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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第176話「会話の仕方は、本に書いてない?」

 家に帰りたくなくなる季節は、数多い。なかでも阿野(あの)範子(のりこ)は、ハロウィンの季節がひときわ苦手だった。
 ニュータウンの家庭はどこも、この時期になると家々の壁や屋根、さらには門柱をジャック・オー・ランタンとゴーストの意匠で飾り付け、オレンジ色の明かりで街全体を照らしている。一足早くはしゃぎ始める子どもたちは、ぞろっと長いカーテンみたいな布をかぶってお菓子をねだり始める。
 範子はそもそも、祭りの苦手な子どもだ。クリスマスも、バレンタインも、雛祭りも、醒めた目で見ていた。民俗学的な興味はあれど、自らがその熱狂に飛び込むことは出来ないでいた。

 範子は、学校から家に続く道を、けだるげに歩く。
 途中、いつもは曲がらない角を曲がった。どこかで店を探して夜まで粘っていようか、という程度の、気まぐれだった。
 たまたま足を向けた商店街は、まだハロウィンには気が早いのか、その手の装飾はほとんど施されていない。せいぜい、ケーキ屋の店頭にマントを羽織ったマスコットキャラが描かれている程度だ。そういう暢気さは、範子は嫌いではない。
 ざっと街並みを眺め渡すが、暇をつぶせそうな場所は少ない。古くさい喫茶店の狭い入り口を見つけ、近づこうとしたとき、

「とりっくおあとりー」

 子どもの声が背後から聞こえて、振り向く。

 そこには、幼子を引き連れて練り歩く、魔女の姿があった。魔女は襞飾りの多い漆黒のワンピースで全身を覆い、ドクロの留め金をつけたポシェットを片手に、微笑みを浮かべて範子を見つめていた。
 彼女の不健康そうな青白い肌を、範子は知っている。

「あ、範子さんだ」
青衣(あおい)さん、何してるの。とうとう本物の黒魔術師になった?」
「とうとうって何」

 光原(みつはら)青衣は笑いながら、子どもたちに視線を合わせてしゃがむ。お金のかかってなさそうな半端な仮装をした子どもたちは、青衣の前に寄り集まって、こしょこしょと内緒話を始める。青衣を囲む子どもたちの表情は一様に輝いて、この胡散臭そうな少女への彼らの敬意と興奮を伝えているようだった。
 やがて、子どもたちは一斉に範子を振り返った。

「おねーさん、青衣サマの友達なの?」
「本めっちゃ読むってほんと?」
「ゾロリ読んだ?」

 みんなが思い思いの調子で、勢いよく質問をぶつけてくる。範子は、その甲高い声の威勢にのけぞりつつ、口元を手で覆った。

「ええ、っと」

 脳裏に渦巻く感情が、うまく言葉にならない。子どもたちは、きらきらした目で範子を見上げて、答えを待望している。大人が子どもの要求に応じるのは当たり前だ、と、信じて疑わない年頃の目だ。

「うう」

 思わず、範子はうなった。
 回らない舌をどうにか動かし、わかりやすいことばを必死に絞り出し、やっとのことで、青衣と範子は同じクラスにいること、1日1冊ペースで本を読むこと、自分のちいさな頃は児童小説などは読まずに海外のジュヴナイルやファンタジーを読んでいたことを、どうにかこうにか説明した。
 子どもたちは、範子のそんな喋りに途中から飽きていたみたいで、友達同士で話し合ったり、通りすがりの老人に飴玉をもらったりしていた。そういう態度にも、範子は怒るに怒れない。

「じゃあ私、彼女と用事があるから。今日は解散」
「「「はーい」」」

 青衣の号令一下、子どもたちは勢いよく商店街を走り出していった。ちいさな背中が、あっという間に夕暮れの果てに消えていく。

 目を細めて彼らを見守っていた青衣が、範子に向き直った。

「ごめんね、うるさくって」
「……ずいぶん慕われてるのね」
「遊んでもらってるだけだよ。でも最近、大人をなめてる感じあるから、一度きちんとシメとかないといけないって思ってる」
「そんな恐いことできないでしょう、青衣さん」
「子どもを脅かすだけなら、どうとでも」

 しとやかにくすくす笑う青衣の仕草は慎ましげで、それが、いっそう彼女のことばに現実味を感じさせた。それこそ、本当の魔女みたいに扱われなければいい、と思うが。

「立ち話も何だし、ちょっと入ろうか?」

 青衣が声をかけ、喫茶店のドアをためらわずに開ける。奥にいた店主が、慣れた様子で青衣に挨拶して、彼女たちを奥のテーブルに導いた。

「知り合い?」
「目立つから、覚えてもらってるだけ」
「にしては、ずいぶん慣れた感じだけど」
「そう?」

 お冷やを持ってきた店主に、青衣はすぐにカフェラテを頼んだ。範子がメニューを眺めてちょっと考えている間に、青衣は店主となにやら二、三ことばを交わす。
 注文のあと、範子はふたたび青衣をにらんだ。

