フェアリィ・スカイ・ダイヴ
裏赤山猫の日、19日の早朝、ファイセルは空中で目覚めた。
目を開けると雲の膜越しに明け方のオレンジ色の空が一面に見える。
「うっ、痛っつ~~~!!」
全身に鈍い痛みが走る。とりあえず体全体を手で触って異常がないか確かめた。
(痛っ、イテテ……なんだこの痛みは。発射時にかかった衝撃のせいかな?)
そんなことを考えながら無事を確認してファイセルはとりあえず安心した。
だが体が鉛の様に重い。かなり体力を消耗している感は否めなかった。空腹感にも襲われている。
(もう日が昇り始めている。……と、いうことは時間的に着地まであと3時間くらいか)
背を下にしたまま飛んでいるので地上の様子はわからない。
(う~ん……顔を下側に向けられないかな?)
クラウド・バレッタの中はかなり上空を飛行しているにも関わらず、一定温度で保温されており、風が当たることもない。
飛んでいるというよりふわふわ浮いているという感覚に近い。
奇妙な浮遊感の中、腕と脚で勢いをつけて体を回転させてみた。
掴まるものが何もないので回転を止めるのに手間取ってしまった。
徐々に姿勢の取り方に慣れてきて意図した姿勢や向きを取れるようになっていった。
地上を眺めると猛スピードで景色が流れていく。
(きっと下からだと雲にしか見えないんだろうなぁ……これ意外と奇襲とかに使えるんじゃないかな?)
運天の口ぶりからすれば生身の人間でやることではないとの事だ。
ただ、痛みは思ったほど強くはなく、快適な空の旅では無いかと思いかけていた。
しかし、着地手段の事を思い出してすぐにその認識を改めた。
(さて……本当に五体満足でいられるかどうかはこれからの着陸にかかってると言っても過言じゃない。バラバラにならずに着陸できるだろうか……)
あまりの空腹に集中力が散漫になる。
自分のバッグに非常食が入っているのを思い出したのでバッグを漁り、非常食の海軍レーションをかじった。
黄色のバターのような塊がテカテカと朝日を浴びて輝いていた。
空腹に耐えかね、まずいのを思い知りつつもレーションをかじった。
「うえっ。相変わらず、すっごい脂っぽくてギトギトしてて甘じょっぱい。飲み物も無いのに食べたのはマズかった!!」
無理やり口に押しこむ。後味は最悪だったが、徐々に空腹感がなくなっていった。
食べたのはほんの少量だったが、ちゃんと食事をとった程度には満腹感で満たされた。
しばらくするとクラウド・バレッタが上部から音を立てだして少しずつ瓦解し始めた。
(少し早かったけど目的地についたみたいだな。着陸の準備だ!!)
ファイセルはカバンから黄緑に輝く小さく薄い石を取り出して、口にくわえた。
そして素早く制服を脱いで頭から被り、袖の先を手に巻きつけた。
徐々に落下が始まる。すぐに手のつけようのない落下速度になった。
このまま地面に衝突すれば即死は免れない。
制服を落下傘のように構えているのだが、まだ命令せずに落下を続けていく。
遥か下に見えた雲海はもはや目前に迫り、それを突っ切ると大地が露わになった。
そろそろ着地地点を決定できる限界点が近づいていた。
理想は荒れ地に、欲を言えば沼地に着陸したいと思いながら体を傾けていく。
そろそろ減速せずに堪えるのも限界だと感じてファイセルは制服に命令した。
(広がって、下から来る気流を捕まえて上昇しろ!!)
心なしか落下速度は落ちたが、とても無事に着地できる速度ではない。
オークスはモンスターを絞め落とす程の力はあっても、さほど飛行能力は高くない。
ファイセルの体重を支えきれなかった。着地地点に定めた荒れ地が目前に迫る。
(今だッ!! このヴェント・キャンディで!!)
ファイセルは口に加えた石を思いっきり噛み砕いた。
その直後、急上昇する気流が起こった。
それをオークスが拾って落下の勢いが相殺され、少年は緩やかに上昇し始めた。
さきほどの石はオルバから受けとったもので、風の精霊を呼び寄せる効果があるものらしい。
鉱石にしか見えないが風精霊にとっては魅力的なキャンディだという。
ライネンテ東部は土属性の精霊が多く住む。
そのため、地表近くでヴェント・キャンディを潰せば属性の反発が起きて上昇気流が起きる。
オルバは自信があるようだったが、精霊の見えないファイセルには勇気のいることだった。
精霊がいるのかいないのか、どこにいるかがサッパリわからないからだ。
やがて上昇が止まり、ふわふわと下降してファイセルは荒れ地に降り立った。
「ふぅ……うまくいったかな。死ぬかと思った……」
全身から冷や汗をかいて服が湿ったような感覚がする。
東部は一年中初夏の気候なので風邪を引くことはないが、それにしてもやや不快だ。
直接ロンカ・ロンカ近郊に降り立つと素性がバレる確率が上がってしまう。
クラウド・バレッタは隣街近くで分解するように指定されてあった。
さすがに朝は荒れ地の住人たちも鳴りを潜めているので襲撃される心配が無かった。
地図を見ながら2時間ほど歩くとロンカ・ロンカの隣町、ボークスの街に到着した。
さすがに白いシャツに群青色をした制服では地元の住民と服装が違い、悪目立ちしていた。
このままウロウロしていると顔を覚えられそうだ。オ
ルバの言ったとおり、さっさと着替えるのが得策だと思った。
服屋に入ると恰幅のいいちょび髭の店主が迎えた。
「いらっしゃいませ。おや? 観光客の方ですかな?」
