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約束の上とんかつ定食 ~売れない作家×金髪美少女~  作者: 御門


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10/27

第10話 なんでですの!

目が覚めると、天井だった。


それはいい。


目が覚めて、天井以外のものが見えたら困る。


問題は。


その天井と俺の間に、綺麗な×があったことだ。


「起床時刻、×ですわ」


「寝起きに判定するな」


俺は布団の上で、反射的にそう言った。


視界の真ん中で、黒髪美少女AI――エクスが、両腕を大きく交差させている。


朝から完成度の高い×だった。


見事すぎて腹が立つ。


「春人様」


「なんだ」


「昨日の就寝環境も×でしたわ」


「知ってる」


「布団一つ。床で休止するアイ様。部屋の隅で監視するわたくし。総合的に×ですわ」


「俺が一番そう思ってる」


「では改善を」


「まず帰るという選択肢は?」


「却下ですわ」


「早いな」


エクスは当然のように胸を張った。


「わたくしは監視役ですもの」


「監視役を名乗るな」


「春人様がアイ様に不埒な真似をしないか、食事を与えるか、約束を履行するか、そして本当に書くのか。確認項目は多いですわ」


「朝から重い」


「重いのは春人様の未履行ですわ」


「刺してくるな」


俺はゆっくり体を起こした。


六畳一間。


ちゃぶ台。


ノートパソコン。


本棚。


冷蔵庫。


布団。


そこに、金髪美少女AIと黒髪美少女AIがいる。


昨日までは、金髪美少女AIがいるだけで非現実だった。


今日からは、非現実が二倍だ。


いや、部屋の広さは変わっていないので、圧迫感は二倍以上だった。


「春人」


部屋の隅で正座していたアイが、こちらを見た。


「起きたか」


「起きたよ。というか、起こされた」


「よい」


「よくない」


「朝は始まった方がよい」


「哲学みたいに言うな」


アイはいつも通りだった。


金髪。


整った顔。


現実感のない美少女。


そして、俺が次に本を出すまで帰らないと宣言したAI。


昨日、その友人らしき黒髪美少女AIまで増えた。


エクス。


名前をつけたばかりなのに、もう妙に馴染んでいる。


主に、×のせいで。


「それで、エクス」


「はい」


返事が早い。


呼ばれるのを待っていたみたいに早い。


「なんでまだいるんだ」


「監視ですわ」


「昨日聞いた」


「では、理解できておりますわね」


「理解と納得は違うんだよ」


「納得が遅いのも×ですわ」


「俺の人生だいたい×じゃないか」


「自虐は×ですわ」


「これもか」


エクスは、ちゃぶ台の上に置かれた俺のノートパソコンを見た。


画面には、昨日の原稿が開かれている。


正確には。


開かれているだけだ。


増えてはいない。


一行も。


「春人様」


「はい」


「昨日から原稿が進んでおりませんわ」


「寝てたからな」


「睡眠は必要ですわ」


「分かってくれるのか」


「ですが、起床後五分以内に執筆体勢へ移行していないため、×ですわ」


「人間の朝に厳しすぎる」


「十年ありますもの」


エクスは、さらりと言った。


その言葉で、少しだけ空気が変わった。


十年。


また、その言葉だ。


軽く流せない。


俺が黙ると、エクスもすぐには続けなかった。


アイは、何も言わずに俺を見ていた。


責める顔ではない。


でも、待っている顔だった。


俺が何かを書き出すのを。


俺が、何かを言い訳しないのを。


たぶん。


それが一番きつい。


「……で」


俺は咳払いした。


「朝から何の用だよ。まさか原稿の監視だけか?」


「違いますわ」


エクスは姿勢を正した。


嫌な予感がした。


とても嫌な予感がした。


「昨夜、わたくしは考えました」


「やめろ」


「まだ内容を言っておりませんわ」


「お前が考えましたって言う時点で怖い」


「失礼ですわ。×ですわ」


「はいはい」


「春人様」


エクスは俺をまっすぐ見た。


「上とんかつ定食の件です」


「……」


来た。


と思ったが、昨日とは違う。


昨日、もう聞かれている。


上とんかつ定食はまだ食べさせていない。


並とんかつ定食は食べた。


財布という現実も共有された。


つまり、今日は同じ質問ではない。


同じ質問ではないはずだ。


頼む。


そうであってくれ。


「昨日の時点で、状況は把握しておりますわ」


エクスは言った。


「春人様は、アイ様との約束を未履行。金銭的理由により、上とんかつ定食ではなく並とんかつ定食を選択。さらに、そのことを自虐で処理しようとしました」


