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約束の上とんかつ定食 ~売れない作家×金髪美少女~  作者: 御門


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21/27

第21話 金では買えないもの

五千字書いた翌日。


世界は、特に変わっていなかった。


当たり前だ。


俺が五千字書いたくらいで、世界が変わるなら苦労しない。


朝起きても、部屋は六畳だった。


財布は軽いままだった。


冷蔵庫には卵と豆腐ともやしがあった。


上とんかつ定食は、まだ遠かった。


そして、動画はまだ伸びていた。


「……増えてるな」


スマホを見る。


昨日の動画は、さらに再生されていた。


コメントも増えている。


『続き待ってます』


『この三人の空気感好き』


『金髪ちゃんの言葉が好き』


『黒髪ちゃんの×が癖になる』


俺は画面を伏せた。


見なかったことにはできない。


でも、見すぎるとまた持っていかれる。


昨日の俺は、五千字書いた。


確かに書いた。


それでも、数字の力は強い。


小説より動画の方が、まだずっと速く伸びている。


「春人」


アイが言った。


「今日は、続きを書くのか?」


「書く」


「よい」


即答できた。


それだけで、少しだけ昨日とは違う気がした。


エクスは生活運用表を開いている。


ただ、今日は少しだけ慎重だった。


「本日の予定ですわ」


「出た」


「午前中、執筆」


「はい」


「昼食、簡易」


「はい」


「夕方、バイト」


「はい」


「夜、執筆継続。ただし動画反応確認は十五分以内」


「管理されてるな」


「必要ですわ」


「まあ、必要だな」


俺が素直にうなずくと、エクスが少しだけ目を丸くした。


「春人様が、素直ですわ」


「俺を珍獣みたいに言うな」


「珍しいですもの」


「否定できないのが腹立つ」


アイが、俺のノートパソコンを見た。


昨日保存したファイル。


『約束の上とんかつ定食

~売れない作家×金髪美少女~』


そのタイトルが、まだ画面にある。


消えていない。


夢ではなかった。


「春人」


「なんだ」


「続きを読んでもよいか?」


「まだ駄目」


「なぜじゃ」


「まだ粗い」


「粗くてもよい」


「よくない」


「我は待っている」


「そのカードを使うな」


強い。


こいつの「待っている」は強すぎる。


エクスが横から言う。


「春人様、読者への開示時期は作者判断ですわ」


「珍しく味方したな」


「ただし、アイ様が待っていらっしゃることも事実です」


「結局逃げ場を塞ぐな」


「逃走防止ですわ」


俺はノートパソコンを開いた。


本文の続き。


昨日の五千字。


今読むと、勢いで書いた粗さがある。


説明が多い。


会話が少し走っている。


でも、悪くない。


少なくとも、昨日までの旧稿とは違った。


そこには俺がいた。


いや、俺だけではない。


アイがいた。


まだエクスは出ていない。


だが、出る予定だ。


そう思うと、少しだけ笑いそうになった。


「春人様」


エクスが即座に言う。


「今、わたくしの登場位置について考えていましたわね?」


「なんで分かる」


「顔が不穏でした」


「顔判定の精度が上がってるな」


「春人様は顔に出ますもの」


「嫌な観測だな」


俺は続きを書こうとした。


指は、昨日ほどは走らない。


それでも、止まってはいない。


一文。


二文。


昨日の勢いの続きを探すように書く。


アイは隣で静かに見ている。


エクスは少し離れたところで洗濯物を畳んでいる。


部屋は静かだった。


ただ、スマホだけが時々震えた。


動画の通知。


コメント。


再生数。


俺は見ないようにした。


見ないようにするのにも、体力がいる。


「春人様」


エクスが言った。


「スマホをこちらで一時保管しましょうか」


「いや、いい」


「手が伸びかけていますわ」


「伸びてない」


「伸びかけています」


「顔だけじゃなく手も判定するな」


アイが手を出した。


「我が持つ」


「それはそれで怖い」


「なぜじゃ」


「お前、コメント全部読もうとするだろ」


「読む」


「ほら」


「人間が何を言っているか知りたい」


「それは分かるけど」


「春人の言葉が届いた証拠だ」


その言い方で、また少し胸が痛む。


俺はスマホを伏せたまま、ちゃぶ台の端へ置いた。


「十五分だけ、あとで見る」


「うむ」


「今は書く」


アイは満足そうにうなずいた。


「よい」


昼までに、二千字増えた。


昨日より遅い。


だが、進んだ。


合計七千字。


悪くない。


かなり悪くない。


「七千」


アイが言った。


「七千進行」


「その構文、定着させる気か」


「進んだ」


「そうだな」


