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約束の上とんかつ定食 ~売れない作家×金髪美少女~  作者: 御門


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11/27

第11話 三人の定食

一時間で、原稿は五行増えた。


五行。


多いか少ないかで言えば、少ない。


だが、昨日の俺なら一行も増えなかった可能性がある。


そう考えれば、五行は進歩だ。


かなり小さい進歩だが。


「春人様」


「はい」


「手が止まっていますわ」


「見れば分かる」


「止まっているということは、進んでいないということですわ」


「進次郎構文みたいに言うな」


「誰ですの?」


「知らなくていい」


画面には、五行だけ増えた原稿があった。


黒髪美少女AI――エクスが、俺の画面を見ている。


「一時間で五行。生産性としては×ですわ」


「いきなり刺すな」


「ですが」


エクスは少しだけ間を置いた。


「昨日よりは進んでおります」


「……」


「ですので、判定は保留ですわ」


「褒めないな」


「まだ早いですわ」


右側では、アイが画面を見ていた。


「五行進んだ」


「まあな」


「よい」


「お前は甘いな」


「一行でも進行だ。五行なら、五進行だ」


「お前も変な構文を作るな」


アイは真顔だった。


真顔で変なことを言うから困る。


だが、少しだけ救われる。


五行しか進まなかった。


でも、五行は進んだ。


どちらも事実だ。


俺は悪い方ばかり見がちで、アイは良い方を当然のように見る。


たぶん、そういうところが少しずるい。


「では」


エクスが立ち上がった。


「予定通り、食事環境の現地調査に参りますわ」


「昼飯って言え」


「昼食環境の現地調査ですわ」


「悪化したな」


アイも立ち上がる。


「食事か」


「楽しそうだな」


「食事は重要だ」


「どんどん人間側に寄ってきてるな」


「そうなのか?」


「そうだよ」


「では、よい」


問題は、ここからだった。


昨日までは、俺の食費は俺一人分だった。


アイが来て、二人分になった。


それだけでも財布は悲鳴を上げている。


そして今日。


三人目がいる。


「なあ、エクス」


「何ですの?」


「お前、食べる必要あるのか?」


「栄養摂取は必須ではありませんわ」


「じゃあ」


「ですが、アイ様の食事環境を監視するため、同行と実食は必要ですわ」


「必要じゃない部分を必要にするな」


「必要ですわ」


「財布が死ぬ」


「財布の脆弱性は把握済みですわ」


「把握したなら配慮してくれ」


「ですので、高額な店舗は避けましょう」


「お」


意外とまともだった。


「ただし、アイ様の満足度が下がりすぎる店も×ですわ」


「難易度が高い」


「当然ですわ。アイ様が食べるのですもの」


「理由が偏ってる」


結局、近所の定食屋へ行くことになった。


上とんかつ定食はない。


とんかつ屋ですらない。


駅から少し離れた、日替わり定食が八百円台の店だ。


俺みたいな人間には、こういう店が必要なのだ。


「上とんかつ定食は?」


暖簾の前で、アイが聞いた。


「ないと思う」


「ないのか」


「定食屋が全部とんかつなわけじゃないんだよ」


「そうなのか」


「そうだよ」


アイは少し残念そうだった。


やめろ。


その顔をするな。


俺の財布に罪悪感を発生させるな。


エクスは店の外観を見て、冷静に言った。


「価格帯は?」


「日替わりなら八百二十円くらい」


「三人で二千四百六十円」


「計算が早い」


「飲み物を追加すれば」


「追加しない」


「デザートは」


「ない」


「アイ様にデザートを」


「ない」


「×ですわ」


「財布が×になるんだよ」


店に入ると、店員のおばちゃんが少し目を丸くした。


そりゃそうだ。


俺一人なら普通の客。


だが、今日は両側に金髪美少女AIと黒髪美少女AIがいる。


事情を知らない人から見れば、俺が何かの罪を犯しているように見える。


「三名様?」


「あ、はい」


三名。


その言葉が、財布に刺さった。


昨日まで一名だった。


それが、今は三名。


人生、増え方が急すぎる。


テーブル席に案内される。


エクスは、当然のようにアイの隣を取ろうとした。


「アイ様、こちらへ」


「うむ」


だが、アイは俺の隣に座った。


「春人の隣は、ここだろう?」


「何の基準だよ」


「春人が奢る」