「やっぱり知り合いでしょ。何話してたの」
「天気の話。あのくらいふつうじゃない?」

 そういうものだろうか、と、範子は首をひねる。彼女は、店の人と雑談なんてしたことはない。よく行く駅前の書店でだって、必要な会話を交わすだけだ。ブックカバーの有無や注文品の入荷時期より重要な情報を交換したことはない。
 青衣も、そんな範子を、ちょっとふしぎそうな目で見ている。青白い顔の真ん中の黒い瞳が、くすんだ明かりの下で際立つ。
 漆黒のドレスに身を覆って、彼女は、悠然と腰を下ろしている。

「苦手なのかな、ああいうの」

 青衣がコップの水を一気に飲み干して、訊ねた。

「ああ、って?」
「子どもたちとか、お祭り騒ぎとか」
「……苦手。何を話せばいいか、よくわからない」

「会話の仕方は、本に書いてない?」
「読んだことあるの、そんなもの?」

 もしも青衣のいうのが、ビジネスマン向けの会議の例文集とか、スピーチの達人を育てるアドバイスとか、そういう類のものなら、範子ははなから軽蔑していたろう。そういう実用性を、範子は書物に求めない。
 けれど、青衣は肩をすくめて、つぶやいた。

「小説だったら、誰だって会話してるでしょう?」

 とん、と、何か鋭いもので胸を突かれたような気がして、範子は答えを返せなかった。その瞬間、たぶん、呼吸が止まっていた。

 ブレンドコーヒーとカフェラテがテーブルに届く。範子の手元に置かれたホットコーヒーは、光を跳ね返して彼女の面差しを映しこむほどに黒い。きっと、猛烈な苦みが自慢なのだろう、と想像する。
 範子は、手元のピッチャーからミルクをそそいで、砂糖をふんだんに溶かし込んで、ようやくコーヒーを口に入れた。それでも苦かった。
 青衣は、無表情にカフェラテを口に運ぶ。

「そういうので、いいと思うんだよね」
「……それって、誰とでも話せることばだと思う?」
「利用はできるんじゃない?」

 利用、という単語の響きは、冷たくて、あまり好みではない。
 だけど、青衣のいうことの意味は察せられたし、範子も納得しないではなかった。

 ありふれたことばを、小説の中に書き下して、それが形を為していることもある。
 そういうことばを胸にしまいこんで、自分のことばのようにすれば、人との会話もそんなに難しくない。きっと、それは、それこそキャッチボールじみた定型的なやりとりになって、相手との間柄をなめらかに回していくだろう。
 そういうふうに、人と人とのあいだにはまりこんで、歯車を回転させるようにことばを交わすこともできる。

「……青衣さんも、そうやってるわけ?」
「いうほど面倒なことじゃないと思うよ」
「それは青衣さんだからよ」

 身も蓋もない話、奇矯な服装をしているせいで、彼女はすこし許されていると思う。多少突飛で、とんちんかんなことを口走っても、皆が許容してくれる。
 範子のように、一見真面目で礼儀正しい翠林生には、そういう立場は認められない。

 青衣は、服装ということばを使って、自分のことばをみんなに認めさせているのだ。
 範子には、いまさらそんなやり方はできない。

「じゃあさ、範子さん」

 湯気の向こうから、青衣の黒い瞳が浮き上がる。
 その目は、にっこりと、笑みを刻む。

「範子さんもコスプレしてみなよ。服、貸すし」
「……はあ?」
「お化粧も手伝うし、ネイルもしようか。文化祭、近いでしょう。本格的に取り組んでみようと思って……叶音(かのん)さんか、るなさんにコツ教わってさ」
「そんなのひとりでやってよ。私を巻き込まないで」
「似合うと思うのに。範子さん、私より肌白いもの」
「……ほめてないよ、それ」
「ほめてるのに」

 手を伸ばして、青衣が範子の頬に触れる。カップの熱が残った彼女の指は、どこか情熱的なニュアンスさえ宿して、範子をいざなうかのようだった。
 青衣の指は、想像以上に、すべらかで優しい。

 そんなふうに距離を詰められると、範子はとたんに動けなくなる。壁を作って、阻んで、間合いを取るより他の言葉遣いを、範子は知らない。
 武器のすくない、無防備な範子を、青衣は遠慮なく侵略する。

 ほのかな明かりの下で、つかのま、本物の魔法使いに見初められてしまったような、悪寒を覚えた。
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