「 桔梗と東雲 」
二人が紅炎から下りて、並んで歩きながら家の門を潜ろうとした時と同じ瞬間、
家の中から 長く美しい髪と細身ながらも豊満で、色とりどりの装飾と衣に身を包んだ一人の若い女性が姿を現した。
花のように美しいその女性に、睡蓮は思わず瞳を奪われ 見惚れてしまったが
女性と白夜は お互いが遭遇するとは思っておらず、思わず 顔を強張らせた。
「 桔梗、来ていたの…!? 」
「 ……御帰りなさい ――― 前からの約束を守るために来たの。別に責めてるんじゃないわ……本当よ? 」
「 もう来ないかと思ってた…――― ありがとう。」
女性の名が『 桔梗 』という事は理解できたが、
何が " 約束 " で " ありがとう " なのか解らず、睡蓮は二人の会話を黙って見守る事にした。
「 今日はひとりじゃないのね…… 」――― そう言いながら、桔梗と呼ばれている女性が自分のほうを見た事に睡蓮は気づいた。
挨拶する出番かと思ったが、桔梗は 既に その美しい瞳を逸らしていた。
「 これは…違うんだ! 彼女の記憶を取り戻すために、たまたま…――― 」
「 いいのよ、気にしないで…! 貴方の自由だもの。
――― ちゃんと 貴方達の分も作ってあるから食べてね。」
「 君は帰るの? 」
「 そうよ、本当は今まで待ってたんだけど…――― もう行かなくちゃ。」
白夜は 真っ直ぐ 桔梗のほうを見ていたが、
桔梗は、決して 白夜や睡蓮とは目を合わせようとはせず
それまで、ゆっくりと歩いていた足取りも 徐々に 早いものへと変わって行く ――― 。
睡蓮の前を通り過ぎようとした瞬間、
桔梗は思い直したように足を止め、顔だけを睡蓮のほうに向けた。
「 あなたが白夜が助けた女の子? 」
「 あ…はい!睡蓮…と申します ――― とりあえず。
あの…はじめまして…ですよね? 」
「 私は桔梗。はじめまして…………… それじゃあ ――― 。」
「 あ…… 」
睡蓮に何か言いかけたのを ぐっと堪えて、桔梗は また進み始めた。
彼女と もうちょっと話してみたかった睡蓮は、少し残念に思いながらも彼女の後ろ姿を見送る事にした。
「 ごめん!睡蓮 ――― すぐ戻るから紅炎の紐を持ってて!
できれば、馬屋に入れてくれ!
わからない時は父を呼ぶんだ!中にいるはずだから!! 」
「 え? 白夜さ……待っ…… ――― 」
紅炎の手綱を有無を言わせず睡蓮に持たせると、白夜は桔梗を追いかけて走って行った ――― 。
去って行く二人の姿を見ながら、今朝も 今と同じような事があったような気がする・・・と睡蓮は遠くを見つめた。
「 桔梗! お願いだから待ってくれ!話を聞いてくれ!!
あの娘は昨日ようやく目覚めたんだ!
俺とは今朝 会ったばかりで まだ何も知らなくて……
それどころか、目覚める前の記憶すら無いんだ!! 」
白夜の脚で桔梗 に追いつく事など、容易い事だったが白夜は敢えて桔梗の後ろを歩く事にした。
桔梗が怒っている時は、そのほうが良いのだ。
「 記憶喪失の事は、さっき 秋陽様から聞いたわ。
あの娘に記憶があろうとなかろうと、良かったじゃない可愛らしい方で!」
「 桔梗…――― 俺は…… 」
「 ああ、もう! ――― これじゃ急いで歩いてる私のほうが疲れるだけ!!
