Dear Ficel・Sapley
ファイセルは手紙の続きを目で追った。
“2つ目に謝らなければいけないこと。
これがこの手紙の趣旨なのだが、私はお前に嘘をついてしまった。
前に私が富豪の嫁に行く友人の結婚式に招かれているという話をしたな?
そんな友人は実在しない。実のところ、嫁に行くのは――この私だ。
皮肉にも二人だけの秘密というのは事実で、お前だけにしかこの事は伝えていない。
こんなこと、他の連中に伝えられるわけがなかった。
お前にだけ伝えたのはほんの少し、ほんの少しリーダーに甘えたかったというところだろうかな。
黙っていれば良かったのに、それでもお前には伝えたかった。
かすかな希望のようなものにすがったのかもしれない。
やれやれ、誰にも相談しなかったことも謝らねばならないようだ。3つ目だな。
しかしこれも運命だと私は腹をくくった。
富豪の嫁にさえいけば家族や一族が苦労せずに済むんだ。私が我慢すればそれでいい。
もう学院には行けなくなるだろう。しかしお前らと過ごした4年間は一生忘れることはない。
他の連中にもよろしくな。
こんな形で別れを告げることになるとは不本意極まりないが、まぁ私らしいといえば私らしい。
じゃあな、元気でやれよ
――リーリンカ・ウァーレン”
まるで、涙でもこぼしたかのように滲んだ跡があった。
ファイセルは呆然としていたがすぐに我に返った。
「ファイセルくん。どうしたの上の空で。顔が真っ青だよ」
「あ、あの時、あんなに悲しそうな顔をして……必死に訴えていたのはこういう事だったのかッ!!」
少年は手紙を握りしめてテーブルを強く叩いた。
リーネのビンは大きく揺れ、リーリンカのバッグの中身がガチャガチャと虚しく音を立てた。
「それなのに、それなのに!! 気づいてあげられないなんて!! くそっ、こんなのって無いよ……謝らなきゃいけないのは僕の方だ……」
ファイセルは声を荒らげたが、すぐに脱力して俯いた。
オルバは慌てることもなく落ち着いた声で問いかけた。
「おちつきたまえファイセル君。何がその手紙には書いてあったのか、何が起こっているのか私とリーネに説明して欲しいんだ。君がそこまで声を荒げるということはよっぽどの事だと思う。だが、そういう時だからこそ落ち着いて対処することが最善だと言える。まずは落ち着くんだ」
ファイセルは我に返って自分が取り乱していた事に気づき、大きく息を吸った。
もどかしい気持ちは膨らむばかりだったが、気持ちは落ち着きを取り戻していく。
「……同じチームの女の子が、その薬をくれた女の子が富豪のお嫁に行くんです。本人は金で嫁を囲ってる奴だってとても嫌がっているみたいだったんですが、一族の幸せの為に、と。結婚したら学院にも来れなくなるみたいで。結婚って我慢してするものじゃないですよね……? 何とかして彼女を助けてあげたい。どうにか……どうにかならないですかね」
妖精は突然、荒々しい態度をとったファイセルに驚いていた。
だが、その話を聞いてすぐに悲痛な表情に変わって何も言葉に出来ないようだった。
オルバは少し考え込んだ。
「ライネンテ中央部には娘を売らざるをえないような集落はあっても、富豪はめったに居ない。貧富の差はさほど無いはずでみんな貧しい。となると一族ごと嫁を買収するような富豪が居るのは東部になる」
ファイセルはリーリンカの出身地について思い出した。
「確か……ロンカ・ロンカって街だったと思います。東部の中では大きい規模の街だという話は聞いていますが……」
オルバは無精髭の生えた顎をさすっている。
「ファイセル君、”富豪”っていくら位のお金を持ってる人の事を言うと思う?」
「う~ん、最低でも総資産が1200万シエールくらい無いと富豪とは言えないんじゃないですか?」
オルバはファイセルの方を向いて指を振りながら舌をならした。