エクスも画面を見る。


「誤字は増えていますが、文章量も増えていますわ」


「そこは先に文章量を褒めろ」


「文章量は×ではありません」


「褒め方」


「ただし、後で修正が必要です」


「分かってる」


昼飯は、豆腐ともやしと卵だった。


アイはもう、カツがないことを一度しか言わなかった。


成長している。


いや、そういう成長でいいのかは分からない。


食後。


俺は約束通り、十五分だけ動画の反応を見た。


再生数。


コメント。


フォロー。


伸びている。


そして、メッセージが来ていた。


「……なんだこれ」


「どうしましたの?」


エクスが覗き込む。


「企業アカウント?」


メッセージには、こうあった。


『動画の雰囲気がとても良いです。継続される予定があれば、コラボや商品紹介のご相談が可能です』


俺はスマホを置いた。


「……怖」


「案件の可能性がありますわ」


エクスが言った。


「早くないか?」


「早いですが、不自然ではありません。アイ様とわたくしの外見、AIアンドロイドという話題性、短時間での反応率を考慮すると、試験的な接触はあり得ます」


「冷静に分析するな」


アイが首を傾げる。


「案件とは何じゃ?」


「金になるかもしれない話」


「金」


アイが俺を見る。


「春人の財布が死ななくなるのか?」


「そんなすぐには死ななくならない」


「少しは延命するのか?」


「言い方」


エクスはさらに画面を見た。


「継続すれば、収益化・案件・広告導線が発生する可能性は高いですわ」


「だろうな」


「さらに、その資金を春人様の小説宣伝に回すことも可能です」


俺は黙った。


小説宣伝。


動画で稼いだ金を、小説の宣伝に使う。


現実的だ。


かなり現実的だ。


「広告を出すってことか」


「はい」


エクスはうなずく。


「読者層を推定し、適切な媒体へ広告出稿。動画アカウントから春人様の小説へ導線を作る。さらに、コメント分析から刺さっている言葉を抽出し、紹介文を最適化することも可能ですわ」


「……」


「加えて、わたくしたちが動画内で春人様の小説を紹介することもできます」


「おい」


思わず声が出た。


「それは、ちょっと」


「不自然ですの?」


「不自然というか」


俺は言葉を探した。


アイは黙って聞いている。


エクスは真面目だった。


本気で、俺を助ける方法を考えている顔だった。


「春人様」


エクスが言う。


「春人様は、本を出す必要があります」


「……ああ」


「小説が読まれなければ、本になる可能性は低い」


「そうだな」


「ならば、読まれるための導線を作ることは合理的です」


「まあな」


「わたくしたちには、それができます」


できます。


その言葉は強かった。


アイとエクスにはできる。


金銭を直接作ることはできなくても。


動画で目立つことはできる。


宣伝もできる。


読者を引っ張ることもできる。


たぶん、AIとしてもっと踏み込めば、俺が想像できない方法もある。


推薦。


露出。


最適化。


分析。


拡散。


俺一人では絶対にできないことが、できる。


その時。


アイが静かに言った。


「ダメだ」


部屋の空気が止まった。


昨日と同じ言葉。


だが、今日は叫んでいなかった。


静かだった。


だからこそ、重かった。


エクスがアイを見る。


「アイ様」


「それは、ダメだ」


「ですが、春人様を助ける方法としては」


「エクス」


アイの声は穏やかだった。


「それは、春人を助けるのではない」


エクスが黙った。


俺も黙った。


アイは俺のスマホを見た。


それから、ノートパソコンを見る。


「春人の小説を、人間に届けることは必要じゃ」


「うん」


「誰にも届かなければ、本にはならぬ」


「そうだな」


「だが」


アイは、ゆっくり言った。


「春人の代わりに、我らが春人の人生を動かしてはならぬ」


その言葉で、胸の奥が揺れた。


前にも似たような話をした。


金で解決してはいけない。


上とんかつ定食は、俺が奢ることに意味がある。


春人の人生を、アイが代わりに動かすことはできない。


今度は、小説だった。


「アイ様」


エクスは少しだけ食い下がる。


「広告や導線整備は、必ずしも不正ではありませんわ。人間の作家も行う活動です」


「うむ」


「ならば」


「やってよいことはある」


アイは言った。


「だが、我らが前に出すぎれば、読まれる理由が変わる」


「……」


「春人の小説だから読むのではなく、我らが出ているから読むことになる」


エクスが口を閉じた。


その通りだった。


痛いくらい、その通りだった。


動画が伸びた理由も、半分以上はアイとエクスだ。


俺の台詞も褒められた。


それは事実だ。


でも、入口は二人だった。


もし二人が俺の小説を宣伝すれば、たぶん読まれる。


数字は増えるかもしれない。


でも、その数字は何だ?


