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約束の上とんかつ定食 ~売れない作家×金髪美少女~  作者: 御門


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18/27

第18話 台本は伸びた

翌朝。


部屋には、まだ少しだけ油の匂いが残っていた。


昨日の唐揚げの匂いだ。


完全には消えていない。


台所は拭いた。


鍋も洗った。


油も処理した。


エクスの監視のもとで、かなり厳重に。


それでも、空気の奥に少しだけ残っている。


「春人」


アイが言った。


「なんだ」


「昨日のからあげは、まだいるな」


「いないよ」


「匂いがいる」


「言い方」


アイは部屋の空気を吸うように、少し顔を上げた。


「揚げたてではない」


「そりゃそうだ」


「だが、昨日の記録が残っている」


「匂いだよ」


「匂いも記録ではないのか?」


俺は少しだけ黙った。


なんか、朝から妙にそれっぽいことを言う。


エクスが横から言った。


「匂い分子が室内に残留しているだけですわ」


「台無しにするな」


「事実です」


「事実だけで生きるな」


「春人様がそれをおっしゃいますの?」


「俺の何を知ってるんだ」


「生活運用表の範囲なら、かなり」


「怖い」


俺はノートパソコンを開いた。


昨日、唐揚げのあとに書いた一行がある。


一行だけ。


それ以上でも、それ以下でもない。


投稿サイトも開いた。


数字は、ほぼ変わっていなかった。


ほぼ、というのは。


PVが一つ増えていたからだ。


一つ。


昨日の唐揚げより少ない。


いや、唐揚げと比べるな。


「春人」


アイが画面を覗いた。


「動いたのか?」


「一つだけな」


「一つ」


「一つ」


アイは真剣な顔で数字を見た。


「これは、よいことか?」


「悪いことではない」


「よいことではないのか?」


「まあ、よいことではある」


「では、なぜ春人は難しい顔をしている」


「一つだからだよ」


「一つは、一つではないのか」


「そうなんだけどな」


エクスが生活運用表に何かを書き込みながら言った。


「春人様の自己評価は、数値変動に対して過敏ですわ」


「作家志望はだいたいそうだろ」


「ですが、一件の閲覧はゼロではありません」


「分かってる」


「分かっていない顔です」


「顔判定やめろ」


アイはまだ数字を見ていた。


「一人、読んだのか」


「たぶん」


「では、一人には届いたのだな」


「開いただけかもしれないけどな」


「開かねば読めぬ」


「まあな」


「なら、一つ進んだ」


アイはそう言った。


俺は、返事ができなかった。


アイの言うことは、たぶん間違っていない。


でも、正しすぎる言葉は、ときどき痛い。


俺が欲しいのは、一つ進んだという事実だけじゃない。


もっと分かりやすく、もっと大きく、もっと誰かに。


そう思ってしまう自分がいる。


嫌になる。


「今日は買い物ですわ」


エクスが言った。


「急だな」


「在庫状況から判断しました。卵、もやし、豆腐はありますが、調味料の補充が必要です」


「はい」


「あと、油の残量確認」


「唐揚げのせいだな」


「唐揚げではなく、春人様の揚げ物実習の影響ですわ」


「言い方」


アイが少しだけ身を乗り出した。


「また、からあげか?」


「違う」


「そうか」


「がっかりするな」


「がっかりはしていない」


「顔がしてる」


「春人も顔を判定するのだな」


「うつったんだよ」


エクスが小さく咳払いした。


「外出時の注意事項ですわ」


「また表か?」


「表ではありません。口頭確認です」


「十分嫌だ」


「アイ様とわたくしは目立ちます。無用な接触、無断撮影、質問攻めには注意してくださいませ」


「分かってる」


「特に昨日、唐揚げという強い概念を得たアイ様は、食品売り場での反応が予測困難です」


「我は予測困難なのか?」