「チッチッチッ。それは北部とか、西部の話でしょ。東部の富豪って言ったらヘタすれば総資産300万シエールでも富豪扱いだよ? あとは簡単な話で買われたら買い返す。つまり、富豪からその娘を買い戻してしまえばいいんだよ」
オルバは指を振りながら続ける。
「最近はあんまり聞かないけど、東部では富豪が自分の地位を誇示するためにライバルの結婚式で花嫁含めて式を丸々買収してしまう”婚潰し”っていう風習がある。結婚式が終わりきってしまう前ならばコソコソせずに買い戻せるだろう」
輝きを失っていた少年の瞳が再び生気を帯び始めた。
「はい! ではファイセル君、東部の男性の民族衣装について説明しなさい!!」
ファイセルは地理の授業でやった東部地方についての知識を思い出した。
「えーっと伝統刺繍のついたノダールという衣装で。マフラー状の布を服の上から巻いていて、頭に巻き付けているノダールの量と質によって己の身分を示す……でしたっけ?」
オルバはうなづいてファイセルを指差した。
「はい正解! つまり、何が言いたいかというとノダールさえ巻けば現地の富豪に変装できるんだよ。君がその姿のまま結婚式会場に行ってもよそ者な上に若いということもあって相手にもされないだろう。だが、ノダールをぐるぐる巻きにしていけば誰も文句をいうことは出来ない。時に新婦新郎でさえもね」
師匠はふらりと考えを巡らせながら部屋の中を歩き始めた。
「し・か・も・素性まで隠すことができる。非常に都合がいいんだよ。これで、婚つぶしの予備知識は出来た。まぁ実際はそう簡単には行かないかもしれないが、チャンスは間違いなくある。あと残る問題は彼女がいつ結婚式を挙げるのかってことと、資金面の問題、そしてどうやってロンカ・ロンカまで行くかって事だね」
リーリンカは「今月の下旬には帰省する」と言っていたはずだ。
「今日は何日ですか?! 多分、今月の下旬あたりに彼女は結婚式を挙げると思うのですが」
「裏赤山猫の月の17日だね。まだ後半に入ってから2日しか経っていない。15~16日にミナレートを経ってドラゴンバッゲージ便を利用したとしても、おそらくロンカ・ロンカまでは乗り継ぎで3日程度はかかる。それに、結婚式の準備で数日かかるはずだ。まだ結婚式を挙げてないと見ていいだろう。これで日付の問題は解決」
オルバはいつもどおりマイペースかつテンポ良くポンポンと問題を解決していく。
機転が利く人物とはこういう人のことを言うのだろう。
流石、賢人と呼ばれるだけはある。
その歩調に後押しされてファイセルにもう迷いの色はなかった。
「じゃあ次、資金の問題。たしかに私は東部なら300万シエール程度で富豪を名乗れるとは言ったが、実際相手にする富豪がどの程度のものなのかはわからない。もしかしたら総資産2000万シエール超えクラスとかもありうる。こればっかりは相手が大した資産家でないことを祈るしか無い。無理してもメンツ丸潰れの婚潰しだけは避けたいだろうから高値を請求してくるだろう。だ・け・ど、幸い我々はリッチメンだからね。そんじょそこらの富豪には負けないのさ」
師匠は得意げにおどけて背後のクローゼットを開けた。
乱雑なクローゼットの中に積まれた布袋を持ってきた。
「なんと、魔術局のババールさんが私に300万シエールくれたのさ。頼むからこれで手を打ってくれないかってね。変な貸しを作るのも嫌だから散々断ったんだけど、最終的に玄関先に置いて行ったんだ。全く魔法局もお金の使い方を考えたほうがいいよ」
大金を扱っているとは思えない雑な所作で布袋をテーブルの上にどっさりと置いた。
「師匠!! さすがにこれを受け取るわけには……」