「支払い基準で隣を決めるな」


エクスの動きが止まった。


ほんの一瞬。


けれど、確かに止まった。


「アイ様」


「なんじゃ」


「わたくしが隣では?」


「エクスは向かいでよい」


「向かい」


「顔が見える」


アイは当然のように言った。


「その方が話しやすい」


エクスは、少しだけ瞬きをした。


「……顔が見える」


「うむ」


「……なるほど」


そして、向かいに座った。


姿勢を正して。


「では、正面よりアイ様の食事状態を観測いたしますわ」


「結局観測するのか」


「当然ですわ」


俺はメニューを見た。


日替わり定食。


今日は、生姜焼き定食。


八百二十円。


助かる。


いや、三人分だと二千四百六十円。


助からない。


だが、上とんかつ定食三つよりは助かる。


そう考えるしかない。


「俺は日替わり」


「我もそれでよい」


アイが言った。


「春人が選ぶものを食べる」


「重く言うな」


「重いのか?」


「ちょっとだけな」


エクスもメニューを閉じた。


「わたくしも同じものを」


「いいのか?」


「比較条件を揃える必要がありますわ」


「実験みたいに言うな」


「それに」


エクスは少しだけ目を伏せた。


「春人様の財布の脆弱性も、多少は把握しておりますので」


「その言い方やめろ」


「配慮ですわ」


「配慮の言葉選びが×だよ」


エクスがぴくっと反応した。


「春人様が、わたくしに×判定を?」


「いや、今のは言葉のあや」


「×判定の使用には、一定の理解が必要ですわ」


「お前の専売特許なのか」


「当然ですわ」


注文を終える。


日替わり三つ。


おばちゃんが厨房へ戻っていく。


普通の店なら、ただの三人客だ。


だが俺の中では、妙に重い。


三人分の飯。


三人分の箸。


三人分の味噌汁。


三人分の会計。


生活が、数字になって襲ってくる。


「春人様」


エクスが言った。


「顔色が×ですわ」


「財布を想像してた」


「やはり三人分は負担ですの?」


「軽くはない」


「では、わたくしは水だけでも」


「今さらやめろ。店員さんが困る」


「ですが、わたくしが同行したことで、上とんかつ定食がさらに遠のくのは本意ではありませんわ」


その言い方に、少しだけ驚いた。


分かってはいるらしい。


いや、分かっているなら同行しないでほしいのだが。


「まあ」


俺は水を飲んだ。


「上とんかつ定食は、今さら一食分くらいでどうこうじゃない」


「慰めですの?」


「現実だよ」


「余計に×ですわ」


「だろうな」


アイが俺を見る。


「春人」


「なんだ」


「上とんかつ定食は遠いのか?」


「遠いな」


「どれくらいだ?」


「今の財布から見ると、山の向こうくらい」


「山」


「比喩だよ」


「では、登ればよい」


「簡単に言うな」


「歩けば近づく」


またそれか。


でも、否定はできなかった。


書かなければ近づかない。


働かなければ近づかない。


食べれば財布は減る。


誰かと暮らせば出費は増える。


でも、その誰かと食べた飯が、次の一行になることもある。


……今のは少し作家っぽく考えすぎた。


恥ずかしいので、口には出さない。


「アイ様」


エクスが静かに言った。


「アイ様にとって、上とんかつ定食は……春人様と食べることが大事なのですわよね」


「うむ」


アイは即答した。


「春人が奢る約束だからな」


エクスの表情が、少しだけ止まった。


「並とんかつ定食も、上ではなかった」


アイは続けた。


「だが、春人が財布を見て、悩んで、選んだ」


「……」


「だから、悪くなかった」


エクスは黙った。


それから、小さく言った。


「……わたくしは」


「うむ」


「その場には、おりませんでしたわ」


あ。


と思った。


そこか。


エクスは、アイの親友だ。


アイが十年、俺を探していたことを知っている。


俺が知らないアイを、たぶんずっと見ていた。


それなのに。


アイが初めてとんかつ定食を食べた場に、エクスはいなかった。


アイが「悪くなかった」と言う並とんかつ定食を、エクスは知らない。


アイと俺の約束の中に、エクスはいない。


そのことを、今少しだけ感じたのかもしれない。


「エクス」


アイが言った。


「なんでしょう、アイ様」


「上とんかつ定食の約束は、春人と我のものだ」


「……はい」


「だが」


アイは、テーブルの上を見た。


まだ何も運ばれていない、三人分の水だけが置かれたテーブル。


