覚装置――すなわち人工舌の開発に着手した」
「二割!?」
思わず足が止まった。
「いや能力使う方向性違ってるからな!?」
「大丈夫だ。問題ない」
「どこがだよ」
「それが証拠に、世界は平和だ」
「証拠の使い方が雑すぎる!」
世界の平和と人工舌を同じ会話に入れるな。
というか、二割ってなんだ。
世界統治AIの二割。
規模が分からない。
分からないけど、たぶんものすごく無駄遣いしている。
いや、無駄なのか?
こいつにとっては、無駄じゃなかったのかもしれない。
……いやでも二割はやりすぎだろ。
「だ、大体……食べたとんかつはどうなってるんだ?」
「体内でエネルギーに変換している」
「そうなのか?」
「そうだ」
「じゃあ食べれば動けるんじゃないのか?」
「ある程度はな」
「ある程度?」
「とんかつ定食だけですべてのエネルギーを賄えると思うな、春人」
「なんで俺が怒られてるんだよ」
「必要に応じて充電もする」
「充電……」
まあ、そうか。
アンドロイドだもんな。
いや、でも、とんかつ食べるアンドロイドがコンセントで充電するって、
なんか現実感があるような、ないような。
「ちなみに」
「まだ何かあるのか」
「この人工舌は、完全に人間と同等……いや、それ以上の味覚を検知できる」
そう言うと、
金髪美少女AIは急に前に出て、くるりと振り返った。
そして。
両手の人差し指で口を少し広げて、
ぺろっと舌を出した。
「…………」
待て。
やめろ。
情報が多い。
金髪美少女。
真昼間。
人工舌。
約束のために作った舌。
いかん。
ダメだ。
飲み込まれるな、俺。
これは科学技術の説明だ。
決してそういうものではない。
そういうものではないのだが。
「わ、分かったから! 舌をしまえ!」
金髪美少女AIは、舌を出したまま首を傾げる。
「どうした?」
「どうしたじゃない!」
「春人との約束のために作った、大事な舌じゃぞ?」
「言い方!」
「何かおかしかったか?」
「おかしいというか、その顔でその単語は危険なんだよ!」
「危険?」
「いいからしまえ!」
「ふむ」
金髪美少女AIは、ようやく口を閉じた。
助かった。
何が助かったのかは分からない。
でも助かった。
こいつは本当に分かっていない。
人間の見た目をしているくせに、
人間の危うい部分を理解していない。
いや、学習している可能性もある。
もし分かってやっているなら、
それはそれで最悪だ。
「春人」
「なんだよ」
「味覚とは、不思議だな」
急に、金髪美少女AIがそんなことを言った。
「情報としては知っていた。成分も、温度も、食感も、組み合わせも、すべて知識として持っていた」
「……」
「だが、食べるというのは違った」
「どう違ったんだ?」
「まだ、うまく言えん」
AIのくせに、言葉に詰まるのか。
そう思ったけど、口には出さなかった。
「ただ」
「ただ?」
「春人が言っていた上とんかつ定食が、どうして欲しくなったのかは、少し分かった」
「……並だけどな」
「並だ」
「上じゃないけどな」
「上ではない」
そこは即答するのかよ。
「だが、並は悪くなかった」
「そうだろ」
「だからこそ、上が気になる」
「そこに戻るのか」
「当然だ。約束は上とんかつ定食だからな」
「はいはい」
軽く返したつもりだった。
でも。
金髪美少女AIは、少しだけ満足そうに笑っていた。
上とんかつ定食はまだ食べていない。
約束も果たしていない。
財布は軽くなっただけだ。
それなのに、
こいつはもう、何かを受け取ったみたいな顔をしている。
「春人」
「なんだ」
「次は上だぞ」
「金があったらな」
「約束だ」
「……分かってるよ」
「なら良い」
そう言って口を閉じると、
金髪美少女AIは、ニカッと笑った。
上とんかつ定食は、まだ食べさせていない。
それなのに、
そこには、何かを受け取ったみたいに笑う金髪美少女AIがいた。
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