「ファイセル君、私には欲ってものが無くってね。ここでこんな生活をしているとこんなものはさほど重要なものじゃないと思えるんだよ。だから、これは君が使うほうがよっぽど有益だし、正しい。さて、これで君の所持金と合わせるといくらになるか数えてみてよ」
少年はそれを聞いてすぐに自分の持っている所持金を整理し始めた。
「リーネが海竜の涙と接触したのは確認したけど、アクアマリーネは回収できたのかい? さっき“我々は”リッチメンだって言ったように私は君がアクアマリーネを資金に変えていることを想定しているんだけど。もし回収出来ていないなら相当作戦を練り直さないとまずい。学生の君がそんな大金持ってるわけないし、私の分はたかだか300万シエールだし」
ファイセルは銀行に預けてある分も含めて計算しだした。
「えっと、まずアクアマリーネが550万シエール……」
オルバは少し驚いたような表情をしながらつぶやいた。
「今アクアマリーネそんなにするんだ……国内ではあんまり聞かないが、海外でスケイルメイルとかシールドを製作するプロジェクトが立ち上がってるんだろうね」
次のにカバンの中に入っていた手持ちの現金をテーブルの上に取り出した。
「ライネンテタイムズの取材で10万、自然ダム決壊を防いだお礼に50万、ヨーグの森でアテラサウルスを退治して街道を開放した報酬……そういえばこれはまだ中身を開封してませんでした。重さからして結構入ってるみたいですね」
ファイセルが袋の中に入った札束の金額を数え始めた。
「ああ、ダム決壊ってあれかぁ。私の幻魔界界隈が泥水浸しになったあれかぁ。無茶なことするなと思ったけど、結果的に泥や土属性とのコネクションが出来たから助かったよ。でももう少し自分の命は大切にしなきゃいけないね」
ファイセルはうなづきながら報酬を数え続けた。
「90万シエールもありました。あとは魔術局の人に協力してもらった報酬金が50万……」
オルバは呆れたように口を挟んだ。
「師弟揃って魔術局と深く関わることになるとは何の因縁だろうね。で、何を手伝ったの?」
テーブルの上に莫大な量のコインが積み上がっていく。
「コフォルさんって人の手伝いでオウガー退治の囮役やってました」
金勘定と整理整頓をオルバも手伝い始めた。
「また危ないことに首を突っ込んだもんだね。どうせタスクフォースでしょ? たまに出現するオウガーの始末は彼らの仕事だからね。ちなみにタスクフォースはミッションネームしか使わないからそのコフォルって人は偽名のコードネームだよ。任務のたびに名前を変えてるんじゃないかな」
思わずファイセルの手が止まった。
「へぇ~、そういうもんなんですか……で、なんで師匠はそんな内情を知ってるんですか?」
オルバは肩をすくめて答えた。
「だってさ、魔術局が私の家までズカズカと上がり込んでくるのに私が連中のことを何一つ知らされないってアンフェアじゃない? だから一応、私側にも密偵がいるんだよ。おっと、ちょっと口が滑ったかな? ほらほらファイセル君もお金まとめて!」
二人は旅路の話などとりとめないことを話しながらようやくコインやらを数え終えた。
「え~っと、僕の手持ちの分が200万シエール、銀行に預けてある分を含めると750万シエール。そして師匠から頂いた300万シエールを足すと……1050万シエール!!」
オルバは納得したように深く頷いた。
「う~ん、上出来じゃない? これで資金面は解決っと。あとは最後の課題、どうやってロンカ・ロンカまで行くか……だね」
ファイセルはオルバの顔が一瞬、険しくなったのを見過ごさなかった。
「やっぱりそこが問題ですよね。シリルからだといくら急いでも最寄りのドラゴンバッケージ便乗り場のある街まで2日はかかってしまう。更にロンカ・ロンカまではそこから4日らいかかるとなると結婚式に間に合わないかもしれないですね……」
賢人は気が向かないような顔をしながら”奥の手”を提案し始めた。