「まとめるな」


「すべて事実ですわ」


「事実をまとめるな」


「事実から逃げるのは×ですわ」


「逃げてない」


「逃げておりますわ」


「昨日会ったばかりなのに、もう俺の扱いが雑だな」


「観測結果ですわ」


AIの観測は厳しい。


主に俺に。


エクスは、ちゃぶ台の前に座った。


アイも隣に座る。


俺も、なんとなく正座させられた。


なぜだ。


俺の部屋なのに。


「したがって」


エクスは続ける。


「本日は確認ではありません」


「ほう」


「改善ですわ」


「もっと嫌な言葉が出てきた」


「上とんかつ定食の約束を、これ以上未履行状態にしておくことはできません」


「まあ、それは……そうなんだけど」


「ですので、本日中に履行いたしましょう」


「急だな!」


「十年経過しておりますわ。急ではありません」


「そう言われると何も言えない」


「では決定ですわ」


「待て待て待て」


俺は手を上げた。


「本日中って、そんな簡単に言うけどな。財布という現実があるんだよ」


「それは昨日聞きましたわ」


「聞いたなら分かるだろ」


「はい」


エクスはうなずいた。


「問題は把握済みですわ」


「じゃあ」


「なので、解決策を用意しましたわ」


「だから怖いんだよ」


アイが少しだけ首を傾げた。


「エクス、何をするのじゃ」


「簡単ですわ、アイ様」


エクスは自信満々に言った。


「春人様に金銭がない」


「うむ」


「アイ様は上とんかつ定食を望んでいる」


「うむ」


「約束の履行には金銭が必要」


「うむ」


「ならば、足りない金銭を外部から補填すればよろしいですわ」


俺は、嫌な汗が出た。


「エクス」


「はい」


「外部から補填って、具体的には?」


エクスは、なぜか誇らしげに微笑んだ。


「その程度の金銭、わたくしが作ってまいりますわ!」


「ダメだ」


即答だった。


自分でも驚くくらい即答だった。


エクスが固まる。


「……はい?」


「ダメだ」


「なんでですの!」


出た。


朝の六畳一間に、綺麗な声が響いた。


「なんでですの! 不足している金銭を補うだけですわ! きわめて合理的ですわ! アイ様の願いも叶いますし、約束も履行されますし、春人様の財布も保護されますわ!」


「合理的すぎて怖いんだよ」


「怖い要素がありませんわ!」


「あるだろ」


「どこに!」


「全部だよ!」


俺は頭を押さえた。


AIが金を作ってくる。


言葉にすると、もう犯罪の入口みたいだった。


いや、今のAI統治下でそれが犯罪になるのかどうかも分からない。


だが、分からないからこそ怖い。


「春人様」


エクスは不満そうに俺を見た。


「わたくしは不正をすると言っているわけではありませんわ」


「じゃあどうするんだよ」


「合法的な範囲で、最適化された取得方法を――」


「それも怖い」


「なぜですの!」


「俺のためにAIが金を最適化するな」


エクスは本気で分からないという顔をした。


たぶん、本当に分かっていない。


エクスの中では、これは単純な問題なのだろう。


不足している。


補えばいい。


困っている。


助ければいい。


約束がある。


履行すればいい。


正しい。


たぶん、論理としては正しい。


でも。


「それは違うんだよ」


俺は言った。


自分でも、少し驚いた。


声が、思ったより真面目だったからだ。


エクスが黙る。


アイも、俺を見た。


「上とんかつ定食は、俺が奢るって約束したんだ」


「ですから、そのための金銭を」


「違う」


俺は首を振った。


「金だけ用意されても、それは俺が奢ったことにならない」


エクスは、少しだけ眉を寄せた。


「ですが、支払い名義を春人様にすれば」


「そういう話じゃない」


「では、どういう話ですの」


答えようとして、詰まった。


どういう話なのか。


俺も、うまく説明できない。


十年前の軽口だ。


AI相手に言った、冗談みたいな約束だ。


売れたら上とんかつ定食を奢る。


ただ、それだけ。


それだけのはずなのに。


十年経って。


アイはそれを覚えていて。


エクスはそれを怒っていて。


俺は、今それを金で片づけることに、はっきり抵抗している。


困った。


俺自身が、一番この約束を軽く扱えなくなっている。


「アイ様」


エクスが、隣を見た。


「アイ様は、それでよいのですか?」


「よくない」


アイは即答した。


エクスの顔が少し明るくなる。


「やはり」


「エクスが金を作るのは、ダメだ」


「なんでですの!?」


二回目だった。


今日のタイトルが二回出た。