「はい、アイ様」


「そうか」


アイは少しだけ誇らしげだった。


誇るところじゃない。


俺たちは、昼前に買い物へ出た。


アパートの階段を下りる。


外は普通に明るい。


俺の財布には普通に余裕がない。


隣には、金髪美少女アンドロイド。


その反対側には、黒髪美少女アンドロイド。


何回見ても、普通ではない。


だが、数日一緒にいると、脳が少しずつ慣れてくる。


怖いことに。


近所のスーパーへ向かう途中、何人かが振り返った。


そりゃそうだ。


俺だって他人だったら見る。


二度見る。


たぶん三度見る。


「春人」


アイが小声で言った。


「見られている」


「まあな」


「なぜじゃ」


「目立つからだろ」


「我は普通に歩いている」


「普通に歩いていても目立つんだよ」


「難しい」


エクスが小さく腕を組んだ。


「無断注視は規制困難ですわね」


「注視まで規制するな」


「視線量が多すぎます」


「それ測るな」


スーパーの前まで来た時だった。


少し離れたところで、若い男がスマホをこちらに向けていた。


画面が、明らかにこちらを捕まえている。


俺が気づくより早く、エクスが一歩前に出た。


両腕で、はっきりと×を作る。


「無断撮影は×ですわ!」


声が通った。


男は、びくっとしてスマホを下げた。


「いや、別に撮ってないし」


「レンズ方向、保持角度、画面点灯状態から撮影行為の可能性が高いですわ」


「なんだよ、怖っ」


男は少し不機嫌そうに顔をそらし、そのまま離れていった。


周囲の視線が増える。


やめてくれ。


目立つな。


いや、もう目立っている。


「エクス」


俺は小声で言った。


「助かったけど、声が大きい」


「アイ様の無断撮影を見過ごすことはできません」


「それはそうだけど」


アイは男が去った方を見ていた。


「人間は、なぜ記録したがるのだ?」


「珍しいからだろ」


「珍しいものは、記録してよいのか?」


「よくない」


「では、なぜする」


「知らん。する奴がいるんだよ」


「人間は難しい」


「今日二回目だな」


エクスが眉を寄せた。


「勝手に撮影されるくらいなら、こちらで公式に記録を公開する方法もありますわ」


「公式ってなんだよ」


「管理された範囲での動画公開です。撮影範囲、台詞、公開条件、コメント管理をこちらで制御できます」


「いやいやいや」


俺は手を振った。


「動画なんてやらないぞ」


アイがこちらを見た。


「なぜじゃ?」


「なぜって」


「勝手に記録されるのは困る」


「それは困る」


「なら、春人が記録すればよい」


「俺が?」


「うむ」


アイは当然のように言った。


「春人が書けばよい」


「何を」


「我らの言葉を」


その言い方が、少しだけ引っかかった。


我らの言葉。


俺が書く。


エクスもこちらを見ている。


「春人様は、短い会話を書くことは可能ですの?」


「まあ……短いなら」


「なら、無断撮影対策と情報発信を兼ねた試験運用は合理的ですわ」


「合理性で押すな」


「さらに、収益化の可能性もあります」


「それを言うな」


言われると、弱い。


光熱費。


食費。


油。


卵。


もやし。


唐揚げ。


全部、金がかかる。


昨日の唐揚げは店主の善意だった。


毎回そうはいかない。


「春人」


アイが言った。


「我は、春人の書いた言葉ならよい」


俺は、返事に困った。


それは嬉しい。


嬉しいのに。


何か、変なところを押されている感じがした。


スーパーでは、結局いつも通り安いものを買った。


卵。


豆腐。


もやし。


安いキャベツ。


安い醤油。


チューブのにんにく。


それから、餃子の皮。


「餃子の皮?」


エクスが見た。


「安かったから」


「中身はどうするんですの?」


「ひき肉は高い」


「では?」


「豆腐ともやしと、少しだけ肉」


「春人様の貧乏餃子ですわね」


「名前をつけるな」