ついて来るのは もうやめて!いいからほっといて!! 」
喚き終えると、桔梗は立ち止まり、俯いて肩を震わせた。
――― その顔は泣いている。
白夜は一瞬、彼女に触れても良いものか 迷いながらも後ろから彼女を抱きしめた。
「 桔梗、俺が好きなのは君だけなんだ…… 」
「 ………うっ…ぅっ…………っ……」
「 君じゃないと俺は嫌だ……。 」
泣き続ける桔梗を 白夜は強く抱きしめた。
――― 桔梗が泣く理由は ただひとつ。
白夜が睡蓮を助けた時の状況を彼から聞かされているからだった。
「 きゃあっ!!――― あ…あの、紅炎待っ…――― 」
白夜が桔梗をなだめている間に、紅炎が勝手に動き始めた ―――
睡蓮の細腕では、紅炎の手綱を両手で握ったとしても
その圧倒的な力に引っ張られながら 歩くしかなく、
自分の身体より 大きすぎる紅炎を どう扱えば良いのか分からず
長く巨大な足に踏まれたり蹴られやしないか睡蓮の心は恐怖で一杯になっていた。
( このままじゃだめだわ…… 先生か日葵さんを呼ばなくちゃ……!! )
―――――― 辺りを見渡したが、二人の姿は見えない。
「 あのー…!先生!! 秋陽先生!? 」
大きな声を出したつもりだったが、病み上がりの睡蓮に そこまでの大声は出せる訳も無く・・・・
それどころか、今の叫びで体力を消耗してしまい、紅炎が自由に歩き出して まだ僅かな時間しか経っていなかったが、すでに睡蓮の体力は限界を迎えつつあった。
( ああ…どうしよう。めまいがして来た…… )
「 大丈夫だから、手を放してごらん? 」――― 意識が遠のきそうになる中、睡蓮は誰かの声が聞こえたような気がした。
( 気のせいかしら……? 私の願望が そのまま声になったかのような声が…… )
「 聞こえてる? ――― 紅炎は大丈夫だから手綱を離してごらんって! 」
「!?」――― 声がした瞬間、睡蓮は何かに引っ張られたような感覚になり、思わず紅炎の手綱を手放した。
直ぐに持ち直そうと手を伸ばすも、想いとは裏腹に体力が追いつかず ―――
朦朧としながら、闊歩して行く紅炎の後ろ姿を眺める事しか出来なかった ――― 。
( どうしよう……!白夜さんに頼まれたのに…――― )
――― 眺め続けていると、紅炎は そのまま 自分の馬屋へと入って行った。
「 え…? もしかして、そこがあなたのお部屋なの……? 」と、聞いた睡蓮に返事をするかのように、紅炎が雄たけびをあげた。
彼は最初から彼女に頼る気は無く、自分で自分の小屋に帰り進んでいたのだ。
落ち着ける我が家に 漸く帰り着いた紅炎は、鱈腹と水を飲み始めていた。
( やっぱり、白夜さんと紅炎は似ている気がする………。 )
深い溜息をつきながら、睡蓮は全身の力を抜いた ――― その時、
何時の間にか 自分が何かに持たれかかっている事に、漸く 彼女は気が付く。
「 ね? 離しても平気だったでしょ ――― アイツ賢いから 自分でちゃんと帰れるんだ。 」と、頭上から声がしたので、睡蓮が驚いて後ろを振り返ると背後で見知らぬ若い男性がニコニコと笑っているのを目にする。
よくよく見ると、その男が両腕で睡蓮を抱き支えており、
自分が全体重をかけて持たれかかっていたのが その男性の胸板だったと知るや否や
睡蓮は 慌てて 男から離れた ――― が、体力の消耗からよろけてしまった。
「 おっと、大丈夫ですか? 」――― よろけそうになった睡蓮の両肩を、再び 男は両手で支えた。
紅炎に引き摺られて、倒れそうになった睡蓮を引っ張り支えたのもこの男だ。
「 ごめんなさい! 紅炎に気を取られていて気づきませんでした……。 」
「 こちらこそ、初めて会うのに驚かせてしまったみたいですみません!
………あれ?初めてかな…? ――― 前にどこかで会わなかった?
いや、口説いてるんじゃなくて本気でそう思ってるんですけど…… 」
男は、眉を顰めながら睡蓮の顔をじっと見つめた ――― 。
白夜ほど華がある容姿では無いが、その男は端正な顔立ちで切れ長の瞳が美しく
花の香りのような香の匂いを漂わせている。
間近で見られる恥ずかしさから 睡蓮は顔を隠すように衣の両袖を自分の顔の前に出した。
「 あの…私、ここに来る前の記憶が無いので……会っていてもわからないんです。ごめんなさい…。」
「 あ、その話は さっき 先生から聞きました。 ――― あなたがそうでしたか…!
あ、俺は東雲って言います。よろしくね! 」
――― そう告げながら、東雲と名乗る男はにっこりと笑った。
「 …て事は、今ので 結構 疲れたんじゃないの!?
君、昨日目覚めたんでしょ? 早く 休んだ方が良いよ!
ったく、白夜は患者さんに何やらせてんだ……! 」
東雲は馬屋の鍵をかけると、睡蓮の手を取り、 秋陽の家屋の玄関に向かって歩き出した ――― 。