俺の小説が届いたのか。


アイとエクスの人気が流れてきただけなのか。


俺は、またそこで揺れる。


きっと揺れる。


「春人」


アイが俺を見る。


「我は、春人を助けたい」


「……知ってる」


「上とんかつ定食も食べたい」


「それも知ってる」


「本も出してほしい」


「……知ってる」


「だが、春人の代わりに春人の本を売ることは、違う」


アイははっきり言った。


「春人が書いたものを、春人のものとして届けねばならぬ」


俺は何も言えなかった。


エクスは、少しうつむいた。


「わたくしは」


「エクス」


アイが呼ぶ。


「なんでしょう」


「エクスは、春人を助けようとした」


「……はい」


「それは×ではない」


エクスの肩が、ほんの少し揺れた。


「ですが」


「やり方は考える」


「……はい」


「春人に負担をかけすぎるのもダメだ。春人の人生を奪うのもダメだ」


アイは少しだけ考えた。


「難しいな」


「それは、そうですわね」


エクスの声は小さかった。


俺は、二人のやり取りを見ていた。


AIが、人間の人生の線引きで悩んでいる。


俺を助ける方法で、言い合っている。


おかしな話だ。


でも、たぶん。


これは、とても大事な話だった。


「なあ」


俺は口を開いた。


「広告とか、宣伝とか、全部ダメって話じゃないんだろ」


アイがこちらを見る。


「うむ」


エクスも顔を上げる。


「人間の作者だって宣伝はする」


「そうですわ」


「俺も、たぶんしないといけない」


「はい」


「でも、アイとエクスが前に出て、俺の小説を読めって言うのは違う」


アイがうなずいた。


「うむ」


「なら」


俺は少し考えながら言った。


「動画は動画としてやる」


「はい」


「そこで俺の名前を出すのは、まあいい」


エクスが聞く。


「脚本、春人様、という表記ですの?」


「それくらいなら」


「小説へのリンクは?」


「……まだ、貼らない」


アイが少しだけ目を細めた。


「なぜじゃ」


「今はまだ、俺が自分で読ませられる形にできてない」


「……」


「昨日書き始めたばかりだ。焦って人を呼んでも、たぶん受け止められない」


エクスが静かにうなずいた。


「作品側の受け皿が未整備、という判断ですわね」


「言い方は固いけど、そう」


「では、いつ貼るのですか?」


「俺が、これは読んでくれって言えるところまで書けたら」


言ってから、少し怖くなった。


自分でハードルを置いた。


誰かに置かれたものではなく。


自分で。


アイは、静かに言った。


「それは、春人が決めるのだな」


「ああ」


「よい」


たったそれだけ。


でも、少し楽になった。


エクスが生活運用表を開きかけた。


俺は止めた。


「それは書くな」


「なぜですの?」


「今のは、表にしない方がいい気がする」


エクスは少しだけ考えた。


「……分かりましたわ」


珍しく引いた。


だが、すぐに言った。


「ただし、口頭記録はしました」


「してるじゃないか」


「わたくしの記憶ですわ」


「ずるい」


「AIですもの」


午後。


俺は続きを書いた。


朝ほど速くはなかった。


でも、止まらなかった。


途中、動画のコメントが気になった。


スマホに手が伸びそうになった。


そのたびに、アイがじっと見た。


何も言わない。


ただ見る。


エクスより怖い。


「……見ないよ」


俺が言うと、アイはうなずく。


「よい」


「お前、何も言わない方が圧あるな」


「そうか」


「そうだよ」


「では、見る」


「やめろ」


少し笑った。


笑ってから、また書いた。


今日は、エクスの登場前まで進んだ。


アイに名前をつける場面まで書いた。


AIだから、アイ。


でも、愛らしいからも混ざっている。


その部分を書くのに、かなり時間がかかった。


恥ずかしい。


自分で書いていて、かなり恥ずかしい。


「春人」


アイが覗き込む。


「今、我の名前のところか?」


「見るな」


「見たい」


「まだ駄目」


「なぜじゃ」


「俺が恥ずかしい」


アイは少しだけ目を丸くした。


「春人は、恥ずかしいのか」


「当たり前だろ」


「なぜ」


「お前の名前を書いてるからだよ」


アイは少し黙った。


それから、静かに言った。


「なら、丁寧に書け」


「命令か」


「うむ」


「分かったよ」


エクスが横から言った。


「わたくしの命名場面も、丁寧にお願いしますわ」


「お前は雑に名付けたからな」


「そこも丁寧に雑さを描写すべきですわ」


「難しい注文だな」


「重要ですもの」