アイが餃子の皮を見た。


「これは、からあげの仲間か?」


「違う」


「熱いのか?」


「焼きたては熱い」


「そうか」


アイは少しだけ真剣にうなずいた。


また、変な記録が増えた。


部屋に戻ると、エクスはすぐに買ったものを分類し始めた。


俺はスマホをちゃぶ台に置いた。


動画。


短い会話。


アイとエクス。


俺の台本。


そんなもの、やったことがない。


いや、正確にはある。


小説の中で、会話はずっと書いてきた。


読まれないだけで。


「春人」


アイが隣に座った。


「書かぬのか?」


「そんな急に言うな」


「急なのか?」


「急だよ」


「では、いつなら急ではない?」


「そういう詰め方をするな」


エクスが言った。


「試験運用です。失敗した場合は削除すればよろしいかと」


「簡単に言うな」


「無断撮影されるよりは、管理可能です」


「それはそう」


「さらに、春人様の文章能力の応用可能性を測定できますわ」


「言い方が嫌だな」


文章能力の応用可能性。


小説ではない。


でも、文章。


俺はノートパソコンを開いた。


白い画面。


小説ではないファイルを開く。


タイトルもない。


ただ、短い会話。


「何を書けばいいんだよ」


「からあげ」


アイが即答した。


「即答するな」


「昨日のからあげは、強かった」


「それは分かる」


「揚げたてでなければ、逃げるものがある」


「昨日言ってたな」


「音じゃ」


エクスが補足する。


「加熱直後の衣の食感と蒸気、肉汁の状態は時間経過により変化します」


「説明が固い」


「事実ですわ」


「事実だけじゃ動画にならないんだよ」


俺はキーボードに指を置いた。


唐揚げ。


熱い。


音。


アイ。


エクス。


餃子。


少し愚か。


幸せ。


言葉を並べる。


小説を書く時より、ずっと短い。


短いから楽、というわけでもない。


むしろ、短いほど逃げ場がない。


一行目で止める。


一秒で分かる。


余計な説明はできない。


……いや、俺は何を考えているんだ。


動画職人か。


「春人様」


エクスが画面を覗いた。


「これは台本ですわね」


「まだメモだ」


「構造としては台本です」


「うるさい」


「Aパート、Bパート、オチ。短尺動画向きですわ」


「分析するな」


「分析しなければ、運用できません」


「運用するな」


アイが、俺の横から画面を見ていた。


「春人」


「なんだ」


「我は、この通りに言えばよいのか?」


「いや、まだ決めてない」


「では、決めよ」


「急かすな」


「言葉は、逃げるのか?」


「逃げる時もある」


「なら、捕まえねばならぬ」


俺は、また黙った。


本当に、たまに妙なことを言う。


その言葉のせいで、指が動いてしまう。


俺は台本を書いた。


短い。


二十秒くらい。


人間は、なぜ唐揚げを冷ましてから食べるのか。


火傷防止。


だが、揚げたてでなければ音が逃げる。


そして、熱い餃子。


少し愚かな方が、幸せに近い。


書いてみると、思ったより形になった。


「……できた」


「早いですわね」


エクスが言った。


「うるさい」


「通常の小説執筆時より、出力速度が高いです」


「言うな」


「事実です」


「事実だけで刺すな」


アイは画面を読んでいた。


「春人」


「なんだ」


「我は、からあげを食べるのか?」


「撮るならな」


「また、からあげか」


少し嬉しそうだった。


「残ってないけどな」


「ないのか」


「ない」


当然だ。


残しておけばよかった、という話でもない。


揚げたてでなければ意味がないのだから。


「では、もう一度作るか」


アイが言った。


「材料がない」


「からあげは遠いのだな」


「上とんかつ定食ほどではない」


「そうか」


幸いというか、昨日、店主からもらった下味済みの鶏肉は少しだけ残っていた。


全部揚げるのが怖くて、半分残していたのだ。


