第二章 二話b
灰色の森と呼ばれる以前、この地は実りの少ない土地だった。
それでも、そこにあった国は大陸の中央に位置しており、また多くの国と隣接していたため、貿易を中心に栄えることに成功した。しかし、そのことは富以外にも災いをもたらすこととなった。その益が増したが故に、その利権を手中に収めようと隣国が侵略を開始したのだ。
国は自国への干渉を懸念し、他国からの助力を拒み、独力で侵略に対抗した。自国の財力を活かし、武器を集め、傭兵を雇い戦いに投入した。その結果、国は防衛に成功する。
だが、侵略は一国では終わらなかった。示し合わせたように各国が順々に攻め入ったのだ。
必死に自治を守ろうとするが多勢に無勢。一国の軍を退けてもすぐに次の軍がやってくるのだ。傭兵だけでは戦力がたらず、国の男たちは自ら武器を手に戦場へでたが、事態は悪化の一途をたどるだけであった。
戦争が続けば当然貿易は止まり、傭兵を雇うにも武器を買うにも困ることになる。
国は滅亡の危機に立たされた。
財を失った民は命が尽きるまで戦うか、奴隷となり生き残るかの選択を迫られる。
しかし、その窮地を救う者があられた。
その者は数多の魔術と魔具を用いて国の劣勢を覆したのだ。
やがて、魔術師は国の王に取り入り国の安定に務め、民に安らぎと平和をもたらす。そして、国民の助力を得て、王から自らに権力を明け渡させるまでに到った。
魔術師は新たなる王となり、人々の賞賛をあつめた。
だが、新しき王は他国の侵略を退け国内の統治を完成させると、こんどは逆に侵攻することを宣言した。
そのことに民は驚き、困惑を隠せなかった。
度重なる侵略ですでに国は貿易国としての信用を失い、また隣国のほとんどと戦争をしたために、以前と同じように交易で国を建て直すことは不可能だったのだ。
それでも戦争に疲れていた多くの民は、他国への侵略という行為に難色を示した。
されど、王が陣頭に立ち、ひとたび侵略を成功させると、その考えは一変した。
王は戦争によって勝ち取った富を民に分け隔てなく与える。その財は長い間、貧困にあえいでいた民にとってなによりも甘い蜜となった。
更に王はその財を指差し民に尋ねる。どうして他国はこんなにも豊かなのに自分たちの国へ攻め入ったのだろうと。
民はその答えを知り得なかった。
答えられぬ民に王は質問を代えた。
自分たちが手にした武器はどこから手に入れたものか。金を手にした傭兵たちはどこへ消えたのかと。
そして、民たちは気づいた。
隣国は裏で手をむすび、自分たちの国と命を金儲けの場として利用していたのだと。
食料を生産しては売り、消費させる場として。
武器を製造しては売り、消費させる場として。
傷薬を煎じては売り、消費させる場として。
そして、自らは安全な場所に立ったまま、自分たちを苦しませることで富を築き上げていたのだと。彼らは自分らを家畜と同等程度にしかみていないのだと。
そのことに気がつかされた民は激怒した。そして、大きな怒りは他国への侵略への躊躇いを打ち消した。
『奪われた富を取り返せ!』
『奪いし者たちに復讐の牙をつきたてろ!』
やがて、王と民は隣国の全てを相手に戦争を起こすことになる。そして、侵略戦争は全ての国を支配下とすることで終了した。
国は多くの属国を持つことで、ただの貿易国であった頃とは比べものにならないほど豊かになった。
そこで新しき王はようやく満足を得た。交易路を新たに確保し、豊かな土地を手に入れたことで、民を飢えさせる心配も、争いに巻き込む心配もせずに済むようになったからだ。
だが、そんな王にも誤算があった。
飢えずに済むだけの食料を得ても、民の心に染みついた恨みの炎は消えることがなかったのだ。あるいは、王が速やかに隣国を支配してしまったがために、恨みの発散場所が足りなかったのかも知れない。
『もっと富を』
『勝利の宴を続けろ』
民たちは強欲なる炎を掲げ、王に要求した。
されど、王の魔術とて万能ではない。急激に増やした属国を限られた兵だけで支配し続けるのは困難なのだ。ましてこれ以上戦火を広げるなど自殺行為に等しい。
王は悩んだ。なんとかして、民を沈める手段はないものかと。
だが一度略奪の快楽に溺れたものが、そこから抜け出すのは容易なことではなかった。
そこで王はかつてより目をつけていた計画を実行することにした。
それこそが、魔術師である王が権力を欲した理由でもあった。
王はそれまでに蓄えた知識と魔具、財を用いてより強力な魔術を行使できるよう儀式の準備をした。国でもっとも魔力の集まりやすい場所をみつけだし、そこに天にまで届くほどの塔を作りあげた。
儀式は塔に魔力を集め兵に与えることによって、個々の戦闘力を上げることを目的とした。
儀式は成功し、王はさらなる力を得たかに見えた。
王と民たちは強大な魔力を得て他国の軍を圧倒した。
されど、それはほんのひと時の栄華でしかなかった。
魔力を集めていた塔が崩れ、その力が暴走したのだ。
塔からあふれ出した魔力は国中を覆い、多大なる変化をもたらした。
痩せていた土地からは、背の高い灰色の木々が生えその国土を覆った。
大きな魔力に耐えられぬ人々は死に、生き残った者たちも魔物へと姿を変えた。
そして、真実を知らぬ者たちは、そこを禁断の地と恐れ、その場所から遠ざかったのだった……。
塔の崩壊後も生き残った王は、自らの変わり果てた姿と国の有様に絶望をした。
集めた魔具こそ残っていたが、得意とした魔術を失い、臣下すら残ってはいなかった。
わずかに生き残った民たちも人語を解さぬ魔物と化していた。
希望を失った王は、すべてを諦め死のうとした。
だが、いくどとなく命を賭けた挑戦をし、勝ち続けた王であっても自らを殺すことだけはできなかった。
それは宗教でも道徳観念でもない、ただ残されたひとつの命を失うことが恐ろしかったのだ。
どれほどの困難でも、王はそれを打ち破り勝利を得てきた。しかし、自殺だけはちがう。行えば避けることのできない終わりが待っている。その先にはなにもないのだ。死という虚無の世界を王は恐れた。
死を諦めた王は元の姿にもどろうと幾度となく研究を重ねた。それは長い年月を経て一応の成果は得たものの、結局自らの身体を人間に戻すことは叶わなかった。
そして、彼は死以外のすべてを諦め森に引きこもった。この森を領土として守るという建前のもとに。
森こそ自分の領土であるとして、それで満足するように心がけていたのだった。
しかし、それも崩れ去ってしまった。
たったひとりの少女に出会わなければ、そのままその生活に満足できたのだろう。
しかし、知ってしまった王であったころですら、知らなかった感情を……。