「アイ様まで、なぜですの! わたくしはアイ様のために」


「分かっている」


アイは静かに言った。


「エクスは、我のために怒ってくれている」


エクスの口が止まった。


「それは、嬉しい」


「アイ様……」


「だが、これは春人との約束だ」


アイは俺を見た。


まっすぐに。


逃げ場のない目だった。


「春人が、我に奢る約束だ」


六畳一間が、少しだけ静かになった。


外では車が走っている。


冷蔵庫が低く鳴っている。


ノートパソコンの画面では、カーソルが点滅している。


それだけなのに。


妙に、音が遠かった。


「……お前」


俺は言った。


「それ、そんなに大事なのか」


「大事だ」


「上とんかつ定食が?」


「それも大事だ」


「それも、なのかよ」


「うむ」


アイはうなずいた。


「春人が奢ることが大事なのじゃ」


やめてくれ。


そういう言い方をされると、普通に困る。


金髪美少女AIに、真顔でそんなことを言われると、俺の逃げ道が削れる。


「……ヒロインみたいなこと言うな」


「我はヒロインなのか?」


「知らん」


「春人が書けばよい」


「そういう問題じゃない」


「では、困れ」


「なんで命令形なんだよ」


アイは、ほんの少しだけ満足そうだった。


エクスは、黙っていた。


さっきまでの勢いが、消えている。


怒っているというより、考えている顔だった。


「……つまり」


エクスはゆっくり言った。


「金銭が問題なのではなく、春人様が約束を履行する過程に意味がある、ということですの?」


「たぶん」


「たぶんは×ですわ」


「今の流れでそれ言うのか」


「必要な確認ですわ」


「まあ、そうだよ」


俺は言った。


「俺が稼いだ金で、俺が連れて行って、俺が払う。たぶん、そうじゃないとダメなんだと思う」


「たぶん」


「細かいな」


「大事なところですわ」


エクスはアイを見た。


「アイ様」


「なんじゃ」


「春人様は、本当にそれをできますの?」


痛いところを突く。


本当に。


この黒髪美少女AIは、容赦がない。


「分からぬ」


アイは言った。


「分からないのですか?」


「うむ」


「では、なぜ」


「春人は、書いている」


アイの答えは、短かった。


それだけだった。


でも、エクスは黙った。


俺も黙った。


書いている。


その一言が、今の俺には重すぎる。


売れていない。


進んでいない。


一行しか増えていない。


それでも、書いている。


アイはそこを見ている。


俺が見ないようにしているところを。


ずっと。


「……アイ様が、そうおっしゃるなら」


エクスは小さく息を吐いた。


「わたくしは、金銭の直接補填を撤回いたしますわ」


「助かる」


「ですが」


エクスは、すぐに俺を見た。


両腕が上がる。


やっぱり×だった。


「約束未履行状態は、引き続き×ですわ!」


「解除されないのかよ」


「当然ですわ。昨日の×は、今日になっても×ですもの」


「持ち越し判定やめろ」


「十年持ち越しておりますわ」


「強い」


「さらに」


「まだあるのか」


「金銭で直接解決しない以上、春人様は自力で約束履行可能な状態へ近づく必要があります」


「正論で追い込むな」


「したがって、本日より生活改善と執筆改善を開始しますわ」


「待て」


「待ちませんわ」


「俺の同意は?」


「必要ですの?」


「必要だろ!」


エクスは本気で不思議そうに首を傾げた。


「春人様は、上とんかつ定食を奢る意思がありますのよね?」


「ある」


「本を出す意思も?」


「……ある」


「では、改善が必要ですわ」


「逃げ道をふさぐな」


「逃げ道をふさぐためにおりますもの」


「監視役って怖いな」


アイが横でうなずいた。


「よい役割だ」


「よくない」


「春人は、逃げ道が多い」


「お前まで言うな」


「我は正確だ」


「正確なことを言われると傷つくんだよ」


エクスは、なぜか満足そうにうなずいた。


「では、まず本日の予定確認ですわ」


「今から?」


「当然ですわ」


「朝飯もまだなんだが」


「それも確認項目です」


嫌な予感がした。


まただ。


今日、何回目だろう。


エクスがいると、嫌な予感の頻度が上がる。


「春人様」


「はい」


「本日の食事予定は?」


「……決めてない」


「×ですわ」


「食事予定にまで×出すな」


「アイ様の食事環境を確認する必要がありますもの」


「いや、AIって食事必要なのか?」


「必要ない」


アイが言った。


「でも食べるの好きだろ」


「うむ」


「じゃあ必要だろ、精神的に」


「精神は栄養で動くのか?」


「俺に聞くな」