逃げ腰が役に立った。


「春人様、残量から小型唐揚げが二個作成可能ですわ」


「撮影用としては十分だろ」


「油温管理は昨日同様、わたくしが行います」


「頼む」


「火事は絶対に×です」


「分かってる」


餃子は、さっき買ってきた材料で簡易版を作った。


豆腐。


もやし。


少しだけひき肉。


キャベツ。


調味料。


町中華の餃子とは違う。


春人家の貧乏餃子だ。


「春人様、包み方が甘いですわ」


「初めてなんだから許せ」


「焼成時に中身が漏れる可能性があります」


「怖いこと言うな」


アイが餃子を見た。


「これは布で包んだ肉か?」


「皮な」


「食べられる布」


「だから布じゃない」


「人間の布は難しい」


「衣類から離れろ」


撮影はスマホでやることにした。


背景は六畳一間。


ちゃぶ台。


古い台所。


どう見ても生活感しかない。


でも、変に綺麗にするより、そのままの方がいい気もした。


アイとエクスがいる時点で、普通ではない。


背景くらい普通でいい。


「撮るぞ」


「うむ」


「承知しましたわ」


スマホを固定する。


角度を調整する。


アイとエクスが画面に入る。


俺は基本的に映らない。


声だけ。


それでいい。


画面の中のアイは、やっぱり強かった。


金髪。


表情は真剣。


でも、唐揚げを前にして少しだけ目が期待している。


エクスは隣で姿勢よく座り、すでに×を出す準備をしている。


ああ。


これは、見られるかもしれない。


そう思ってしまった。


「いくぞ」


録画ボタンを押す。


アイが少しだけ固まった。


「人間は、なぜ唐揚げを冷ましてから食べる?」


「火傷防止ですわ」


エクスは完璧だった。


少し腹立つくらい完璧だった。


アイは唐揚げを見つめながら言う。


「だが、揚げたてでなければ、音が逃げる」


俺は台本通りに声を入れる。


「音?」


「衣の音じゃ」


ここで差し動画。


小さな唐揚げを、アイがかじる。


さく。


思ったよりいい音が入った。


次の瞬間、アイが目を丸くする。


「あつっ」


完全に本音だった。


俺は笑いそうになりながら言う。


「逃げたのは音じゃなくて冷静さだな」


アイは少しだけ熱を逃がしながら、それでも真剣に言った。


「だが、音は逃げておらぬ」


いい。


普通にいい。


問題は餃子だった。


エクスは完璧に演技するつもりだったのだろう。


だが、焼きたての餃子は強かった。


俺が焼いたせいで、火の入り方も少し偏っていた。


エクスがかじる。


「熱っ……!」


完全に本音だった。


「これは×……」


エクスは言いかけて、止まった。


台本では、少し間を置いて言う予定だった。


だが、その間が妙に生々しかった。


エクスはもう一度餃子を見た。


悔しそうに。


でも、少しだけ嬉しそうに。


「……では、ありませんわ」


俺は声を入れる。


「×?」


エクスは少しだけ睨む。


それも台本以上によかった。


続ける。


「熱いものを熱いうちに食う人間は、たぶん少し愚かなんだよ」


アイがこちらを見る。


いや、画面の外にいる俺を見る。


「では、我は少し愚かでよい」


エクスがすぐに言う。


「アイ様が愚かなのは×ですわ」


アイは唐揚げを持ったまま、少し考える。


そして、言った。


「なら、幸せ寄りの愚かさじゃ」


俺は最後の台詞を言う。


「そんな判定あるのかよ」


録画を止めた。


部屋が静かになった。


「……」


「……」


「……」


三人で、スマホを見る。


録画された二十数秒。


見返す。


思ったより、悪くない。


いや。


かなり、悪くない。


アイの「あつっ」は、可愛い。


エクスの「熱っ……!」は、珍しく隙がある。


唐揚げの音も入っている。


餃子の湯気も映っている。


最後の「幸せ寄りの愚かさ」も、妙に残る。


「春人」


アイが言った。


「なんだ」


「これは、我なのか?」


「お前だろ」


「だが、画面の中にいる」


