楽をしたくない
急に 世界観を語るために授業を利用する という技術の思想を語りたくなったので書きました。
小説は、楽をしたくない。
何を言っているのかというと、キャラクターや設定について、できるなら一文字も余さず書きたい。
この人は何を考えているのか。
何をしたいと思っているのか。
好きなものは何か。
嫌いなものは何か。
なぜ怒るのか。
なぜ笑うのか。
全部書きたい。
でも、それをそのまま説明文にすると、ただの説明書になってしまう。
「なるほど、そういう設定なんだね」
で終わる。
読者の中に、
「次どうなるの?」
という飢えが生まれない。
だから、負荷をかける。
自然な形で、物語の中に負荷を置く。
困ったこと。
失いたくないもの。
避けられない選択。
価値観の衝突。
そうすると、キャラクターたちは説明されるのではなく、動き始める。
怒る。
悩む。
間違える。
譲れないものを守ろうとする。
すると、その行動の中から、
「この人はこういう人だったのか」
が見えてくる。
だから私にとって、設定は見せるものじゃない。
負荷に抗う姿を通して、滲み出るものだ。
そして、どんな負荷を選ぶのか。
そこに、作者のテーマが現れる。
だからファンタジーが好きだ。
ノンフィクションは現実に縛られる。
現代ものも、やっぱり現実に縛られる。
でもファンタジーなら、
「こんなことが起きたら、この人はどうするだろう?」
を、もっと自由に試せる。
ご都合主義と言われるかもしれない。
でも私は、その自由度の中で、
人が何を選ぶのかを見てみたい。
だから今日も、
キャラクターに少しだけ負荷をかけて、
その先で何をするのかを眺めている。
だから私にとって、設定は見せるものじゃない。
といいながら、制作過程を明らかにするために、日々、投稿しています。




