「 睡る花のような少女 」(七)
てっきり、診療所へ戻っているのだろうと思っていた少女は紅炎が止まった場所を見て、きょとんとした顔を浮かべる。
目の前には、大きな池があり 水の中には 丸い形の葉がたくさん浮いて
白や桃色の花がひっそりとしたように咲き誇っていた。
何処で見たのかは分からないが、見覚えがある花だ ――― 。
「 蓮の花……? 」
「 惜しい、これは睡蓮の花だよ。 」
「 …どちらも同じ花では無いのですか? 」
「 二つは別の花だよ。睡蓮と蓮は似てるけど ちょっと違うんだ。
これは 葉に切り込みがあるだろ? そして、水の中に咲いている。
だから、この池にあるのは睡蓮の花だよ。」
「 ??? 」
白夜の説明を聞いても、蓮の花と睡蓮の違いは 少女には良く解らなかった。
「 まだ蕾が多いけど、もうじき この池は睡蓮でいっぱいになるんだ。 」
「 あ… それが どんな景色かは 私たぶん、見た事あると思います… ――― ! 」
少女の頭の中では、池一面に咲く花の風景が鮮明に再現されていた。
またしても、それ以上 何も思い出せないのが もどかしい ――― 。
「 そうなんだ? だったら、君はリエンに暮らしていた人なのかもしれないね。
蓮も睡蓮も、この国には どこかしこに咲いているから。」
「 そうなのでしょうか…? 」
少女は池に浮かぶ睡蓮の花をじっと見つめた。
見つめているうちに、水の中から睡蓮の花が ひょっこりと顔を出して
こちらを見ているようにも見えて、少女は優しく微笑んだ。
「 睡蓮も蓮の花と同じように、泥沼の中で育つのに
決して、泥に染まらず清浄で美しい花を咲かせる花なんだよ。」
「 泥水でこんなに素敵なら、綺麗な水の中なら さらに美しく咲くのでしょうね? 」
「 咲く事は咲くけど、真水に近い水だと 小さな花にしかならない。
どちらの花も、泥水の濁りが濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせるんだよ。 」
「 え…? そうなのですか!? 」
白夜の話を聞いて、少女は池の中央に咲く 一輪の白い睡蓮を見つめた。
その白睡蓮は、泥の中から生まれて来たとは思えない程に美しく、
吸い込まれそうな程の白さで輝いていた。
「 睡蓮や蓮を人に例えた時に、泥水は何と言われているか知っている? 」
紅炎がゆったりとした足踏みで 池の周りを進んで行く中、少女は白夜の問いかけに一生懸命考えて答えを出した。
「 …………” 空気 ” でしょうか? 」
「 答えは『 人生 』。」
「 人生……? 」
「 睡蓮と蓮が人ならば、泥水は『 苦境 』や『 困難 』で
水面に浮かぶ花は、数々の試練を乗り越えて立ち上がっている
気高き存在なんだ。
特に、蓮のほうは水面上にも大きく突き出すから" 神様の化身 "とも言われているんだよ。」
少女は話を聞きながら、自分の記憶する花の景色は どの程度 花が突き出していたのか考えていた。
記憶がある時も睡蓮か蓮かなんて考えてなかったようなので
その辺は いまいち思い出せずにいるようだ・・・・。
「 …… 君もさ、今は苦境や困難の時なのかもしれないね?
でも、美しい花を咲かせる為には 苦しみや悲しみは必要な事なんだ。
人は苦しみや悲しみの中でしか成長できないと言うから……
だから、君は きっと 美しい大輪の花を咲かす事ができる。
例え、記憶が戻らなかったとしても 挫けては駄目だよ? 」
――― 白夜のその言葉に少女は胸の高鳴りを感じた。
記憶を無くした事が、まるで誇らしい事のような錯覚さえ覚え、
少女の心の中で いつまでもいつまでも 強く響いていた。
先程まで感じていた、途方も無い寂しさも薄れて行くかのように ――― 。
「 大輪の花……ですか、できるでしょうか…? 」
言いながら、少女の瞳からは涙がこぼれていた。
紅炎に乗ったままだったので、お互いの顔はよく見えないのだが
泣き顔を見せたくなくて、少女は自分の顔を白夜の背中の後ろに隠した。
「 できるよ。何事も自分次第だよ?
――― でさ、君の名前なんだけど "睡蓮"って どうかな? 」
「 え…? な…名前…――― ??? 」
白夜の 唐突な言葉の意味がわからず、少女は思わず顔を上げた。
白夜の顔が、前を向いてはいるが 少しだけ自分のほうに傾いてるのがわかる。
「 花と同じように ” 睡 る 蓮 ”と書いて『 睡蓮 』。
眠っている記憶が いつかは目覚めるように ――― どう? 」
「 !!!? 」
「 思い出せるまでの間、呼び名が無いと不便だろう?
違う名のほうが良いなら……
女の子の名前は俺じゃ思いつかないから帰って皆で考えよう。 」
「 いえっ!! ――― 睡蓮が良いです! 」
自分で言ってて、女の子に花の名前など気恥ずかしい物があったが
考えた名前が採用されたようなので、白夜は 得意げに微笑んだ。
少女の為でもあるが、自分が彼女を呼ぶ時に不便だったので名付けようと思い立ったのである。
白夜は、少女が 先程以上に泣いている事に気づいていたが、
嬉し涙のようなので 引き続き 知らないふりをする事にした。
もはや、泣き顔を見られるのを気にする事さえ忘れ、少女は肩を震わせ鼻まですすっている。
「 ごめんなさい……あの……うぅ…嬉しくて…… 」
「 嬉しいのなら、ありがとうと言って欲しいな " 睡蓮 "。 」
「 は…はいっ…! あ…ありがとう…――― 」
” ございます ”を付け忘れたのが気になったが、言葉に詰まって言えなかった。
「 じゃあ、帰ろうか 睡蓮 ――― しっかり、つかまって! 」
「 … はい! 」
少し 照れた様子ながらも嬉しそうに睡蓮が返事をしたのを確認すると、
紅炎は 二人を乗せて、再び 勢いよく走り出した ――― 。