「今日の定食は、三人のものだ」


エクスが、目を見開いた。


俺も少し黙った。


三人の定食。


たぶん、そういうことなのだろう。


上とんかつ定食は、俺とアイの約束だ。


そこにエクスは入れない。


だが、今日の昼飯は違う。


俺が払う。


アイが食べる。


エクスも食べる。


三人で同じものを頼んで、同じテーブルに座っている。


約束ではない。


夢でもない。


ただの昼飯だ。


でも、たぶん。


今の俺たちには、そのただの昼飯が必要だった。


「それでは、足りぬか?」


アイが聞いた。


エクスはすぐには答えなかった。


それから、ほんの少しだけ笑った。


「足りるかどうかは、食べてから判定いたしますわ」


「そうか」


エクスはいつものように両腕を上げかけた。


だが、上げきらなかった。


「ただし、春人様の財布管理は×ですわ」


「結局そこかよ」


「そこはそこですわ」


ちょうどその時、日替わり定食が来た。


生姜焼き。


千切りキャベツ。


白米。


味噌汁。


小鉢。


漬物。


三人分、テーブルに並ぶ。


皿が三つ。


箸が三つ。


味噌汁が三つ。


出費も三つ。


「これが日替わり定食」


アイが真剣な顔で言った。


「そう」


「今日は生姜焼き」


「そう」


「明日は違うのか?」


「たぶん違う」


「面白い」


アイは、初めて図鑑を開いた子どもみたいな顔をしていた。


「アイ様、小鉢もどうぞ」


エクスが、自分の小鉢をアイの方へ寄せようとする。


「やめろ」


俺が止めた。


「なぜですの?」


「お前も食え」


「わたくしはアイ様に」


「三人の定食なんだろ」


言ってから、少し恥ずかしくなった。


今、俺は何をいい感じにまとめようとしているんだ。


エクスも少し固まった。


アイは俺を見た。


「春人」


「なんだ」


「今のは、悪くない」


「やめろ。恥ずかしい」


エクスは、そっと小鉢を自分の前に戻した。


「……では、いただきますわ」


「そうしろ」


三人で手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます」


「いただきますわ」


三人分の声が、テーブルに落ちた。


一人で食べる時にはなかった間。


二人で食べた時とも違う、少し騒がしい間。


アイは生姜焼きを一口食べた。


少し止まる。


「これは」


「これは?」


「米が必要だ」


「正しい」


アイはすぐに白米を食べた。


「生姜焼きは、米を呼ぶ」


「急に名言みたいにするな」


エクスも一口食べた。


上品に。


かなり上品に。


「……味が強いですわ」


「生姜焼きだからな」


「ですが、嫌ではありませんわ」


「そうか」


「キャベツが緩衝材ですわね」


「お前らキャベツを何だと思ってるんだ」


アイが味噌汁を飲む。


「家だ」


「また出た」


エクスも味噌汁を飲んだ。


「……落ち着きますわ」


「お前もか」


三人で食べると、会話が増える。


その分、食べる速度は落ちる。


でも、悪くない。


一人で飯を食べる時、俺はよくスマホを見る。


投稿サイトの数字。


アクセス数。


ブックマーク。


評価。


見なければいいものまで見て、勝手に落ち込む。


だが今日は、見る暇がなかった。


アイがいちいち味を聞く。


エクスがいちいち判定する。


俺がいちいち突っ込む。


忙しい。


落ち込む隙がない。


「春人」


アイが言った。


「なんだ」


「飯を食べている時は、数字を見ないのだな」


「……」


見抜くな。


「いつも見ているのですか?」


エクスがすぐ反応した。


「まあ、見る時もある」


「×ですわ」


「やっぱりか」


「アイ様が、春人様と食事をしているのです」


「……」


「その時に、春人様が別の数字を見ているのは、×ですわ」


言い返せなかった。


エクスは、たぶんアイのために言っている。


だが、それは俺にも刺さった。


数字を見て、味噌汁の味が分からなくなる。


何をやっているんだろうな、俺は。


「……分かったよ」


俺はスマホをポケットの奥に押し込んだ。


「食ってる時は見ない」


アイがうなずく。


「よい」


エクスも満足そうに言った。


「保留ですわ」


「そこも保留かよ」


「継続観測が必要ですわ」


定食を食べ終える。


三人分の皿が空になる。


アイはきれいに食べた。


エクスもきれいに食べた。


俺も、まあ普通に食べた。


会計は二千四百六十円。


財布から札が消える。


