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第175話「事情はどうだって、あんなふうに、喧嘩なんてしてほしくないよ」

「カボチャは好きだけど、ものには限度ってものがあるの」


 人気のない教室の机にカボチャのお菓子がずらりと並ぶ。ドロシー・アンダーソンは、疲労感すら漂わせつつ、タルトをつまんだ。生地をさくっとかみ砕いた後に訪れるカボチャの甘みには、さすがにもう舌が悲鳴を上げそうなほど飽き飽きしている。

 このカボチャ尽くしを持ち込んだ張本人である佐藤(さとう)希玖(きく)は、プリンにスプーンを差し込みながら、苦笑する。元はといえば、家政科部の活動の一環で作ったカボチャ料理のフルコースで、その余剰分の処理をドロシーまでが押しつけられた形だった。


「ごめんねえ。作りすぎちゃって」


 近所のおばさんが煮物を持ち込む時みたいな笑顔を見て、ドロシーもあきれるしかない。


「それにしたって……」


 さすがに口の中が甘ったるくて、なかなか食は進まない。おなかの中がオレンジ色の食物繊維でいっぱいになっている気がして、彼女は顔をしかめる。


「ハロウィンだからってこんなには食べられないでしょう。どういうつもりだったの?」

「計画したときはもっとおとなしめな配分だったんだよ。部員がすこしずつ持ち込むつもりだったんだけど、みんなついつい余分に持ち込んだせいで、最終的にすごい量になっちゃって」

「全部使うことはなかったんじゃない?」

「……勢いって恐いね」


 希玖のため息まじりのコメントに、ドロシーは心底同意せざるを得ない。


「もうちょっと早く来てくれれば、部の先輩にも押しつけられたのに」


 すでに下校時刻も近く、室内の蛍光灯の明かりだけがふたりを照らしているかのように思えた。中間試験がもうすぐで、部活によっては平時の活動も早めに切り上げているから、校内はひときわ静かだ。書道部も例に漏れず、いつもよりすこし早く活動を終えていた。

 部室の鍵を返しに行ったドロシーが、希玖とはち合わせて、この有様だ。


「ほかの部活、誰かいないの?」


 ドロシーが眉をひそめて問うと、希玖は一瞬、口ごもるようなそぶりを見せた。何か心当たりがありそうだ、とドロシーは感じるが、答えづらい事情、というのがわからない。

 希玖は、ゆっくりとプリンを口に入れ、飲み込む。すこし間をおき、ひといきついて、希玖はうなずいた。


「さっき、軽音部に行ってきたんだけどね」

「うん。練習の後なら、喜ばれたんじゃない?」

「それが……そうでもなくて」


 希玖はしばらく、視線をさまよわせる。蛍光灯の頼りない光だけが、希玖の瞳にかすかに反射する。その明かりは、希玖の内心をそのまま表すみたいに、不安げに揺れた。


「何か、殺気立ってて」


 うつむいた希玖の口から、吐息がこぼれる。


「まあ、バンドだしね」


 ドロシーは、あえてことさら軽い口調でいった。


「たまには対立するぐらいでなきゃ。音楽性の何とか、ってやつ」

「うん……けどさ」


 希玖は片手でスプーンをもてあそびながら、かぶりを振る。


「でも、知ってる人が恐い顔して声張り上げてるのは、やっぱり、恐い」

(つぐみ)さんもそこにいたの?」

「うん。上級生と、真っ正面から向き合って、一歩も引かなくて」

「かっこいいじゃない。さすがは鶫さんね」

「実際に見てないから、そういうふうにいえるんだよ」


 吐き出すような希玖のことばは、なるほど、ドロシーには反論の余地はなかった。

 感情的ではあれ、怒りを表に出すようなタイプではない津島(つしま)鶫のイメージと、希玖の怯えた様子の間にはギャップがあって、ドロシーは現場の状況をうまくイメージできない。それほどの事態が、軽音部には起きていて、希玖はそれをまともに見てしまったことになる。

 ショックは、いかほどのものだろうか。


「事情はどうだって、あんなふうに、喧嘩なんてしてほしくないよ」


 沈んだ希玖の表情に、ドロシーは向き合う。薄暗い夕景と、甘ったるい空気の中で、うつむいて顔に影を落としている彼女は、涙をこらえているように見えた。


 ひょっとしたら、ドロシーに声をかける直前まで、希玖は泣きそうになっていたのかもしれなかった。

 我慢して、ショックに耐えて、涙を飲み込んで、ようやくドロシーの所まで来れたのかもしれなかった。


 そういえば、職員室を出たドロシーを見た希玖は、どこか、戸惑っていなかったろうか。無理に笑顔を作っていなかったろうか。

 薄暗い廊下に立っていた彼女の顔は、もうはっきりとしない。


 それよりも、目の前の希玖のほうが大切だった。


「……おきくは優しい」


 うなずいて、ばりり、とタルトの生地を口に放り込む。ドロシーの中で、甘みが重たく渦を巻くようだった。


「だけど、おきくだって怒ると恐いからね。あんまり人のことはいえないよ」

「……それは昔のことでしょう」

「ほんとに?」


 意地悪な問いに、希玖はつかのま、恐い目をしてこちらをにらんだ。けれど、それが雄弁な回答であることに気づいたみたいに、首を振り、口をつぐむ。

 ひんやりと冷えた緊張の糸が、二人のあいだに張りつめる。


「ごめん」


 つぶやいたのは、ドロシーのほうだった。


「別に、おきくが嫌な子だっていいたかったわけじゃない」

「……うん」

「気持ちの安寧とか、納得とか、簡単に手に入るとは限らないから。だから、怒ったりするのだって、許してあげよう」


 ドロシーのことばに、それこそ、希玖は納得できなかったのだと思う。彼女はしばらく眉をひそめたまま、じっと机の上のオレンジ色を見下ろして、考え込んでいるみたいだった。


 でも、やがて、希玖は何かを吹っ切ったように、甘いクッキーをかき込み始めた。ドロシーは、それを微笑んで見守る。こういうときには、食べるのがいちばんだ。家政科部の料理なら、うってつけだろう。

 ドロシーもそれにつき合って、オバケの形のクッキーをひとつ口に入れた。


「ドロシーさん」

「ん」

「ありがとう、つき合ってくれて」

「このくらいなら余裕。でも、食べた分は後で運動しなきゃね」

「ダイエットなんてするの? ドロシーさんでも」

「でも、って何よ。健康にも体重にも気を使ってるんだから」

「そっか」

「おきくも食べ過ぎちゃだめよ」

「いまだけは勘弁してよね……」


 いいあって、ふたりはくすくすと笑いを交わした。夕日の色のパーティは、そうして、しばらく続いた。

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