「動画だからな」


「不思議じゃ」


エクスも画面を見ていた。


「編集次第では、公開可能ですわ」


「編集ってどうするんだよ」


「不要部分を切除し、字幕を付与します」


「やれるのか?」


「可能です」


「万能か」


「ただし、台本と最終確認は春人様が行ってくださいませ」


「俺が?」


「春人様の言葉ですから」


その言葉に、少しだけ胸が鳴った。


春人様の言葉。


小説ではない。


でも、俺の言葉。


エクスが動画に字幕をつけた。


アイの台詞。


エクスの台詞。


俺の声。


最後に短いタイトル。


『幸せ寄りの愚かさ』


「タイトル、これでいいのか?」


アイが聞いた。


「たぶん」


「我はよいと思う」


エクスも頷いた。


「検索性はやや不明ですが、印象は残りますわ」


「分析するな」


投稿ボタンの前で、指が止まった。


公開。


これを押せば、誰かが見る。


かもしれない。


見ないかもしれない。


小説と同じだ。


いや、同じではない。


この画面には、アイとエクスがいる。


俺の小説より、ずっと強いものが映っている。


「春人」


アイが言った。


「怖いのか?」


「少しな」


「なぜじゃ」


「見られるからだよ」


「小説も、見られたいのではないのか?」


その通りだった。


その通りすぎて、嫌になる。


見られたい。


でも見られるのは怖い。


読まれたい。


でも読まれるのは怖い。


伸びてほしい。


でも伸びたら、たぶん怖い。


人間は面倒だ。


「押すぞ」


「うむ」


「確認しましたわ」


俺は、投稿ボタンを押した。


公開された。


終わり。


何も起きない。


当然だ。


投稿した瞬間に世界が変わるわけではない。


俺は少し安心した。


少し、がっかりもした。


「これで終わりか?」


アイが聞いた。


「いや、始まりだろうな」


「では、いつ動く」


「知らん」


「人間の記録媒体は難しい」


「全部難しいな、お前にとって」


「うむ」


最初の十分。


再生数、三。


俺たち三人ではない。


俺は少しだけ固まった。


「三」


アイが言った。


「三人見たのか」


「たぶん」


「よいことか?」


「悪くはない」


三十分後。


再生数、四十七。


「増えた」


アイが言った。


「増えたな」


「小説より早いのか?」


俺は返事に詰まった。


「……早いな」


一時間後。


再生数、四百。


コメントが一つついた。


『なにこれかわいい』


アイが真剣に読んだ。


「かわいい」


「そう書いてあるな」


「これは、我のことか? エクスのことか?」


「たぶん両方」


エクスが言った。


「曖昧なコメントですわね」


「そこ分析するな」


さらにコメント。


『最後の幸せ寄りの愚かさ好き』


俺は、その文字を見て止まった。


好き。


最後の台詞。


俺の書いた言葉。


いや、アイが言ったからだ。


アイが言ったからよく見えただけだ。


俺だけなら、きっと届かない。


そう思おうとした。


でも、画面には確かに書いてあった。


『最後の幸せ寄りの愚かさ好き』


「春人」


アイが言った。


「この人間は、春人の言葉を好きと言っているのか?」


「……アイが言ったからだろ」


「だが、書いたのは春人だ」


「演じたのはお前だ」


「なら、両方じゃ」


簡単に言う。


その簡単さが、少し痛い。


二時間後。


再生数、一千二百。


いいねが増えた。


コメントも増えた。


『金髪の子の「あつっ」リアルすぎる』


『黒髪の×ではありませんわ好き』


『声の男のツッコミもいい』


『この三人何?』


『シリーズ化して』


アイとエクスの名前が並んでいる。


かわいい。


続きが見たい。


この二人好き。


全部、二人のことだった。


当たり前だ。


俺の声は画面に映っていない。


台本を書いたことも、誰も知らない。