やはり身なりからしてひと目でわかるようだ。
この辺りの人達の間ではシャツとズボンという区分がない。
マフラー状の布を体に巻いて、ゆるいローブのように着こなすのが主流のようだった。
「服を……ノダールを買おうと思うんですがちょっとワケありで……。僕がここで買い物をしたこと、黙っていて貰えませんか?」
ファイセルはカウンターにスッっと5万シエール分の口止め料を差し出した。
「ほう!! これはこれは……ええ、お約束しましょう。あなたのことは他言無用ということで……」
店主は大金のチップに驚いていたようだが、浮かれることもなく仕事を誠実にこなし始めた。
頭を深く下げてからファイセルの体のサイズを測り始める。
「聞きたい事があるんですが、近日中にこの界隈で結婚式はありますか?」
チップ分の情報くらいは聞いてもいいだろうとファイセルは店主に訪ねてみた。
「明後日、富豪のラーレンズさんとリーリンカさんという方の結婚式がロンカ・ロンカの広場で行われると聞いています。なんでも広場を貸しきった大きな披露宴なんだとか。ここ数日はお客さんみたいにノダールを買っていく方が多いんですよ。ああ、で、どれくらいの額のノダールをお買い上げになるんです?」
店主は脚のサイズを測りながらから見上げるようにして尋ねてきた。
「最高級仕立てでお願いします」
またもや店主は驚いたようで、ファイセルを見つめた。
チップは高かったが、さすがにこんな少年がそんな大金を持ってはいないだろうという顔だ。
「最高級仕立てといいますと……安く見積もっても100万シエールですよ?」
ファイセルは首を縦に振った。
すると店主は立ち上がって声をひそめてファイセルの耳元でささやいた。
「お客さんまさか……“潰し”ですか?」
少年はこれにどう答えていいものか少し悩んだ。
しかし口止め料を払っているわけだし、店主がわざわざ誰かに密告するような雰囲気の人物ではないと思ってうなづいた。
「お~お~!! そいつはいいですねぇ!!」
予想外の反応だ。それになぜか店主は含み笑いを浮かべている。
「いやぁ、お客さん他所の人だから知らないかと思うけど、ラーレンズはカネに物を言わせて好き勝手やってる富豪でね。この辺りではすこぶる評判が悪いんですよ。あまりにも恨みを買ってるんで、何回か潰しが試みられるんです。ラーレンズの資金力には敵わなくてね~。でも100万シエールをポンと出せる資産の持ち主ならひっくり返せるかもしれませんよ?」
どうやらリーリンカの結婚予定の相手は地元民から相当嫌われているらしい事がわかった。
資金的には申し分ないらしいが、まだ油断することは出来ない。
一方の店主はファイセルの身体のサイズを測り終えてノダールを引っ張り出してきていた。
「こりゃあ面白い事になってきた!! 広場で開催するから、招待状がなくても披露宴に入れるんですよ。私も行くことになってたからますます楽しみだ!!」
店主はノリノリでノダールを選定している。
暗めの茶色や黄土色に赤や黄などの彩度の高い紋様の入った鮮やかなマフラー状の布が積み重ねられていく。
さっき外で町の人が来ていた服に比べ、派手でとても綺羅びやかだ。
「あ~、お客さんもし一時的にノダールを着るだけならレンタルでも構いませんよ? ラーレンズの奴の鼻っ柱を折るには少しでも資金を取っておいた方がいい。そうですね~、最高級ノダールは買うと150万ってとこですが、レンタルなら50万で結構です。これを着ていけば身だしなみに関して言えばラーレンズに引けをとらないはずです」
店主がそう言いながらノダールをファイセルに巻きつけ始めた。
体にはさほど厚く巻かないが、頭だけには何重にも巻き付けていく。
最終的に鏡の前に立つと、全身から優雅に布をなびかせた姿になった。
ただ、頭は大きな蜂の巣のようでいまいち格好がつかない。
おまけに口も軽く塞がれているので若干息苦しい。
「いや~、お客さんよく似あってらっしゃる!! どっからどう見ても立派な富豪か貴族ですよ!!」
おだてられたはいいが、当の本人には全く自覚がない。
大金持ちになりすますのはいいが、このままの態度では小物にしか見えないのは明らかだった。
ファイセルはなんとかしてそれらしく振る舞おうとした。
名前が思い出せないがアクアマリーネを買い取ってくれた富豪のマネをする。それになりきった。
皮肉にもオルバは”品ある大人”の参考にされなかった。
「どうだねご主人。馬子にも衣装とはよく言ったものだろう?」
声にドスを効かせ堂々と胸を張り、腰に手を当てて鏡の前でゆっくり回転した。
「おおお! 一気にそれっぽくなりましたな。その雰囲気を崩さなければ誰も中身が少年だとは気づかないでしょう。ただ貴方様1人では着付けが難しいかと思われます。特にアピールポイントとなる頭部の巻き方はデリケートでして。今の巻き方はカイザー・ストレンプスっていうんですが……わかりませんよね」
自力でここまでノダールを着つけるのが不可能なことに気がついた。
どうしようかと思い悩んでいると店主が着付けを買って出た。
「さきほど言いましたように、私も明後日にロンカ・ロンカの式場へ行きます。レンタル料に着付け料も込みで構いませんよ」
それを聞いてファイセルは感謝の意を伝えながら着付けの契約も成立した。
ファイセルは見知らぬ土地で不安だったが、協力者と巡りあうことが出来て安堵した。