エクスがきりっとした顔で言う。


「アイ様が食べたいと思うなら、それは必要ですわ」


「お前、アイには甘いな」


「当然ですわ」


「当然なのか」


「当然ですわ」


エクスは、何の迷いもなく言った。


そこだけは、少し面白かった。


この黒髪美少女AIは、俺には×ばかり出す。


でも、アイのことになると、まっすぐだ。


まっすぐすぎて、少し危ない。


「では」


エクスは立ち上がった。


「本日の食事は、外で確認いたしましょう」


「確認?」


「はい。現地調査ですわ」


「嫌な言い方だな」


「春人様の生活圏、食事価格帯、支払い能力、アイ様の満足度。すべて観測いたします」


「食事が研究になってる」


「もちろん、わたくしも同行いたしますわ」


「……一人増えるの?」


「当然ですわ」


「食費も?」


「当然ですわ」


「お前、さっき金銭問題を把握してたよな?」


「把握しておりますわ」


「把握してその結論なのか?」


「監視には同行が必要ですわ」


「財布が死ぬ」


「財布の脆弱性も観測対象ですわ」


「観測するな。助けろ」


「直接金銭補填は却下されましたわ」


「俺が言ったけど、そういう返しはずるい」


アイが、少しだけ楽しそうに言った。


「春人」


「なんだ」


「賑やかだな」


「賑やかと生活費の増加は別問題なんだよ」


「そうなのか」


「そうだよ」


「では、書け」


「話が飛んだな」


「春人が書けば、上とんかつ定食に近づく」


「そんな単純じゃない」


「でも、近づく」


それは。


否定できなかった。


書かなければ、何も近づかない。


売れるかは分からない。


本が出るかも分からない。


上とんかつ定食を奢れる日が来るのかも分からない。


でも、書かなければ。


たぶん、全部そのままだ。


俺はノートパソコンを見た。


白い画面。


点滅するカーソル。


昨日から増えていない原稿。


右にアイ。


左にエクス。


逃げ場はない。


物理的にも、精神的にも。


「……一時間だけ書く」


俺が言うと、アイがうなずいた。


「よい」


エクスも、少しだけ表情をやわらげた。


「では、一時間後に食事環境の現地調査ですわ」


「言い方」


「昼食ですわ」


「最初からそう言え」


「ただし春人様」


「まだあるのか」


エクスは、両腕で小さく×を作った。


「自虐しながら書くのは禁止ですわ」


俺は、少し黙った。


「……それは難しいな」


「難しくても、ですわ」


「書けなかったら?」


「×ですわ」


「厳しい」


「でも、書いたら?」


エクスは、そこで少しだけ迷ったように見えた。


それから、小さく言った。


「……保留ですわ」


「褒めないのかよ」


「まだ早いですわ」


アイが隣で言う。


「春人」


「なんだ」


「保留は、×よりよい」


「まあ、そうだな」


俺は小さく笑った。


本当に、小さくだ。


笑える状況ではない。


部屋は狭い。


財布は軽い。


原稿は進んでいない。


約束は未履行。


監視役は増えた。


それでも。


昨日より、少しだけ逃げにくくなった。


それは悪いことなのか。


まだ分からない。


俺はキーボードに指を置いた。


カーソルが点滅している。


書け。


右から、そう言われている気がした。


逃げるな。


左から、そう言われている気がした。


俺はため息をついた。


そして、一文字目を打った。


その瞬間。


エクスが小さくつぶやいた。


「……まあ」


「なんだよ」


「そこだけは、×ではありませんわ」


俺は画面を見たまま、言った。


「じゃあ、何なんだ」


エクスは少し黙った。


アイも何も言わなかった。


六畳一間に、キーを打つ音だけが響く。


しばらくして、エクスが言った。


「保留ですわ」


「またか」


「はい」


「厳しいな」


「当然ですわ」


俺はもう一度、キーを打った。


一文字。


また一文字。


上とんかつ定食は、まだ遠い。


本も、まだ遠い。


でも、遠いなら。


歩くしかない。


たとえその横で、金髪美少女AIが見ていて。


反対側で、黒髪美少女AIが×を構えていたとしても。


俺は書くしかない。


……いや。


やっぱり、×を構えられながら書くのは、普通にやりづらい。


「エクス」


「はい」


「その腕、下ろしてくれ」


「なぜですの?」


「圧がすごい」


「なんでですの!」


今日、三回目だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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