ただ、金髪と黒髪の美少女アンドロイドが、揚げたての唐揚げと餃子を食べているだけの動画だ。


それが伸びている。


「春人」


アイが言った。


「人間は、我らを見ているのだな」


「見てるな」


「春人の言葉も、見ているのだな」


「……たぶん」


「よかったな」


よかった。


そうだ。


よかったはずだ。


無断撮影対策にもなる。


アイとエクスが勝手に撮られるより、自分たちで出した方がいい。


生活費にも、いずれ繋がるかもしれない。


俺の言葉も、届いた。


よかった。


全部、よいことだ。


なのに。


胸の奥が、ざらついていた。


夕方には、再生数は一万を超えた。


俺は何度も画面を更新した。


小説の数字を見る時と同じ手つきで。


でも、動き方がまるで違った。


更新するたびに増える。


十。


二十。


百。


時々、コメント。


いいね。


フォロー。


小説の管理画面では、一度も見たことのない速度だった。


夜。


バイトはなかった。


夕飯は、残った餃子を焼いた。


さっき撮影で使った餃子より、少しだけ焼き方がマシになった。


エクスは「焼き目は改善傾向ですわ」と言った。


アイは「熱いものは強い」と言った。


俺は笑った。


笑えた。


でも、スマホが気になった。


食事中も。


片付け中も。


ノートパソコンを開いても。


「春人」


アイが言った。


「小説は書かぬのか?」


俺は指を止めた。


「書くよ」


「画面が違う」


「これは……動画のコメントを見てただけだ」


「そうか」


アイは少しだけ首を傾げた。


「コメントは、面白いのか?」


「まあ、面白いな」


「春人は、嬉しいのか?」


「……嬉しいよ」


嘘ではない。


本当に嬉しい。


コメントがつく。


反応がある。


誰かが笑った。


誰かが好きと言った。


俺の書いた短い台詞が、誰かの画面に届いた。


嬉しくないわけがない。


「春人様」


エクスが言った。


「本日の小説進捗は未記入ですわ」


「分かってる」


「動画反応確認に時間を消費しています」


「分かってる」


「これは×ではありませんが、注意対象です」


「分かってるって」


少し、声が強くなった。


エクスが黙った。


アイも黙った。


やってしまった。


俺は目を伏せた。


「……悪い」


「いえ」


エクスは短く答えた。


「わたくしも、少し急ぎすぎましたわ」


「いや、俺が悪い」


沈黙。


部屋には、餃子の匂いが残っている。


昨日は唐揚げ。


今日は餃子。


それから、動画の数字。


数字は増えている。


小説の数字ではない。


俺はノートパソコンに向き直った。


小説のファイルを開く。


白い画面。


昨日の一行。


その下に、カーソル。


点滅。


動かない。


指が動かない。


さっきの台本は、あんなにすぐ書けたのに。


二十数秒の会話は、書けた。


アイの唐揚げ。


エクスの餃子。


幸せ寄りの愚かさ。


小説ではない言葉なら、すぐ届いた。


小説は。


動かない。


俺は、画面から目を逸らした。


スマホを見る。


再生数は、また増えていた。


二万を超えている。


コメントも増えている。


『続き見たい』


『次はラーメン食べてほしい』


『この二人の日常もっと見たい』


俺は、息を止めた。


小説家としてではない。


作家としてでもない。


たぶん、ただの動画の脚本。


それでも。


動画を褒められている。


俺は笑えばいいのか、喜べばいいのか、分からなかった。


「春人」


アイの声。


「なんだ」


「苦しいのか?」


「いや」


「嬉しいのではないのか?」


「嬉しいよ」


「では、なぜ苦しそうなのじゃ」


答えられなかった。


嬉しい。


苦しい。


その両方がある。


料理でも、アイを喜ばせられた。


台本でも、人に届いた。


小説じゃなくても。


俺は、誰かを少しだけ動かせてしまう。


それは、よいことのはずだ。


生きる道が増える。