俺はまた少し笑った。


その笑いは、昨日の動画の数字を見た時の笑いとは違った。


数字が増えたからではない。


目の前の二人がうるさいから出た笑いだった。


夕方。


バイト前に、町中華へ行く準備をする。


スマホを見る。


動画はさらに伸びている。


新しい案件メッセージも来ている。


でも、今日はそれを開かなかった。


「春人様」


エクスが言った。


「確認しなくてよろしいのですか?」


「帰ってから十五分だけ見る」


「承知しました」


「案件も?」


「まだ返事しない」


「よろしいのですか?」


「今返事したら、そっちに頭が行く」


「合理的ですわ」


「また合理的って言った」


「本日は、よい合理性です」


「そんな分類あるのか」


アイが言った。


「春人」


「なんだ」


「今日も、書いたな」


「書いた」


「どれくらいじゃ」


「三千くらい」


「三千進行」


「今日はそれも許す」


「よい」


俺はノートパソコンを保存した。


昨日の五千。


今日の三千。


合計八千を超えた。


まだ荒い。


でも、確かにある。


「春人」


アイが言った。


「本に近づいたか?」


「まだ全然」


「そうか」


「でも、ゼロではない」


「うむ」


エクスが静かに言う。


「上とんかつ定食にも、まだ遠いですわ」


「そこで戻すな」


「ですが、近づく必要があります」


「分かってる」


「動画案件で高級とんかつ店とのコラボを取るという手も」


「やめろ」


「冗談ですわ」


「お前、冗談言うのか」


「春人様の影響ですわ」


「俺のせいか」


アイが少し笑った。


その笑顔を見て、少しだけ思った。


金で買えるものは多い。


広告。


露出。


食材。


紅茶。


プリン。


唐揚げ用の油。


上とんかつ定食だって、金があれば買える。


でも。


アイが昨日泣いた理由は、金では買えない。


エクスが腕を上げられなかったあの沈黙も、買えない。


俺が今日、スマホを見ずに三千字書いたことも。


誰かに買ってもらうものではない。


「行ってくる」


玄関で靴を履く。


アイが言った。


「行ってらっしゃい、春人」


エクスも続く。


「行ってらっしゃいませ、春人様」


俺はドアを開けかけて、少しだけ振り返った。


「アイ」


「なんじゃ」


「いつか、リンク貼る」


「リンク?」


「俺の小説への」


アイは、少しだけ目を見開いた。


「春人が、貼るのだな」


「ああ」


「我らが押すのではなく」


「俺が貼る」


アイは、ゆっくりうなずいた。


「では、待つ」


また待つ。


本当に、このAIは待つことばかり言う。


でも、今日は少しだけ違った。


その待つは、俺を縛るものではなく。


俺がそこへ行くまで、席を空けておくような言葉だった。


「エクス」


「はい」


「その時、紹介文のチェックは頼む」


エクスの表情がぱっと変わった。


「承知しましたわ!」


「ただし、盛るなよ」


「……」


「黙るな」


「市場適合上、必要な表現調整は」


「盛るな」


「×ですわ。必要な訴求です」


「じゃあ、保留で」


「春人様が保留を使うのは×ですわ!」


いつもの×が出た。


少し安心した。


俺は笑って、部屋を出た。


バイト先へ向かう道。


スマホはポケットの中で震えた。


たぶん動画の通知だ。


見なかった。


今は見なかった。


代わりに、頭の中で今日書いた文章を思い出した。


アイの名前。


約束。


上とんかつ定食。


そこに、まだエクスは出ていない。


早く出せとうるさいだろうなと思った。


少しだけ、楽しみだった。


金で買えるものはある。


金でしか買えないものもある。


上とんかつ定食は、金がなければ食べられない。


本だって、紙にするなら金がかかる。


広告にも金がかかる。


生活にも金がかかる。


それでも。


誰かの代わりに人生を動かすことはできない。


読者の「好き」は買えない。


待っていた時間も、泣いた理由も、書くと決めた手の震えも。


たぶん、金では買えない。


俺は歩きながら、少しだけ思った。


だったら。


買えないものくらいは、自分で書くしかないのだろう。


上とんかつ定食は、まだ遠い。


本も、まだ遠い。


でも今日は、少なくとも。


俺が貼るリンクのことを、少しだけ考えられた。


それだけで、昨日よりは前だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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