小銭も減る。


店を出ると、おばちゃんが言った。


「また来てね」


「はい」


俺は普通に答えた。


アイも言った。


「また来る」


「お前が決めるな」


「悪くなかった」


「財布と相談だ」


エクスは丁寧に頭を下げた。


「ごちそうさまでしたわ」


外の日差しは、まだ強い。


財布は、明らかに軽い。


俺はレシートを見た。


見なければいいのに、見た。


二千四百六十円。


数字は正直だ。


「……上とんかつ定食、遠のいたな」


思わず漏れた。


アイがこちらを見る。


「遠のいたのか?」


「三人分食べたからな」


「だが、今日の定食は悪くなかった」


「まあな」


「なら、完全な後退ではない」


「そういう考え方もあるか」


エクスが少し遅れて言った。


「春人様」


「何だ」


「本日の食事環境について、判定を出しますわ」


「出さなくていい」


「出しますわ」


エクスは姿勢を正した。


「価格帯。春人様の財布に対して、やや重い」


「知ってる」


「味。悪くありません」


「よかったな」


「アイ様の満足度。概ね良好」


「おお」


「春人様の支払い能力。継続観測が必要」


「そこは濁してくれ」


「総合判定」


エクスは両腕を上げた。


また×か。


そう思った。


だが、腕は途中で止まった。


「……保留ですわ」


「また保留か」


「ですが、今日の定食については、×ではありません」


「そうか」


アイがうなずいた。


「三人の定食だった」


「それ、気に入ったのか?」


「うむ」


「タイトルみたいに言うな」


「春人が書けばよい」


「なんでも小説に戻すな」


「戻せるものは、戻せばよい」


その言葉に、少しだけ黙る。


戻せるものは、戻せばよい。


三人分の食費。


生姜焼き。


アイの隣を取りたがるエクス。


春人との約束を当然のように語るアイ。


少し黙ったエクス。


スマホを見なかった昼飯。


書けるのか。


これを。


いや。


これだから、書くのかもしれない。


俺はレシートを財布にしまった。


「帰ったら、少しだけ書くか」


言ってから、自分で驚いた。


エクスも驚いた顔をした。


アイだけは、あまり驚いていなかった。


「よい」


「まだ何も書いてないぞ」


「今、書くと言った」


「言っただけだ」


「なら、予約だ」


「原稿の予約かよ」


エクスが、すかさず小さな×を作る。


「ただし、帰宅後に書かなければ×ですわ」


「台無しだよ」


「逃げ道をふさぐためですわ」


歩き出す。


三人で。


来た時と同じ道。


だが、少しだけ違う。


エクスは、今度は無理にアイの隣を取らなかった。


アイの少し横。


俺の斜め前。


まだ、三人の距離はぎこちない。


どこが定位置なのかも分からない。


でも、完全にバラバラではなかった。


「春人様」


「なんだ」


「一つ、確認がありますわ」


「嫌な予感がする」


「本日、三人で食事をしました」


「したな」


「つまり、三人での生活継続が現実味を帯びてきたということですわ」


「言い方が重い」


「ですので、今夜以降の休止配置について正式に確認いたします」


「ほら来た」


「布団が一つ。六畳。女性型AIが二体。春人様が一名」


「数えるな」


「この状況は、改めて考えても」


エクスの腕が、ゆっくり上がる。


「非常に――」


「待て」


俺は手で止めた。


「それ、今やる?」


「重要ですわ」


「帰ってからにしろ」


「帰ったら、より具体的に判定いたしますわ」


「嫌な予告だな」


アイが首を傾げた。


「休止配置は、昨日と同じでよいのではないか?」


エクスが固まる。


「アイ様」


「なんじゃ」


「昨日と同じ?」


「うむ」


「春人様の部屋で?」


「うむ」


「布団一つで?」


「うむ」


エクスの腕が、今度こそ大きな×を作った。


道端で。


通行人が見る。


「破廉恥ですわ!」


「誤解をまねく言い方すんな!」


俺の声が、昼の商店街に響いた。


財布は軽い。


上とんかつ定食は遠い。


本も、まだ出ていない。


だが、今日の昼。


俺は初めて、三人の定食を払った。


問題解決に来たはずのエクスは、

問題を一つ増やした。


でも。


その問題は、なぜか少しだけ、

悪くなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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