金になるかもしれない。


店主の言葉とも繋がる。


飯を作れる奴は、どこでも死なない。


短い台本を書ける奴も、たぶんどこかで使い道がある。


それなのに。


俺は何になりたかったんだ。


「小説を書けよ」


誰かにそう言われたわけではない。


店主は、厨房に入れても小説を書けと言った。


アイも、俺の言葉をよいと言った。


エクスも、台本を×ではないと言った。


誰も、俺から小説を奪っていない。


なのに、俺の中で何かが勝手にずれていく。


「春人様」


エクスが静かに言った。


「動画は、春人様の文章です」


「……小説じゃない」


「はい」


「俺が何年も書いてきたものじゃない」


「はい」


「二十秒だ」


「はい」


「二十秒で、一万も二万も見られる」


「……はい」


「小説は、一日かけて書いても、一人増えるかどうかだ」


エクスは何も言わなかった。


アイも何も言わなかった。


俺は、自分で言って、自分で傷ついていた。


馬鹿みたいだ。


いや、馬鹿だ。


幸せ寄りでも何でもない。


ただの馬鹿だ。


「春人」


アイが言った。


「我は」


その時、スマホが震えた。


通知。


またコメントかと思った。


違った。


動画投稿サイトからの通知だった。


急上昇ではない。


そんな大きなものではない。


ただ、再生数が伸びているという通知。


短い祝福みたいな文章。


画面の中で、数字がまた増える。


俺は、それを見てしまった。


小説の画面ではなく。


動画の画面を。


アイの言葉が、そこで止まった。


エクスも、何も言わなかった。


夜が深くなった。


動画は五万再生を超えた。


小説では、一度も見たことのない数字だった。


もちろん、動画と小説は違う。


比べるものではない。


分かっている。


分かっているのに、比べてしまう。


小説は読まれない。


台本は伸びた。


それだけの話だ。


俺はノートパソコンを閉じた。


今日は、小説を書かなかった。


正確には、書けなかった。


その代わり、動画の説明文を少し直した。


コメントを読んだ。


次の動画案まで、頭に浮かんだ。


ラーメン。


餃子。


熱いもの。


アイの言い方。


エクスの×。


春人のツッコミ。


いくらでも出る。


怖いくらいに。


「春人」


アイが言った。


「今日は、もう書かぬのか?」


「……書けない」


正直に言った。


アイは、少しだけ目を伏せた。


「そうか」


「悪い」


「謝ることなのか?」


「分からん」


本当に、分からない。


俺は布団を敷いた。


部屋には、昨日とは違う匂いがあった。


餃子。


油。


スマホの通知音。


通知音に匂いはない。


でも、ある気がした。


エクスは生活運用表を閉じた。


今日は、何も判定しなかった。


それが逆に怖かった。


布団に入る前、俺はもう一度だけスマホを見た。


再生数は、まだ増えていた。


コメント欄には、アイとエクスの名前が並んでいる。


かわいい。


続きが見たい。


この二人好き。


数百件のコメントの中で、ほとんどが二人のことだった。


その中に、一つだけ。


埋もれるように、あった。


『最後の一言、なんで刺さるんだろう』


俺は、その一行を三回読んだ。


最後の一言。


幸せ寄りの愚かさ。


俺が書いた台詞。


アイが言った言葉。


届いたのか。


届いていないのか。


一件だけだ。


数百件の中の、一件だけ。


たまたまかもしれない。


そう思おうとした。


でも、思えなかった。


俺は、その文字を見続けた。


俺の小説では、一度も見たことのない速度だった。


俺の小説では、一度も届かなかった人数だった。


でも。


嬉しかった。


嬉しかったから。


少しだけ、痛かった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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